魔王の誕生
五
「そもそも、この世界は神によって創られた」
『かみのて』と名乗る人のかたちをかたどった影が、淡々と語る。
「はじめ、世界は平穏だったが、やがてその平穏を壊しかねない生物が出現した。それがおまえたち、人間だ」
フェイ・トスカ、セト、そしてシイカは、互いにすこし距離をとった状態で、『かみのて』の話を聞いていた。
「人間は、必要以上に争い、同族同士で殺しあうことを好んで行った。にもかかわらずその数は増え、やがて気候条件のいい北の大陸全土に広がるようになった。その間にも争いは減らず、しかも兵器や魔法の力を使い、ますます規模が大きくなるようになっていった。そんな中で、あるひとつの争いが、大陸全土を巻き込む大規模なものとなろうとしていた」
「・・・」
「発端は、あるひとりの魔法使いが、人間は魔法によって強力に進化すべしという考えのもと、魔法を使えないものたちを虐殺したことだった。はじめはひとつの町での出来事だったが、捕らえようとした兵士を返り討ちにしていくうちに、ついには一国の軍隊をまるまる差し向けられるほどになった。ところがこの魔法使いは、歴史上まれにみる力の持ち主で、この軍隊を駐留していた都市ごと吹き飛ばしてしまったのだ」
「そんな──」セトがおもわず呻いた。
「あまりの強大な力に、屈するものやその思想に賛同するものが出はじめ、次第に争いは大陸全土へ広がるようになっていった。魔法使いは自らを魔法使いの王──魔王と名乗り、各所でその強大な力を誇示して見せた。時には神の創った自然を破壊することで。神は自らの創った世界が破壊されるのを黙ってみていることができなくなり、ついに介入をした」
「魔法使いの王で、魔王だと?」フェイ・トスカが怪訝な顔でそう言った。だが、『かみのて』はその言葉に答えず、先を続けた。
「神は魔王に抵抗する勢力の中からもっとも力の強いものを選び、加護を与えたうえで魔王と戦わせたのだ。はたしてそのものは魔王の命を奪うには至らなかったものの、力を削ぎ、封じることに成功した。神は争いの火種となった魔王とその一派を、異世界へと封じ込めた。魔王と戦ったそのものは勇者とたたえられ、後に世界を統べる王になった──これが、もっとも古い魔王と勇者の戦い。おまえたちの感覚からすれば、はるか昔のことだ」
その言葉に、セトは昨日グローングから聞いた言葉を思い出した。一説には一〇〇〇〇年前とも、二〇〇〇〇年前とも言われている、と言っていたはずだ。
「その後も、この世界に残った人間たちは、なにかにつけ争いを繰り返していた。神は自らが創ったこの美しい世界が、争いによって汚されてゆくことに心を痛めていた。だが数百年が経過したあるとき、異世界に封じ込めた魔王が力を取り戻し、異世界とこの世界をつなぐ扉を強引にこじ開けて、この世界を自らのものにしようと現れた。最初の勇者はすでに死亡していたから、神は新たな勇者を選び出し、魔王と戦わせた。今度こそ勇者は魔王を打ち倒したのだが、このとき神はあることに気づいた」
『かみのて』は平板な口調のまま話し続ける。
「それは、勇者が魔王と戦っているあいだ、この世界ではほかの争いがほとんど起こらなかったということだ。その時点で継続中だったものでさえ収束してしまった。つまり、魔王という強大な敵の前にこの世界の人間たちは目の前のちいさな相違を忘れて結束したのだ。神はこれをうまく利用すれば、この世界を争いによる破壊から守れると考えた。そして、ルールを作ったのだ」
「ルール・・・」
「巨大な戦いが起きたときは、まず魔王と勇者を定め、そのものたちに争わせることによって勝敗を決める。こうすれば戦闘は局所的なものに終わり、神の創りし世界を極端に破壊するということもなくなる。そして、勝った勢力がこの世界で生きることを許し、敗れた勢力は異世界へと送る。同じ問題で争いが再燃することを避けるためだ」
「ちょっと待て」一本調子に語り続ける『かみのて』に、フェイ・トスカが待ったをかけた。
「さっきから聞いていると、争っているのは人間同士で、魔族が出てこない。魔王っていうのは魔族の王ってことじゃないのか」
