神の決断
七
魔王──ではなく、実は先代の勇者であったグローングは、フェイ・トスカによって書き換えられていた結界の解除にかなりの魔力を使ったことと、新たに発生した祭壇を覆う『太陽の宝珠』の結界の中には入れないと言われたことで、今はその結界が見える位置に座り込み、体力の回復につとめていた。
月がのぼってから半アルン(約一時間)ほどは経過しただろうか。夜の黒の中で、『太陽の宝珠』の青白い結界の光が幻想的な輝きを放っている。
結界は遮音の効果もあるらしく、鋭い聴覚を持つグローングの耳にも祭壇での音は聞こえてこない。中の様子を知ることは出来ないが、おそらくは戦いになっているだろう、とグローングは予想していた。
「果たして勝つか負けるか──」
その予想は簡単ではない。
だがもしも勇者がフェイ・トスカに敗れるようなら、この身を焼いてでも結界に飛び込み、自分がフェイ・トスカを倒さなければならないだろう。
よくて相打ちだろうが、それでもここまで苦労して土台を作ってきた世界をご破算にされるよりはましというものだった。
そんなことを考えながら青白い結界を眺めていると、唐突に結界の光が弱まりだした。グローングはこころを引き締めると、注意深くその様子を観察していたが、結界の光はそのまま消え去ってしまった。
グローングは闇に混じってしまった祭壇にむけて耳を澄ませたが、これといった音は聞こえてこない。
「戦いは終わったのか?」
とにかく、結界が消えたのならここで待っている理由はない。グローングは腰を上げた。
セトは立ち上がるとフェイ・トスカの遺体のそばをゆっくりと離れ、シイカと『かみのて』のいる場所へと戻ってきた。
戦いが終わったからか、いつの間にか祭壇を包んでいた青白い光は消え、夜空の月と星の淡い光が祭壇を照らしていた。『太陽の宝珠』は力を失ったわけではないのか、黄金色の光を放ち続けている。
「見事であった、勇者よ」『かみのて』はなんの感慨も感じさせない声で、そう言った。
「戦いは勇者の勝利で終わった。そして、『太陽の宝珠』のちからはみたされている。さっそく、異世界への扉を開こう」
その言葉に、セトは戸惑った。
「異世界・・・なぜですか?」
「戦いのルールについて話しただろう。勝者はこの世界へ残り、敗者は異世界へと送られるのが決まりだ」
「待ってください」セトは驚いてそう言った。
「僕は父さんを止めたかっただけで、異世界へ送ろうなんて思っていません。だいいち、父さんはもう亡くなりました。このうえ、誰を送るっていうんです?」
「──おまえの願いは別の生物となった人間と魔族の融和、か」
『かみのて』はどうやったのか、まだ語っていないセトの思いを口にした。
「神のちからを使えば、それさえ造作ないこと」
「・・・?」
「もともと同族であった人間と魔族は、ともに暮らしていくことに本来なんの問題もない。それを邪魔しているのは思想だ。おまえのように姿形のちがいにとらわれないものもいれば、人間は人間、魔族は魔族とあくまで線引きをするものもいる。だがそういったものたちも長いときをかければいずれは、自分と違うものがそばにいることを当然のこととして受け入れるだろう」
セトは『かみのて』の言葉にうなずいた。それこそ、セトが感じていたことであった。そして、グローングや、おそらくグレンデルもそう思っていたのだろう。
だが、『かみのて』の言葉はそこで終わらなかった。
「しかし、なかにはどれだけ時が経とうとも、そうした変化を受け入れられないものがいる。その代表格がフェイ・トスカだったのだ。この度の魔王と勇者の戦いは、そうした思想の対決といってもいいだろう」
「・・・」
「異世界へと送るのは、フェイ・トスカと同様の思想をもったものたちだ。そのものたちを排除してしまえば、人間と魔族の融和というおまえの願いは、より簡単に達成されるだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください」セトはあわてて言った。「それはだめです!」
「なぜだ。こうするのがもっとも効率がいいはずだ」
