葛藤
人には誰しも、向き不向きという物がある。それは仕事だったり、空間だったりと色々だ。少なくとも、『ここ』は私には向いていない事は確実だ。
充満するアルコールの匂い、様々な種類の香水の香り。正直田舎育ちの私にはキツイものがある。
「はぁい、リオンちゃん。甘めのお酒持ってきたわよ」
豊満な胸を持ったお姉さまが、しなだれかかりながら私にお酒を勧めてくる。
いや、あの、胸が当たってるんですけど。そういうのは私ではなく他の男の人にしてあげてください。いえほんとに。
「いえ、私はお酒はちょっと……」
私は両手でグラスを遮りながら、お姉さんの谷間から目を逸らす。なんだろうかこの格差は。私は今までの人生谷間なんて出来たことがないぞ。
……それはともかくとして、ここは娼館と言っても主に飲み屋を兼ねたお店らしい。むしろ店の感じだとそっちの方がメインのようだ。その事に少しだけ安心した。あくまでも少しだけだけど。
「なんだよ白けるなぁ。俺の酒が飲めないのかー」
隣に座っている先輩が、私の両手をいきなり掴み拘束しだした。あまり強い力ではないが、角度が悪いのか振り解くことが出来ない。いつもの事とはいえ悪ふざけにも限度がある。
「先輩、着いた早々に絡みだすのは止めてください。え、なんでお姉さんグラスを私の口元に……、ちょ、やめっ」
「お姉さんじゃなくてルナって呼んで? ――はい、あーん」
アンタら打ち合わせでもしていたのか、と言いたくなるくらいに息の合った行動だった。
意外と押しの強いお姉さんに、無理やりお酒を口に流し込まれる。アルコールの匂いが、酷く不快だった。
お酒が喉を通りすぎる度、灼熱が皮膚を焼いている感じがする。……あぁ、こんな体に悪そうな物の何処がいいんだろうか。理解が出来ない。
「げほっ、ごほっ。の、喉が……」
「大げさだなぁ。今からそんな調子だと将来大変だよ?ほーら飲め飲めー」
お酒が並々と入ったグラスを私に手渡しながら先輩はそう言ってくる。……いや、勘弁してくださいよほんとに。無理なものは無理なんですって。
「お姉さ、いやルナさんも先輩を止めて下さいよ……」
「えぇー?だってリオンちゃんの反応が可愛いんだもん。こんな擦れてない子ここでは珍しいし」
妖艶に笑いながら、ルナさんは私の頬を指で突いた。残念なことに、ものすごくいい笑顔だ。
あ、そうですか。ここでも私は玩具扱いですか。
そう思い、肩を落とした私の背を先輩が笑いながら叩いた。どうやらツボにはまったらしい。あーあー楽しそうで何よりですよ、私は楽しくないですけど。
「ルナちゃんいい性格してるねぇ。俺そーゆーの大好き。――それにしてもさぁ、お客二人にルナちゃん一人じゃバランス悪いかな?もう一人綺麗所呼んでよ」
「あら、酷い。私だけじゃ不満かしら?」
「そういうんじゃないけどさぁ、ルナちゃんがリオンに構いっぱなしだから、俺ちょっと退屈なの
」
ね?と先輩はチェシャ猫の様に笑った。ルナさんはそんな先輩を間近で見て、ほのかに頬を染めた。
やれやれ。ほんと、この人は自分の容姿の使い方をよく分かっていらっしゃる。
「そうねぇ……。ねえリオンちゃん、男の子と女の子どっちがいい?」
「……男性の方も居るんですね」
いきなり話を振られて焦る。というよりもそんな事を言われても私には勝手が分からない、ただでさえこういう場所は初めて来るのに。
「あはは、もちろん。その子がリオンちゃんの御相手になるんだしぃ?好みの子の方がいいんじゃないの?」
「――は?何の話ですか」
「え、最初にここが何処だか俺言ったよね?娼館だよ?やる事は決まってんじゃん」
えへっ、っと笑う先輩に、私も精一杯の笑みを返した。多分引き攣ってたろうけど。
「――――私、帰りますね」
さぁて、帰って惰眠でも貪ろうか。ゆっくり眠るのは久しぶりだなぁ。
