父と子の戦い
六
フェイ・トスカは、まだいくらか間合いが広いと思われた位置から剣を振りかぶると、ひと跳びで距離を詰め、セトに向かって強力な一撃を打ち込んできた。
セトは少々意表を突かれながらも、なんとか初撃を受け流すことに成功し、転がって間合いを取った。フェイ・トスカも続けて向かってくることはせず、セトとの距離を測り直す。
今のフェイの動きは、セトが一刀のもとに臥されたあのときとも、試練の中で幾度も剣を合わせたときとも違い、半ば人間離れした跳躍と速度があった。なにか魔法を使ったのだろうか。
一方でフェイ・トスカも、セトの動きが変わっていることに気がついていた。もしセトがあの日のまま成長していなければ、今の攻撃を無傷で受け流されるということはなかっただろう。
どうやら、『竜の加護』とは単に敗北を一度取り消すというだけのものではないらしい。やはり、肉体的な強化も施されているようだ。
だが今のセトの動きを見る限り、それほど強力な強化ということもない。フェイの口の端に自然と笑みが浮かんだ。
「竜よ。おまえは手出し無用だ」
戦いが始まったころ、『かみのて』がシイカのそばまできてそう言った。表情をうかがうことはできないが、口調は少々威圧的に感じる。
「竜の役割は、勇者を選び、加護を与えるというそれだけだ。もうおまえにすることはない」
「・・・わかっております」シイカは『かみのて』の方を見ずに答えた。
「どうかな。おまえは勇者に対して特別な感情を持っているようだ。釘をさしておかなければ、なにをするかわからない」
「・・・」
「この戦いが勇者の勝利に終わったならば、おまえには神に仕える竜とはどうあるべきかをいちから教えてやろう。魔王が勝ったならば、グローングを勇者に選んだ竜を調教しなおす」
「神の目的は、戦いをなくすことではないのですか」
「ちがう。やはりなにもわかっていない。神の目的は、戦いを管理することだ。この美しい世界を守るためにな。人間は争いなしには生きられない。戦いを完全になくしてしまっては、人間は抑圧されることになり、やがて爆発するだろう。神の制御も及ばぬほどに」
「人間は、そこまでおろかではないはずです」
「おろかなのだよ。いまもああして戦っている」
戦いはフェイ・トスカが一方的に押していた。魔法も織り交ぜながら攻め込むフェイ・トスカに対し、セトはシイカに与えられた耐魔法の服の力もあってなんとか致命的な負傷はせずにしのいでいる。
「あれはあなたがそうしむけたのでしょう!」
シイカが声を荒げると、『かみのて』は明確にさげすむ口調になった。
「わたしは舞台を提供したにすぎない。そうしなければ、たとえこの場は収まったとしても、別の時によりおおきな規模の戦いが生まれるだけだ。その程度のことも理解できないとは、時を経て竜もおろかになったということか」
「・・・」
「場合によっては、おまえを調教しなおすよりも別の竜を私が見つけた方が早いかもしれんな。──もっとも、今の様子では勇者の勝ち目は薄そうだが」
『かみのて』の言葉にシイカが首を巡らせると、今まさにフェイ・トスカが大振りの一撃をセトに繰り出すところだった。セトはかろうじて剣で受け止めたものの、勢いを殺しきれずにはじき飛ばされた。
「セト!」
シイカはとなりの『かみのて』の存在も忘れて叫んだ。
戦いに手を出すつもりはない。だが、セトを心配する気持ちを封じ込めることもできなかった。
「さっきから守ってばかりだが。それでは俺に勝つことなどできんぞ」
フェイ・トスカが次の間合いを入念に探りながら言った。
その言葉は、試練の世界でまぼろしのフェイ・トスカに言われたことと重なるものであった。
──小さいものと大きいものが戦うとき、小さいものが守勢に回ってはだめだ。
受け身になればたとえ剣力が互角だったとしても、少しずつ体力は削られていく。体力勝負になってしまえば、どうやっても身体の大きいものが有利なのだ。
「わかってるよ、父さん」
わかっていても、攻め込めないのだ。セトは口の中で粘つく唾液を吐きだした。
フェイ・トスカの攻撃は、全体的に速度と威力が向上してはいるものの、剣さばきのリズムやくせは試練で戦ったまぼろしと酷似していた。そのおかげで、ここまでたびかさなる攻撃を凌いでこられた。
