平穏な日々の終わり
二
シュテンの町は、広場を中心にして役所や教会、食料品などを売る市場が囲むようにして建ち、さらにそれを囲むようにして石造りの住宅が建ち並んでいる。街壁を挟んでさらにその外側は農地で、農地を耕す奴隷たちは町の外に建てられている簡素な木造の家屋に住んでいる。この世界では標準的な都市の形態をとっていた。
魔族が支配するようになってからも、教会から聖職者が追われたくらいで基本的には変わっていない。上位の魔族ほど中央広場に近い住居を使い、人間の奴隷はそれら魔族を世話するものを除いて皆壁の外にある木造住居に押し込められていた。
ただし、一部の魔族は身体の規格が人とは大きく違うので、狭い石造りの家で生活することを良しとせずに、郊外にある比較的広い木造の屋敷を使ったり、新しく家を建てて住んでいるものもいた。
この町の領主・グレンデルも町中には住まず、農地の側にある平屋の屋敷で暮らしている。当然、セトもそこに住んでいた。
広場から家までは、結構な距離がある。広場をでる頃には空の色がすっかり茜色に染まってしまっていたので、セトは急いで帰ってきたのだが、家に着く頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。
町中には所々に魔法の力を使った街灯(宝珠に魔力を封じ込め、暗くなったら勝手に光るように呪文をかけたもの。この世界では一般的)が設置されているから、日が落ちても出歩けないことはないが、街壁の外はそうはいかない。セトは、街門の門番にたいまつを分けてもらい、その光を頼りに家に向かったのだった。
「おっ、帰ってきやがった」
家に帰り着くと、玄関の前でリタルドが待っていた。
「ただいま」
「遅かったな。日が落ちても戻ってこないから心配したぜ」
「ごめん。ガンファとお話してたら遅くなっちゃって・・・」
申し訳なさそうに肩をすくめるセトの背中を、リタルドは軽くたたいた。
「ガンファはゆーっくり、しゃべるからなぁ。あいつの話聞いてるだけでも日が暮れるよな。・・・まあ、入ろうぜ!もうメシの支度もできてるんだ」
リタルドに背中を押されるようにして中へはいると、香ばしく焼けた肉の匂いがプンと漂ってきた。テーブルを見やると、新年の御祝い膳でもお目にかかれないような分厚く切られた肉が三枚、それぞれ皿の上でうまそうな湯気を立てている。
「長老のところに行くって言ったらさ、旦那様がそれならってんで売れ残りの中で一番いい肉を持たせてくれたんだ。俺、肉屋に奉公しててよかったって、はじめて思ったぜ!」
リタルドがそう言って笑った。セトはよほど驚いたのか、ぽかんと口を開けて固まってしまっている。・・・と思ったら、唐突にセトのおなかがぐうと鳴った。
「戻ったのか。・・・おかえり、セト」
老人の落ち着いた声はその音に被さるようにして発せられて、セトは赤面した。
「た・・・ただいま、じいちゃん。シイカも」
屋敷の主、長老グレンデルが、セトと同じように孤児でありながらこの屋敷で育てられている少女シイカに支えられながら奥の部屋から姿を見せた。
グレンデルは一見して、人の老人と変わらない外見をしている。頭髪はほぼ禿げ上がり、伸ばしたあごひげは白く染まっている。病人と言うこともあってか頬はこけ、杖や介添え人なしでは歩くことも困難だ。だが優しい眼差しでセトを見るその目にはまだ力があった。
グレンデルが言うには、自分の本来の姿は余りに大きいので、魔法の力によって人と変わらない姿をとっているのだという。セトはその「本来の姿」を、一度も見たことがなかった。
グレンデルを支えているシイカは、二年前リタルドが家を出たのとほとんど入れ替わるようにしてこの家にやってきた少女で、正確な年齢はわからないそうだが見た目ではセトと同じか少し下のように見える。セトはこの家ではずっと自分が最年少だったこともあって、半ば強引にシイカを自分の妹として位置づけていた。
