母の言葉
七
閉められたままの扉の向こうから、なにやら物音がする。
うつうつと眠っていたセトはその音で目を覚ましてまぶたを持ち上げたが、室内は目を閉じているのと変わらないくらい暗かった。夜なのだ。曇っているのか、月明かりもほとんど入ってきていないようだ。
どのくらい夜中なのかはセトにはわからなかったが、外からは鳥の声も聞こえない。もう村人は寝ている時間だろうか。扉の向こうの物音がなおさら大きく聞こえた。内容までは聞き取れないが、男女の話し声らしきものも聞こえてくる。
こんな時間に、見回りだろうか?
そう思いながら扉を注視していると、物音はやがて扉の前までやってきた。扉の隙間から灯りが漏れてきて、室内が少し明るくなる。話し声もいくらかその内容がわかるようになった。
「いいですか、一クラム(約三〇分)までですからね。あと、ばれてもフェイ殿には──」
「大丈夫、私が無理矢理頼んだって、ちゃんと伝えますから」
そんなやりとりとともに錠前が開けられ、扉がゆっくりと開いた。
魔法の灯りとともに、滑るようにして入ってきたのは、シフォニアだった。
「それじゃ、済んだら呼んでください」一緒にきたまだ年若い村人は、扉の外で待つつもりのようだ。「あと、灯りはこっちを。魔法の灯りは明るすぎて、窓から漏れる光でばれちゃいますから」
「わかりました。ありがとう」シフォニアはいかにも貴族らしい笑顔で村人に礼を言い、持っていた角灯を村人が持っていた灯油式のランプと取り替えた。村人はシフォニアがランプの光量を絞るのを確認すると、また静かに扉を閉めた。
シフォニアは扉が完全に閉められたことを確認すると、セトのそばへ身を寄せてきた。
「セト、体調はどう?気分が悪いとかはない?」
「うん、大丈夫。──母さん、どうしてこんな夜中に?」
セトが聞くと、シフォニアは少々わざとらしくふくれっ面をして見せた。
「だって、フェイが様子を見に行かせてくれなかったんだもの」そして、今度は意地の悪さを含んだ笑みを浮かべた。「だから、あの人がお酒を飲んで寝てしまってから内緒で来ることにしたの」
シフォニアは、それからこれ、とセトに持っていた包みを渡した。
「お昼しか食べていないのでしょ?おなかが空いていると思って」
油紙にくるまれていたのは、細く切った野菜や肉を先日セトが作り方を教えた薄いパンで包んだ食べ物だった。見た途端に空腹が抑えきれなくなったセトは、何も言わずに大口をあけてほおばり始めた。
「小麦粉が余っていたから、今日の夕食はそれにしたの。包んで持ってくるのも楽だし」
セトは口いっぱいに食べ物を詰め込みながら、ありがとうと礼を言った。もちろんもごもごとしか発音されなかったが、シフォニアには伝わったようだった。シフォニアはほかに薄めたぶどう酒の入った水筒も持っていて、セトがパンをのどに詰まらせる前にぶどう酒を渡してくれた。
食事が終わり、セトはようやく人心地ついた気分になった。シフォニアは食べかすしか残っていない油紙を丁寧にたたむと、水筒と一緒に脇に置き、セトの傍らに腰を下ろした。
しばらく、どちらも無言だった。
セトはシフォニアになにをどう切り出したらいいのかわからず、口を開くことができないでいたのだが、シフォニアの方はとくに何かを言いたげにしているという風ではなかった。
だが、結局先に口を開いたのはシフォニアの方だった。
「セトは、魔物を殺すのがいやなの?」
きっと、フェイ・トスカからいくらか事情を聞いたのだろう。その口調に問いただすような響きはなかったが、セトは若干憮然としながら答えた。
「魔物だから、とかじゃなくて──そのひとが悪いことをするかどうかも分からないうちから襲いかかって殺すなんて、おかしいじゃないか」
口に出しながら、セトは下を向いていた。もしシフォニアの方を見ながらこんなことを話したら、彼女でさえもその目を冷たいものに変えてしまうのを見てしまうのではないか。そう思うと顔を上げることができなかった。
シフォニアの手の片方が、セトの肩にそっとおかれた。優しい熱が、セトの強ばりをほぐすようにゆっくりと伝わってくる。
「セトは優しいのね」声の調子も、あくまで柔らかい。
セトが意を決して顔を上げると、目があったシフォニアは微笑みを浮かべてセトを見ていた。
どうやら彼女は、フェイ・トスカやほかの村人たちほどには排他的思想を持っていないようだ。セトはひとまず安堵した。
「フェイは、あなたになんて言ったの?」
「この世界のどこにも、魔物の居場所はない、って」
