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対決

    五


「じきに到着いたします」

 客車の外から、御者の声が聞こえて、セトはゆっくりと目を開いた。獣車で揺られているうち、眠ってしまっていたようだ。

 先に眠っていたはずのユーフーリンはすでに起きており、客車の窓から外を見ていた。出発したとき嵌められていた板は外されている。町の外に出て、セトのことをみられる心配がなくなったためだろう。閉めきっていたときは少し蒸し暑かったが、今は窓から風が入ってくるので心地よい。

 座ったまま眠っていたので身体が固まってしまっている。セトが少しでもほぐそうと身をよじると、胸元で鎖がちりりと音を立てた。

 セトはユーフーリンが窓の外に気を取られているのを確認すると、身につけたシャツの一番上のボタンを外し、首飾りを取り出した。グレンデルから母の形見として手渡されたそれは、受け取って以来本当に片時もはなさず身につけていたので、今では剣以上にその身になじみ、身体の一部という感じさえする。

 ただ、できる限り他人に見せないようにと言われていたので、こうして手にとって眺めることもこれまであまりしないようにしていた。

 だが、これから向かう先で自分は命を落とすかもしれない。そう考えたら、無性に手にとって見たくなったのだ。

 細部まで丁寧に彫り込まれた銀細工の竜は、ずっとセトの胸のなかにあったにも関わらず、こうして手にとって見るとわずかばかり冷たく感じられた。台座にはめ込まれた深緑の宝石が、客車の天井から差し込む光を受けてきらりと光った。

 首飾りを手にしていると、これをセトに渡し、首につけてくれたグレンデルと、自分をグレンデルに預けるときいっしょにこの首飾りを置いていった顔も知らぬ母がことが頭に浮かぶ。

「シフォニア・・・お母さん」

 グレンデルに一度だけ聞いた、母の名前をそっと口に出してみる。口になじまないその名前は、セトにちょっとの気恥ずかしさと、それでも甘酸っぱい暖かさを同時に与えた。

 母がどんな人物だったのかは知らない。だが、彼女もまた、セトに生きていてほしいと願っていたひとりであるという事は知っている。

 きっとグレンデルと同じように、優しくて暖かい母であったに違いない。でも暖かいという意味でいったら、じいちゃんよりもガンファの方がお母さんらしいかな。

 セトは口の中で笑った。肩の強ばりがとけ、身体の力が適度に抜けていった。

 セトが首飾りを元に戻し、シャツのボタンを元通りに留め終えると、獣車が止まった。やがて客車の扉が開かれ、まずユーフーリン、ついでセトが降ろされた。

 アニスの丘は、見晴らしのよい場所であった。斜面は緩やかで一面草原になっており、裾野には森が広がっている。丘の頂上には即席の陣が張られており、ユーフーリンとセトはその中でフェイ・トスカを待つことになった。

「今日、フェイ・トスカと狩りをするというのは建前だが、実際、ここは私が狩りに出向くときはよく拠点に使うのだ。丘の下の森には鳥やら獣やらがたくさんいるからな。私は魔法だけでなく、弓矢の腕前もたいしたものだぞ」ユーフーリンはいすに腰掛けたまま弓を引き矢を放つ仕草をしてみせた。その姿を見て思い出したかのように、セトが言った。

「弓矢なら、マーチもうまいですよ」

「ふむ」

「本人は、森で生きるには必要だから覚えただけで、別に好きでも得意でもない、って言ってましたけど。でも、僕は何度も助けて貰いました」実際、初めて出会ったときなど、彼女の矢が今まさに襲いかからんとする子鬼を射抜いていなければ、セトは毒など関係なくその場で首を掻き切られて死んでいただろう。

「恩義があるのだな」

「はい。ですから、あの・・・ありがとうございます、ユーフーリン様」セトはユーフーリンに向かって頭を下げた。

「ふむ?」

「僕を納屋に閉じこめたりせず、ここへ連れてきてくださって。シイカは僕にとっては妹だから、大事なのは当たり前だけど、マーチは命の恩人なんです。それも一度じゃない。僕が眠らされて連れていかれそうになったときも助けにきてくれました。マーチは、里には家族も友人も、婚約者だっていたんです。それなのに、それを全部捨てて、僕を助けにきてくれた。それだけのことをしてくれた人を見捨てることなんて、絶対にできなかった」顔を上げたセトは、決意に満ちあふれた表情をしていた。数日前、リタルドの死に打ちのめされて、生きていていいのかと弱音を吐いた少年の面影はどこにもない。

「彼女を救うために、僕も命を懸けます」

「懸けるのはいいが、捨てるのはなしだよ、セト君。そこまでして君を助けようとしたのなら、君の言っていたとおり、自分の命が助かっても君がそうでなかったら、彼女はとても悲しむだろうからね」