「考えが合わないから切り捨てるというのでは、これまでと変わりません。僕が言っているのは、そういった人も含めて、すべてがこの世界で暮らしたいっていうことなんです」
「よく言った、勇者よ!」
セトの言葉にかぶさるように、上空から声が響いた。セトが見上げると、結界のはれた空からグローングが翼をはばたかせてこちらへ降りてくるところだった。
グローングはセトのすぐとなりへ舞い降りると、ぐるりと辺りを見回した。
「フェイ・トスカは──どうやら、倒したようだな」
「はい」
グローングの問いに、セトは短く答えた。グローングはその言葉に万感の想いがこめられていることを感じ取り、小さくうなずいた。
「おまえは、先代の勇者か」
その様子を見ていた『かみのて』が、身体の向きをゆっくりとグローングへあわせてそう言った。
「なんだ、このうさんくさいのは」
「この方は神の使い、『かみのて』です」
グローングの不遜な態度に、シイカが少しあわてた声を出した。だが、グローングは気にする様子もない。
「ほう、こいつをフェイ・トスカが呼び出したのか。だがご苦労だったな。フェイ・トスカが倒れた以上、おまえの仕事はない」
「正しき歴史を知らぬ勇者よ、私はおまえを責めはしない。責めるべきは正しき歴史をおまえに教えなかった竜なのだからな」
「なんだと?」
「だが、この場はおまえの出る幕ではない。わたしはこれより勇者セトの願いを聞き入れ、その考えに沿わぬものを異世界へと送るよう神に奏上する」
『かみのて』は平板な口調のまま、グローングを冷たくあしらった。そしてあらためてセトの方に向き直る。
「勇者セトよ。神の考えに従え。いくらかのものを異世界へと切り捨てさえすれば、この世界はふたたび平穏になる」
「でもそれじゃ、異世界へ送られてしまった人たちはまた不満をためて、いつかはそこから出てきてしまうのでしょう。そうしたら、また戦争になってしまいます」
「前の勇者と魔王の戦いが局地戦とならず、大規模な戦争になってしまったのは確かに予想外だった」『かみのて』が言った。「だが、それは前の勇者を選んだ竜が、正しい歴史と神の定めたルールを勇者に教えなかったからだ。魔王と勇者が役割を果たせば、必要以上の犠牲を出すことはない」その後に付け加えた言葉が、セトの神経を逆撫でした。「もっとも、先の戦争は広範囲にひろがった割に、たいした被害はでなかったのだがな」
『かみのて』が口にした被害という言葉には、建物や自然以外の損害、つまり人命──魔族を含めて──が全く含まれていなかった。
セトは直接戦争を知っているわけではないが、解放戦争によって多くの血が流れたことは教えられて知っているし、マーチやリタルドのように、親兄弟、あるいは身近な人をなくしたという存在は多く知っていた。
そんな戦争を、「被害が少なかった」と平然と言われてしまうことに、セトは釈然としない思いを抱いた。
「あの戦争で死んだ人はたくさんいます。そんな言い方はしないでください」
「別に種族が滅亡したというわけでもあるまい。騒ぎ立てるな」
「なっ」
あっさりと言ってのけた『かみのて』に、セトは言葉に詰まった。その背後でグローングの顔つきが厳しくなり、シイカはそっと目を伏せる。
「神と人では視点が違うのだ。おまえたちは人を個で見るが、神は数で見る。戦争の後も、人間の数は十分残っているぞ。この一〇〇〇年あまり争いがなかったことで、むしろ増えすぎていたのがちょうどよくなったくらいだ」
「人が死んだことをよかったなんて──」
「落ちつけ、勇者」
言いつのろうとしたセトを、グローングが制止した。頭に血が上っているセトに変わって『かみのて』に抗弁する。
「人民を個でなく数で見よ、とは政治家であれば誰もが知っている言葉だ。だが一方で、数の中の個を意識できなくなった政治家は世を乱すとも言われるぞ。おまえの言うことには同意できる部分も少しはあるが、少々上から目線が過ぎるな」
「・・・」