私はその言葉を言った直後、素早く席を立ち出口に向かって走り出そうとした。……のだが、席の付近まで来ていた人影にぶつかり逃亡は阻止されてしまった。
「お待たせしました。えっと、もしかしてお帰りですか?」
「そうで「いやいや待ってたよユエ君!!ささ、座って座って。君はその娘の隣ね!ほら、リオンちゃんも早く座りなよ」……いえ、なんでもないです」
……逃亡、失敗。
◆ ◆ ◆
……沈黙が、痛い。
何と言うか、ユエと呼ばれた少年が私の隣に来てから先輩たちにお酒を無理強いされなくなったのはのはいいのだが、何故か彼は無言で私の顔を凝視してくる。……どうしよう。
「……あの、なにか私の顔についてます?」
私が我慢できずにそう聞くと、彼はハッとした様に首を振った。
「あ、その、すいません。少し知り合いと似ていたものですから、つい」
そう言うと彼は困ったように頬を掻きながら、微笑んだ。その子供っぽい仕草がなぜか様になっている。
……ふむ、よくよく見るとかなりの美少年だ。恐らく歳は私より二つほど上くらいだろう。淡い銀髪と怪しく輝く紫色の目が見事に調和している。まぁ、シエルには敵わないけど。
――それにしても知り合い、か。まさか手配書でも出回ってるんじゃあるまいな……。……いや、まさかね。
「先ほどから何も口にされていないようですが、何かお持ちしましょうか? 木苺の果実酒などがおすすめですけど」
「……いや、お酒はもういいです。まだこんなに残ってるし」
ほら、と先輩に手渡されてから口を付けていないグラスを見せる。正直さっき無理やり飲まされた分だけで私は限界だ。顔には出ていないだろうが凄くフラフラする。
人には生まれつきアルコールを分解する酵素がある人と無い人が居るらしいが、私はまぎれもなく後者だ。
ぼんやりとしていると、そんな私の姿が気に障ったのかルナさんが少し呆れた様にため息を吐いた。
「もう、リオンちゃんてば折角こんな美人が両脇に居るんだから、もっと楽しまなきゃ。そこの人みたいに」
そういうとルナさんは先輩の事を指差す。何時の間にやら先輩は隣の集団に紛れ込んで酒を煽っている。
……いや、私に先輩の真似は無理だな。そんなコミュ力があったら私にはもっとたくさん友達がいたはずだ。
「……ま、あれはやりすぎね」
「ははは、私もそう思います」
思わず乾いた笑いが出た。そういう所が先輩らしいのかもしれない。
……でも私には無理だなぁ。人見知りだし、話術もないし、何より魅力がない。自分に自信を持ちたいのは山々なのだが、それがなかなか難しい。……変わりたいと思う気持ちは確かなんだけど。
あーやばいな、アルコールが変な方向に回ってきた。軽く鬱だ。
「じゃあ、こちらだけで乾杯でもしましょうか」
そう言うとユエが新しいグラスに何かを注ぎ始めた。赤とオレンジの間くらいの色の液体で、ここまで甘い香りが漂ってくる。アルコールの匂いはしないが不安だ。
「あ、大丈夫ですよ。ただの果実水ですから」
私の訝しげな視線に気が付いたのか、ユエがあわてて中身の説明をした。……果実水なら大丈夫かな。
「今日はユエもお酒飲みなさいよ?こんなにリオンちゃんみたいに穏やかなお客さんなんて滅多に居ないんだからちょうどいいわ。何時までも苦手だなんて言ってられないでしょう?」
「…………そうですね」
そういうとユエは悲しげに俯いて、目に見えて落ち込んだ。
「お酒、苦手なんですか?」
「そうなの。この子ってばいくら飲んでも全然慣れなくてねぇ。いつもお客にいい様にされちゃうのよ……、流石にちょっとかわいそうでね」
――だから、今日は一緒に付き合ってくれない?と彼女は困ったように笑った。
正直私も耳が痛い。お酒が飲めないのは私も一緒だ。そのせいかどうにも親近感がわいてくる。
ユエは私の返答を待っているのか、ジッと私を不安げな眼で見つめてくる。……なんだか捨てられた子犬みたいな人だなぁ。――これはもう腹を括るしかないか。