「ちがう」『かみのて』はあっさりと否定した。「そもそも、魔族というのは種族の分類として正しくない」
「・・・?」
「おまえたちが魔族と呼んでいるものは、かつての戦いによって異世界へ送り込まれたものたちのことだ。異世界は自然に存在する魔力に歪みがあるため、もともと持っている魔力がよほど強いものでなければ、人の姿のまま長く生きることは難しい。異世界に送られた人々は数を減らしながらも、歪んだ魔力に適応しようと少しずつ姿を変えていった。それが今日おまえたちが『魔族』と呼んでいる存在だ」
「ってことは──」セトが声を上げた。「魔族も、元は僕たちみたいな人間だったってこと?」
フェイ・トスカは、セトのことを鋭くにらみつけると、「そんなバカな話があるか!」と吐き棄てた。だが、『かみのて』はセトの方へとわずかに身体の向きを動かして、「勇者の言うことが正しい」と言った。
「ただし、人間以外の動物が歪んだ魔力によって知能を得たケースもあるから、『魔族』すべてが元は人間、というわけでもない」
そう言うと、『かみのて』は身体の向きをもとに戻した。いずれにしてもわずかな動きではあったが。
「どうやら、この辺りにルールが正しく伝わらなくなった原因があるようだ。もともと『魔王』『勇者』という言葉は、最初に神が介入した戦いの故事からとったというだけで、言葉そのものには意味はなかった。神が──あるときからは神の使命を帯びた竜が選んだものを『勇者』と呼び、それに対するものを『魔王』と呼び慣わしていただけだ。だがあるときの魔王が、もともとの人間の姿とはかけ離れた存在となった自分たちの一族を『魔族』と呼び出したことで、『魔王』とは『魔族の王』の意であると思われるようになったということだな」
『かみのて』は、合点がいったとばかりに首肯した。そしてフェイ・トスカに向かって言った。
「これでわかったか?『勇者』とは『竜の加護』を受けたもののことを言う。ほかの決まりはない。神が認めた存在なのだから、人間だろうが魔族だろうが関係ないのだ。逆におまえがどれほどの戦いで名をあげていようと、『竜の加護』を受けていない以上、勇者ではない」
フェイ・トスカは『かみのて』を強烈ににらみつけていた。堅く握られた両のこぶしは怒りに震えんばかりだ。フェイは絞り出すようにして言った。
「グローングが勇者だったというなら・・・魔王は誰だったんだ?」
「勇者が『世界を正しき姿にみちびくもの』ならば、魔王は『世界を歪ませ混沌へと落とすもの』だ。それは基本的に、勇者と対立する勢力の長である。すなわち、サンクリークの王、ノヴァ八世だ」
「王が・・・ノヴァ八世が魔王だと?ふざけるな!」フェイ・トスカは激高し、大きく腕を振って『かみのて』に抗議した。「あの方は国民から名君とうたわれたお方だぞ!陛下が王になられてからグローングが現れるまで、大陸では国同士の諍いはほとんど起こらなかった──それがどうして『世界を歪ませる』などと言われるのだ!」
「わたしはこの世界のこまかい事情は知らない」『かみのて』はにべもなくそう言った。「神は些事にはこだわらない。それゆえ、勇者を選ぶ使命を竜に預けたのだ。なにが歪みであり、それを正すものが誰であるのかを見つけだすのは竜だ。そうして『竜の加護』を得たものが現れたならば、そのものと対立するものを魔王とする。それだけのことだ」
「俺のしてきたことは──まったく見当はずれだったということか・・・?」フェイ・トスカは一、二歩よろよろとあとずさった。「それでは、俺は何のために──、あの男に従ったふりをして、姫を・・・」
「父さん──」
セトは落胆の色を隠せないフェイ・トスカを見て心が痛んだが、一方でこれならフェイ・トスカと自分が戦う理由もなくなる、と思った。
だが、そう考えていられたのはわずかな間だった。『かみのて』がフェイ・トスカに言葉を続けたのだ。
「このまま戦いをやめるなら、そうなる」『かみのて』はあくまでも感情のない声で言った。「だが、おまえの願いは聞こえている。戦いをつづけるならば、神に願いを届かせることも出来るかもしれない。おまえ次第だ」
