懺悔
「――――え?」
彼の言っている事の意味が理解できない。
逃がしてあげる?……どういうつもりだ。
「君は俺たちがこの村に来た理由、もう知ってるんでしょ?だからこそ、君たちは堅く口を閉ざしている。
でも無駄さ。あの子、三日月さんが――『預言者』が詠んだ未来は絶対だ。決して違う事はない。
君たちが思い描いてるように、このままだと確実に『治癒術師』は国の管理下におかれることになる。
俺たちが優しく問い詰めていられる時間だってもうあまり無いんだ。このままだとその内君たちを両方とも連れて行くような事になる。
まあ、どうせその前に逃げ出すつもりだったんだろうけど、無駄だよ。
魔術師君がこの村に結界をはっているからね、ここから出ようとする人間はすぐに探知できる」
……結局の所、私の推測は当たっていたようだった。彼ら勇者一行はまさに治癒術師を求めてこの村に来たのだろう。
今のところはシエルか私のどちらが当たりか判断がついてないようだが、そんなことは大した問題ではない。
分からなければ両方連れて行ってしまえばいい、要らない方は後で切り捨てればいいのだ。
――勇者と呼ばれる連中ならば、たかだか村人二人の拉致なんて朝飯前だろう。
「……『預言者』、あの黒髪の女の子の事ですか。――それにしても、ミカヅキというのも随分と変わった名前ですね」
私は彼の言葉に肯定も否定も返さなかった。
あえてその内容には触れず、話題を別の事に逸らす。相手のペースに乗せられては駄目だ。交渉にはまだ情報が足りなさすぎる。
それにしても魔術師という人種はやっぱりやる事の規模が違う。あまり広い村とは言えないとはいえ、この村全てに結界を張るなんて人間業とは思えない。――これでは私達の運命など決まったも同然だ。
それにしてもミカヅキという名前、――おそらくだが三日月と書くのだろう――これはどう考えても日本からの召喚者なのではないだろうか。
確認なんてしていないが、この男が朔月千尋であるという事を私は一ミリも疑っていない。
確かな確信をもって彼が『私』の幼馴染であると断言できる。
間違いなくその三日月とやらは千尋と一緒にこの世界に来たのだろう。この世界の定理から考えれば異世界人の召喚など条件さえそろえば簡単にやってのける。
ただでさえ王都には優秀な魔術師たちが揃っているのだ、大抵の無茶は可能なはずだ。
……最近はどうにも魔王軍の動きが活発だと噂で聞いていたのだが、まさか異界の人間を頼りにするほどに切羽詰っているなんて思いもしなかった。
人の業の深さは何処の世界でも変わらないらしい。
「……まぁ、此処では珍しいのかもね。ああ、因みに俺の事は親しみを込めて『ヒロ』とでも呼んでよ。別に勇者様でもいいけどさ」
私の急な話題転換を気にもせず、彼は淡々とそんな戯言を言ってのける。
――『ヒロ』、千尋の幼少時代からのニックネームだ。
『私』はその語感がヒーローに似ていて不愉快だというものすごく自分勝手な理由で名前でしか呼ばなかった記憶がある。……こういうのを一般的に黒歴史と呼ぶのだろうか。私には判断がつかない。
――ああ、やはり私に知能戦は向いていないな。彼相手にまともな情報なんて探れる気がしない。
彼に敵意が無いのならば、もういっそ真正面から切り込んでいった方がいいのかもしれない。
「……では、勇者様と。さっそくですが勇者様、質問してもいいでしょうか。
――先ほどの『逃がしてあげる』とはどういった意味ですか?いえ、意図と言ってもいい。
貴方は、――貴方達は治癒術師を探しにきたのではないのですか?」
――暗に、逃亡を幇助するような事をしていいのかと問いかける。
彼の意図が分からない以上、どんなに素晴らしい提案だとしても首を縦に振るわけにはいかない。
「正直俺は治癒術師なんてどうでもいいけどさ。一応は王命だしね、雇われの身じゃ逆らうわけにはいかないんだ。
俺も最初は適当に言いくるめて連れて行こうかと思っていたけど、――気が変わってさ。これは俺の独断だよ」
そう言って彼は目を細めて笑った。
相変わらずの完璧な笑顔だが、その中にどこか自嘲が混ざっている気がした。気のせいかもしれないけど。
「気が変わった?」
「うん。夕方に俺たちが君の家に行った時、ドアの所から覗いてただろ?
