光一条
四
リタルドは、少し離れた場所で戦いの顛末を見ていた。先ほどまでグレンデルであった黒竜とかつて勇者であったフェイ・トスカが戦い、やがてフェイ・トスカが竜の首に上り、何事か言葉を交わした後、竜の喉笛をまがまがしく輝く蛮刀で掻き切ったのを見た。
次の瞬間、竜の全身が光に包まれ、はげしく瞬いた。まばゆさに腕で顔を覆いながらも目をこらすと、光はやがて竜の形を失って収縮し、舞い上がるようにして空へ消えた。
リタルドはしばらく口を開けたまま、光の消え去った空を眺めていたが、我に返って視線を落とすと、そこには巨大な竜の姿は影も形もなかった。竜の吐いた炎や落とした雷のせいで、いくらか焦げた臭いが漂う中で、フェイ・トスカが一人、立ち尽くしているのが見えた。
隣では、半魚人のリーヤーが、口をパクパクさせながら腰を抜かしていた。リタルドには、その姿はひどく無様なものに見えた。隠居したグレンデルの代わりに町をまとめているリーヤーは、グレンデルを慕うが故に彼が面倒を見る子供たちに対しても親切にしてくれた。そんなリーヤーをリタルドも慕っていたはずだったが、下半身は人のそれに近いが上半身は鱗に覆われ、頭部は魚そのものという異形の存在が、急に受け入れ難いもののように思えてきた。
リタルドには、かつての「解放戦争」の記憶がおぼろげながらも存在している。戦後の混乱の中で両親を失い、孤児となったところをグレンデルに拾われたのだ。
今では思い出すことさえほとんどなくなったそのときの記憶、とりわけ両親の命を奪った魔族の顔が唐突に自分の脳裏に浮かび、リタルドは困惑した。リーヤーとは外見も性質も全く違うのに、この善良な魔族に被さるようにして思い出されるのはなぜだろうか。
「混乱しているようだな」
突然声をかけられ、視線を向けると、フェイ・トスカがこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
恨むのならばこの男のはずだ。突然現れ、自分を育ててくれた長老を殺したこの男。だが、頭でいくらそう考えても、身体がついていかなかった。
「あの姿を目にしたのは初めてか?」
フェイ・トスカの問いに答えるべきか、リタルドには判断が付かなかった。憎しみをぶつけることもできず、かといって素直に答えることもできない。
「無理もない。強大な魔族の姿というのは、それだけで人間に恐怖を与える。あいつは人の姿をとり続けることで、それを隠していた・・・おまえたちを騙していたんだ」
フェイの言い回しは悪意的だったが、リタルドは気づくことができなかった。それだけ心が弱っていたのかもしれない。
そこへ、何者かがフェイのそばへ駆け寄ってきた。フェイの手勢の一人・・・背中に弓を装備している。先ほどの戦いの中で、竜の左目を射抜いた男だった。
リタルドが驚いたのは、その男がどう見ても人間だったことだった。グレンデルがそうしていたように、人の姿をとることができる魔族もいるにはいるが、フェイがつれているほかの魔族は皆本来の「魔族らしい」姿をしている。この男だけがわざわざ人間の姿をとっている意味はない。
「こいつは間違いなく、人間さ」フェイはリタルドが目を丸くしている理由に気づいて、そう言った。「かまわん、シェンド。報告しろ」
シェンドと呼ばれた男は、リタルドに一瞥を投げた後、特に表情を変えることなくフェイに向き直った。
「屋敷に放ったものが戻りました。・・・もぬけの殻だそうです」
「だろうな」
フェイはその報告を予想していたのか、いっさい表情を変えなかった。
「街道の封鎖を急がせろ。近隣の都市には手配書を回しておけ」
「・・・人相が分かりませんが」
「そうだな・・・」フェイはほんの少し思案顔をした後に、リタルドのことを見た。
「おまえ、一緒にくるか?」
