彼等
あの日、――シエルが連れ去られた後の事だ。
縋るように伸ばした私の手を、リオンが優しく振り解いたとき、私は確かに平穏の終焉を悟った。
あの時、彼女は確かに笑っていた。まるで私に自分は大丈夫だと言って見せるかのように。でも、その手が微かに震えていたのを私は知っている。それでも私は彼女を止める事が出来なかった。
私は結局の所リオンの命よりも、シエルが助かるかもしれない僅かな可能性に賭けてしまったのだ。
だから二人が生きて私たちの元に帰ってきてくれたのは、まさに奇跡としか言いようがない。
――だけれど、その奇跡の代償はあまりにも大きかった。
シエルに宿った治癒の力は、人の身には過ぎたるものだ。その事だけならまだしも、問題は王国の上層部には、すでにその情報が手元にあるという事実。こんなもの、捕まえてくれと言っているようなものじゃないか。『勇者一行』だなんて大仰な団体が、こんな辺鄙な村に来ること自体がそれを証明している。
捕えられた特殊能力者が王都でどんな扱いを受けているのか、風の噂で聞いた事がある。話によると、制約に特化した魔術師に行動制限を掛けられ、死ぬまで王国の繁栄の為に飼い殺しにされるそうだ。まるで、意思のない人形のように。私の息子がそんな恐ろしい目に合うだなんて考えたくもない。
二人が返ってきた日の夜に、シエルから近日中に村を出る旨を伝えられた。
……分かってる。きっとそれが最善の方法だ。でも、それでもやっぱり寂しい。あの人は幸せに生きてくれるだけで十分だと言って物悲しげに笑ったけど、私はそんな風に割り切れない。
シエルはリオンと一緒に村を出るつもりだと言っていた。その事を聞いた時私は、これ以上あの子に負担をかけるなんてとんでもないと大声を上げた。
確かにリオンが共にいてくれるなら、多少は安心できる。あの子と離れたくないと願う息子の気持ちだって、痛いほど分かっているつもりだ。それでも辛い旅路になる事は目に見えている。
ただでさえリオンはシエルの為に命を懸けたのだ、もうあの子を苦しめるなんて止めてほしい。あの優しい子は、きっとシエルの為に容易く自身の幸せを諦めてしまえる。それは、あまりにも可哀そうではないか。
ただでさえ、――ただでさえ私は一度彼女の犠牲を受け入れてしまっている。それだけで罪悪感で押しつぶされそうだというのに。貴方だって分かっているくせに。シエル、貴方にそれが耐えられるの?
そんな私の訴えをシエルはただ黙って聞いていた。
反論もせず、私を説得しようともしない。ただ決意を秘めた表情で、ごめんと呟くだけだった。
何故だろうか、シエルのその表情がなぜだかあの時のリオンの笑顔と重なった。
――ああ、もう私では止められないのね。
そう思うと、自然と視界が滲んだ。
◇ ◇ ◇
その日の夜にリオンが目覚めたとシエルから聞かされた。
私はすぐにでも会いに行こうとしたのだけれど、疲れているようだから明日にしてほしいと止められてしまった。
……そもそも私はリオンになんて言葉を掛ければいいのだろう。
心配した?無事で良かった?――違う。私はただ苦しいだけだ。
あの子の決意も、願いも、理想も、私には理解する事が出来なかった。
あの子たちが互いを大切に思っていた事は知っている。きっと将来は二人が一緒になって幸せに暮らしていくのだとばかり思っていた。
でもあの時のリオンの行動は、愛とか恋などでは説明できない。あれは、――戦人の眼だった。――自身の死を受け入れた者の表情だった。
何故成人もしていない女の子があんな顔を出来るのだろう。――神様に立ち向かう事が出来るのだろうか?シエルの、為に?――それは、とても残酷な答えだ。
あの子たちは、私の想像以上に互いに依存している。それこそ、気が狂うほどに。
二人とも生きていたから良かったものの、どちらか一方が欠けていたと思うとゾッとする。
だからこそ、あの夜シエルにリオンを巻き込まないように叫んだのだ。
危機的な状況になったとき、あの子たちはきっと互いの為に命を簡単に差し出すことが出来る。そう、それが当然の行為だと言いたげに。
離れるべきだと、今でも思う。でもそれではきっと意味がない。私は、『二人』に幸せになってほしいのだから。
ここで不完全な関係のまま離れ離れになっても、誰も救われない。
理解はしている。でも納得はしていない。