「そう──。それは悲しいけれど、本当のことね」
シフォニアの大きな瞳が、少しだけ悲しげに細められた。
「どうしてさ」セトは不満を隠さずに言った。この世界の人間たちがほんの少しでも、魔族を受け入れようとしてくれたならよかったのに。
「もともと、魔族はほとんどこの世界にいなかったんだもの。いないものが急に現れて、しかも強引に土地を奪い、侵略しようとしたのよ。そんなひとたちのことを、許してくれると思う?」
「それは──」
「フェイが魔王を倒したおかげで、本格的な戦争にはならずにすんだけれど、それでもあのとき、魔族が来たせいで土地を失ったり、家族を失ったりした人も大勢いたのよ。その人たちに、魔族だって悪いひとばかりじゃないって言ったところで、受け入れてもらうのは難しいでしょうね」
セトは唇をかんだ。反論したかったが、いい言葉が浮かばない。
セトが難しい顔をしているのを見て、シフォニアは少し声の調子を変えた。
「でも、お母さんはセトの言いたいことも分かるのよ。お母さんは昔、魔族に誘拐されて二年くらい、一緒に暮らしていたことがあるの。最初は怖かったけれど、何度か言葉を交わすうちに本当はお優しい方なんだとわかったわ」
それはきっと、グレンデルのことだ。セトは顔を上げた。
「その方に、魔族がもともと住んでいた世界のお話も聞いたの。とても暗くて寒いところなのだそうよ。食べ物もほとんどなくて、時間の流れも曖昧になるくらい長い間ひもじい思いを続けていたって。魔族が人間に比べて身体が強かったり、いろいろ特別な力を持っているのは、厳しい環境の中で何とか生きていけるように、自分たちの身体を変化させていったのだともおっしゃっていたわ」
グレンデルがシフォニアに語って聞かせたのであろうそのことは、セトがかつてガンファに聞いた内容よりも具体的だった。
「だけど、魔族は自分の意志で異世界からでることは出来なかったんですって。それが、魔王グローングによって自由に出ることが出来るようになった。魔族たちは一刻も早く厳しい異世界での生活から解放されたくて、競うようにして飛び出していったそうよ」
その結果、人間の世界に魔族が増え、しかも無秩序に人里をおそうことが急激に増え始めたのだという。
「私がさらわれたのは、魔王がそういった魔族たちを抑えて、統制し直すためだ、とも言っていたわ」
どうして私がさらわれることが魔族の統制につながるのかは、よく分からないけど──シフォニアはそういうと小さく舌を出した。
「私が分かったのは、その方や、もしかしたらその方に命令を下した魔王も、いたずらに人間を害しようなんて考えてはいなかったということ。魔族は異世界から抜け出したかっただけで、人間と戦うことすらあの人たちは望んでいなかったのでは──そんな風に考えることさえあったわ」
その通りだ。セトは心の中でうなずいた。セトは魔王のことは知らないが、グレンデルのことならよく知っている。セトにとっては育ての父、というより祖父といった方がいいかもしれないが、いずれにしてもあの老人が争いを望んだりするはずはない。
「でもね、セト。お母さんはお城に戻った後も、その考えを誰にも伝えなかったの」
「!──どうして?」
「私がフェイに助けられて国に帰ったとき、国民は熱狂的に迎えてくれたわ。そしてフェイは勇者と呼ばれるようになった。もしあのとき、私が魔族にもいいひとはいます、なんて言ったら──どんなことになるのか想像もつかなかった。ただ、よくないことになるという以外には。あのとき国民の意思はすべて魔王打倒で統一されていて、私にはそれを壊すことができなかったの」
シフォニアはひざを立てて座り、そのひざに腕を回す格好をしている。今はセトの方を向いていないが、セトにはその口振りはそうしなかったことを後悔しているようにも感じられた。
「もしあのとき、私がフェイや父さま──サンクリークの国王に私の考えを伝えることが出来ていたら、何かが変わっていたかもしれない。でも、なにも変わらなかったかもしれないし、もっとひどい結果になったかもしれない。結局わたしは勇気がなくて、言われたとおり部屋に閉じこもって──ただ、あの人が無事で帰ってくることを祈ることしかできなかった」
シフォニアの独り語りは、いつしか懺悔のようになっていた。ひざに回された手が小さくふるえていることに、セトは気づいた。
セトはほんの少し迷い、それからゆっくりと手を伸ばして、母の小さな手に触れた。シフォニアは顔を上げ、セトを見た。ふるえが止まった。