シイカは印象的な銀色の髪を持っていた。顔立ちもなかなかに整っており、全体的に線は細いが、しっかりと化粧をして着飾れば、どこかの国のお姫様だと言われてもうなずいてしまうのではないか、とセトなどは思う。
これほどきれいな娘が孤児だと、年頃になればほとんどの場合娼館に連れていかれることになる。グレンデルの家で暮らした子供はセトも含めてほとんどが物心着く前からここで暮らしており、シイカが例外的にある程度成長してからここへくることになったのは、そういったところに理由があるのかな、とも考えていた。
シイカはまずグレンデルを食卓の席に着かせると、その隣の席に着いた。それからやっとセトを見て、「おかえり」と言った。
セトは改めてシイカに「ただいま」と言ってから、ずっと手に持ったままだったたいまつをかまどの薪にくべて、それからグレンデルのところへ行き、「薬もらってきたよ」とガンファから受け取った麻袋の中を開いて見せた。グレンデルがうなずくのを確認して、キッチンの脇にある棚へとしまう。
全員が席に着くと、「よし、喰おうぜ!」というリタルドの号令で食事が始まった。
食卓には小麦粉を水で溶いてかまどで焼いただけのごく簡単な薄いパンのほか、町の住民が置いていった野菜を漬けた漬け物が並んでいる。普段はこれに市場で買ったりあるいは川でセトが穫ってきたりした魚が並ぶか、あるいはなにもないかといったところだが、今日はリタルドが持ってきた分厚いステーキが三人分並んでいた。
各々ナイフでステーキを好きな厚さに切り、ちぎったパンで挟むようにして食べる。肉は岩塩をふっただけのシンプルな味付けだが、噛むと肉汁がこぼれんばかりにあふれてきて、ほっぺたが痛くなるほどのうまさだ。
漬け物と一緒に食べるのも、食感が変わるうえに酸味が加わって違った味わいがありなかなかの味だ。グレンデルをのぞく三人は、肉屋で働くリタルドを含めて滅多に口にできない肉の味わいに至福を感じながら、夢中で食事を平らげた。
「ごちそうさまでした。ありがとう、リタルド兄ちゃん!」セトが笑顔で肉を持ってきたリタルドに礼を言うと、シイカもそれに倣ってぺこりと頭を下げた。
「いやー、俺もご相伴に預かっちゃったしなぁ。お礼を言うなら、やっぱ長老かな?」
「そういえばじいちゃん、肉どころかパンもぜんぜん食べてなかったけど・・・まだ体調悪いの?」
セトの言うとおり、グレンデルは三人の食事中も漬け物をいくらかかじっただけで、ほとんどなにも食べていなかった。
「いいや、今は体調はいいよ。食欲がないと言うより、たいして体も動かしておらんから、食べる必要がないのさ」
「でも・・・」
「そんなに言うなら、おまえの分の肉、半分残したらよかったんじゃないか?」リタルドにからかわれて、セトは口をとがらせた。そんなやりとりを、グレンデルは微笑みを浮かべながら眺めていた。
その後しばらく、四人で食卓を囲んだまま他愛もない会話に興じた。と言っても、このメンバーだとしゃべるのはもっぱらセトとリタルドの二人で、シイカとグレンデルは聞き役に徹している。セトは、シイカがこの家にきたばかりの頃、あまりにも彼女がしゃべらないので、家になじめていないのではと心配したのだが、今では単にそういう性格なのだと理解していた。
「そういえばさ」少し会話が途切れたので、セトは新しい話題をふった。「今日、広場で人間の奴隷に声をかけられたんだ」
それは、先ほどまでと同様に、ちょっとした世間話というつもりだった。だが、それを聞いたリタルドがにわかに視線を険しくする。
「人間の奴隷・・・?知ってる奴か?」
「ううん、知らない人だった」
予想外に厳しい口調に戸惑いながらもセトが答えると、リタルドは眉間にしわを寄せたまま、無言でグレンデルをみた。つられてグレンデルをみると、それまで絶やさなかった微笑みが消え、リタルドと同じように険しい顔をしている。
「なにを聞かれた?」リタルドが視線をセトに戻し、顔つきは厳しいままで尋ねる。
