新しい時代へ
ヤムスト七世の首をはねたそのおよそ二十日後、フェイ・トスカはかつて自分が暮らした地、サンクリーク王国首都アルメニーへと足を踏み入れた。
ここは人と魔族が最後の激戦を繰り広げた地でもある。その結果国は滅び、三千年の平和の中心にあったこの町も炎に焼かれた。
今は復興のさなかにあり、王城へと続く大通りを中心にあちこちで工事が行われている。
工事現場で働くものたちをみると、人間の姿が多いことに気づく。戦争を生き残り、抵抗する気力を失ったものたちは、そのほとんどが魔族の奴隷となったのだ。そうした奴隷たちの中にはサンクリーク人も多くいて、彼らはひょっとしたらかつてこの町に住んでいたのかもしれない。しかし今建てている建物は、彼らのためではなく魔族のためのものだった。
首都のシンボルであり、永く平和の世を見つめ続けてきた王城も、今は八割方が壊されている。最終決戦で火をかけられ、住居としての役割を果たせなくなったこともあり、完全に取り壊された後、魔王の居城として立て直される予定になっていた。
フェイは大通りをかすめるようにして、郊外へと向かった。
農地を通り、森を抜けると、やがてぽっかりと空間が開け、そこに簡素な城があった。高さはそれなりだが、装飾のたぐいはほとんどなく、丸みを帯びたフォルムは城というよりは塔といった方が近いかもしれない。
入り口に門番はいなかった。しかし、フェイが騎乗のまま城に近づくと上空から笛のような音が響き、その存在を城内のものに伝えた。視界の広い鳥の魔物が、上空を旋回しながら城を見張っているのだ。
でてきた厩番に馬を預けると、フェイは階段を上がり、自分で門を開いて中に入った。
ホールは天井が高く、中央にシャンデリアでも吊せばさぞかし見栄えがよかろうとは武官肌のフェイでさえ考えることだが、このホールにそうした装飾は少しもなかった。床にしかれているカーペットだけが金糸をあしらった高級品で、むしろその存在が浮いているようにも感じられる。これはなにもこのホールに限った話ではなく、城全体に言えることだった。
かつて魔王城に潜入したときにも何とも殺風景だとフェイには感じられたが、これは魔族に飾るという概念が欠落しているというわけではなく、単に主の趣味の問題であることは、多くの魔族と接するようになって初めて知ったことである。
やがて出迎えに訪れた執事──姿形は人間と変わらないが、その実数千年の時を生き続けている、魔族たちのなかでも生き字引と言える存在らしい──に案内されたのは、主が食事をするために使う私的な部屋だった。
「お食事中ならば、終わるまで待ちますが」
「いえ、一刻も早く将軍の報告をお聞きしたいと、たってのお望みにございます」
かくして案内された部屋に入ると、そこでは城の主、魔王グローングが食事の真っ最中であった。
テーブルの上にはまるまる太った鳥の丸焼きや、魚を丸ごと素揚げにして餡をかけたものなど、贅をこらした料理が並べられていた。
人間の数倍の体躯を持つ魔王の食事風景は、意外にも豪快でも乱暴でもない。しっかりとした宮廷マナーに則っており、サンクリーク王城の食事会に呼ばれても遜色ないのでは、とフェイは思う。ただしそれは魔王が人間の姿をしていればの話で、異形の怪物が人のマナーを守って食事をしようとしている姿は滑稽にも見えた。
魔王は鳥の足の部分を左手でつかむと、右手の鉤爪をナイフ代わりに器用につかって腿肉の部分を切り離し、口に運んだ。その仕草は優雅ですらあったが、鋼をも砕く強靱な歯を持つ魔王は、バリバリと音を立てて骨ごと腿肉を食べてしまった。
「ふむ、うまいな」
そう言ってもう一方の足に手を伸ばそうとしたとき、入り口のところにたっていたフェイにようやく気付いた。
「なんだ、来たのなら声をかけろ」
「お食事が終わるまで待とうかと」
「バカを言え。戦争が終わってからこっち、おまえの報告だけが楽しみなのだ。・・・それで」魔王は膝に乗せていたナプキンで口の周りを優雅に拭いた。「首尾は」
「無事、終わりました。ヤムスト七世はその場で首を落としました。旗印を失ったレジスタンスももはや組織としての力を失うでしょう」