「私は、セトに勇気のある子でいてほしいの。あなたは勇者の子なんだもの」シフォニアはそう言うと、触れられていたセトの手を両手で包むようにした。
「セトの言っていること、間違っていないと思うわ。人間にだって中には悪いことをするひとがいる。それと同じで、魔族にだって心の優しい人はいる。私は実際に、何人か知っていたのだから。でも、ここで生きていくには、その考え方は邪魔にしかならない。村人たちにとって、魔物は日照りや水害と同じ──害でしかないのよ」
それは、当の村人たちから直接言われるよりも重い否定だった。シフォニアはセトの言いたいことを理解した上で、村人たちの意識を変えることは出来ないと言っているのだ。
「ねえ、セト。セトには本当は、行きたいところがあるんでしょう?」
「えっ!」
シフォニアに突然そう言われて、セトは狼狽した。その様子を見て、シフォニアはくすくすと笑う。
「あまりお母さんを甘くみないの。とくにここ数日は、ずっと悩んでいたみたいじゃない」
まさか気づかれているとは思っていなかったセトは、びっくりすると同時になんだか恥ずかしくなって、思わず赤面してしまった。
「セトはどこへ行って、なにをしたいの?」
「僕は──」セトは少し考えてから答えた。「会いたいひとたちがいるんだ。それに・・・この世界は間違っているところがあるって、教えてあげたいひともいる」
その答えは、シフォニアからすれば曖昧でよく意味が分からないものに聞こえるかもしれないとセトは思ったが、シフォニアはそれ以上追求しなかった。
「あなたが村に残ると言ってくれたとき、お母さんとってもうれしかったわ。あなたがこの村にずっといてくれて、いつかお嫁さんをもらって、私はおばあちゃんになってあなたの孫を抱く──それはとても素敵な想像だけれど、でもそのために、あなたに窮屈な思いをさせたくないの。だから、勇気を持って言うわ」そう言うと、シフォニアはセトの手を握る力を強くした。
「セト。あなたはこの村を出なさい。もう私やお父さんの庇護から抜け出して──大人になるときがきたのよ」
まっすぐな視線が、セトを見据えている。
「成人にはまだ少し先だけれど、お母さんが認めてあげる。セトはもう、立派な大人よ」
「母さん・・・ありがとう」
決心がついた。
セトは自分の手を包んでいるシフォニアの暖かい両手をそっとほどくと、立ち上がった。
最後の心残りだった母と話し、その心を知ることが出来て、そして自分の意志も固まった。思い残すことはなにもない。
「試練」と言われて送り込まれたこの世界は、セトが知らない暖かな幻影でセトを絡めとろうとする世界だった。一時はそのまぼろしに心を沈めてしまおうと思ったこともあったが、最後は誘惑に勝つことが出来た。
だけど不思議なのは・・・もっとも強い誘惑であるはずの母が、最後は自分の決意を助けるようにしてくれたことだ。
その母は、狭い監禁房の中で突然立ち上がったセトに戸惑うこともなく、ただ静かにこちらを見上げている。
その目を見て、また決意が揺らぐことのないうちに──。セトは教えられた言葉をつぶやいた。
その言葉はセトからすれば何の意味も持たない単語の羅列でしかない。
だが口にするごとに、まるで音に重さがあるように一音一音を発するのに力がいるようになった。
やっとのことで言葉をすべて口に出すと、言葉に込められた魔法はすぐに効力を発揮し始める。
はじめは、セトの視界のほんの端から。はめ込まれたパズルのピースがはずれるように、部屋の一角がこぼれ落ちる。一つのピースがはずれると、あとは猛烈な勢いで、部屋全体に縦横の線が入り、最初にはずれた場所から伝染して部屋が崩れた。
崩れたピースは落ちるのではなく浮かび上がって、上空へと巻き上げられていく。壁も天井も、セトが立っていた床もあっという間に視界から消え去る。
崩れるのは当然部屋だけではない。その外に広がる山も森も、夜の空にさえ縦横の線で区切りが入り、巻き上げられて消えていった。
そして最後に残るのは、暗闇ばかり。
試練に入る前、フェイ・トスカに胸を貫かれたセトが目を覚ましたのと同じ暗闇──。
そう思ったが、足下に何か気配を感じて、セトは視線を落とした。
「母さん──どうして?」
そこにはまだ、シフォニアが座っていた。
セトのつぶやいた言葉で、まぼろしの世界は消え去った。それなのに、なぜ彼女は消えていないのか。
セトは屈みこみ、シフォニアの姿を見直した。なんだか彼女の身体全体がうすく発光しているように見える。そのせいか、暗いところでは黒に見える彼女の長い髪も、今は陽に透かしたときのように明るい翠色をしている。