「名前とか、出身はどこかとか・・・。何でそんなこと聞かれるのかわからないし、日も暮れかけてたから、ほとんど答えないで帰ってきたんだけど・・・何かまずかった?」
「いや・・・」リタルドはそう答えたものの、それきりセトから視線をはずし、考え込んでしまった。
「やっぱりまずかった?奴隷同士が勝手にお話をするのって、禁止されてるところもあるんでしょ?」
セトはいけないことをしたから叱られると思い、肩を小さくすくめながらそう聞いた。しかしリタルドは不安げなセトの声を聞いて我に返ったかのように表情を明るくした。
「いや、確かにそう言う場所もあるらしいが、この町じゃそんなことはないよ。ただ珍しいなってだけさ!」
そう言うとやおら立ち上がり、食器を片づけ始める。セトとシイカが手伝おうとすると、「ああ、俺がやっておくからいいよ。それよりもうこんな時間だ。子供はさっさと寝ろ!ほら!」と半ば無理矢理に、ふたりを寝室に押し込んでしまったのだった。
寝室から聞こえていた不満げなセトの声がやっと聞こえなくなったので、リタルドは食器を片づけると再びグレンデルの向かいに座った。
「・・・どう、思います?」
生来彼が持っている、周囲に明るさを振りまく笑顔が今は消え、真剣な表情を浮かべている。
「見つかっただろうな」
グレンデルはリタルドほどには切羽詰まった風ではないが、表情は渋いものであった。
「来るでしょうか」
「探しておったのだから、来るであろうよ」
リタルドの聞かずもがなの問いに薄く笑う。だがそれは、どこかしら自嘲的な笑みにも見えた。
「戦争が終わって十年以上。ひょっとしてもう来ないのではないか、などと思ったこともあったが・・・。さすがにそれは甘かったか」
「どうしますか」
「せめて今のおまえと同じくらいの年頃まで成長していれば、何か違う選択肢もあったかもしれんが・・・。セトは利発だが、すべてを受け入れるには純粋すぎる。・・・まだ子供なのだ」
「では」
グレンデルはしばらく目を閉じた。そして再び目を開けたとき、その表情からは先ほどまで浮かべていた悲壮なものは消えていた。
「すまんが、明日はガンファのところへ行ってくれ。準備をしてもらわなければ」
病人らしく漂わせていたけだるさのような気配も消え、かつて魔族の将軍であったころの威厳を取り戻したかのように、はっきりとした口調でそうリタルドに告げた。リタルドは思わず頭を垂れて「はい」と返事をする。
話が終わり、リタルドが寝室へ消えると、グレンデルはまた少しだけ相好を崩し、子を想う老爺の表情になった。揺れながら燃え続けるかまどの火を見つめてつぶやく。
「せめて祭りが終わるまで、待ってはくれんものかな・・・・」
翌日は、なにも起こらなかった。リタルドは朝早くにグレンデルの家を辞し、セトとシイカは飼っている鶏の世話をしたり、農家の手伝いをしたりしていつも通りの一日を過ごした。
事件といえば、春祭りの実行責任者であるリーヤーが、奴隷がひとりいなくなったと騒いでいたくらいだ。数ヶ月前にこの町に来た逃亡奴隷のひとりだが、出身がちょうどこのあたりで戦前に行われていた祭りの様子などにも詳しかったので、執行役員として抜擢したのだ、ということだった。
グレンデルはこの話を聞いても表情を変えなかった。セトに確認するまでもなく、この奴隷が昨日セトに声をかけた奴隷だろう。わずかに残っていた楽観的な予測──こちらのはやとちりではないか──がこれで消えたというだけだった。
今年の収穫を願う春の祭りは二日後に迫っていたが、子供たちとともにその日を楽しむことは出来そうもなかった。
次の日。いい天気だったので、セトとシイカは飼っている鶏を小屋からだして、庭に出した。遠くへ行くことはないし、勝手にその辺で虫をつついたりするので飼料代の節約にもなる。
そのまま外に出ようとすると、グレンデルに呼び止められた。今日は一日、家にいるようにと言うのだ。
シイカは素直にうなずいたが、セトは少しだだをこねた。昨日も手伝った農家の手伝いを今日もすることになっていたからだ。そしてそれが終わったら、明日のお祭りのために少しお小遣いをもらえることになっていたのだが、それはグレンデルには内緒だったので黙っていた。