「レジスタンスなんぞどうでもいいわ」魔王はしばらく視線をフェイと料理との間で行ったり来たりさせていたが、結局食べながら話を聞くことにしたらしく、残っていた鳥の足に手を伸ばした。
「わしが知りたいのはおまえに託した宝珠のことだ。何か変化はあったか」
フェイは一瞬目を閉じて、そのときのことを思い出すような仕草を見せてから、「何も」と答えた。
「ふむ、そうか・・・」うなずきながら今度は魚に手を伸ばす。やはり鉤爪を使ってたっぷりと脂ののった白身の肉を器用に骨からはがすと、左手でつかんで口に入れる。手づかみもマナーの内である。
「言い伝えは間違いか?高貴な人間の血を受けることによって『太陽の宝珠』のもつ真の力が解放されると、確かに記されているのだろう?」
魔王は納得がいかない、と言いたげに鉤爪をかちかちと鳴らした。
「古文書の解読に間違いはないでしょう。宝珠は現時点でもかなり強大な魔力を内に秘めており、これが偽物ということも考えにくい。となれば、条件を満たせていないという可能性が高いのでは、と」
「見逃している王族がいるということか?しかし、系図に載っているものは残らず・・・」魔王が鉤爪の先をフェイに向けると、フェイは表情を変えずにうなずいた。
「はい。私が首をはねました」
「では、満たせていない原因は?」
「系図に載っていない王族がいるのでは、と」
「確かに庶子であったり、血が薄すぎて継承権すらないようなものは系図に載っていないものもいるだろうが・・・。そうしたものは高貴なものとしてカウントするに及ばない、とは古文書を解読した学者や、おまえ自身も言っていたことではないか」
「しかし、その系図は五年前のものです」
「新たに王族が生まれているかもしれない、と?」
王はすでに食事の手を止めていたが、ここへ来て身体の向きを完全にフェイの方へ向け、四つの目全てでフェイを見据えていた。
新たな王族が生まれている可能性は、もちろんゼロではない。だが異世界より持ち込まれた古文書が、フェイの持つ人間世界の知識と併せて完全に解読されて以降、王族の逃亡阻止は最重要事項となった。たとえ赤ん坊といえど、逃げおおせ、隠しおおせるとも思えなかったが・・・。
「心当たりがあるのか?」
「今は」フェイは明言しなかった。「しかし、捜索する許可と権限をいただきたい」
「ふむ・・・」魔王は傍らのグラスになみなみ注がれてあったワインを一気に飲み干すと、しばらく考えていたが、やがて口を開いた。「いいだろう」
「わしの直属の一軍と、必要に応じてどの魔族の領地であろうと巡検できる権限を与える。必ず成果を見つけだし、わしに報告しろ」
「ありがとうございます」
フェイは深く頭を垂れて礼をすると、その場を辞す言葉を述べて魔王に背を向けた。そこへ、魔王が声をかける。
「そうだ、今度は暦を変えるぞ」
フェイは振り返った。「町を造り変え、貨幣を鋳造し直し、今度は暦ですか。まるで人間の政治家のようだ」
フェイの言葉を聞くと、魔王は肩を揺すって笑った。
「いかにも。王という仕事は政治家だ。わしは人間ではないがな」
魔王の元を辞し、再び騎乗となってひとり進みながら、フェイは魔王の言葉を思い出した。
「力を欲する魔族風情が、いっぱしに政治家面とは、笑わせる」
視界はすでに朱色に染まり、周り中に広がる農地で働く農奴たちも今日はすでに仕事を終えたようだった。あたりには誰もいない。
「『太陽の宝珠』の力、魔族などに渡すものか」
知らず手綱に力が入り、馬が不安そうにこちらを向いた。それに気付いたフェイは、首筋を軽くたたいて落ち着かせてやる。
「聞いたのはおまえだけだ。・・・誰にも言うなよ」
馬は返事の代わりに、ぶるるとひとつ、鼻を鳴らした。
これよりおよそ一月の後、魔王グローングによって新たなる暦「新魔暦」が発表され、年明けとともに施行された。
とはいっても、内実はそれまで使われていた王国暦とさほど変わるものではない。
それは人の世の終わり、魔族の世の始まりを世界に宣言する意味合いの強いものであった。