フェイ・トスカはその言葉に、うつむかせていた顔を上げた。今までとはちがう、すがるような目つきで『かみのて』を見つめる。
「どういうことだ。おれは勇者じゃないのだろう。資格がない、と言ったのはおまえだ」
「確かに言った。『いまは資格がない』とな。だが、そのための場はととのいつつある」
「『かみのて』よ、お待ちください」
「シイカ?」
やりとりを見守っていたセトの背後から、突然シイカが声をあげた。
「戦いがおこらないのなら、それが一番いいことのはずです。これ以上──」
「控えていろ」『かみのて』が、これまでになかった強い口調でシイカを一喝した。
「ルールは公平でなければならない。どちらかに肩入れするようなものはそもそも受け入れられないのだ。審判役であるおまえがそのように感情を見せれば、当然ルールも歪む。なるほど、どうやらおまえたち竜にも責任の一端があるようだ」シイカに向かって話す『かみのて』は、フェイやセトに対するときとは違い、わずかだが感情が見えるようだった。
「おまえはまだ若い。どうやら、前任の竜には問題があったようだな。この戦いが終わったら、おまえにはもう一度神の考えを教えこまなければならないだろう。だが、それは後回しだ。──さて、フェイ・トスカよ」
『かみのて』はもとのように抑揚のない声音にもどって続けた。
「おまえの願いは、世界を揺るがすほどに強いものだ。そして、『竜の加護』を得た勇者もこの場にいる。勇者の目的は、おまえを止めることだ。すなわち、おまえには魔王となる資格がある」
「俺が、魔王・・・だと?」
フェイ・トスカは、両目を見開いた。
「そうだ。おまえは魔王となり、一対一で勇者と戦う。そして、勝者の属する勢力が、この世界に残ることになる」
「俺の願いを知っているのだろう。俺にとっては、今のこの世界も異世界も同じ、何の魅力もない。それとも、神と言えども時を巻き戻すことは出来ないということか」
「神を愚弄するな」『かみのて』はそう言ったが、やはり抑揚はつかなかった。「本来、『太陽の宝珠』の力は敗者を異世界へと送りこんだ後、異世界の入り口をふさぐために使われるものだ。そのための膨大な魔力を使えば、おまえの願いを叶えることも十分に可能だ。──ただし、条件を付けさせてもらう」
「なんだ」
「時を戻した後も、おまえの記憶は残る。おまえはここで聞いた話を持ち帰り、歪んでしまったルールをもう一度正しい形に戻すのだ。そのうえで、もしおまえがグローングを自らの力で斃したいと望んでいるのなら、おまえ自身がふたたび魔王となれ。この役割を果たすと誓うならば、神はおまえの願いをかなえるだろう」
「いいだろう」フェイ・トスカは即答した。「あのときへ戻れるのなら、何だってやってやる。・・・それで?魔王ってやつにはどうやってなるんだ。俺もなにか試練を受けるのか?」
「その必要はない。おまえは十分に力を持っている」
『かみのて』はそう言うと、音を立てずにすっと後ろへさがった。フェイ・トスカはその様子を見ると『かみのて』から視線をはずし、セトへと向きなおった。
「つまり、俺がもう一度このガキを殺してみせれば、それで願いが叶うってわけだな」
そう言って、不敵な笑みを浮かべた。「長ったらしい話を聞かされてどうなることかと思ったが、結局はやることがひとつ増えただけか」
フェイが背中の剣を抜いた。反り返った刀身が、祭壇を満たす青白い光を受けて輝いた。
その身から溢れる殺気が波のようにセトへと向かう。セトは反射的に腰に差した長剣の柄に手をやったが、剣を抜くことはしなかった。
「父さん、待って」ともすれば緊張に震えてしまう身体を叱咤しながら、セトは声を張りあげた。「僕は戦いに来たんじゃない」
「今更なにを言っていやがる」フェイ・トスカはしかめっ面になった。「戦う気がないなら、敗北を認めろ。俺の前でひざまずいて頭を垂れてくびをさらせ。そうすれば痛くないように殺してやる」
実の息子に対しての容赦も躊躇もない言葉に、セトは試練の世界でともに暮らして感じた父親のあたたかさを微塵も見つけられなかった。だが、飲まれてしまうわけにはいかない。