そんな思考のループに陥りかけたその時、ノックの音が聞こえた。
「小母さん、入ってもいい?」
――リオン。
◇ ◇ ◇
それから、私とリオンは色んな話をした。
他愛のない昔話だったり、これからの仕事の予定。何か月後かに開かれる小規模な村でのお祭りの話。
まるでいつも通りの会話。
お互いにもう分かっていた。こんな静かに談笑が出来る機会は、もう訪れない事を。分かっていたからこそ、ただ緩やかに時を消費した。
「……リオン」
「何?」
「いつこの村を出る予定なの?」
私がそう言うとリオンは少し目をみはった後、申し訳なさそうに、明日の朝、と呟いた。
「明日になったら、協力者が騒ぎを起こしてくれる。それに乗じて村から出る予定かな。……ごめん」
「何故リオンが謝る必要があるの。貴方は何も悪くなんてない、皆そう思っているわ。――ねぇ、リオン。貴方は私達を恨む権利があるわ。死に至るほどの怪我をし、村を追われ、終わりの見えない逃亡生活を強いられる。私は、貴方の人生を台無しになんてしたくないの。ここで全て放り投げたって誰も貴方を責めないわ。だから――」
「小母さん」
考え直さないか、と続けろうとしたが、その言葉はリオンの言葉によって遮られた。
「私は私の意思でシエルと一緒に居るんだ。この運命がその選択の結果だというのならば、私は喜んで受け入れる。――憎むなんてあるはずがないよ」
だから泣かないで、小母さん。
……そう言った彼女も、泣いていた。
それから二人で少し泣いて、色んな話をした。昔の話だったり、これからの事だったり。
「貴女の御爺様から、託されていた物があるの」
私は棚の奥に仕舞われていた箱を取り出す。あの人が死ぬ一月ほど前に託されたものだ。
「……ゆび、わ?」
驚いたような顔で、リオンがそれを見つめる。
深い色味の紅玉に羽のモチーフがあしらわれた、金の指輪。指輪の内径にはよく分からない文字がびっしりと刻まれている。この刻印はまだ新しく彫刻されたもののようだ。
「家に代々と伝わっている魔法の指輪だそうよ。きっと、貴女の力になってくれるわ。正当な使用者がこの指輪を身に着けると、効果を発揮するらしいの。……ごめんなさい、効果までは分からないわ」
「ううん、大丈夫。――ありがとう」
――ありがとう、お爺ちゃん。
そう小さな声で呟くと、彼女は箱に入った指輪ごとギュっと抱きしめた。とてもとても、幸せそうに。
◆ ◆ ◆
次の日、シエルとリオンは旅立っていった。『勇者』が起こした騒ぎに乗じて。
勇者とリオンは何時の間にそんな計画を立てていたのだろうか。私には分からない。
――その後、勇者と少しだけ話す機会があった。
魔術師によって屋敷の一室に拘束された彼に、面会を願われたのだ。彼が他のメンバーとどんな交渉を行ったのかは分からないが、シエル関連の事で、私とあの人に危害が加わるようなことは阻止してくれるらしい。
何故、と理由を聞いても彼は曖昧に答えをはぐらかすばかりで、本当の事は教えてくれなかった。でも、最後に一言だけ、本音を漏らした。
「似ていたんですよ。――俺の『親友』に」
だから、あの子の家族くらいは助けてあげようかと思いまして。
彼はそう言うと、寂しげに微笑んだ。
リオンに似ている勇者の親友。きっといい子だったのだろう、――彼の心を傷つけるくらいには。
「……リオンから、伝言があるわ。もしも貴方に会う事があったら伝えてほしいと頼まれていたの」
「彼女から?」
「『次はきっと、ちゃんとした話をしよう。その時は、私が知っている限り《彼女》の事について話すから。それまで、――待っていてほしい。ありがとう、――そしてごめん』……確かに伝えたわ。何の事かは分からないけれど、貴方達にとっては大事な事だと思うから」
「そうか……、やっぱり」
彼は俯いて、静かな声でそう呟いた。黒く艶やかな髪が顔に掛かり、その表情はうかがえない。
「あの……?」
「――繋がった!!!」
その後彼は、魔術師に止められるまで狂ったように笑い続けた。
その声色はまるで子供の様で、――どこか狂気を感じさせた。
◆ ◆ ◆
朝熊 朋有。
俺がまだ幼かった頃、些細な行き違いのせいで失ってしまった大切な友達。
でも俺はずっと彼女の事が大切だった。他の誰よりも、何よりも。