よく見れば、顔立ちも少し──大人びた雰囲気が薄れ、もとより大きな瞳がより強調されて、いくらか子供っぽさも感じさせる。まるで、十年以上若返ったかのように──。
「ずっと見ていたのよ、セト」シフォニアはそう言って右手を伸ばし、セトの頬に触れた。「やっぱり、心配だったから。でも、グレンデルはとても大切にあなたを育ててくれた。あの方に預けたのは、間違っていなかった」
「どうして・・・?」セトは繰り返した。
「魂だけの存在だから、見ているだけでなにもできなかったけれど。あの世界が、私に少しだけ力を分けてくれたのね。おかげでこうして、あなたに触れることが出来る・・・」シフォニアの手が、セトの頬を愛しそうに撫でた。「ああ、でも。もう終わりみたい」
シフォニアの身体の光が強くなった。シフォニアは頬を撫でていた手を首の後ろに回し、セトを抱き寄せた。
「ねえ、セト。あの人に伝えて。やり直す必要なんかないって。あなたが守るべきひとは、この世界にもまだ生きていて、新しく生まれてもいるのよって。なかったことにするのではなくて・・・この世界を変えていけばいいの。セトと一緒に」
「母さん・・・本当に、母さんなの?」
「まぼろしだったけれど、あなたに母さんと呼ばれて、あなたの世話が出来て幸せだった。それに、あの人と夫婦として暮らせたことも。私はもう満足よ」
シフォニアの光はますます強くなり、その身体が徐々に重さを失う。足先が浮いていることに気づいて、セトはあわててシフォニアの背中に腕を回すと、めいっぱい引き寄せた。
だが、それも無駄な努力だった。シフォニアの身体は光に包まれてほとんど見えなくなり、背中に回しているはずの腕からも重さを感じなくなる。そして、光は緩やかに上昇を始めた。
シフォニアはセトから身体がはなれる直前、顔を近づけてセトの額にキスをした。
「そんな顔をしないで。元に戻るだけだから──お母さんはこれからも、あなたのことを見守っているわ」
「母さん、待って──母さん!」
セトは叫び、必死で腕をのばして光が離れるのを押しとどめようとしたが、もはやどうにもならなかった。光は腕をすり抜け、緩やかに、しかし確実にセトから離れていく。
光はついにシフォニアの顔も覆い隠した。完全な光の珠となったシフォニアは、もうセトが手を伸ばしても届かないところまで浮かび上がった。
(行ってらっしゃい、セト。元気でね)
最後の言葉は、頭の奥に直接響いた。
それが合図になったかのように、光は急速に弱くなり、最後は暗闇に吸い込まれるようにして消えたのだった。
「母さん・・・」
セトは力なくひざをついた。
あの母もまた、親を知らないセトを誘惑するために生み出されたまぼろしだと思っていた。だが、そうではなかった。
あれは本当に、母だったのだ。
死んで魂だけの存在になってまで、セトを見守ってくれていたのだ。
あのまぼろしの世界の中で、どうして顔さえ知らなかった母を簡単に受け入れ、ああまでも離れ難く思うことになったのか、セトはようやく理解した。
だが、理解したときは、同時に別れのときでもあったのだった。
「セト。よく試練を乗り越えましたね」
セトの背後から、感情の乗っていない透明な声が聞こえた。
セトがゆるゆると振り向くと、銀色の髪の少女──シイカが立っていた。もともとあまり感情を表に出すタイプではないが、今はいつも以上に無表情を装っている。
「あの世界は、そのものにとってもっとも欠けているものを教え、補うための世界です。受ける人によって世界は変わり、厳しい戦場であったり、なにもない無人島であったり──。あなたの場合は、両親からの愛情や、満たされた生活。心の奥底でずっと渇望していたことが満たされてもなお、困難に立ち向かう信念を捨てずにいられるか。そういったことを試されていたのです」
シイカは淡々とセトの「試練」がなんだったのかを解説したが、セトが知りたいのはそんなことではなかった。
「母さんは、どうして──?」
「あの世界を作り出すため、セトの身の回りのものにまつわっていた思念やオーラの残滓を利用しました。たとえばフェイ・トスカは、あなたの身につけていた剣に残された思念を元に構成されました。シフォニア姫も同様に構成されるはずでしたが──あなたが身につけていた竜の首飾りには、姫の思念だけではなく、魂そのもののかけらが宿っていたので、あのようにただのまぼろしとは違う存在になったのでしょう」
「首飾りに・・・」
セトはつぶやいて自分の胸に視線を落としたが、いつも身につけていた首飾りの感触は今はなかった。