「はい」

 セトの返事を聞いたユーフーリンはうなずき、立ち上がった。その姿が歪み、すらりとした長身の中年男性の姿になった。帽子に手袋、腰帯には儀礼用の細剣を吊り下げた正装姿である。

「外が騒がしくなってきた。どうやらお客様のお着きのようだ」待っていれば誰かが呼びに来るだろうが、こちらの準備は整っている。セトも立ち上がり、腰帯に差した剣の具合を確かめる。

「これからの数刻で、君の未来が決まる。さあ行くぞ、準備はいいかい?」

「はい!」

 セトは元気よく応え、ユーフーリンの後に続いて陣を仕切る幕をくぐった。


 よく晴れた空高くに太陽がある。

 五の月も半ばにさしかかり、春を満喫した草木たちの中でも気の早いものたちは花を落とし、夏の準備に忙しい。石に囲まれた室内にいると季節の移り変わりはわかりづらいが、こうして草原に立てば、草の香りは一段と濃くなっているのがわかった。

 いつもなら、こんな日は仕事は忘れてひなたぼっこでも、とのたまってただでさえしわくちゃな顔の老執事に渋面を作らせては喜ぶユーフーリンも、今日ばかりは張りつめた表情を崩さない。

 今日、ひとりの少年の未来が決まるのだから。

 だが、そのことがすなわちこの世界の未来の行く末にもつながっていることを知っているのは、いまここに集ったものたちのなかでもひと握りに過ぎなかった。


「遠いところをよくお越しくださいました、将軍殿」

 優雅に貴族式の挨拶をするユーフーリンの目線の先に、フェイ・トスカがいる。

 長年その存在を気にすることすらせずに過ごしてきたセトは、ユーフーリンの三歩後ろに立って複雑な思いでその姿を見つめていた。

(あれが、お父さん)

 そう思いながら見てみても、ちっとも現実感がわかない。

 フェイ・トスカが何歳の時に自分が生まれたのかセトは知らなかったが、来年一五になる自分の父親ならふつうに考えて三〇の半ばといったところであろう、それならばそろそろ中年といわれる年代である。だが、精悍な立ち姿のフェイ・トスカはまだまだ若さに溢れており、あまり年相応には見えない。そのこともセトに抱く印象に影響しているのかもしれなかった。

 公式の席ではないとはいえ、そうした場の正装に近い格好のユーフーリンに対して、フェイ・トスカはいつものように暗闇色の重鎧をまとい、背中に剣を担いでいる。だが、さすがに配下の魔族を近くにたたせることはせず、ひとりである。斜面を下りた先に、フェイが乗ってきた獣車ともう一台獣車があり、数名の魔族が控えているのが見えた。

 フェイ・トスカはユーフーリンに型どおりの礼を返すと、視線を動かした。先ほどから彼のことを凝視していたセトと目が合う。

 セトはあわててフェイ・トスカから目をそらしたが、フェイの方はセトから目線を外さなかった。

「それが、子鹿ですか」とくに感慨もなく、ただ確認する口調だった。

「そうです。若々しく、生命力に溢れている」ユーフーリンはセトを呼び寄せて横に並ばせると、その背中をたたきながら言った。「どうです、まるであなたのようだ」

 軽い揺さぶりにも、フェイ・トスカは少しも動揺する気配がない。

「では、こちらも小鳥をお見せしましょう」

 フェイがそう言って背後へ合図をすると、獣車のそばで控えていた魔族──実際には魔族ではなく人間のシェンドがうなずいた。二台の獣車のうち、より豪奢な一台はフェイが乗ってきたものであろう。質素だが堅牢な造りのもう一台にフェイの配下の魔族が近づき、その扉を開けた。ややあって、ふたりの人物が降りてくる。セトの場所からすると遠いので、はっきりと確認することはできないが、そのふたりが誰であるのかはすぐにわかった。

「シイカ!マーチ!」セトは叫ばずにはいられなかった。

 ふたりは魔族に先導されてこちらへ向かってくる。時折よろめきそうになるのを見てセトは心配したが、どうやらそれはふたりとも後ろ手に縛られているからのようだった。

 やがてフェイ・トスカからもセトたちからも、十ログ(約七メートル)ほど離れたところで先導の魔族は足を止め、マーチとシイカもそれに従わされた。先ほどから一声も発しないのでよく見れば、縛られているだけでなく猿ぐつわまでかまされている。これにはユーフーリンが眉をひそめた。

「せっかくの美しい小鳥にそんなことをしては、鳴き声が聞けないではないですか」

「ご自身のお屋敷に連れ帰ってから、思う存分お聞きください」ユーフーリンが魔族のなかでもそれなりに地位が高い存在だからか、フェイ・トスカも丁寧な物腰で接している。

「では、交換していただけますか」フェイ・トスカのその言葉を聞いてセトの肩に力が入ったが、ユーフーリンがその肩に優しく手を置いた。

「その前に」ユーフーリンの目つきが、周りにはそれとわからないほどに、わずかに厳しさを増した。「なぜ、それほどまでにしてあなたがこの子鹿をほしがるのか、聞かせてはいただけませんか?」