軽い口調の言葉だったが、さすがにその言葉の真意は今のリタルドにも理解できた。
「俺が、あいつのことをしゃべると思うのか!?」
リタルドは目をむいて抗議した。にわかにわきだした怒りの感情をストレートにぶつけられても、フェイは落ち着いていた。体の向きをリタルドに正対させ、両目をまっすぐにのぞき込んだ。
「・・・おまえも、あの戦争で失ったものがあるだろう?」
予想外の返しをされて、リタルドはまた混乱した。
「ついてくれば、俺の目的を教えてやる。協力するしないは、その後でいい」
それだけ言うと、リタルドの返事を待たずに踵を返した。手勢に向けて撤収を合図すると、全員がリタルドとリーヤーには目もくれずその場から離れていく。
リタルドはしばらく、動けずにいた。
戦争で失ったもの。両親のことを思い出す。だが、やっと物心がついた頃に死に別れた両親の顔は、もう全く思い出せなかった。思い出すことができるのは、戦争の疎開先を野盗と化した魔族の集団がおそったとき、自分を物置の隙間に隠した父親の大きな手と、その上にありったけの毛布を掛けた母親の優しい声。そして隙間から覗いた、血に濡れた斧を担いだ魔族の下卑た笑い顔。
リタルドは決心し、歩きだした。協力する気はない。だが、忘れかけていた自分の記憶を呼び起こしたフェイ・トスカの言葉の真意を知りたいと思った。その後で協力を拒み、殺されるならそれはそれでかまわない。
背後からリーヤーの声がする。行ってはだめだと呼び止めているのが分かったが、リタルドは足を止めることも、振り返ることもしなかった。
セトとシイカは、ガンファの用意した獣車に乗って、町を後にしていた。
獣車は、通常街道の行き来に使われるような立派な客車がついたものではなく、荷車を流用しただけのものだ。かろうじて御者台はついていたが、身体の大きいガンファが座るには狭すぎるので、ガンファも含め全員が荷台の上にいた。セトとシイカは身体を寄せあって今は眠っている。ガンファは手綱を握りながら、星空を眺めていた。
荷台を引いているのはラグスと呼ばれる魔物(もともとこの世界には存在しなかったとされる生物が魔をつけて呼ばれる。その中で人と同等かそれ以上の知能を持ったものを魔族と呼び、そうでないものを魔物と呼ぶ)で、全体がけむくじゃらの丸い物体から、とってつけたかのように馬の後ろ肢が二本生えている、少々奇妙な生き物だ。だが馬よりも足が速く、小回りも利く。知能もそこそこあり、まっすぐ走らせるだけなら手綱を握っている必要もないほどだ。そんなラグスが二頭で荷車を引っ張っていた。
つい先ほど、流れ星とも違う光の束が、町の方角から走った。そのときはセトもシイカもまだ起きていて、三人でその光を目にした。
光は放たれた矢のように、放物線を描いて星空の中へ消えていった。
シイカが「おじいちゃん・・・」とつぶやいた。その言葉で、ガンファもセトも、光の意味を知った。
それ以上、誰も何も言わなかった。ラグスが土を蹴る音と、荷車が揺れる音だけが、変わらぬリズムを刻み続けた。
今頃、すでに屋敷は調べられて、目標であるセトがすでに逃亡したことも知られているだろう。
ガンファは手綱を少し動かして、獣車を街道からはずして走らせることにした。向こうがこちらの行動を読んでいるなら、検問がしかれる可能性は高い。
荷車が道をはずれる瞬間に、石でも踏んだのか車体が揺れた。子供たちは目を覚まさなかったが、セトは少しばかり身体をよじった。その拍子に涙が一筋、閉じられたままの右目からこぼれた。
ガンファはその大きな手をそっとあてがって、涙を拭いてやった。セトはまたくすぐったそうに身をよじったが、そのまま寝息をたて始めた。
「守って・・・あげなくては」
運命に追い立てられる子供たちを背中に、ガンファは決意のこもった言葉をつぶやいた。