変な話だけどさ、君を見て思ったんだ。――――ああ、『似てる』って」
背筋が強張る。駄目だ、冷静になれ、動揺を気取られるな。それだけは気付かれてはいけない。
――覗いていたのがばれていた。いや、それよりも『似てる』?何とだ?誰の事を言っている?
――――考えるまでもない、『私』の事に決まっている!!
「――へえ。勇者様のお知り合いと似ているだなんて光栄ですね」
私は動揺を隠すため、愛想笑いを浮かべた。
声は、震えていなかっただろうか。少なくとも白々しかった事だけは確かだ。
そんな私の当たり障りのない返答に彼は目を細めて笑った。――それはそれは、とても楽しそうに。
……先ほどから彼の表情に動きが見られる。さっきまでの胡散臭い英雄然とした様子は何処へ行ったのだろうか。
それは重ねた仮面を外していくかのようにささやかな変化だが、確かに変わってきている。
――まるで『私』が知っている千尋が徐々に表に出て来ているかのように。
何が彼の心境を変えたというのだ。私が『私』に似ているから?『私』はそこまで彼の根源に関わっていたというのか?――そんな、まさか。
「ふふっ、そういう所もアイツとよく似てるよ。特に俺を見る眼なんかそっくりだ。――そんなに俺の事が嫌いなのかなぁ?酷いよなぁ、ホントに」
「……何を言っているんですか、別に嫌いだなんて思ってないです。それに、――酷いと言う割にはとても楽しそうに見えますけど?」
「いや、ごめんね。なんだか懐かしくてさ。昔に戻ったみたいで嬉しいんだよ。――なんだかんだ言っても、やっぱりあの頃が一番楽しかったからさぁ」
そう最後につぶやくと、彼は夜空を仰いで遠くを見つめた。誰かを思い出すかのように。
……彼の本意が分からない。今のではまるで『私』との関係を懐かしんでいるようにしか聞こえない。
ふざけるな、と声にだしてしまいそうだった。
――そんな風に、幸せそうに語るなよ。
『私』が突っかかる事も、喧嘩を売ることも、無様にも努力し続けることも、今になってはいい思い出みたいな言い方をしないでよ。
あいつ、私の事厄介な奴だとすら思ってなかった。まるで子供が大人に喧嘩を売った時の様な、『しょうがないなぁ』とでも言いたげな空気。――どこまで行っても、格下の扱いだ。
―――――これじゃ、まるで『私』の独り相撲みたいじゃないか……。一人で空回って、馬鹿みたいだ。
これ以上惨めな気持ちにさせないでほしい。……だから、だから私はお前の事が嫌いなんだ。
「そんなに大事な人だったのですか?でも、私に似ているなんてあまり好い印象が無いのですが……」
そう言いながら、右手を握りしめる。
そう、『私』は碌な人間じゃなかった。矜持ばかり高くて自身の無能さを顧みず失敗ばかりを繰り返していた。
それでも、――諦める事は出来なかった。妥協する事が出来なった。
それは『私』の幼いプライド。……本当に子供みたいな意地だった。
「そうだね、大事だったよ。いくら喧嘩しても、言い争っても、たとえ嫌われていたとしても、……そりゃイラつく時もあったけどさ、それでも俺にとっては大事な友達だったんだ。大事な、ね。
――でもアイツは本当に酷い奴でさぁ、アイツが俺に何をしたと思う?」
その瞬間、彼の表情は一変した。
伽藍のような無表情。それからは感情は見えないはずなのに、何故か嵐の前の静けさの様な印象を受けた。
だが、何故だろうか。
――今のこの姿こそが、『私』の知っている千尋そのものだと思った。
そうだよ、お前は無理に笑ったりするような奴じゃなかった。
楽しくないのならば、辛いのなら、悲しいなら、――笑う必要なんて一つもない。それくらい、いくら勇者だって許されていいはずだ。
だってお前は英雄じゃなくて人間なんだから。
私にはお前が何を背負わされて自分を偽るようになったかは分からないが、そんなのお前らしくない。
堂々と胸を張って自分を誇ればいい、――お前にはそう在れるだけの『力』があるんだから。
『私』が保証する。お前はすごい奴だ。思わず嫉妬してしまうくらいに。
勝者には勝者の、敗者には敗者に相応しい生き方がある。勝者であるお前にそんな生き方は敗者が認めてやらない。