「そうじゃない。戦う意味がないってことだよ。いま『かみのて』さんが言っていたじゃない。人間と魔族はもともと同じ生き物だったんだ」
「それがどうした?」フェイ・トスカは一蹴した。「同じ生き物どうし、手を取り合って仲良く暮らしましょう、ってか?──いかにも子供の論理だな」
「すぐにはうまくいかないことくらい、僕だってわかってる。でも、時間をかければ出来る。父さんが一緒にやってくれるなら、きっと──」
「冗談じゃない」フェイ・トスカの目つきがさらに鋭くなった。「元が同じかどうかなんて関係ない。俺には魔族は憎しみの対象なんだ。多くの人間たちにとってそうであるようにな」
「魔族にだって、いい人はいっぱいいるんだ!」セトの声が意識せずに大きくなっていく。フェイ・トスカがまるで聞く耳を持ってくれないことに対するいらだちを反映するように。「そう思っているのは僕だけじゃない。少なくとも、母さんはそうだったんだ!」
「母さん?」
フェイ・トスカからみなぎっていた殺気が、その言葉とともに一瞬、かききえた。「それは、シフォニア姫のことを言っているのか?」
「そうだよ、父さん」セトはここぞとばかりに言いつのる。「母さんは、じいちゃん──グレンデルと一緒に暮らして、そのことに気づいた。でもあのときは言えなかったんだって、僕に」
轟音が、セトの言葉を遮った。
フェイ・トスカが、抜き身の剣を石床にたたきつけたのである。床は豪快に砕け、破片がセトのそばまで飛び散った。
「おまえに姫のことがわかるものか」フェイ・トスカの声はうなるようだった。「どこでそんな話を聞いたが知らんが、でたらめだ。姫のお気持ちを理解しているのは俺だけだ。気安く母などと呼ぶな!」
「本当に母さんが言ったんだ!僕は試練の中で、母さんの魂に会ったんだよ」セトは烈火のごとく怒るフェイに、必死で訴えた。「母さんは言ってたんだ。やり直す必要なんかない、この世界を変えていけばいいって。父さんにも、そう伝えてくれって」
「でたらめを言うな!」フェイは怒鳴った。「俺は姫に誓ったんだ。あのとき──姫の首をはねるときに!」
王城の陥落とともに捕らえられたシフォニアは、玉座で自決して果てたノヴァ八世をのぞく、ほかの多数の王族とともに公開処刑にされた。
捕らえられてから処刑までの数日、ほとんどまともに食事も与えられていなかったであろう姫はやつれ、身にまとった服も薄汚れていたが、それでも王族として毅然とした態度を崩すことなく、背筋を伸ばし、自らの足で歩いて処刑場へあらわれた。みじめに逃げ出そうとして引きずられるものや、恥も外聞もなく命乞いをはじめるようなものも多数いる中で、最後まで気品を失わなかった姫の姿には魔族の間からも感嘆の声が漏れたほどだった。断頭台へうつ伏せに寝かされると、念のため手足に枷がはめられたが、おそらく枷がなくても逃げ出すようなことはなかっただろう。
王族の処刑は、すべてフェイ・トスカが直接手を下した。このときにはすでに『太陽の宝珠』の力をフェイは理解していて、表面上は魔王への忠誠を示すため、その実『太陽の宝珠』を自ら管理することが出来るように、志願して処刑役となったのだ。
フェイは、かつて忠誠を誓っていた王族たちをためらいなく処断していった。だがさすがにシフォニアの姿を目の前にすると、傍目には平静を装ってはいたものの、内心では気持ちが揺れた。姫を縛る枷をたたき壊し、転移の魔法で姫を連れて逃げ去ろうかと、本気で考えさえした。
だが、ここまでに及んでもなお堂々とした態度を崩さない姫の姿を見て思い直した。フェイ自身このときは勇者として、姫に恥じることのない矜恃を示さなければならないと思ったのだ。
フェイはシフォニアのそばに、抜き身の剣とともにたつと、「覚悟はよろしいか、姫」と周りにも聞こえる声で言った。
「はい」シフォニアは短くそう答えた後、下を向かされている首を少し動かして、フェイの方を見た。そして小さな声で、「フェイ様がご無事で、安心いたしました」と言ったのだ。
フェイは内心驚いて、少し離れて見守っている魔族たちにわからぬようにシフォニアの顔をのぞき見た。シフォニアは微笑みを浮かべていた。皮肉でも何でもなく、心からの言葉だとわかった。