「たとえ規模が小さいものでも、戦争は罪のないものを傷つける。わしはあの『解放戦争』が最後の戦争となるように、いま改革を進めておる。この一〇年でようやく地ならしが終わり、これから基盤づくりだ。『かみのて』とやら、おまえの神に黙ってみていろと伝えろ。異世界で苦しむものも、戦争で傷つくものもない世界ができあがっていく様をな」
グローングは自信満々に胸を張った。
「戦争をなくすとでも?」『かみのて』の身体が震えた。何かの感情を表したのだとしたら、嘲ったのだろうか。「無理だ」
「無理なものか。今は力によった支配を続けていくが、段階的に対話による協調へと転換していく、そのためのプランはすでに出来ているぞ。人間の勇者であるそこの少年の協力があれば、魔族と人類の融和はさらに加速度的に進むことに──」
「無理なものは、無理だ!」それまでシイカに対する時をのぞき、ずっと感情らしいものを見せなかった『かみのて』が、はじめて語気を強くした。「神がどれほどの長い年月、おまえたちを観察し続けてきたと思っているのだ?人は争いを棄てられない。神の管理がなければ際限なく争い、いつかは神の創りし世界をも破壊する、どうしようもない生き物どもだ!」
「かつてそうだったとしても、わしらは成長しているのだ。代を重ねながらな。かつて知らなかったことも、今は学び、知っている。争いの本能があったとしても、知識がそれを抑えるだろう」
「何かを知れば、何かを忘れるのもまた、おまえたちだ」『かみのて』の平板な口調は失われ、あきらかに興奮しているのがわかった。「神が定めた戦いのルールも、魔族と人間がかつて同族であったことも、おまえたちは忘れてしまっただろう」
グローングは魔族と人間が同族、という言葉に一瞬、目をしばたかせたものの、すぐに反論に転じた。
「忘れたということは、必要がなくなったということだ。神のルールなどなくても、我らは生きてゆける。おまえたちの監視など、もう必要ないわ」
グローングがそう言いはなつと、『かみのて』はまた身体を震わせた。それからこれまで以上にゆっくりと身体の向きを変えると、セトの方を向いて言った。
「勇者よ。おまえの考えもこのものと同じか?」
セトは『かみのて』のことをしっかりと見据え、ひとつ大きく息をついた後、うなずいた。
「僕たちは、神さまにまもってもらわなくても、やっていけます。神様が創ったっていうこの世界も、きれいなままで」
「竜よ」
『かみのて』は今度は身体の向きを変えずに、シイカのことを呼んだ。
「二代続けて勇者がこのようなことを言うというのは、おまえたち竜の咎だな」
シイカは下げていた首を少し上げて、やや高い位置から『かみのて』に答えた。
「咎、とおっしゃいますか」
「咎でなくてなんだというのだ。おまえたち竜が神のご意思をしっかりと伝えぬから、このように神を軽んじたことを勇者が言うのだ。神の力をひとに伝えるべき勇者が!」
シイカは目を閉じ、『かみのて』の暴言をなんとか飲みくだそうと努力している。
「伝言役もまともにできないとはとんだ無能者だな。今度の件が片づいたら、新たな神の遣いはわたしがじかに選び、教育し直さなければ」
「お言葉ですが、『かみのて』よ」
シイカはついに我慢が出来なくなり、語気を強めた。
「彼らは過去より学び、未来をよりよいものにしようと努力しているのです。古いルールで縛るのではなく、我が子の成長をおもってその手を離してやったらいかがですか!」
「シイカ・・・」溜まった澱を吐き出すような勢いのシイカを、セトが驚いたような感心したような目で見上げた。
『かみのて』はまた震えた。先ほどからどんどん頻繁になってきている。
「我が子だと?このような出来損ないを、神の子とおもえとは!長命とはいえ所詮は有限の命を持つもの、代を重ねればおろかにもなるということか」
そう言って全身をぶるぶる震わせる。震えがおさまるとまた言葉を発した。
「ああ──なんということだ。神はついに決断を下された!」突然大きく腕を振ってそう叫んだので、セトは驚いた。
「決断?」
「神はおまえたち歪んだ生命がはびこってしまったこの世界を、放棄することを決定したのだ」
