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魔王の刺客

    二


 自分を護るものたちがひとり、またひとりと倒れていくのを、ヤムスト七世は目をそらすことなく見つめていた。心の内を、忸怩(じくじ)たる思いに埋め尽くされながら。

 状況はもはや絶望的だ。残されたのは王と近衛隊長、そして小姓の三人のみ。そしてこの後に及んでも、近衛隊長のテスは顔面をくしゃくしゃにしながら必死で打開策を考えている。

 自分の半分も生きていない幼い小姓でさえ、こわばった面もちながらも王の前に立ち、万が一にも流れ矢が王に当たらぬようにと気を配っていた。

 自分は、護られているだけだ。

 自ら望んで王族に生まれたわけではないし、望んで王になったわけでもない。望んでいたのは学者として本の山に埋もれる生活か、あるいは町の小さな子供たちに教鞭を振るい、国の礎を育てることか──。いずれにしてもほんの小さな、当たり前でつつましい幸せさえ手に入れることができればそれでよかった。

 だが、それを言い訳にして今の状況を嘆いていればいいとは思えなかった。たとえ戦争という膨大な力を持つ濁流に巻き込まれたのだとしても、最後は自分でうなずいて王になったのだから。

 すでに倒れた近衛兵たちも、テスも、目の前の小姓も、みな与えられた役割を最期まで果たしている、果たそうとしている。

 自分も、王としての役割を果たさなければならないと思った。

 テスは常々言っていた。王は旗印である。戦いが終わるまで、悠然と風を受けてはためき、戦うものたちを鼓舞し続けるが役目。だから、決して倒れてはならないのだ、と。

 しかし、もはや戦いの趨勢は見えた。戦うものがいないのでは、はためくことしかできない旗印に存在価値などない。

 ならば、戦いのあとに生まれる王の役割とは何だ。

 テスはそんなことを教えてくれなかったが、ちょっと考えればわかることだった。

 それはつまり、民を護ることだ。

 ヤムスト七世は名目上、カルバレイクの王である。だがカルバレイクはとっくの昔に占領され、ヤムスト七世自身、留学のために出国して以来五年あまり、一度も足を踏み入れていない。

 領土を持たない王には護る民すらいないのか。

 ならばせめて、最期まで自分のために尽くしてくれる彼らを護ろう。

 たったふたりの民。自分は人類最後の王としてははなはだ無能であったが、彼らのためにこの命を尽くせば、少しは面目も保つであろうか。


「もうよいであろう。私はここだ!」

 王が小姓を押し退けて、木陰から進み出てくるのをみて、テスは目を見開いた。

「王!いけません!」

 テスの制止にも、王は聞く耳を持たなかった。逆に強い目線でテスが飛び出そうとするのを抑えると、両腕を左右に大きく開いて、一歩一歩しっかりとした足取りで進んでいく。

「私の命が欲しければくれてやる。だからこれ以上、無駄に血を流すな!」

 王は声を張り上げながら進んだが、その一歩先に風切り音とともに矢が突きたった。

 王はすでに覚悟を決めたのか、矢を避けると表情一つ変えずに進んでいく。

 再び矢が飛来する。今度は王の右頬をかすめて過ぎた。赤い線が一筋、頬に走るのをみてテスは青ざめた。

 王は気にしない風で進み続ける。やがて近衛兵が仰向けに倒れているところまで進んだところで、立て続けに二本の矢が飛来し、王の足下に突き立った。王は立ち止まった。

 テスは出ていくことができない。王の覚悟は本物だ。ここで自分が飛び出したところで、その覚悟を踏みにじることにしかならない。

 半ば無理矢理仲間に引き込み、王に仕立てた。テスにとっては、王は存在するだけで十分だった。人を集め、その意気をまとめたかめるための旗印。存在が重要なのであって、旗のデザインは問題ではないと思っていた。

 だが今このときになって、王は真に王としての役目に気づいたのだ。それは彼の血流に確かに存在する王族の血が教えたのだろうか。

 知れず涙が浮かんだ。酷な役目に引き込んだことを、初めてすまないと思った。


 やがて王の前方に、雪に紛れていくつか影が見え始めた。

 魔族の追っ手どもがその姿を見せたのだ、とおもったが、よくよくみれば先頭に立っているものは人間と変わらない背格好をしていた。

 その背後にはやたらと巨大な馬のようなものや牛のようなもの、はたまた何者にも形容しがたい小さくて丸いものなども跳ね飛びながらついてきていたが、黒い鎧を身につけたそいつは、背丈も体格も歩き方も、全くもって人間であった。