少しでも『私』の事を想っていてくれるのならば、君にはかつてのように在ってほしい。……こんな感傷はただの負け犬の戯言だけど。
「俺はさ、アイツに言わなくちゃいけない事があったんだ。ずっとタイミングを逃してたけど、何時かは伝えるつもりだった。
――それなのに、勝手に居なくなりやがった。……勝ち逃げされた気分だよ」
「俺はただ、――謝りたかっただけなのに」
……謝る?何を言っているんだ。お前は私に対して引け目を持つ必要は何もない。
悪いのは全部私だ。身勝手だった私の責任なんだ。
――だから謝ってもらう必要なんて何処にもないのに。
「貴方は、それを私に話してどうしようというのですか」
似ていたから話した。――それも感傷の一環なのかもしれない。
彼の中では、『私』はもう故人なのだ。今更何を思っていようとも、もう伝える事すら叶わない。
――それとも許してほしいのですか、と静かに問いかける。
その問いに彼は一度はっとしたような顔をして、ばつが悪そうに首を振った。
「……いや、きっと俺は誰かに懺悔をしたかっただけなんだと思う。ごめん、なんだか迷惑をかけたね。
――――あはは、やっぱり駄目だなぁ、どうにも君の前だと調子が狂う。君さ、実は何か知ってたりしないかな?彼女の情報とかさ」
そしてまた彼は仮面を被る。感情が読み取れない薄っぺらな笑み。
きっと本気の言葉ではないのだろう。――だが、最後の軽口だけは受け流すことは出来なかった。
私はこの言葉にどう返せばいいのだろうか。
――違うと言うべきなのだろう。きっとそれが正解だ。私にとっても、彼にとっても。
だけど、だけど私は、今さら勝手だって分かっているけど、――――それでもこれ以上千尋に嘘を吐く事は耐えられない。心が痛かった。
「――さあ、どうでしょうか。もしかしたら逢ったことくらいはあるかもしれません。世界は広いですし」
結局、臆病者の私は真実を告げられなかった。
そもそも転生なんて荒唐無稽な話をして、引かれたくはない。逆の立場だったら私は信じないし。
――これでいいんだ。私たちは、もうどうしようもないのだから。
「本当にそうだったらいいのにね。
……あー、えーと、今さらこれを聞くのもなんだけど、俺たちに付いてくる気は無いよね?」
「それは無理な相談です。私も彼も、戦いには向いていません。……すいません、力になれなくて。これでも身の程は知っているつもりです。全てを丸投げする形で情けないのですが、私たちはどんな奇跡が起こったとしてもきっと魔王となんて戦えない」
「そんな事を気にする必要は無いよ。『魔王』を倒すのはいつだって『勇者』の役目だからね。これだけは誰にも渡すつもりは無い、――神様との契約だからさ」
「それは『勇者』としての責務ですか?」
「まあね。それもあるけど、実際はそんな綺麗な理由じゃないさ。俺は、そこまでいい人間じゃないし」
――『勇者』。彼がその言葉を口にする度に言いようのない不安に駆られる。
何故だろう、何てことはない言葉の筈なのに、―――そこに狂気を感じるなんて。
……いや、私の気のせいだろう。色々な事が一度に起こりすぎて感覚がおかしくなっているんだ。きっと、そうだ。
「明日の深夜、強制的に結界を解除させる。その間に村から脱出するといい。――時間稼ぎは俺に任せてよ、頑張っちゃうからさ」
そういうと彼はへらっと笑った。
頼りになるかどうかは別として、――信用はしてもいいだろう。千尋は、約束を破るような人間じゃないのだから。それは私が一番よく知っている。いやと言うほどに。
「何から何までありがとうございます。でも、いいのですか?貴方の立場が悪くなるのでは……」
「ん?いいよ、どうせあいつ等は俺が居ないと困るんだからさ。今まで従順だったんだから一度くらい反抗したって問題はないよ」
……いや、問題あるだろそれ。
そう思ったが本人が納得しているようなのであえて口には出さなかった。
――千尋に助けられるのはこれで二度目だ。一度目は言わずもがな、あの時だ。
あの時は自分で状況を打破出来ない事を憤って、彼に八つ当たりをした。