どちらにしても、グレンデルの言いつけに逆らうことは出来ないので、セトは渋々家に残った。シイカは糸を紡ぎ、セトは家の中の掃除をしたりして過ごした。
昼過ぎに食事をとる。先日はリタルドが夜に来たので夕食が豪華だったが、普段は昼食の方がメインの食事になる。・・・といっても、清貧を良しとするこの家だから、あの日の夕飯から肉を抜いただけに近い。つまり、パンと漬け物。他には森で採ってきた果実を煮込んだジャムくらいしかなかった。育ち盛りのセトにはだいぶ物足りないが、文句を言ってもしかがないので、せめてパンにはたっぷりジャムを塗って食べた。
夕方になり、日も傾き始めた頃、ガンファが家にやってきた。
ガンファはいつも薬屋にこもっていて、滅多に外に出てこない。少なくともセトはそう思っていたので、たいそう驚いたが、ガンファが「長老は?」と聞いたので、薬の効き具合を聞きに来たのかと思い、奥へ通した。
しばらくすると、グレンデルが奥から出てきた。険しい顔をしているが、体調が悪いようには見えない。
「セト、シイカ。話があるから、奥に来なさい」
それだけ言うと、すぐに引っ込んでしまった。
グレンデルがわざわざ「話がある」と言って、部屋へ呼ぶということはあまりないことだったので、セトは少し緊張した。シイカも心当たりがないのか、少し不安そうな顔をしている。
ふたりが部屋へはいると、グレンデルはいすに座り、ガンファの姿はなかった。裏口からどこかへ出ていったようだ。
「少し長い話になるかもしれない。ふたりとも座って聞きなさい」
言われて、ふたりとも腰を下ろす。部屋にはもう椅子はないので、床に直接座った。
「セト、おまえは自分の両親のことを覚えているか?」
グレンデルにそう尋ねられて、セトはすぐに首を横に振った。
「ううん。だって僕は赤ん坊の時にここへ預けられて、それからずっとじいちゃんが育ててくれたんでしょう?覚えているはずないよ」
グレンデルはそうかとうなずき、一拍おいてから、告げた。
「今から話すのは、おまえの両親についてだ」
「!」
セトは絶句した。彼は今の自分の生活に満足していたから、記憶にない両親のことを積極的に知ろうとしたことはなかった。とはいえ、もちろん興味がないわけではなかった。
「僕の、お父さんとお母さん・・・」
「そうだ」グレンデルは念押しするようにもう一度うなずいた。「だが、楽しい話ではない。少し待つから、聞く覚悟が出来たら言いなさい」
そういってグレンデルはいったん黙ったが、セトはさして間をおかずに答えた。
「大丈夫、聞けるよ」
グレンデルはセトの眼を見て、その瞳が動揺に揺れていないことを確かめた。
「ならば話そう。シイカにも聞かせるが、いいか?」
セトはうなずいた。シイカもセトの隣で、緊張した面もちでグレンデルを見つめている。グレンデルはひとつ息をつき、話し始めた。
「おまえの母親は、今はない人間の王国の姫君だった。若い頃からその美しさが国を越えて噂になるほどだった。まだ戦争が本格的に始まる前のこと・・・わしは魔族の将軍のひとりとして魔王とともにこの世界にやってきた。そして最初に命じられたことが・・・その姫を誘拐することだった」
セトは表情を変えずにグレンデルの話を聞いていた。まだあまり現実味を感じていないのかもしれない。
「気の進む仕事ではなかったが、わしは組織の一員としてことを成し遂げた。姫は当時、ちょうど今のおまえと同じくらい・・・。一五くらいの少女でしかなかったが、噂通りにたいそう美しかった。わしはそのまま、姫を人里離れた洞窟の中に監禁した。そうしてしばらく監視していると、姫はただ美しいだけではなかった。利発さがあり、王族としての気品と矜恃にあふれていた。わしのことを含めてそれまで見たことのなかっただろう、姿形の全く違う怪物どもに囲まれて恐ろしくないはずはなかろうに、それをおくびにも出すまいとしてがんばっておった」