 そして相手の表情まで認識できる位置まで近づいてきたとき、ヤムスト七世はそれが間違いなく人間であると知った。

 大小の魔族を引き連れて歩いてくるその人間の顔を、ヤムスト七世は見たことがあったのだ。

 かつてまだ戦争が本格化する前、カルバレイク王城を訪れた一人の男を歓待する宴が催され、ヤムスト七世──当時のヨウネ・アン・ファウも王族として宴に出席した。

 そのとき、形式ばかりの挨拶を交わした男。王女を救う旅の途中、竜を屠るための伝説の武器の情報を求めてカルバレイクを訪れたその男は、すでに各地で襲いくる魔族を撃退し、伝説の勇者の再来としてカルバレイクでも噂の的だった。

 今近づいてくる男は、その男にそっくりだったのだ。

 やがて戦争がはじまり、深刻化していく中で流れていく噂には、彼についてのこともいくつかあった。そのどれもがにわかには信じがたいものであった。代表的な噂はこうである。

 勇者は魔王に敗れ、あまつさえその軍門に下った。

 今では魔王軍の尖兵として、人類に仇なす存在に成り下がった──。

 ヤムスト七世がその名をつぶやく。

「フェイ・トスカ・・・」

 噂は真実であったと、今まさに証明されようとしていた。


「久しぶりだな。ヨウネ・アン・ファウ君」

 目の前に立つなりそう言われて、ヤムスト七世は驚いた。

「・・・覚えているのか」

 思わずそう返すと、フェイ・トスカは軽く笑みを浮かべた。

 かつて見たものと変わらないようで、どこか違って見える表情だった。

「言葉を交わした人間の顔は忘れないさ」

 思いがけずフランクに応えられたが、その周りには数十の魔族が、二人を取り囲むようにして立っている。

 何体か強そうなものもいるが、並び方からしてもあの中にこの集団をまとめるものがいるようには見えない。やはり、フェイ・トスカがこの魔族の一軍をまとめているのだ。

 弓矢をもっているものはいない。狙撃手は今もどこかに隠れてこちらを狙っているのだろうか。

「そんなに緊張しなくても、これ以上無駄な血を流すことはしない」

 せわしなく視線を動かすヤムスト七世をなだめるように、フェイ・トスカが言った。

「もちろん、君の命と引き替えなのが条件ではあるが」

 笑みは消えないが、視線はまっすぐだった。

 ヤムスト七世は、改めてフェイ・トスカを見た。

 かつて出会ったときは公式な宴の席であったから儀礼用の服を着ていたが、立ち居振る舞いからしてもいかにも清廉潔白の印象を受ける人物であった。今はそのイメージからはほど遠い、ダーク・パープルの鎧を身につけていた。剣は腰ではなく背中に担いでおり、これも騎士の常識からは遠い。

 短く交わした挨拶の中でも、卑劣な魔王への怒りと祖国への忠誠心にみなぎっているのが伝わってきたのに、この変わりようはなんだというのか?

「あなたは・・・本当にフェイ・トスカなのか?」気がつけば怒りのような感情が行き場をなくして、思わずそう口走っていた。

「本当に、魔王軍のいち兵士に成り下がってしまったというのか!」

 かみつくばかりの勢いでフェイ・トスカをにらみつけると、彼の背後に立っている魔族の何匹かが動く気配があった。だが、当のフェイ・トスカは表情を変えず、右手をあげて背後の魔族を制した。