でも今は違う。私は成長した。――成長できたと思っている。
だからこそ、――――今度はもう間違えない。
私は千尋に向かって一歩踏み出し、彼の右手を両手で握った。
その時、彼の肩が少し震えたのがなんだか面白かった。別に取って食いやしないのに。
私も君にずっと言えなかった言葉があるんだ。伝えたかった思いがあるんだ。
あの時言えなかった言葉、今度はちゃんと伝えるからどうか聞いてほしい。
「――――助けてくれて、ありがとう」
まっすぐに彼の目を見て、言葉を紡ぐ。たかだか20文字にも届かないちっぽけな言葉だ。
それでも、どうしても伝えたかった。もう君は『私』から解放されるべきなんだ。
私の言葉で塗り替えられるとは思っていないけど、――少しでも君の救いになればいい。
「――どういたしまして」
そうして、彼は曖昧な表情を浮かべた。今にも泣きそうな、それでいて悲しそうな、そんな表情。
……ごめんなさい、弱虫で。
本当の事が言えたらよかったのに、そうすれば君の憂いは晴れたかもしれない。
でも、私は昔に戻るのが恐ろしい。今の私がリセットされてしまうのが怖い。
――いつか、勇気が持てたら君に会いに行くよ。『約束』する。
だから、――それまで『私』を許さないでいて。それまでは、どうか息災でいてほしい。
『勇者』は『魔王』になんて負けるわけないと信じてるけど、それでも心配なんだ。
なんだかんだ言っても、私にとって君は大事な『友達』だから。
◇ ◇ ◇
それから適度に別れの挨拶と今後の予定を話し合い、私たちは別れた。
あんなにも見事だった夜空はもう白み始めており、そろそろ周りの家々が活動しだす時間帯が近づいていた。田舎の朝は早いのだ。
一度だけ伸びをして深呼吸をする。
彼が敷いてくれた道を決して無駄にはしない。きっとそれが最大の恩返しになると思うから。
「――さて」
――――荷造りでも始めるか。
◆ ◆ ◆
荷造りを済ませた後、私はシエルの家に向かった。
シエルは買い物があるそうなので、私だけが行くことになる。正直、怖い。
出発を明日の朝という急な日時にしてしまったのは完全に私の都合だし、何より彼らの大切な家族を私は奪う事になる。
――誰も、悪くない。シエルも、私も。それでも心から罪悪感が消えないのは、失う苦しみを知っているからだ。
――それでも、ちゃんとお別れを言わなきゃいけない。あの二人は、私にとっても大切な人達だから。
――でも、小母さんは許してくれた。泣き笑いの様な、呆れたような、そんな表情で。
あまつさえ、これからの生活の事も心配してくれた。本当に、この人が私のお母さんだったらどんなに幸せだったろうか。
最後に小母さんは、私に小さな箱を差し出した。――綺麗な、金の指輪だった。
御爺さんが己の死期を悟り、小母さんに渡しておいたそうだ。
あの人が私に何かを残してくれているなんて、思いもよらなかった。優しい人だったけど、そういう所ほ無頓着に見えたのに、意外だ。
手に取った指輪から感じる確かな重み。――なんだかそれがとても愛おしかった。
そして次の日の朝、千尋は約束通りに騒ぎを起こしてくれた。だが、村の中心から聞こえる爆音は、魔物と戦闘でもしているんじゃないかと思うくらい派手なものだった。でも、今回はそれがとても心強い。
――千尋。今度会う時には、ちゃんと話すから。
君は『私』の事なんて、もしかしたら思い出したくないかもしれないけど、それでもまだ『私』の事を友達と思ってくれているなら――。その時は、君と向き合おう。約束する。
伝わるかどうか分からないけど、小母さんに伝言を頼んでおいた。
だから、またいつか。
「――行こう、シエル」
「――――うん」
そう短く言葉を交わし、私達は走り出した。
行くあてもない逃亡劇だけど、君が一緒ならばどこにだって行ける。
――――――そんな気がした。
勇者はいい人。……いい人?
ちなみに千尋君はリオン≠『私』だと思っています。あくまでも『似ている』と思っているだけです。まあ当然ですね。
相手のことを高く評価しているからこそ、許せないことがある。ある意味歪んだ友情です。……友情であると言い張ります。
展開が遅くて申し訳ありません。