誓い
……心臓が止まるかと思った。
事の顛末はこうだ。
あの後死にかけの私達の前に女神様が現れ、シエルに癒しの力を授けて、その力で私を治療し銀狼の背に乗り村まで戻ってきた。
村に戻ると東の森の生贄だった村長の姪が『勇者一行』という謎の集団によって救出されており、村長の断罪パフォーマンスが行われている真っ最中だったそうだ。
シエルはそのどさくさに紛れて血まみれの私を村人達に見つからないようにしながら家に帰り、適当に誤魔化しつつ祠から解放された事情を説明したらしい。
そして、事件から二日後。
私は銀狼の手により叩き起こされ、叫び声を聞いたシエルが急いで私の部屋に駆け付け、事情を説明してくれたというわけだ。
……まあその間他にもいろいろあったのだがここでは省かせて頂く。
――ただ一つ言える事がある。
――――シエルも私も生きている。それだけが一番重要な真実だ。
銀狼を交えほのぼのとした空気の中、シエルはおもむろに机に置いてある青い箱を手に取り、私に押し付けた。
綺麗に包装された青い箱。……これ、シエルにあげたはずのプレゼントの筈。
えっと、なんで? 何か気に入らない事でもあったかな……。
そう思い、青い箱を手に取りながら不安そうにシエルを見つめる。
「りっちゃん、何か僕に言う事があるよね?」
にっこり笑いながら、シエルは言った。どうやら質問は許されないらしい。
……言う事?
「僕は、」
シエルが静かに呟く。
「僕は、あんな形見みたいな受け取り方はしたくない。――だから、今度はちゃんとりっちゃんから渡してほしい」
……うん、そうだね。確かにあれは少し無責任な言い方だったかもしれない。
でもあの時は、こうしてまた一緒に居られるなんて思ってなかったから。
……まぁ、あんな風に言い逃げしたのは悪いと思ってはいたけどさ。
よくよく考えてみるとすごく気障な事を言っていたような……、うん、でも最後の言葉としては上出来だったはず。でも、本心だし。
「――遅くなったけど誕生日おめでとう。これ、受け取ってもらえるかな」
私がそう言うと、シエルは本当に幸せそうな笑みを浮かべた。
その表情を見ていると、やっと自分が日常に戻ってきたのだと実感することができる。
――やっぱり君には笑顔が似合うよ。
「うん。――ありがとう」
差し出した箱を、シエルはとても大事そうに受け取った。
自分が上げた物を、こうやって喜んでくれるのは素直に嬉しい。――でもこういうやり取りは、なんて言うかその、ちょっと照れる。
だんだんと顔が赤くなっていくのが自分でも分かる。
ああもう気恥しい。こういうのは慣れていないんだ、本当に。
ふと視線を感じて、チラリと銀狼の方を盗み見る。やれやれとでも言いたげに私を見やる様はどことなく人間臭い。そ、そんなに馬鹿にしなくても……。
そう視線で銀狼に抗議してみたが、ふんっと鼻で笑われた。
……もしかしたら此処でのヒエラルキーは私が一番低いのではないだろうか。何より私はシエルには勝てないし。
不満げに銀狼を見つめてみたが、彼は何処吹く風で相手にしない。ていうかそもそも何故ここにいるのだろうか。私のお見舞いとかかな?いや、まさかね。
それにしても、先ほどからどうにもシエルの表情が暗い。どうしたのだろうか?