「いち兵士なんかじゃない。俺は今じゃ魔王軍第一の将軍様だ」

「バカな・・・。では、噂は本当であったというのか」

「どの噂について言っているのかは知らんが、俺が魔王に挑んで敗れ、軍門に下ったというのは本当だ。その後は一軍を率いて、多くの人間どもと戦った」

 フェイ・トスカは誇らしげでも悔しげでもなく、淡々と言葉をつむいでいく。

「多くの国を滅ぼした。ランジア・・・エストリカ・・・カルバレイク」

「!」

 遠い母国の名を挙げられて、ヤムスト七世ははっと顔を上げた。頭が命令をする前に身体が動き、フェイ・トスカにつかみかかろうとする。

 しかし、いつの間にか自分の背後に立っていた魔族にその動きを察知され、一歩目を踏み出す前に肩口をつかまれ、雪の上に引き倒された。

 背後でテスの声がする。当然だが、すでに小姓ともども魔族によってつながれていた。

「立たせろ」フェイ・トスカの命令によってヤムスト七世は引き起こされたが、右腕をつかむ魔族の手は離れなかった。

「まだある。ハルネラ、マホラ、フェネリカ・・・そして、サンクリークだ」

「国を護る盾となることを誓った騎士が、祖国を焼いたというのか!?」

 実際にそういった噂も耳にはしていたが、こうして本人から直接聞かされても、なお信じがたいことであった。

「戦争の後には王族狩りを命じられた」

「王族狩り?」

「おまえのように、戦争のさなか行方をくらませたものも少なからずいたからな・・・。そういったものを残らず見つけだし、首をはねる。魔族の連中は人間の顔の区別がつかない奴が多いらしくてな。俺は適任だったようだ」

 ヤムスト七世はすでに自分の心の許容量を超えるほどの衝撃を受けたように感じたが、ここまで聞かされたら逆にすべてを知りたいとも思えた。

「では・・・では、あの最悪の噂も真実だというのか?かつてあなたが自ら救い出した・・・サンクリーク王女、シフォニア姫の首をはねたのがあなただという噂も!」

 フェイ・トスカの笑みが深くなった。それはまさに悪に堕ちた勇者にふさわしい、邪悪なものであった。

「ああ、本当だ」

 心の真ん中に風穴をあけられた気分だった。

「あなたは、あなたは心を壊されてしまったのか?あれほどに正しい心に満ちていたあなたが、そのような非道を行えるはずがない!」

「黙れ」

 短い言葉とともに、フェイ・トスカは表情をなくした。「俺の心がどうであるかなど、おまえ等にわかるはずもない」

 そして、背中に担いだ剣を抜きはなった。やはり騎士の装備として標準的な両刃の直剣ではなく、大きく反り返った片刃の曲刀であった。

「さぁ、おしゃべりは終わりだ。祈る神がいるなら、祈れ」

 ヤムスト七世は目を閉じた。神に祈るためではない。それくらいならいっそ、世界をこれほどまでに理不尽に作り替えた神を糾弾してやりたいと思った。

 世界を救わんとした勇者が今、世界を壊すために働いているのだ。

 三千年の長きにわたって保たれた平和の世が、わずか数年の戦争によって粉々に破壊されようとしているのだ。

 神が正しくこの世を見ていれば、こんな理不尽を許すはずがない。なにをしているのだ、神よ!

 右腕をつかむ魔族の力が強くなった。そこからほんの少しの痛みが伝わったとき、一陣の風が吹き抜けるのを感じた。

 それが、人類最後の王が最期に感じた感触であった。


 豪風のごとく剣がうなって、王の首をはね飛ばした。

 残された身体は血を吹き上げながらひざから崩れ、仰向けに倒れていく。

 首は回転しながら高くあがったが、やがて落ちてきたところをフェイ・トスカが片手でつかみ取った。すでに剣は鞘に戻している。

 フェイ・トスカが無言で首を見つめながら空いている片手を背中の方へ差し出すと、一匹の小鬼が進み出て、手のひらの上にうやうやしく宝珠を置いた。宝珠は黒くまがまがしい光を放っている。

 フェイ・トスカは宝珠を確認すると、血を流す首の下方にそれを持っていった。

「そら、最後の食事の時間だ」

 宝珠が血を受ける。すると宝珠はシュウシュウと音を立てはじめ、白い煙を立て始めた。血液を吸っているようであった。

 フェイ・トスカはしばらくそのまま宝珠が煙を上げる様を眺めていた。やがて煙が収まると、首を宝珠の上から外した。用は済んだとばかりに、背後で待っていた子鬼に投げて渡す。突然首を投げ渡されて、小鬼はあたふたとしながらもそれを抱き止めて引っ込んだ。