「さて、あなたにこれから『竜の加護』を与えます」シイカは厳かに宣言したが、セトにはまだ納得のいかないことがあった。
「どうして、シイカがそんなことをするの?」セトはそのあたりの事情を全く聞かされていない。おまけに先ほどから(実はこの暗闇の世界に来てからずっとそうなのだが)シイカはセトにたいして全く他人行儀に話すので、セトは気に入らなかった。「それとも、あなたはシイカの格好をした別のひと?」
「私はシイカよ、セト」シイカは少しだけ口調を変えて、穏やかな微笑みを浮かべて首を傾げて見せた。セトが見慣れたシイカの仕草だった。
「でも、私はほんとうはあなたと同じ人間ではないの・・・」
シイカは自分が本当は何者であるかについて、手短に語って聞かせた。
「ここは精神の世界だから、あなたを混乱させないためにまだこの姿をとっていられるけれど、あなたが目を覚ました後はそうはいかないでしょう。これまでのように親しくは思えないでしょうから、今のうちに覚悟をしておいてください」
シイカはそう言うと目を伏せたが、セトはすぐに言い返した。
「大丈夫だよ、シイカ。本当の姿がどんなだって、シイカはシイカ。同じだよ」
「でも──」
「目が覚めて、シイカを見ても驚かないって自信があるよ」
セトがあまりにも自信満々に胸を張って見せたので、シイカはおかしくなってしまい、口に手を当てて少し笑った。
「もう・・・セトに怖がられてもショックを受けないようにって、予防線を張っていたのに──」
「だから、大丈夫だって」
二人で顔を見合わせてしばらく笑いあった後、シイカは呼吸を落ち着けて、もう一度表情を引き締めた。
「こんどこそ、あなたに『竜の加護』を与えます。この力は世界を混沌に落とそうとする存在と戦うために与えられる力。最大のものは、一度に限ってはどんな激しい負傷、たとえ即死に至るものでも防ぎ、あるいは治癒するというものです。ですが、今回、あなたの肉体はすでにこの力を消費しなければ回復しえない損傷を受けています。この力はあなたが『竜の加護』を得ると同時に使用され、失われます」
セトはうなずいた。
「まず、今は接触を断っているあなたの肉体と精神をもう一度つなぎます。あなたの精神は今は時間の流れから切り離されていますが、これによって再び時間も流れ始めます。ただし、今あなたの肉体は活動を停止していますので、あなたは意識を失うことになります。その後は一晩かけて、肉体の損傷を修復し、さらに精神の成長にあわせて肉体を成長させます」
「僕は寝てるだけ?」
「そうよ。もう試練は終わったもの。それに、ふつうの眠りとは少し違うから、眠ったと思ったら目が覚めるような感じだと思うわ」
シイカはそう言うとセトを招き寄せ、足下に寝かせた。
「ほかに質問は?」セトの傍らに屈みこみながら、シイカが聞いた。
「質問はないけど、言いたいことはあるよ」
「なに?」
「シイカ・・・僕にうそをついたね。『試練』のこと」
そう言われて、シイカは目を伏せた。
最初にセトに説明した「試練」は、これから行く世界にひとつだけあるまぼろしのものを探せ、というものだった。
だが実際には、世界そのもの、すべてがまぼろしだった。試練の本質はそこにはなく、まぼろしの誘惑を打ち破ることが出来るかどうかが試されていたのだ。
「それは、そのうそに気づくかどうかも、試練の一部だったからよ。あの世界のすべてがまぼろしだということも──」
「そういう意味じゃないよ」セトは笑っていた。
「?」
「世界の中に、ひとつだけまぼろしがあったんじゃなくて──」
まぼろしの中に、ひとつだけ真実が混ざっていたんだ。
そのおかげで、僕はまぼろしの世界の中で、本物の愛情を知ることが出来たんだよ。
今まで顔も知ることが出来なかったお母さん。これからは簡単にその顔を思い出せる。
もう会うことは出来ないけれど、淋しいなんて思わない。
目が覚めたらまた戦いに行かなくちゃならないけれど、それは新しく知ることが出来たお母さんの願いを叶えるためでもあるから──、
だから、行ってきます。母さん。
この章は予定の倍くらいの分量になってしまいました。
文字数もばらばらで、構成の未熟さが出てしまっていますね。読みづらくてすみません。
頭の中の物語を書き写すだけなのに、小説を書くのは難しいです。
自分の書きたいことがちゃんと伝わっているのか、不安になります・・・。
読んでくださっている方には、心から御礼申し上げます。
ご意見、ご感想などありましたら、ぜひお聞かせください。