「じゃあ今日は一緒に飲みましょうか。……大丈夫ですよ。私もお酒が好きではないですけど、頑張りますから」
私がそう言うと、ユエはまるで背景に花が咲くかのようにパァッと表情を明るくした。あ、ほんとに子犬っぽい。私よりも年上の筈なのに可愛いなぁ。
でもこれが全部計算だとしたら、本格的に人間不信に陥るかもしれない。
それに今の状況はよく考えると結構やばい。先輩の事だからこのままだとリアルに私の貞操に危機が迫るかもしれない。ここでユエを酔い潰しておけば、一先ず安全は確保できるはず。
……最低かもしれないが、逃亡を阻止された今とれる手段がそれぐらいしか浮かばない。
「あら、リオンちゃんてば優しい。どうせラウルの奢りなんだし、どんどん高いお酒頼んじゃいましょ!安いものだと悪酔いするしね」
そこはかとない罪悪感に胃をキリキリさせていると、ルナさんがそう言って席を立ってしまった。
……ちょっとまずったかな。これはいい悪いにかかわらずガンガン飲まされてしまうパターンじゃ……。
「あの、付きあわせるような形になってしまってすいません……。僕がもっとしっかりしていたら良かった事なのに」
「……ああ。気にしないでください。私もそろそろ苦手なものを克服しなくちゃいけないかなと思っていたのでいい機会です。それに、どうせ先輩の奢りですから」
悪戯っぽく笑いながら、ユエに微笑みかける。
なんか、こういうお店で働いているにしては、何というか純粋というか向いていないと言うか……。
色々事情があるんだろうなぁ。――でもそれを私が知ったところでどうする事も出来ない。私は正しくありたいけど、偽善者になりたいわけではない。
……ま、とりあえず今を楽しむとしますか。
◆ ◆ ◆
「無差別連続殺人?」
「ええ。ここ二月の間、七日に一度の感覚で真夜中に人が一人ずつ殺されているの。みぃんな首を切り落とされて死んでいたらしいわぁ。しかも被害者は老若男女関係無しで、憲兵達もお手上げってわけ。怖いわよねぇ。――そう、次は二日後らしいからお互い気を付けましょうねっ」
くすくすと笑いながら、ルナさんは手の中にあるグラスを弄んだ。話の内容に沿わぬその仕草に見とれつつ、私も酒を煽った。やっぱり不味い。
……連続殺人、ね。物騒な話があったものだ。
「……怖いですね。友人にもあまり夜は出歩かないように言っておきます」
「――違うでしょ」
「う、わっ」
いきなり誰かに背後から抱きこむように両腕をまわされ、耳元でそんな言葉を囁かれた。
「せ、先輩。驚かさないでくださいよ……」
「リオンはまず自分の心配をしなきゃいけないじゃない? さっきも一人で帰ろうとするしさぁ。女の子の一人歩きは危険だよ?」
……どの口がそう言うのか。全部先輩のせいじゃないですか。
――ていうか酒くさっ。これだから酔っぱらいは……。
ソファー越しに抱きしめられながら、何とかその手をやんわりを解こうとするがなかなか抜け出せない。
「あ、あのラウルさん。リオンさんも困ってるみたいだし、放してあげてくれませんか?」
あわあわと両手を胸の前で動かしながら、ユエが気弱げに先輩を宥めようとするが、先輩は故意に口笛を吹いたりして聞く耳を持たない。……子供か。
「リオンってさぁ、俺がこういうふざけ方するとすっげぇ嫌そうな顔するよね。シエルと違ってからかいがいがあるなぁ」
「……そりゃ、正直者ですいませんね。でもシエルに同じことしたらいくら先輩でもぶっ飛ばしますから」
「怖い怖い」
鬱陶しげに見つめながらそう言うと、先輩はやれやれといった風に両手を放した。
「シエルってだぁれ?リオンちゃんの妹かしら」
新しく出た話題に興味津々と言った風にルナさんが身を乗り出して聞いてくる。
そんな彼女に先輩はにやりと笑うと、おどけた口調で話はじめた。