「じいちゃんは、じいちゃんの格好をしていたんじゃないの?」
「姫をさらい、監禁するようなってしばらくはしていなかった。わしの魔族としての本来の姿をさらしておった。だが、そのうちにわしは姫に興味がわいてな。魔法を使ってこの姿をとり、姫に話をしにいった。・・・不思議な魅力のある娘じゃったな、あれは。洞窟に閉じこめられる前も、ずっと城に閉じこめられておったから、ところどころ無知ではあった。だが好奇心が強いのか、いろんなことを知りたがった。魔族の住む世界はどんなところなのか、とかな。身の回りの世話をさせていた小人の魔族といつの間にか仲良くなっていたりもした」
セトは初めて聞く見知らぬ母親と育ての親の昔話に、身を乗り出して聞き入っていた。その姿勢がちょうど、もっとお話を聞かせてとせがむ姫の姿と重なって、グレンデルは自然と微笑みを浮かべた。
「いつしかわし自身が、姫に情を移していた。姫もわしのことを気に入ったのか、わしの姿を見ると駆け寄ってくるようになった。監禁も少しずつゆるめ・・・これは魔王には報告しとらんのだが、一年ほど経った頃には、姫が洞窟を出ることも自由にさせていた」
セトは驚いた。「逃げ出さなかったの?」
「もちろん監視はつけておったさ。・・・といっても、女の足で逃げ出せるようなところでもなかったがな。むしろ迂闊に山奥に入って足でも滑らせたらかなわんし、あの洞窟の周辺は魔王の軍に属さない凶暴な魔物もおった。監視というより護衛に近かったかもしれんな」
セトはうれしそうに笑った。「じいちゃんは優しいもんね」
「そしてそれからもう一年あまり、姫をさらってから二年と少し経って、洞窟まで姫を救いにきたものが現れた。姫の王国の騎士。・・・後におまえの父親になる男だ」
「・・・お父さん」
「そうだ。わしは姫を洞窟の奥へ隠し、本来の姿に戻って戦いを挑んだ。わしは火を吹き、雷を落とし、手足を振り回して戦った。だがその男はたいそう強かったし、わしがどれほど追いつめてもあきらめることをしなかった。そしてついに、わしは敗れた。・・・わしは死を覚悟したが、そこへ姫が・・・おまえの母親が洞窟から出てきて、わしを殺すなといった。男は渋っていたようだったが、自分の国の姫君が身を投げだして嘆願するのを、むげにするわけにもいかずに最後は受け入れた。ただし、わしに二度と魔王に協力しないという条件を飲ませた上で、な」
「それで・・・どうなったの?」グレンデルが少し言葉を切ったので、セトが催促するように聞く。グレンデルは少しだけ申し訳なさそうに声の調子を落とした。
「ここから先のことは、実はそれほど詳しくは知らんのだ。わしは男の出した条件を守り、それきり魔王の元へは行かなかったからな。人づてに聞いた話で、男がその後魔王に挑み敗れたらしいと知った。それから、本格的に戦争が始まった。わしの元にも召集がきたが、年をとりすぎてもう身体が動かんといいわけをして・・・まぁ嘘ではないんだが、とにかくそう言って無視したまま、姫を監禁していた洞窟でそのまま生活していた」
「お父さんは魔王に負けて・・・死んじゃったの?」
「まだ続きがある。戦争になって一年ほど経った頃、わずかな護衛だけを連れて、姫がわしの暮らす洞窟へとやってきた。それだけでわしはたいそう驚いたが、姫がその胸に赤子を抱いていたのを見てさらに驚いた」
「それって・・・」「そう、おまえだ」身を乗り出したセトにうなずいた。
「姫は、わしに息子をかくまってほしいと言ってきた。戦争は敗色濃厚で、おまけにすでに敗れた国では降伏したものも含め王族は皆殺しになっているという。自分には王族として生まれ育った宿命を受け入れる覚悟があるが、生まれたばかりのこの子にまでそれを背負わせるのは余りに忍びない、と言ってな。わしはその申し出を受けた。戦争が終わるまでは洞窟に隠したが、戦後はここに領地を与えられたので、洞窟に隠しておくことは出来なくなった。そこで、戦争で親を失った人間の子供を集めて、おまえのこともその中で育てることにした。木を隠すには森の中、ということだな」