「シエル?」
「あ、ごめん。ぼーっとしてた。……あのね、りっちゃん。――大事な話があるんだ」
そんな中、シエルが決意したように口を開いた。
その声には強い決意が込められており、私は何も返せず、ただ頷いた。
――何故か嫌な予感がして、胸が騒いだ。そしてその予感は的中する事になる。
――そして、シエルは語り出す。
自分だけの治癒の力では私を救うことは出来なかったと。
なので女神様に対価を払い、私を治療してもらったのだと。
その対価は、――というよりも条件は、私とシエルの命を繋ぎ、死の国へ行きかけた私の魂を現世へとどめるという事だった。
――血の気が引いていく。
それって、つまり――、
「僕が死ぬと、りっちゃんも死んでしまう。その逆もまた然り」
それはつまり、私の死は――シエルの死でもあるということ。――なんて質の悪い冗談だ。
「ごめんね、りっちゃん。――だから」
僕と一緒に生きて、とシエルは告げた。
……もともと、君から離れるつもりはなかった。有事の際には、この命を捨ててでも君を守ろうと思っていたくらいだ。
でも、もうそれは出来ない。私が死んだら君まで死んでしまう。
――それは、酷く残酷な条件だった。
弱い私は命を賭けなければ、強者には対抗できないというのに。今回がいい例だ。
……どうしろというのだろう、――私は君を守りたいだけなのに。
……でも、君は自分の命を対価にしてまで私を生かしてくれた。それは素直に、感謝すべきことだと思う。
それでも私は、君にそんな選択を強いてしまった事がどうしようもなく苦しい。
君の足手まといだけには絶対になりたくなかった。重荷になんてなりたくなかった。
――だって君は、陽だまりの中で笑っているべき人間なんだから。
グルグルと考え込んでいると、シエルがそっと私の手を握った。
「一人で抱え込まないで。――僕も、強くなるから。だから、僕の為に命を懸けるのはもうやめて。僕は絶対に君を助けた事を後悔なんてしない。此処で誓ったっていい。
――ただ僕は、君に死んでほしくないだけなんだ」
痛いほどに私の手を握りしめながら、シエルは祈りをささげるかのように呟く。
……よかれと思ってした事だった。
君が生きているのならば自分なんてどうなっても良かった。君の為に死ぬ事に、身勝手にも名誉さえ抱いていた。
勝手に君を神格化して、まるで殉教者のように命を捨てようとしていた。
――私は、残される君の気持ちを無意識の内に無視していたのだ。
自分が同じことをされたら死ぬほど嘆く癖に、私は平気な顔でシエルにその残虐な行為を行おうとしていたのだ。私一人の自己満足の為に。君の心なんて考えもしないで。
……今になって気づくなんて、遅すぎる。
私はいつもそうだ。全てが終わってから後悔する。
――やっと変われたと、いや、変われると思っていたのに結局はこのザマか。――本当に、自分が愚かで嫌になる。
それでも私は変わると決めた。――『私』に誓ったのだ。
――間違えたのなら正せばいい。まだ私は生きているんだ、いくらでもやり直せる。
弱い事は決して戦わない理由になんてならない。弱かろうが強かろうが、戦わなくちゃいけない時は必ずくる。
別に今がその時だと言いたいわけではない。ただ、その時に決して逃げたりしないよう、私は自分の心に打ち勝たねばならない。
――もう、逃げたりなんかしない。苦しさも悲しさも虚しさも全部飲み込んで前に進んでやる。
――だからこそ、
「シエル」
これから、君の周りはきっと騒がしくなる。その力を狙う者達が山のように押し寄せることだろう。
それでも、この手は離さない。――君が嫌だと言わない限り。
だから一緒に考えよう、共に生きる方法を。二人で傷つかないですむ道を探そう。
――君と一緒に、生きていこう。
君の祈りは受け取った。
結局のところ自分の気持ちしか考えていない自分勝手な私だけど、君を大切にしたい気持ちは、確かに本物なんだ。それだけは、断言できる。
だからこそ君に誓うよ。神様なんかじゃなく、何よりも大切な君に。
「約束する。――一緒に生きよう」
君を安心させるように、笑う。笑う事には慣れていないから、もしかしたらちょっと不格好かもしれない。
不格好だって、格好悪くたって、それでも笑ったっていいんだ。――もう誰に憚ることもなく、自分の為に生きたっていいんだ。
たとえあれが都合のいい夢だとしても『私』はそう言ってくれた。――許してくれた。
なら、その思いに私は答えなくてはいけない。
「これからも、ずっと側に居るよ」
私のその言葉に、シエルは泣き笑いで返した。