『かみのて』は先ほどまでの様子とは別人のように、腕を振り、歌でも歌うかのような抑揚のある声でそう言った。
「それはいい」グローングが揶揄するように笑った。「もうわしらを放っておいてくれ」
「馬鹿を言うな。失敗作をそのままにしておくほど、神は厚顔でも無責任でもない。それに、新たな世界を創るのにはまた膨大な魔力が必要になるのだ」
『かみのて』はするすると移動すると、祭壇の宝珠のそばで止まった。
「この世界は破壊する。そして世界が内包する魔力を吸い出して、再び別の世界を創造するのだ」
「世界を、破壊する?──そんな!」セトが叫んだ。
「なにを言ってももう遅い。神は決めたことを覆したりはなさらないからな」
『かみのて』はその棒のような腕を伸ばした。腕の先が祭壇に鎮座している『太陽の宝珠』へとむけられると、『太陽の宝珠』はその腕の先に吸いつくようにして浮き上がった。
「あれを媒体に使うか」
そう言った『かみのて』が『太陽の宝珠』をもったまま、フェイ・トスカの亡骸のそばへと向かう。
『かみのて』は仰向けに倒れているフェイ・トスカの傍らに止まると、すでに事切れているフェイの胸元のあたりに、無造作に『太陽の宝珠』を押しつけた。
すると、『太陽の宝珠』の光が強くなった。その光で、フェイが身につけていた暗闇色の鎧が、まるで紙切れのようにおし破られ砕け散っていく。
「父さん!」
詳しい状況は理解できぬままに、セトが駆けだした。『かみのて』が具体的になにをしようとしているのかは分からなかったが、父親の亡骸を冒涜するようなまねは許せなかった。
だが、宝珠の光が結界のようになって、セトをはじきとばす。数ログ飛んだセトを、グローングが受け止めた。
暗闇色の鎧を砕き、フェイ・トスカの血にまみれた上半身を露わにさせた『太陽の宝珠』は、フェイの肉体を砕きはしなかった。だが、『かみのて』が宝珠を押し込むようにすると、そのままずぶずぶとフェイの胸元に呑みこまれていく。
そしてフェイの体内に宝珠が完全に呑みこまれた。
「本当に相性がいいな。簡単に入ってしまったぞ」
『かみのて』はそう言いながら、宝珠を押し込んだ腕をフェイの胸の上からはなさないでいる。
宝珠がはなっていた光はフェイの体内に入ったことで消えた。だが、セトがもう一度そちらに向かって駆けだそうとしたそのとき、今度はフェイ・トスカの全身から先ほどまで宝珠が放っていたのと同じ光がはなたれはじめた。
それと同時に、フェイ・トスカの身体が浮き上がり、離れた位置にいるセトたちにも全身が見えるようになった。
光に包まれたフェイ・トスカの遺体は、変質をはじめていた。血の気を失った白い肌に、まるで別の血を無理矢理流し込みでもしたかのように、見たこともない緑色の肌へと変色していく。
右腕がぼこぼこと泡立つように膨れ、およそ人のそれではない太さになっていく。同じ変化が左腕、左足、右足と──。
「父さん!やめろっ、父さんになにをするんだ!」
死者への冒涜としか思えない光景に、セトはフェイ・トスカの肉体の変質を間近で眺めている『かみのて』へ叫んだ。
なんとか足を動かしてそちらへ近づこうともしているが、フェイの肉体からあふれる光は質量を持っているかのようにセトの身体を押しており、近づくどころかはじきとばされないように踏ん張ることで精一杯だ。
『かみのて』はセトの叫びに何の反応も示さない。その間にもフェイ・トスカの変質は進んでいる。その様は数千、数万の時をかけて行われてきた人間から魔族への変質を、このわずかな時間で圧縮して実行しているかのようであった。
「グ、アア・・・アアアア!」
突然、フェイ・トスカが叫び声を上げた。すでに顔も異形の者へと変質しかかっているが、かろうじて見てとれる表情は苦悶にゆがんでいる。
「父さんっ!」
「むう?なんだ、まだ魂が離れていなかったのか」
セトの叫びを全く意に介さない『かみのて』は、まだ生きているかのように反応しはじめたフェイ・トスカを見上げて、独り言のようにそう言った。