「お母さんは、どうなったの?・・・お父さんは?」
「おまえの母は、その後国へ帰り・・・落城とともに捕らえられ、ほかの王族とともに首をはねられた。残念なことに、な」
母の死を告げるその言葉は、セトにとって暗く、重く響いた。しかし一方で現実的にすべてを捉えきれないのも事実で、自分自身よりもグレンデルの方が悲しんでいるようにも感じられた。
グレンデルはセトの母が誰に殺されたのか知っていたが、その事実はセトに告げなかった。ただでさえ一度に知るには重すぎることを伝えている。これ以上の重い事実はセトが耐えられないと考えたのだった。
「お父さんも、殺されたの?」
「・・・いや。おまえの父は、生きている」
それは、セトにとって予想外の答えだった。だが、うれしいことであるはずのその言葉が、全くそう聞こえなかったのは、グレンデルの口調が母の死を語ったときの重苦しさのままだったからだ。
「おまえの父は、おまえの母を・・・王国の姫君を救い出したことで英雄視され、勇者と呼ばれていた。しかし魔王に挑んで敗れたとき、その男は魔王に服従することを選んだのだ。そしてそれまで仕えていた王国と、自分を誉めたたえた民衆に牙をむいた。魔王軍の先鋒として戦に参加し、多くの国を滅ぼしたのだ」
セトは声を出せないでいた。一度に多くのことを語られているせいか、すべての事態が飲み込みきれないでいる。
「わしと戦ったときのそいつは、王国と姫にひたむきに忠誠を誓い、自分の愚直ささえ誇りに思っているような、正義感にあふれた男だった。だが、魔王との戦いに敗れたことで変わってしまったのだろう。人間と戦うことを厭うどころか、積極的に戦いに赴いたらしい」
セトは動けずにいた。隣でやはり黙ったまま話を聞いていたシイカが、セトの服の袖をそっと摘んでも、視線を動かすことさえしなかった。
「やがて戦争が終わったが、魔王はわずかに生き延びた王族を許さなかった。抵抗しようがしまいが、残さず捕らえて首をはねた。その仕事も、おまえの父親が命じられ、実行した」
分厚い堅パンを、むりやりのどの奥に押し込まれているように感じられた。必死に咀嚼しようとしても、ちっとも身体の中へ入っていかない。それでも何とか少しずつ飲み込んで、理解しようとしていた。
「聞いた話では、魔王の命令はすでに達成されたらしい。すなわち、系譜に連なる王位継承権を持った王族は残らず抹殺された、とな。だが、その男は今でも各地を回り、隠された王族がいないか探しているのだ。・・・おまえは先日、見知らぬ人間の奴隷に声をかけられたと言ったな?」
「えっ?・・・うん」突然全く関係なさそうなことを聞かれて、セトはきょとんとした。
「その奴隷が昨日姿を消したと、リーヤーが騒いでおった。そいつは間違いなく、諜報員だ。おまえのことを見つけて、報告するために消えたのだ」
「・・・僕?」セトは話がつながらずに困惑している。
「おまえの母は、王国の姫君だったと言っただろう。おまえは王族の息子・・・つまり、おまえ自身も王族なのだ」
「え・・・ええっ?」セトは思わず声を上げてしまった。今までずっと奴隷だと言われて、そのつもりで生活していたのに、急に王様の仲間だと言われても、頭が混乱するばかりだ。
だが、すべてを理解できるまで、待ってやれる余裕はもうない。
「セト、おまえはこの町を出なさい」
「町を・・・出る!?」
「そうだ。早ければ今日にも、臨検隊がくる。そのときにおまえが見つかれば終わりだ。裁判にかけられることさえなく殺されてしまう。ガンファに手はずを頼んでおいた。一緒に逃げるんだ。それから、シイカも連れていっておくれ。どのみちわしは処罰を受ける。もう面倒を見てやれんからな」
「じいちゃんは?じいちゃんは、一緒にこないの?」
「わしは隠居の身とはいえ、この町の領主だ。領民を捨てて逃げるわけにはいかん。それに、わしの身体はもうボロボロだ。長い移動はできんよ」