飴玉のようにキラキラした雫が頬を流れていく。その涙をそっと服の袖で拭ってやる。照れたように笑う君が、愛おしかった。
――本当によく泣く子だ。……いや、泣かしているのは主に私が原因なんだよな。反省しよう。
……これからきっと私たちはこの村を出なくてはならなくなる。おそらく、終わりの見えない長い旅になるだろう。
小父さんと小母さんには申し訳ないと思うけど、それでも此処には置いてはいけない。
それにしても、さっきのやり取りはなんだかプロポーズみたいだったな。リアルに死が二人を別つまでなんだし。
でもシエルは親友でそういう対象じゃないというか、むしろもうすでに家族みたいなものだし。……ちょっと上手く言えない。とにかく大事な事だけは確かだ。
そんな空気を吹き飛ばすかのように、銀狼が吠えた。
……すっかり忘れていた。そういえばここには彼が居たんだった。
「――クロガネ。別に君を無視してなんかいないよ。ね、りっちゃん」
「クロガネ?お前、そんな名前だったの」
銀狼、――クロガネは私の問いに肯定するかのように、わぅと鳴いた。
……黒というか銀なのになんでクロガネなんだろうか。ていうか名前があったのか、知らなかった。
というよりも、何故それをシエルが知っているのかが不思議だった。
「なんでシエルが名前を知ってるの?」
「さっき教えて貰ったんだ。――えっと、僕も詳しいことは分からないけど、何となく言いたいことが解るんだ。多分この称号が関係してるんだと思う」
なんか、称号って本当に不思議だ。そんな事まで出来るようになるのか。来月が少し楽しみかもしれない。
もしも彼らと話が出来たら、きっと楽しいんだろうなぁ。
――だけど、私たちはそのうちこの村から出なくてはいけない。折角友達に成れたのに銀狼と離れなくてはならないのは少し寂しい。
だけど付いて来てほしいだなんて我儘は流石に言えない。辛い旅だとわかっているのに巻き込むなんて事は出来なかった。
それにしても『クロガネ』か。
――昔『私』が飼っていた犬と同じ名前だなぁ。きっと、偶然なんだろうけど。
そんな事を考えていると、リリンと呼び鈴の音が鳴り響いた。
その音を聞き、私はベッドから起き上がり玄関に向かおうとしたのだが、シエルとクロガネによってベッドに引きずり戻された。
曰く、病み上がりなので大人しくしていろとの事らしい。
……それにしては手つきが乱暴だった。腰を強かに打ち付けたぞ。
そして私の代わりにシエルが対応のため部屋から出て行った。クロガネは先ほどから玄関の方を睨みつけるように見ている。まるで、そこに敵でもいるかのような仕草だと思った。
じっと耳を澄ませると、玄関の方からシエルと誰かは分からないが女の子の声が聞こえてくる。時折男性の声も混じる。どうやらお客は複数のようだ。
――そもそも私の家に来客があること自体が珍しい事なのだ。……やはり私が出ていった方がいいのではないか。そう思い、服に噛みつき引き留めようとするクロガネをそっと引きはがし、玄関まで向かった。
足音を殺し、そっとドアを少しだけ開けて外に居る彼らの様子を窺う。
シエルと話しているのは黒髪の可愛らしい少女だ。強いて言うならば日本人形のような印象を受ける。
その少女の後ろに控えるのは騎士の様な男とローブを着た少年。
その三人から少し離れた所にラフな旅装束を纏った青年が立っていた。
その青年を見た瞬間、私はどうしようもなく叫びだしたい衝動に駆られた。
頭の中に衝撃と疑問符が乱舞する。
――落ち着け、冷静にならなくては。そう思うのに、体の震えが止まらない。
それなのにどうしても目線を彼から外すことが出来なかった。
――既視感があるなんてものじゃない。
たとえ最後に会った時から十何年経っていようが関係ない。
以前見た時よりも成長しているが、私があの顔を見間違う筈がないのだ。
忘れられるわけがなかった。忘れてしまう事なんて出来なかった。
「――何故、お前が此処に居るんだ……、」
押し殺した声で、私は呻いた。
忘れはしない。忘れたくても忘れられなかった。
――『私』の心をへし折った男。
――あの世界で、もっとも主人公に近かった生来の天才。
――何をやっても勝てなかった劣等感の根源。
――その端正な顔に浮かべる柔らかな笑みが、私に対してのみ嘲笑に変わるのを今でも鮮明に覚えている。……吐き気がするくらい覚えているのだ。
「――朔月、千尋っ……!!」
――『私』の、大嫌いな幼馴染。
朔月千尋がそこに居た。
そして、物語は動き出す。
――さながら、転がる石の様に。