フェイは怪しまれることのないよう、処刑時に決められた所作を周りからはわからないように少しだけゆっくりにして続けた。そうしながら、周りに聞こえない声でシフォニアに語りかけた。
「姫。私には秘策がございます」フェイはこれから彼女の白い首めがけて振りおろすことになる大刀の刃を姫に見せ、ついで処刑を見に詰めかけた観衆に見えるようにしながら、言った。「策が成れば、時を戻しすべてをやり直すことさえ可能です。ですが、そのために今は、この剣でもってお命を頂戴せねばなりません」
シフォニアは表情を変えなかった。「わたくしは、フェイ様を信じております」やはり周りには聞こえない小さな声でそう答えたのみだった。
「姫、私は誓います。必ずや策を成し、この地上から魔族を追い払います。そのときこそ、私は──」
言いながら、ついに大刀を振りあげると、観衆から歓声と悲鳴が同時にあがり、フェイの言葉をかき消した。魔族たちは歓声をあげ、むりやり連れてこられたものがほとんどの人間たちは悲鳴をあげている。
シフォニアの唇が動いて、なにかフェイに告げた。だが、周囲の声に消されて聞こえない。フェイは覚悟を決め、大刀を振りおろした。
「姫は、俺を信じると言ってくださったのだ」
フェイ・トスカが剣を握る手を見つめてなにを思い出したのか、セトにはわからない。それはフェイ・トスカの中にしかない記憶だ。
「俺は姫を殺した。あまたの王族とともにな。たとえ歴史が巻き戻っても、この業が消えることはない。だがそれでも──だからこそ、この策は果たされなければならない!」
フェイ・トスカは郷愁を振り払うように剣を振りあげると、切っ先をセトに向けた。
「さあ、おまえも剣を抜け」
「こんなの間違ってるよ」セトはなおも訴えた。「母さんは、僕のこともあなたのことも、愛してくれているのに──」
なにを言っても、フェイ・トスカのかたくなな目は変わらない。セトは歯がゆくて仕方がなかった。
フェイ・トスカが主として、女性として愛しているひとと、セトが母として愛しているひとは、間違いなくおなじ女性だ。であるのになぜ、ここまですれ違ってしまうのだろうか。
このまま神のルールに従って、父と子で殺し合いをしなければいけないのか。
「抜かないのなら、それでもいい。別に正々堂々と戦えなんて言われていないからな」
フェイ・トスカは剣を正眼に構え直すと、じりじりと間合いを詰めてくる。一度圧倒した相手であっても油断する気配はなかった。
「セト・・・」苦しげに、シイカが言った。「説得は無理です」
セトは唇をかんだ。フェイ・トスカはもはや自分を倒し、神の力で願いをかなえることしか頭にない。シイカの言うとおり、これ以上なにを言っても事態が変わるとは思えなかった。
じきにフェイ・トスカの間合いにはいる。フェイは言葉通り、たとえセトが戦う気を見せなくとも、容赦なく打ち込んでくるだろう。
セトの剣は抜き打ちではないので、それまでに剣を構えていなければしのぐことはできない。だが、剣を抜くと言うことは、戦う意志を見せるのと同義だ。
「父さん・・・」
セトの声に、もうフェイ・トスカは毛ほども表情を変えなかった。
セトはついに剣を抜き、フェイ・トスカ同様正眼に構えた。
「それでいい」フェイは間合いを詰める動きをいったん止めて、そう言った。「さあ、勇者と魔王の最終決戦だ」
「父さんは魔王なんかじゃない」セトは言わずにいられなかった。「勇者とか魔王とか、そんな言葉にしばられる必要はないよ、父さん!」
「黙れよ、勇者様」フェイは挑発するような笑みを見せた。「別に縛られてやしない。願いがかなえてもらえるなら、たとえ神の小道具になろうが何だっていいのさ。俺はここで勇者セトを倒し、時をさかのぼって再び魔王となり、勇者グローングを倒す。そして魔族をすべて異世界に放り込み、姫との約束を果たす。それでいい」
フェイの身体から吹き出る魔力が色を帯び、その身にまとっている暗闇色の鎧をさらに暗黒に輝かせた。そのさまは、『世界を歪ませ、混沌へと落とす』という魔王の姿そのものといえた。フェイはまがまがしく吼えた。
「さあ行くぞ、勇者!俺は、魔王フェイ・トスカだ!」