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はーとふる  作者: 玖洞
第二章
22/24

指輪



目の前に広がる幾つもの料理の皿。綺麗に盛り付けられたそれらは香しい香りを醸し出していた。それはとても食欲をそそる――、はずだった。





――それが毒々しい紫色をしていなければ。




「…………」



「…………。――ごめん、ちょっとタイムっ」



「?はい」




それを見て思わず顔を見合わせた私とシエルは、ニコニコと料理の前に座っているユエにそう声を掛けた。



不思議そうに返事をするユエを背に、私はシエルと肩を組んで、ユエに聞こえないようにコソコソと会話を始めた。



「ちょ、リオン。あれヤバいって。何で紫?そんな素材あった?」



「いや、無かったと思う。でも形と匂いは普通だし多分大丈夫だと……」



「いやいやいや、無理だって!?あんなの食べたら今日の襲撃を待つ前に死ぬってば!!」



私の首元にガッとしがみつく様にして、シエルが訴える。必死だ。



確かにあれらの物体を口にするのは私でも躊躇う。だが――――、



「でも、シエル。――あれを見ても食べないって言える?」



そう言って背後のユエをチラリと見る。彼の期待のこもった眼差しを見て、シエルがうっ、と言葉に詰まる。






事の発端は二時間前。



『置いてもらえるお礼に昼食を作りたい』



そうユエが言ったので、快く任せた結果がこれだった。……いやぁ、これは無いわ。



だがしかし厚意は厚意だし、断るのも気が引ける。


……覚悟を決めるべきだろう。




「……――頂きます」




シエルの無言の制止を軽く振り解き、紫色の――恐らくは野菜炒めだろう――を口に含む。


二人が固唾を飲んで見守る中、私は口にある物体を咀嚼する。それを数回繰り返した後、コクリと口の中の物を飲み込む。


無言で取り皿にフォークを置き、テーブル脇に置いてある水差しから空のコップに水を注ぎ、一気に飲み干した。


……うん。








「ごめん、普通に不味い」







◆ ◆ ◆





「あの、りっちゃんのそういう素直な所は美徳だと僕は思ってるんだけどね、流石にこの場面であれは無いっていうか……、いや、責めてる訳じゃなくてね!?」




と言う風に捲し立てられ、半泣きのユエにフォローをしているシエルに部屋を追い出された。


扉を閉める際にこそっと「買い出しよろしく」と言われたので、代わりの食べ物を買ってこいという意味だと解釈する。



……いや、私も反省してる。確かにあの言い方は無かったと思う。



私の最初はちょっと味が可笑しいくらいならば、食べられなくもないよとでも言うつもりだったのに、ついぽろっと本音が出てしまったのだ。



何というか、形容しがたいくらいに食材に対して冒涜的な味だった。はっきり言ってかなり不味い。




――あ、思い出したら胃が痛くなってきた。



商店街に近い路地の脇道に入り、お腹を押さえて蹲る。そこまで酷い痛みではないし、少し休めば回復するはずだ。そう思い、顔を上げようとしたとき、頭上に影が掛かった。





「あら?――ねぇ、貴方大丈夫?」




優しげな女性の声に思わず顔を上げる。その瞬間、――時が止まった。




ひらひらとした赤いコートを身に纏い、輝く様な長いウェーブ掛かった金髪を揺らしながら心配そうに私を見詰める女性。



……私は自慢ではないが目が肥えていると思う。幼い頃から、いやそれよりもずっと昔から千尋やシエルの様な人達を見て育ってきたからだ。




だが、――彼女は格が違う。



雪の様に白い肌。蠱惑的な紅い瞳と紅い唇。ふんわりと微笑むその姿は、あまりにも神々しく、――お伽噺の女神様を連想させた。



彼女の瞳を覗きこんだ瞬間から、心臓が早鐘の様に動いている。


……なんだ、これは。まるで、――一目惚れみたいじゃないか。




「あ、え、あの」



「お腹が痛いの?しょうがないわねぇ、ほら」



そう言うと彼女は私の前にしゃがみこみ、徐に私の事を抱きしめた。布越しに伝わる柔らかな感触に思わずたじろぐ。



「えっ、ちょっ」



突然の事に抵抗しようにも、なぜだか手足がしびれて力が入らない。それと同時に彼女から香る甘い香りに脳みそがクラクラする。香水か何かだろうか。それにしても、ああ、なんて甘い――。