「よろこべ、魔王よ。おまえの願いは半分だけかなえてやるぞ。おまえの望み通り、この歪みきった世界などはなかったことにしてやろう。ただし、おまえが願ったような形に作り直しはしない。この世界よりもより清浄で美しい世界をあらためていちから構築するのだ。おまえの肉体はそのための力を行使する媒体となる。さあ、早くでていけ。そこにはわたしが入るのだ!」
「オ、オ、ア、アアア!」
フェイ・トスカは言葉にならない咆哮をあげる。悲しみか怒りかは分からないが、セトにはフェイが『かみのて』の言葉に抵抗しているように感じられた。
「父さーん!」
相変わらず足は前に踏み出せないので、セトはせめて声を張り上げる。フェイ・トスカの姿はすでに生前のものとは似ても似つかなくなっていて、五体は徐々に緑色の繭のようなものに包まれ、そのなかでなおも変質を続けているようだった。
フェイ・トスカはまだしばらくの間そうして口から声を上げていたが、ついにはその口も、というより顔全体も緑色の繭に覆われると、おとなしくなってしまった。
ついにその全身が繭に包まれると、その身から発せられる光はさらに強くなった。
セトは踏ん張りきれなくなり、後ろへとばされそうになったが、今度はシイカがセトの背中を支えてくれた。ただしシイカもとばされないでいるのが精一杯といったところだ。
「ぐうううっ・・・!」
セトは両腕を前にだして光の圧力に耐えながらも、父親の肉体が変質していくのをただ見ていることしかできなかった。
ようやく強烈な光がおさまると、セトたちを押さえつけていた圧力もなくなった。だが、セトは父親の身体のもとへ駆け寄ることができないでいた。
『かみのて』によって『太陽の宝珠』を体内に埋め込まれたフェイ・トスカの遺体は、その膨大な魔力によって蹂躙され、いまやかつての精悍な戦士の面影はどこにもなくなってしまっていた。その様子に、セトの足は動かなくなってしまったのだ。
肥大した肉体は、どことなく手や足の部分を残してはいるものの、腕や腿といった器官は胴体に飲み込まれてしまっている。その胴の肉もかつての引き締まった筋肉質のそれではなく、ぶよぶよとたるみきっている。
肌色は腹面が白、背面が緑。肉の質感も含めて、蛙を想起させる。全体的なシルエットはヒトデを極限まで太らせたら近いだろうか。飛膜をいっぱいに広げたむささびとも言えるが、むろん愛嬌などはない。
かつて顔だった部分には、白い肌に瞳を持たないただ黄色いだけの目玉がふたつついており、鼻や口は見えなくなっていた。
「ひどいな、これは。魔族にだってここまでのやつはなかなかいないぞ」
グローングがあきれたような声を出した。彼自身たいそうな異形っぷりだが、手足や耳、鼻、口など、体の各器官は人間のそれと機能的には変わらない。違うのは翼があることくらいだ。だが、目の前の存在は体の基本的な機能からして変質してしまっているように見えた。
「──上出来だ」
フェイ・トスカの肉体であった異形のそれが、言葉を発した。
セトは一瞬、フェイ・トスカがよみがえったのかと思ったが、すぐにその考えを自分で否定した。あんな身体でよみがえったとして、上出来などというはずはないだろう。
さらに、光がおさまってから『かみのて』の姿が見えなくなっている。フェイ・トスカの肉体が変質を続けていたときの『かみのて』の言葉を思い出し、セトは問うた。
「あなたは、『かみのて』なんですか?」
「そうだ」
異形の目玉がぎょろりと動いたあと、そう返事が返ってきた。
「父さんは、どうなったんですか」
「知らない。魂はもうこの身体には残っていない。追い出したからな。だが、死者の魂が肉体から離れるのはふつうのことだ」
淡々とした説明に、セトは拳を固く握りしめた。
「今この身体には『太陽の宝珠』が溶けこみ、その魔力を自由に引き出せるようになっている」
『かみのて』は新しい身体に馴染もうとしているのか、しきりに目玉を動かし、手をばたばたとはばたかせていたが、やがて動きを止める。
「これより、この身体を用いて世界を破壊する」
そして真っ黒い影の固まりだったときと同じ、平板な口調で宣言した。