人は、怖い。皆誰しもが平気な顔で他人を裏切る。でも、たとえ悪感情であろうとも、ありのまま真っ直ぐにぶつけてくるのは彼女だけだった。それは嫉妬であったり、単純な怒りであったりと可愛いものだったけれど。
彼女は何時でも正しくあろうとして、――現実に潰された。
それでも足掻いて、足掻いて、足掻いて、後ろを振り返る事もせず、走り続けて。俺はそれを黙って見ていた。彼女が全てを諦めてしまった時、その時ならばもう一度自分を見てもらえるかもしれない。
『敵』ではなく、今度は――『友』として。
甘い考えだった。プライドの高い彼女が、心を折ったくらいでその意思を曲げるはずがなかったのだ。
彼女は他者を拒絶していたけど、彼女の努力を笑う者なんて誰も居なかった。誰しもが彼女の努力を認めていたし、何時か結果が出る事を願っていた。
応援したくなるような気質の持ち主とでも言うべきなのだろうか。
――彼女は、確かに愛されていたのだ。
だがその結果を待つ前に、彼女は病に倒れた。――末期の白血病だった。
「ごめんなさい。――あの子、誰にも会いたくないそうよ」
そう言って、彼女の母親は数多い見舞いの者を追い返した。
結局の所、俺は彼女を永遠に失ってしまった。
後悔ならば死ぬほどした。あの時すぐに謝れば良かったとか、病室に忍び込んででも会いに行けばよかったと何度も思った。今だから言える。――初恋だったんだ。
辛くて、苦しくて、何度も泣いた。
懺悔と後悔ばかりの日々が何度も通り過ぎ、3年の月日がたった頃だった。
――俺は、悪魔の声を聴いた。
『逢わせてあげましょうか?――愛しの彼女に!!』
分かっていた。その声の主が碌なもんじゃないって。でも、それでも俺は彼女に会いたかった。
……会いたかったんだ。何を、してでも。
≪世界を救う勇者様≫
それから俺は、この世界≪ミズガルズ≫にある国家の一つ、カメリア王国に勇者の片割れとしてこの世界に召喚された。
主な仕事は『魔王を倒す事』らしい。
そもそもこの世界は100年周期で『魔王』というモノが出現しており、そのたびに『勇者』と呼ばれる存在が打ち倒してきているらしい。
勇者を異界から呼ぶ理由としては、召喚の方がより力をもった人間が来ることが多いからだそうだ。
そうして呼ばれたのはいいのだが、肝心な『魔王』の存在が曖昧だった。
復活したとは騒がれているが、今だその姿を見た者はなく、何をしているのかも定かではない。こうなってしまっては存在するかどうかも分からない。
だが『勇者様』として呼ばれてしまった限りはどうにか行動を起こさなくてはいけない。
正直、下らないと今でも思っている。世界の危機だなんて、そんな事は自分たちで何とかすべき問題だと声を大にして言いたかった。だが、目的の為にはそうは言ってもいられない。
俺と一緒に召喚された女の子なんかは、上の連中にコロリと騙されて勇者サマとして頑張っているみたいだけど、俺はそうじゃない。それなりに成果さえ出していれば何も言われることはないし、やる気もでない。まぁ、本気を出さない俺に対し、『仲間たち』は何か言いたげだけど。
だが、彼らと行動を共にしていればきっと彼女に繋がる手がかりが見つかるはず。そう思いながら、旅という名のお使いを続けていた。
とある村で出会った彼女に似た少女。もしかすると『彼女』の行方に何か関係があるんじゃないかと思ってしまうくらいにはよく似ていた。顔立ちもそうだが、纏う空気が特に。
それを抜きにしても、思わず手助けしたくなるくらいには好感が持てた。
期待していたのは確かだ。それは認めよう。
だが、この結果は予想以上だった。
あのリオンという少女は『彼女』の事を間違いなく知っている。彼女と俺の関係もだ。
――今からでも追いかけて問い詰めてしまいたい。
どうしようもない衝動が胸を焦がしたが、それでは折角勝ち取った信頼を無に帰してしまう事になる。彼女の手がかりをなくすわけにはいかない。
あの声が言った通りならば、期を待てばきっとまた会える。
待つ事には慣れている。先の見えない暗闇を歩くなんてもう俺はしたくない。やっと掴んだ光なんだ、手放してたまるものか。
――――でも、
俺、今度こそ間違わないから。
だから、――――俺を、
「――――置いていかないで、朋有」
ひとりぼっちは、嫌なんだ。
とりあえず此処までで一章が終了です。