だが、いざ攻め手に回るとなるとやっかいなのが魔法だった。試練の世界のフェイは、稽古で魔法を使うことはしなかったので、対処が遅れがちになる。セトが攻めるチャンスと見て踏み込んでも、魔法の攻撃でリズムを狂わされるのである。
フェイ・トスカの放つ攻撃魔法は威力よりも発生速度に重点が置かれていて、直撃されない限りはシイカのくれた服が防いでくれる。だが、魔法でひるんだところに間髪入れず斬撃がやってくるので、セトは間合いを詰めることができない。
次の攻撃も、またフェイ・トスカからだった。
間合いを詰める一歩目にもおそらく魔法を使っているのだろう。セトには反応するのがやっとという速度で迫ってくる。セトはここでも守勢に回らざるを得なかった。
上段から振りおろし、セトが剣で受けると無理に押し込もうとはせず、素早く剣をひるがえして今度は横から薙ぎはらう。剣舞のような無駄のない美しい動きで、セトを少しずつ追いつめていく。
セトは反撃に転じることも、かといって間合いを引き離すこともできず、それでもなんとか剣を合わせながら、攻撃の糸口を探り続ける。
「ほら、ほら、どうした!」
剣をふるいながら、フェイ・トスカが声をあげる。その顔には笑みさえ浮かべている。
セトはどんどん鋭さを増していく攻撃の中で、それでも一瞬の隙を見つけだした。ほんの少し大振りになったフェイ・トスカの一撃をくぐって回避し、はじめてフェイの剣の内側へ進入する。
だが、それでもフェイに一撃を与えるまでには至らなかった。フェイ・トスカはその動きを予期していたかのように、左手を開いてセトの眼前に差し出した。魔法発動の予兆となる光がその手に集まるのを見て、セトは間合いを離さざるを得なくなった。
飛びすさったセトを、雷の魔法が追いかけてきた。かわしきれずに左肩に雷撃が当たったが、耐魔法の服がほとんどのダメージを吸収してくれたので、肩が少ししびれた程度ですんだ。
セトは再びフェイ・トスカとの間合いをはかろうとして──フェイ・トスカが彼自身と同じくらいの大きさを持つ火球を頭上に掲げているのを見てぎょっとした。
フェイは邪悪な笑顔を浮かべて、ためらいなく大火球をセトに向かって投げつけた。さすがにこれは服が守り切れるとも思えず、セトは必死の思いで横へ飛び、なんとか直撃を逃れる。
大火球は直前までセトが立っていた場所を抉りとった。もうもうとした煙が上がる。
「う──げほっ、げほっ!」セトは動き続けていたのと煙とで息が苦しくなり、たまらず咳こんだ。
「ふ、はははは!今日の俺は絶好調だ!」フェイ・トスカは魔力も体力もまったく消耗した様子を見せず、豪快に笑い声をあげた。
事実、以前のフェイ・トスカにとって魔法は連発が利くものではなく、使いどころを見極めなければいけないものだった。無理に魔法を使いすぎると集中力が低下し、剣を使うことに支障が出ることもあったのだ。
それがここのところ、自分ではっきりと自覚できるほど魔力が高まり、高威力の魔法を続けて使うことも可能になっていた。今日に至ってさらにその傾向は強まり、先ほどからどれほど魔法を使っても一切疲労を感じなくなっている。それどころか、ますます心身が充実してくるようであった。
「今度の魔王は、『太陽の宝珠』とずいぶん相性がいいようだ。宝珠から魔力を吸収している」
戦いを傍観している『かみのて』が、フェイ・トスカの様子を見てそう言った。同じように見入っていたシイカは首を曲げて『かみのて』にたずねた。
「宝珠から、魔力を・・・そのようなことが?」
「いま目の前で起きている以上、あることということだ。吸収している魔力は宝珠が内包しているそれからみれば微々たるものだが、宝珠の魔力による結界に覆われたこの神殿は、魔王からすれば戦いやすいことこのうえないだろうな」
『かみのて』の口振りは淡々としていたが、言っていることはまるで『かみのて』がフェイ・トスカの勝利を望んでいるようにさえ聞こえた。
(『かみのて』には、私やおじいちゃんの考え方が神のそれとずれているという不審があるようだ。あるいは、フェイ・トスカの望み通り時間を巻き戻したほうが、世界を神の考えているとおりに導きやすいと考えているのかもしれない)