セトは怒りに震えた。こんなことは死者への冒涜だ。わかりあえなかったとはいえ、誇りを持って戦い、そして死んだ父を汚す行為だ。
「待ってください!」
セトは怪物となった『かみのて』へ叫んだ。『かみのて』は黄色の目玉を細めてセトを見た。
「父さんの身体を使って、そんなこと──」
しかし、そう言って『かみのて』の方へ一歩踏み出したそのとき、何の前触れもなく『かみのて』の眼前にセトの身体と同じ大きさの火球が出現し、セトを襲った。
セトは突然の攻撃を全く予期できず、身体がすくんでしまった。
動きを止めてしまったセトを、グローングが横からかっさらうようにして火球の進路から救い出した。
ふつう、魔法を使うときは何らかの予備動作が必要である場合が多い。威力があるものはなおさらだ。だが、今の魔法は『かみのて』によって、筋一本も動かさずに生み出された。
グローングが反応できたのは、『かみのて』の肉体ではなく魔力の動きを読んだからである。魔力を持たないセトには、こうした行動はできない。
「うかつだぞ、勇者」
「・・・」
セトは抱きかかえられたまま、父の身体を奪った『かみのて』をにらみつけている。
「もうおまえたちに用はない」
『かみのて』はそれだけ言って、満月の浮かぶ空を見上げた。
すると、いかにも鈍重そうな『かみのて』の醜くふやけた身体が浮かび上がった。そのままゆるゆると高度を稼いでいく。翼もなにも使わず、魔法の力だけで浮いているのだ。
「まず肩慣らしに、この祭壇からこわしてやるとしよう」
『かみのて』はそうセトたちに言い残すとすこしばかり速度を上げ、祭壇から離れていく。
「これは・・・まずいぞ」
「グローング王、セトをこちらへ!」
つぶやいたグローングに、シイカが怒鳴った。
グローングはひと跳びでシイカの元にたどりつくと、セトを直接シイカの背中に下ろした。
「ここにいては巻き込まれます。セト、急いで」
シイカに急かされながら、セトは鞍にまたがってベルトを締め、ゴーグルをつけた。それを確認するやいなや、シイカはいったん身を沈めて翼をはばたかせた後、後ろ肢で力強く蹴りあげて舞い上がった。
シイカは『かみのて』へ向かっていくことはせず、祭壇から離れることに専念した。グローングも後に続いてくる。
『かみのて』はそんなシイカたちを歯牙にもかけなかった。
すでに『かみのて』の周囲にはいくつもの火球が出現しており、やがて一斉に落とされる。
轟音が響きわたった。
無数の火球が祭壇を砕き、さらには祭壇のある旧魔王城全体を容赦なく打ち壊していく。
セトを乗せたシイカとグローングはひとまず安全圏と思われる位置まで退避した。
『かみのて』はまったく気にせず火球を落とし続けていたが、旧魔王城が四分の一ほど壊れたところでその動きを止めた。
だがそれはもちろん、破壊行為をやめたということではない。小さい──といってもひとつひとつが『かみのて』の身体ほどの大きさなのだが──火球をいくつも落とすことに飽いたのか、今度は眼前に出現させたひとつの火球をとことん大きくすることに集中しはじめたのだ。
火球はあっという間に『かみのて』の身体の数倍の大きさになり、なおも膨らんでいく。
「シイカ・・・」
セトが右手でつかんだシイカのたてがみをひいた。しかし強いものではなかった。
止めにいかなければ、とは全員が思っていただろう。
だが、どうやって止めるというのか?
剣でひと突きしたくらいで止まるとは思えなかった。
ただ突っ込んでいったところでなにもできない。かといって逃げることもできない。そんなことをしても意味はないのだ。
火球はついに旧魔王城を包んでしまうほどの大きさになった。火球の熱が、数百ログは離れたところにいるセトたちのところまで伝わってくる。
やがて、火球が落とされた。あまりに大きいため、ひどくゆっくりと落ちていくように見える。
火球の持つ熱量に圧倒された旧魔王城は、金づちで叩かれた焼き菓子のように、あっけなく崩壊していく。
そこから発せられる音と衝撃をその身に受けながら、勇者たちはその光景をただ眺めていることしかできなかった。