「いいからジッとしてなさい。――――……光よ、」



その声と同時に、ふわりと暖かい光が私を包む。光がキラキラと私の周りを回る度、じわりと痛みが引いていく。


その光は数度私の周りを巡回した後、フッと消え去った。お腹の痛みももうすっかり引いている。




「……あ、痛みがない」




「ふふっ、久しぶりに使ってみたけど中々上手くいくものね。 立てるかしら?」




彼女の手を借りて立ち上がる。私の傷だらけの手と違い、細くて柔らかい手だった。触っているのが申し訳なくなるくらいには。


恥じるつもりは無いけれど、少しだけ羨ましくなった。




「ありがとうございます。おかげで楽になりました」



そう言って、深々と頭を下げる。


まるでシエルの治癒術くらいに鮮やかなものだった。症状が軽いとはいえ、治癒術は魔術の中でも特例の特例だ。並みの魔術師には使えるわけもない。




――そこまで考えて、違和感を覚えた。



――あれ?



――――彼女の手には、――……何も無かった(・・・・・・)



思い当った事実に、背筋が凍った。



聞いた事がある。稀にどの神にも祝福を受けられなかった『不適格者』と呼ばれる人間が存在すると。だが、彼女はそんな素振りも見せずに平然と魔術を使って見せた。



そんな事は、あり得ない。『魔術師』やそれに類する称号が無い限り、治癒術が使える筈が無い。不適格者なら尚の事だ。




なら、――彼女は一体何者だ?



まさか――本当に神様だとでも言うのだろうか。




一歩、無意識の内に彼女から遠ざかる。




そんな私の様子に気が付いたのか、彼女が蠱惑的に微笑む。




「あら、勘のいい子ね。――でもそんなに怯えた顔をされると傷ついちゃうわぁ。折角親切にしてあげたのに。別に何かをするつもりは無いわよ?」




「す、すいません」




「そう。素直な子は嫌いじゃないわ」




彼女はスッと歩き出し、私の頬に手をあて、息がかかる程の至近距離に近づく。それに対し、私の足は地面に縫い付けたかのように動かない。彼女から目が離せないのだ。




動けない私を尻目に、彼女の行為はエスカレートしていく頬にあった手は鎖骨の辺りを撫で始め、空いている手に至っては私の腰の辺りを這いずっている。



――何なんだこの状況は。



何とかしなければいけない。そう思うのだが彼女の目を見るとそんな思考すらどうでもよくなってくる。まるで、魔法に掛けられたみたいに。



これが異常な状況であることは分かっている。だが何故か抵抗する気になれない。彼女の行為に心地よさすら感じ始めている自分が居た。




彼女はそんな私の葛藤を知ってか知らずか、クスリと笑うと最後に私の頬を一撫でし、私から離れた。




「……あっ、――――!!??」




自分から零れ落ちた声に動揺を隠せない。なんであんな、――まるで名残惜しかったみたいな反応を。

思わず俯いて赤面する。これじゃあいいように遊ばれているようなものではないか。




「うふふ、まさかとは思ってたけどこんな所で見つかるなんて。それも、――いえ、何でもないわ。

ねぇ、貴方。――この指輪、私にくれないかしら?」



「――っ、それは!!」



彼女が持ち上げてみせたソレを見て、思わず上着のポケットを確認する。……無い。――金の指輪が無い。


先程の接触の時に抜き取られたのか。気が付かなかった。





「ねぇ、――頂戴?」




女神の様な笑みを浮かべて、私の事をじっと見つめてくる。そんな事、絶対に頷く訳がないのに。




『さぁ、早く頷きなさい』




それなのに、なぜ私は渡してもいい(・・・・・・)と考え始めている?