「シエルってのはね、リオンが大切に守ってる可愛いお姫さまさ。花も恥じらうって言う表現はまさにあの子みたいな事を言うんだろうね」
「……ちょっと、先輩。変な事言うのは止めてくださいよ」
「えー、別に間違ったことは言ってないよ? リオンはシエルのナイト様なんでしょ? ――少なくともリオンはそう思ってるよね」
「先輩、いい加減に――、」
「俺知ってるんだよ?リオンがシエルに内緒でこっそり民間の訓練場に通ってること。――――あ、もしかして誕生日まで時間がないから焦っちゃってる? 運が良ければ戦神の目に留まるかもしれないしぃ?」
グルグルと黒い気持ちが体の奥から溢れてくる。
……やめろ。それ以上口を開かないでくれ。
「健気だよねぇ。無償の愛ってやつ?――それとも褒められたいのかな? 好かれたいの? リオンはヒーローにでもなるつもりなのかな? でも今のままじゃ、」
「――――――っ黙れ!!」
バンっ、と両手をテーブルに叩きつける。目の前が、赤い。きっと酒のせいだけではないだろう。
明らかに私は動揺している。何故? シエルへの好意を馬鹿にされたから 努力を無駄だと言われたから? ――先輩が言っている事を心の奥底で真実と認めているから?
――――――悔しい。悔しい悔しい悔しい!!
何も言い返せない自分が、力が足りない自分が、今さら宝くじを当てる様な懸けをしている自分が、情けなくてしょうがない。
拳を握りしめ、俯きながら唇を噛みしめる。……泣いてしまいそうだ。
「……あーもー、俺が言い過ぎたよ。ごめん、悪かった。謝るから許してよ。
――――――なんか白けちゃったなぁ。俺ちょっと外の空気吸ってくるからそれまでにこの空気何とかしといて」
先輩はそういうとふらっと外に向かって歩いて行ってしまった。
まったく気持ちのこもっていない、「仕方ないなぁ」とでも言いたげな謝罪。……でも、私は悪くない。――悪くないんだ。
「あ、ちょっとぉ。ラウル待って!私も行くからぁ」
ルナさんは心配そうな目で私を一瞥すると、先輩の行った方に向かって走って行ってしまった。
「あ、あの。ラウルさんの言う事はあまり真に受けない方がいいと思います。あの人ちょっと、上手く言えないですけど、その、――――怖いですから」
ユエが私を気遣いながら、恐る恐る声を掛けてくる。――あぁ、また困らせてしまったみたいだ。
少し落ちつこう。アルコールのせいで気持ちが高ぶっているせいもあるだろうし。そう思うと、スッと頭に上った血が落ちてくるような感じがした。
「――ごめん、迷惑かけた」
「あ、いえ、そんな事は……。――の、飲みましょう!!こういう時はお酒がいいって皆言いますから! ね?!」
空のグラスに赤い液体を注ぎながら、何とか場を和まそうとしているのがよく分かる。
そんな彼の必死な様子を見ていると、なんだかささくれだった心が少し落ち着くような気がしてきた。……いい子だな。なんでこんないい子がこんなところに居るんだろう。でもその優しさが今の私にはありがたい。
はい、とユエが手渡してきた赤い色の飲み物をジッと見つめ、それを一気に口に流し込む。
……甘いけど、苦い。
「――美味しくないね」
図星をさされるのがこんなにも不快な気分になるなんて思っていもいなかった。でも、先輩の言葉が明確に今の現状を突いているのもまた事実。私はただ、何もできない自分に苛立っているだけなのかもしれない。
苦笑とも自嘲とも区別がつかない笑みが漏れた。――ほんと、馬鹿みたいだ。
「ユエ」
「はいっ」
「……ありがと」
そう言うと、ユエは少しだけ目を見開くとはにかんだ様な笑みを浮かべた。
それにつられて自然と私の口角も上がる。
私は上手く笑えているだろうか。――笑えているといいな。
笑う事が出来るのは、まだ心が折れてないって事の証だと思うから――