「でも・・・ガンファがいなくなって、お薬はどうするのさ!」
グレンデルはおもわず表情をゆるめた。理解が追いつかず、混乱しているのももちろんあるのだろうが、こんな事態になっても自分の身体の心配をしてくれるセトの優しさがうれしかった。
このまま何事もなく大人になることができるのなら、どんなすばらしい青年になっていくのだろうか。
「セト・・・聞きなさい」
グレンデルは椅子から降り、身体を屈めてセトと目線を同じくした。セトのまだ細さを感じさせる両腕をしっかりとつかみ、正面から大きな瞳をのぞき込んだ。
「おまえの母の願いは、おまえに人並みの幸せを与えてほしい、誰かを愛するということを教えてやってほしいということだった。わしがかなえてやることは出来なくなったが、おまえも一人前まであと少しだ。これからは自分の力で、母親の願いをかなえなさい」
グレンデルは自分のふところを探り、何か取り出した。銀の首飾りだった。小さいが精巧な竜の彫刻に、深緑の宝石がはめ込まれている。チェーンも銀でできており、豪奢ではないが気品のある美しさを持っていた。
「これは、おまえを母親から預かったとき、一緒に置いていったものだ」グレンデルはセトの首に手を回して、首飾りをつけてやった。「渡すか迷ったが、やはり渡しておこう。・・・母の形見だからな」
「お母さんの・・・」セトはつぶやき、首飾りの先に下がる小さな竜を手に取った。これを母もつけていたのだろうかと思うと、何とも不思議な感じがした。
「だが、他の魔族や人に見せてはいけないよ。おまえの素性を証明してしまうかもしれないからね。そうでなくても今の時分、人間が持つには高価すぎる代物だ。心ないものに見つかったら襲われかねない」
言うべきことは全て言ったとばかりに、グレンデルは立ち上がった。外を見るとすでに日は傾き、屋敷を囲む空は夕焼けに染まっていた。。
「さあ、もう行きなさい。夜に紛れて逃げれば、すぐには追いつかれない。だから──」
「じいちゃん!」グレンデルの言葉を遮るようにして、セトが叫んだ。
「僕、逃げたくないよ。お母さんの願いは、僕に幸せになってほしいってことだったんでしょ?それなら、もうかなってる。僕はずっと幸せだったもの。じいちゃんも、ガンファも、シイカも、リタルド兄ちゃんやこの町のみんなも、みんな好きだもの!」
「セト・・・」
「だから、僕は残るよ。ここから離れたくなんかない。たとえそれで死んでしまったって、かまわない」
セトは立ち上がり、まっすぐにグレンデルを見ていた。動揺して、一時の気の迷いで言っているのではないということはその瞳を見ればわかった。この子はこの子なりに言われたことを精一杯理解して、その上で必死の決意をしたのだ。
だが、それを認めてしまうわけにはいかない。
「セト、わしは三千年生きてきた。その中ではいいこともあったが、嫌なこともたくさんあった。他の種族と比べてもあまりに長いその寿命を、恨みさえしたこともあった。だが、長く生きたからこそ、こうしておまえに会えたのだ」
セトは目を逸らさずに、グレンデルを見つめたまま、無言でいる。
「若者は生きること、年寄りは若者を生かすことが使命だ。それは人も魔族も、すべての生命に共通した命題だ。・・・わしの願いでもある。母の願いはかなったというのなら、わしの願いをかなえてくれ」
最後はあえて、卑怯な物言いをした。セトは下を向いた。
「セト・・・行こう」セトの袖を引いて、そっとそう言ったのはシイカだった。「これ以上、おじいちゃんを困らせたら、ダメだよ」
セトはシイカを見、グレンデルを見て・・・ゆっくりと、うなずいた。「わかった」
「・・・すまん」
「じいちゃん。お母さんとお父さんの名前、教えて」
セトに聞かれて、グレンデルはそういえば一度も名前を言わなかったと気づいた。
「母親の名前は、シフォニア。本当はもっと長い名前があったらしいが、わしはその名前しか知らん。父親の名前は、フェイ。フルネームは、フェイ・トスカという」