『彼女の喜ぶ顔が見られればそれでいいじゃないか、何を惑う事があるの?』




違う違う違うっ!!これは祖父の形見で、簡単に手放す事なんて出来るわけがないだろ!?




『さぁ、――――早く!!』




抗いがたい衝動が私を支配する。それでも、私は、




「だ、駄目です」




「――――え?」




彼女が信じられないとでも言いたげに目を瞠る。




「……見ず知らずの私の体調を気にかけて下さった事はとても感謝しています。――貴方様が私など及びもつかない程に高貴な存在である事も承知の上です。それでも、これは渡せません。――申し訳ありません」




「――……ふぅん。耐性もない癖に暗示を破るなんて中々やるじゃない。それとも、流石とでも言うべきかしら?」




「暗示?」




「そ、暗示。――指輪、本当は渡したくてしょうがなかったでしょう?」




……その通りだった。


でも、何故そんな真似を。あの時私から指輪を抜き取った時点で黙っていればそんな面倒な事をせずに済んだのに。




「別に意図なんて無いわよ。ただのプライドの問題。――この私がスリだなんて下賤な真似をすると思って? だから貴方が快く渡してくれさえいれば何の問題も無かったのに、ね」




それにしても、と彼女は続ける。



「久しぶりにお友達に会いに来ただけなのに、こんな所で見つけるとはね。世間は狭いわぁ。最後にその指輪を見たのはもう300年は前の事かしら?いえ、400年だったかしら……。――ねえ、本当にその指輪を私に渡すつもりはない?今ならキスくらいはしてあげるんだけど」



「え、だ、駄目ですよ。それに、その、キスも要りませんから……」




「残念ね。でもこれ以上の干渉は他の子達に怒られてしまうし、この話は終わりにしましょうか。でもね、その指輪を持っていたところで貴方にはいい事なんて一つもないわ。むしろ不幸になるくらいよ」




「不幸?」



「そう。だってこの指輪は『アンドヴァリの指輪』を似せて私が小人に作らせた亜種だもの。あ、言っておくけれどこの指輪には黄金を増やす効果はないわよ?あるのはもっと別の物。残念だったわね」




『アンドヴァリの指輪』それはかつてアンドヴァリという小人が所持していた指輪の事だ。

その指輪は所持しているだけで黄金を増やすという能力を保持しているとされる。が、その一方所有者に対し膨大な呪いを掛けるとされている。呪いの詳細は覚えていないが碌なものではなかったような気がする。そんな指輪の亜種?




「だ、だって今まで全然そんな様子は……」




「それは条件を満たしていないからよ。――ほら、内側に刻印があるでしょう?これで効果を打ち消しているからよ。発動条件は簡単、【指につけて刻印を隠す】事で漸く効果を発揮するの。

貴方はまだ付けた事は無いの?

――そう、それは良かった(・・・・)わね。人の身にコレの反作用は重すぎるもの」




……だから無意識の内に付ける事を拒絶していたのか。



神妙な顔をしている私をみて、彼女が思わずといった風に呆れ顔になる。




「……貴方本当に何も知らないのねぇ。なら、このまま一生使わないと言うのならば死んだ後にでも返してくれればいいわよ?」




――あぁでも、それは無理ねぇ。




そう彼女は誰に聞かせるわけでも無く呟く。





「だって貴方はもう知ってしまったもの」





彼女はにっこりと笑って私の手に指輪を握らせる。





「――人とは、持っている『力』を使わずにはいられない生き物なんだから」
















◆ ◆ ◆














「あ、お帰りー。遅かったね」



「ただいま。……まぁ、いろいろね」







商店街で買ってきた出来合いの料理を机に並べながら、先ほどの邂逅について考える。






――――その指輪の効果は『     の操 』、対価となる物は貴方の不幸。程度によって対価は変わるらしいけど、楽観視はしない方がいいわよ。最悪死ぬより酷い目に遭うから――――