 フェイ・トスカは懐紙を出して宝珠に残った血液を拭き取ると、改めて宝珠の様子を観察した。宝珠はその内で黒い光をたたえており、その光は若干強くなったようではあるものの、大きな変化は見られなかった。

「まだ足りないとでも言うのか・・・?」フェイ・トスカはいぶかしげに呟いた。「しかし、系図にあったものはこれで全てのはずだ」

 しばらくの間空いた手を顎に当てて考えていたが、やがてここで考え続けていても意味がないと思ったようだった。「戻るぞ!」振り向いて魔族に号令し、宝珠は再び近寄ってきた子鬼に手渡しをする。

 人の身体に牛の頭を乗せたような魔族が近づいてきて、フェイ・トスカに何事かささやいた。

「ん・・・ああ、あいつらか」

 忘れていたと言わんばかりにテスたちを省みた。

「縄を切ってやれ」

 テスからしたら意外な命令だった。しかし魔族は不平も言わず、大声で命令を復唱した。先ほどテスたちを縄で縛りつけた魔族がやってきて、ナイフで縄を切った。

 テスは体の自由を得るや転がって距離をとり、腰に()いたままの剣の柄に手をやった。魔族どもは自分たちをつなぎこそしたものの、武器を取り上げはしなかったのだ。

 近くにいる魔族は三匹。十ログ(七メートル)ほど先にフェイ・トスカがおり、その向こうに数十匹の魔族が控えている。

 せめて目の前の三匹だけでも、と柄を握る手に力を込めたところで、声がかかった。

「命を捨てる気か?」

 フェイ・トスカが数ログのところまで近づいてきていた。

「王がなんと言って俺たちの前に姿を見せたのか、聞こえなかったわけではないだろう。王の死を本当の無駄死ににする気か?」

 言われてはっとする。王は無駄な血を流すなと──すなわち自らの命と引き替えに残ったものたちの命を助けろと言ったのだ。

 そしてフェイ・トスカがそのことを指摘するということは、フェイ・トスカは王の言葉を守るつもりだということだった。

「どういうことだ?」

「俺たちは殺戮(さつりく)者ではないし、全くの無法者でもない。おまえたちを生かすことが王から提示された条件であったし、おまえたちを殺す必要性もなにもない」

「平和を乱したうえに、王族を片端から皆殺しにしたものがそのようなことをいうのか!」

「戦争とはそういうものだし、王族を殺すことには理由があった。それだけのことだ」

「理由だと?」

「おまえに語ることではないがな。さてどうする?もしどうしてもおまえがここで命を捨てたいというのなら、相手になってやるが」

 いっそ死にたいという思いはあった。レジスタンスに引き込んだ多くの仲間を失い、自分が最後に残るばかりかこの後もなお生き続けるというのは、耐えがたい苦痛であると思えた。

 しかし一方で、その苦痛を甘んじて受けることこそ自分への罰なのではないかという思いもあった。

 やがてテスが剣の柄から手を離すと、フェイ・トスカは大した感慨もなさそうに鼻でひとつ息をつき、無言でテスに背を向けた。魔族も皆それにならい、ゆっくりとその場から離れていった。


 フェイ・トスカと魔族が去ると、その場にはテスと、小姓と、馬と、三体の死体が残された。そのうち一つには、首から上がなかった。

 テスは小姓とともに、苦労して雪山に穴を掘り、三つの死体を埋葬した。

 首から上がない王の遺体を穴に入れるとき、テスはその右手指に嵌められている指輪をそっと抜き取った。美しい青緑色の宝石がはめ込まれたそれはカルバレイク王家ゆかりの指輪で、正しい手順のほとんどを省略された王の即位において、ただひとつ王の証となるものだった。

 指輪を外されて、王はただの人に戻った。

「すまなかった、ヨウネ」

 表情の存在しない死体に一言だけ声をかけて、土をかぶせた。

 埋葬を終えてふと見上げると、いつの間にか雪は降りやみ、木々の隙間から星空が見えた。月が明るかった。

 月の紋様に、かつて肩を組み合わせて酒を飲んだ友の笑顔を見た気がして、涙がこぼれた。


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