「お母さんが、シフォニア。お父さんは、フェイ・・・」
セトは一言一句をかみしめるようにしてつぶやくと、いつもよりも少しだけ弱々しい笑顔を浮かべた。「ありがとう、じいちゃん」
それからセトとシイカのふたりは寝室に行って身支度をした。とはいえ、もともとふたりともほとんどものを持っていない。普段着の上に外套を羽織るくらいで支度は済んでしまう。
セトは剣術の練習に使っていた木剣を持っていくか悩んでいたが、そこへグレンデルがきて声をかけた。「セト、剣はこれだ」
グレンデルが持っていたのは、黒塗りの鞘に収められた長剣だった。渡されるとずっしりと重い。おそらく真剣だろう。セトは若干緊張しながら柄を持ち、鞘から少しだけ引き抜いてみると、両刃の直刀だった。銀色の刀身が鈍い輝きを放っている。
「それは、おまえの父・・・フェイ・トスカがかつて使っていた剣だ」グレンデルがそう言った。「かつてわしと戦ったときに、刃こぼれして使いものにならんと置いていったものを鋳なおしてある。まだおまえには少々大きいが、木剣よりは信頼できるだろう」
鞘ごと腰帯にさしてみると、柄の先が胸のあたりまできて、確かに少々不格好だ。剣術を教えてくれた魔族はセトのことを筋がいいと誉めてくれたが、木剣しか使ったことのないセトにとっては重すぎるし長すぎる。すぐにこの剣を使って立ち回りができるとは思えなかった。
「以前にも言ったことがあるが」不安げな表情を浮かべるセトをグレンデルが諭す。「武器は戦いに使うものではなく、戦わぬ為に使うものだ。いざとなれば戦う力がある、それを示せればそれでいい。そのことを肝に銘じておきなさい」
グレンデルは靴も用意してくれていた。普段使っているのは裸足と変わらないようなボロボロのつっかけサンダルで、誤ってとがった石でも踏もうものなら思わず飛び上がってしまうような代物だったが、これは長旅用にしっかりと編み込まれたもので、かかともあるから不意に脱げたりもしない。
「裏にガンファが獣車を回している。それに乗っていくんだ。食料や当面の路銀、最初の目的地もガンファに伝えてある」
グレンデルはセトとシイカの二人をまとめてその胸にかき抱いた。最後とばかりに強く抱きしめる。
「気をつけていきなさい、ふたりとも。・・・達者でな」
「ありがとう、おじいちゃん。・・・さようなら」
シイカが気丈に別れの言葉を述べた。セトはこれ以上はなにを言っても泣いてしまいそうだった。「じいちゃん・・・」何とかそれだけ絞り出したが、あとはもうなにも言えなかった。
「セト、シイカのことを頼む。この先危険な目に遭うことがあったら、この子を守ることを最優先にするんだ。それが、おまえ自身を守ることにもなる」
「うん、守るよ・・・僕、お兄ちゃんだもんね」
「そうだ。頼んだぞ」
グレンデルが二人の肩にまわしていた腕を解き、身体をはなした。
セトはグレンデルの顔をじっと見据えたまま二歩、三歩と下がり・・・やがて決心したのか勢いをつけてくるりと後ろを向くと、「行こう、シイカ」ほんの少し震えた声でそう言った。
シイカもうなずき、セトの後ろについた。ふたりはそれきり振り向かず、部屋の奥にある裏口の簾をかきあげて、ゆっくりと出ていった。
グレンデルはその様子を、目をそらすことなく見つめていた。簾が元通りに裏口を覆い隠し、さらさらと揺れる音も聞こえなくなると、室内は静かになった。
「生き延びておくれ・・・私の子供たち」
グレンデルはつぶやいた。魔法の力が現存するこの世界では、言葉にも明確な力があると考えられている。自らの言葉が、これからつらい逃避行を敢行しなければならない彼らの力になるように。つかの間目を閉じ、言葉が彼らに届くよう祈った。
魔族は神に祈らない。その存在を信じていないのではなく、神が個人の想いに応えることはないと考えているからだ。だから祈りは天に向けて行うのではなく、祈りを届けたい存在がいる、その地を思い浮かべ、そこへ向かって祈る。この世界で神に向けて祈るのは人間だけだった。