シイカはそう考えて不安に思ったが、『かみのて』がそれを理由にこの戦いに直接介入するというのは考えにくいことだった。神は直接的な介入を出来るかぎりさけるという基本思想がある。勇者の選別を竜に任せるようになったのもその考えからきているのだ。
フェイ・トスカが宝珠から魔力を吸収していることで、この場所はフェイ・トスカにとって有利になってしまっているが、これはフェイ・トスカに魔力があり、たまたま宝珠と親和性が高かったからそうなっただけで、『かみのて』が意図してそうしたわけではない。
もし『かみのて』がなにか介入するような素振りを見せれば、シイカもセトを守るために動くつもりでいたが、少なくとも今その気配はない。そもそもセトの方が劣勢なのだ。
シイカはセトを手助けしてやりたかったが、そんなことをすれば『かみのて』によってセトの『竜の加護』を剥奪されてしまうかもしれない。シイカに出来ることはセトに祈ることだけであった。
また、大火球がセトを襲った。
魔力を持たないセトには、耐魔法の服が防げない規模の魔法はとにかくよけるしかない。めいっぱい跳んでかわし、体勢を立て直すかどうかというところへ、フェイ・トスカが迫ってくる。
上段から振りおろし、横から薙ぎ払う。セトは剣を巧みに使ってしのぎつつ、なんとか反撃の隙をさぐろうとするものの、フェイ・トスカはあまり無理をしてこない。数合してもダメージを与えられないと見るや、あっさりと間合いをはなして再び魔法を使用してくる。
剣しか攻撃手段のないセトからすれば、このほうが厄介だった。有効打を与えるには自分から近づかなければいけないが、といって闇雲に突っこんだのでは魔法の標的にされるばかりだ。
先ほどから強力な魔法を使い続けるフェイ・トスカは、それでも一向に疲れた様子を見せない。それどころかむしろ魔力は強まってすらいるようで、放たれる魔法はどんどん威力を増している。あとどれだけかわしつづけていられるか、セトは自信がもてなかった。
フェイ・トスカはより強力な魔法を放つために意識を集中している。もちろんセトのことは油断なく見据えており、うかつな動きは出来ない。だが先ほどからみられるこの短い時間の中で、セトはフェイ・トスカの攻撃を思い返していた。そして、フェイ・トスカの攻撃にはひとつのパターンがあることに気がついた。
先ほどからフェイ・トスカは、魔力をめいっぱい込めた強力な一撃を放ったあとで、セトが体勢を立て直す前に突っこんできて剣で攻撃をする。魔法にしろ剣にしろ、その攻撃パターンは多岐にわたっていて特定できないが、魔法を放ったあと踏みこんできて剣で攻撃、というパターンはしばらく変わっていないのだ。
フェイ・トスカが気付いているかはわからない。だが、魔力の集中が終わったフェイはいまも左手をかざし、新たな魔法を打ち出そうとしている。これを勝機にするほかはないとセトは考え、長剣と一緒に腰に差していた短剣の留め金を密かにはずした。
フェイの頭上には人間ひとりでは抱えられないほどの太さの氷柱が出現している。フェイが左手を振りおろすと、氷柱はセトに向かって一直線に、すべるようにしてむかってきた。
セトは先ほどまでと違い氷柱の回避に集中せず、視線の端でフェイ・トスカを追い続けた。すると案の定、フェイは氷柱の陰に隠れるようにしてこちらへ向かって第一歩を踏み出している。
セトは長剣を左手に持ちかえながら氷柱を横っ跳びにかわした。しかしかわしきれず、左肩を氷柱が抉っていく。深手ではないが、抉られたところを中心に凍傷のようになって左腕の自由が奪われる。セトは左手の長剣を取り落とすことのないよう力を入れながら、空いた右手で短剣を鞘から抜くと、フェイ・トスカの動きを読み、足もとへ届くように投げた。
はたして短剣は見事フェイ・トスカの足もとをとらえた。フェイ・トスカは足甲を身につけているから、傷を与えることは出来ない。だが短剣フェイ・トスカの右足を絶妙にとらえており、フェイ・トスカは大きく歩調を乱した。
戦いの中で、フェイ・トスカがセトにはじめて見せた隙。
セトはそれを確認するよりも早く、体勢を立て直して駆けだしていた。この好機を逃せば、次はない。左肩の痛みも忘れて、フェイ・トスカに向けて突進する。
思うように動かなくなっている左手から長剣を右手でもぎ取ると、左手は柄頭にそえて突きの体勢をとった。片手で振ったのではねらい通りに操れるかあやしいうえ、威力も足りなくなるおそれがある。