そんな物を何故作らせたんだ、と声を大にして言いたくなったが彼女自身きっとそこまで深くは考えていなかったのだろう。





『欲しかったから、手に入れる』





そう、その思考回路こそが――――――、





――――ふふっ、偶然とはいえ私と二人きりの時間を過ごせたことに貴方は感謝するべきだわ。――そう、この美しき愛の女神、フレイヤ様と一緒に居られたんだから――――




――彼女、女神フレイヤの本質なのだから。





フレイヤは北欧神話の中ではかなりポピュラーな女神である。


大まかに言えば、非常に美しく、呪術に精通し、さらには戦争を司る神格持ちですらある。

が、彼女のエピソードの大半は男女の痴情の縺れや、傍若無人な振る舞いの方が多い。

言動や、軽々と治癒術を使ってみたところから見ると、この世界でもだいたい北欧神話と同じような性格とみてもいいのかもしれない。





それにしても、――あまりその事に動じていない自分に驚いた。



女神くらいどうとでもない――とは言わないが、正直現実感があまりなかった。混乱していた事も大きい。


ここ最近色々な事が起こり過ぎた。シエルの事。千尋の事。先輩の事。ルナさんとユエの事。どれも、私には少し荷が重い事ばかりだ。





でも、そんな感情の中でさえ、湧き上がる衝動は確かにあった。



本当は、縋りつきたかった。自分を祝福してくれと、強くしてくれと臆面もなく叫びだしたかった。


きっとこれからの人生、『神』と関わる事なんて二度と無いとさえ思った。チャンスはあの時にしかなかった。


でも、心の中でもう一人の自分が叫んだ。




『許せるのか?』と。




『ここで無様に跪き、媚び諂い、お情けをかけられる事を本当にお前は許せるのか?』




私はそんな鼻で笑ってしまうようなプライドで、全ての誘惑を耐えた。耐えきった。




――本当に、本当に私はどうしようもない。



実力も無い癖に矜持ばかり高くて、現実を見据えられない大馬鹿者だ。




でも――――、




「そんな自分は、嫌いじゃないな」




「んー?何か言った?」




「なんでもないよ。――ただの独り言だから」





少しずつでいい。変わっていこう。『私』に恥じない私になろう。



何時かこの選択を後悔する時が来るかもしれない。あの時に頭を下げていればと嘆く時が来るかもしれない。


でも、その時はその時だ。そうならない為にも、もっと頑張らなくてはいけない。




千尋みたいな完璧な人には成れないんだから、せめて自分自身後悔しない生き方をしよう。




だからほんの少しでいいから、――自分を好きになってあげよう。





そうすればきっと――――、








「よし。シエル、ユエを呼んできてくれる?」



「分かった。りっちゃんは飲み物の準備よろしくね」




そう言ってパタパタと歩くシエルの背を見送り、思う。






―――そうすれば、胸を張って君の隣にいられるかな?


















◆ ◆ ◆










「あぁ可哀想。――あの子は本当に可哀想」




暗闇の中で麗しき女性――フレイヤがそう囁くように笑った。



『彼』との話に出てきたから指輪の回収ついでに会ってみたけれど、中々芯があって面白い子だった。女でさえなければ連れて帰ってもよかったのに。



――人間の癖に、(カミサマ)に願い事の一つすら言わなかった。それどころか誘惑と暗示すら退けるなんて。本当に、面白い。



この私の前で懇願なんていう無様な真似をするならば、指輪だけ貰って記憶を消そうと思っていたのに毒気を抜かれてしまった。あまつさえ指輪の使い方すらレクチャーするくらいだった。



そうまであの人間に親切にしてあげたのは、そこまで指輪に執着していなかった事と、何よりもあの子がどうやってあの指輪を使うかに興味が湧いたからだ。



欲の為に使うのか、生きる為に使うのか、それとも誰かの為に使うのか、――自身の不幸を飲み込んで。




――それもまた人間の(さが)か。





「それにしても、『アイツ』も存外見る眼があるわねぇ。――要らなくなったら私が貰おうかしら」





――まぁ、どう転んでも(・・・・・・)碌な事にはならないし(・・・・・・・・・・)





「暫くは傍観させてもらいましょうか」

































――さまざま思惑を乗せ、運命の夜が始まろうとしていた。







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