「おのれっ」
フェイ・トスカから先ほどまでの不敵な笑みは消え、憤怒の形相で右手の剣を水平に薙ぐ。だがセトに対して半身となった姿勢からでは十分な形にならず、セトは冷静に身体を沈めて避けた。
すると今度は左手が向けられる。魔法が来るのだとわかったが、ここで回避してしまったらまたやりなおしだ。セトは賭けにでた。歯を食いしばり、魔法を受け止める算段にでたのだ。
フェイ・トスカの左手から、雷の魔法が放たれる。魔法はすでに直近にいるセトをとらえた。激しい電流がセトの身体を通り、視界がスパークする。
「うわあああああっ!」
セトは叫びながらも、懸命に右手を突きだしていた。
手応えを感じる余裕はなかった。
セトの視界は暗くなり、それが目を閉じているからなのか、電撃に焼かれた故なのかさえわからなかった。
ただ、右手の剣ばかりははなすまいと、神経のすべてをそこに集中させていた。
しばしの沈黙。
やがて身体に少しずつ感覚が戻りはじめ、左肩を中心に焼け付くような痛みを全身がセトの脳に訴えだした。
つまりそれは、セトの感覚がまだ正常であること──魔法をしのぎきったことを意味していた。
セトは、砕けんばかりに食いしばっていた歯から力を抜き、ずっと閉じたままでいると気付いた目を開いた。
目の前に、フェイ・トスカが立っている。
目をむき、歯を食いしばってセトをにらみつけ、右手の剣を振りかぶり──その姿勢で硬直している。
セトの長剣は、『竜の加護』によって剣に与えられた魔力と、セトの渾身の力をその刀身にのせて、フェイ・トスカの重鎧を突き破り、その左胸をつらぬいていた。
フェイ・トスカの目玉が動き、自らをつらぬく剣を見た。
「ばか、な」つぶやきの端に、咳がまじる。
「父さん、──ごめん」
セトは父を呼び、一瞬迷ってからそう言った。もっと言うべきことがあるような気がしたが、今は思い浮かばなかった。
セトは痛みをこらえ、右手でつかんだ剣を引き抜くと、フェイ・トスカの胸から血が吹き出した。
フェイ・トスカは右手の剣を取り落とし、血を吐き、ひざを折ってついには地に伏したのだった。
セトは涙を流さなかった。
リタルドのときとは違う。セトは剣を構えた時点で、こうなることを覚悟していた。
殺さずにすめばと、そう思わなかったわけではない。だが、そう考えれば剣先は鈍る。それで勝てるような相手ではないこともわかっていた。
セトの背中には、今この世界で生きる多くの人々の運命があるのだ。
セトは敢えて迷いを棄て、殺すつもりで戦った。それではじめて、フェイ・トスカと同等になるのだから。
セトはうつ伏せに倒れたフェイ・トスカに近づいていく。背後からシイカが止まるよう訴えたが、セトは気にせずフェイ・トスカのそばにかがみこみ、その身体を仰向けにしてやった。床には血だまりができていた。
フェイ・トスカはまだ息をしていた。だが、その目に力はない。呼吸は血の泡混じりで、身体を動かすことも出来ないようだった。
「父さん」もう目が見えていないかもしれないと思い、セトは呼びかけた。
「俺、は・・・」フェイ・トスカの口が弱々しく動き、か細い声でそう言葉を発した。
「俺は、勇者・・・を、──して・・・魔、・・・を」
フェイの言葉は途切れ途切れで、セトにはなにを言っているのか把握することができなかった。セトにむけて話しかけるという風でもなく、本人の意識ももう定かでないのだろう。
セトはフェイ・トスカの手を取った。試練の世界で、まぼろしのフェイ・トスカと手を合わせたことはあったが、実際にこうするのははじめてのことだった。生気を失い、かさついていたが、その手はやはり、大きかった。
「姫・・・約束、は──」
それきり、言葉は途切れた。
セトはしばらくフェイの様子を見、やがて開かれたままの目にそっと手をあててまぶたをおろしてやった。
勇者として世を救わんとし、使命にとらわれるあまり魔王となったフェイ・トスカは、絶命したのであった。
お読みいただきましてありがとうございます。
父と子──魔王の勇者の戦いは決着し、物語はエピローグへ・・・。
と行きたいところですが、まだ少し続きがあります。
よろしくお付き合いくださいませ。
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