 フェイは注意深く見なければわからないほどに少しだけ、顔をしかめた。

「耳の聡いあなたが、知らぬはずはありますまい。その子鹿は魔王様のお探しものだ。私は命に従って、長い時をかけてそれを探していたのです」

「そればかりでは、ありますまい」ユーフーリンは、慎重にカードを切った。フェイ・トスカの真意を知るために。「現に私が聞いたところでは、魔王様はもはや子鹿に興味を失われたとか」

 フェイ・トスカから書面が届いてから今日までの間に、ユーフーリンは情報網をフルに使って自らの立てた推理の裏をとっていた。その結果、自らの推理にほぼ間違いがなかったことを確かめていたのである。

 だが、フェイ・トスカは意外そうに目を見開いたものの、とくに動揺する気配は見せなかった。

「・・・本当に、お聡い耳をお持ちだ」そう言って口の端をつり上げる。笑っているのに、その身から言い表せぬ圧迫を感じて、セトの身がすくんだ。

「ならば、この宝珠のこともご存じですかな」フェイ・トスカは腰袋を探ると、暗く沈んだ輝きを放つ宝珠を取り出した。その中に蓄えられた強大な魔力を感じて、ユーフーリンの顔が自然とゆがむ。

「『太陽の宝珠』・・・その力を使えば、天界へ昇り、神とまみえることができるといわれる伝説の宝珠」

「ご名答、さすがだ。だが、その伝説の細部までは知らぬでしょう。私は人間の代表として古文書の解読に参加したので、この件に関してはあなたよりも知識がある。幾らか教えて差し上げよう。まず、宝珠には最初から天界へと昇る力があるわけではない。宝珠に力をためるには、人か魔族、いずれか一方の高貴なる血筋──人間でいえば王族の血液が必要になる。それもひとり残らず、死に際の血を集めなければいけない。その血を宝珠に吸わせることによって、初めて宝珠は力を発揮することができる」フェイ・トスカの表情は最初にユーフーリンと向き合ったときのような取り繕った微笑みがすっかり消え、陶酔しているかのような深い笑みに変わっていきつつあった。

「力を蓄えた宝珠を祭壇に掲げ、月の光を浴びせることで、天界への道が開かれる。──ここで、重要なことがある」自分の言葉に酔うようにして話していたフェイ・トスカは一度言葉を切り、ユーフーリンを見た。

「重要なこと?」ユーフーリンが聞くと、フェイ・トスカはしたり顔でうなずいた。

「天界への道を昇れるのは──魔王か、勇者のみ」

「魔王か、勇者」ユーフーリンの傍らでセトはいまひとつよくわからないといった表情を浮かべていたが、ユーフーリンはそれでフェイ・トスカの真意を悟ったようだった。

「つまり、天界へ昇る資格を持つものは、いまこの世にふたりいる。魔王グローングか、勇者フェイ・トスカ──この俺だ」

「ふむ、なるほどな。魔王様のために集めたと見せかけて、いざ用意が整えば己のためにその力を使うという算段だったわけか」

 ユーフーリンの言葉に、フェイ・トスカは愉快そうに笑ってうなずいて見せた。

「戦争が終わったのに勇者と魔王がどっちも生きているなんて、さすがの神様も考えていなかったというわけだ。気まぐれな魔王が自分で蒔いた種だよ」

「神に願って、魔族を異世界へ追い払うのか」

「それじゃ意味がない。魔族を倒すのは人間だ」それは意外な否定だった。

「それならば、神になにを願う?」

「リセットだ」

 フェイ・トスカの答えは、知識が深く頭の回転が速いユーフーリンからしてもすぐには理解できないものであった。

「俺はかつて魔王に戦いを挑み、敗れた。だがそれは、俺の力が魔王に劣っていたからじゃない。魔王はインチキをしていたんだ。どんな決定的な敗北をも、一度に限ってはすべてご破算にする特別な加護を得ていたことを、俺は後になって知った。それさえなければあの時、破邪の剣をグローングの胸に突き立てたあの時で全ては終わっていたんだ」

 フェイ・トスカはいつしかその身の内に溜め込んだ感情を隠そうともしなくなっていた。激しい怒り、さもなくば憎しみか。セトは額に浮かんだ汗を拭った。炎のように渦巻く激情にさらされて、お尻のあたりに力を入れていなければ自然と後退ってしまいそうだった。

「だが、手品の種を知っていれば問題はない。一度殺してだめならば、二度殺せばいいのだからな。俺は神に願い、時間を巻き戻す。この記憶だけを留めて、魔王との決戦をもう一度やり直すのさ」

「そんなことが──」できるのか、と問いかけて、ユーフーリンは言葉を止めた。神はこの世界の創造主であり、破壊神にもなりうると言われている。創ることも壊すこともできるのだから、元に戻すことだってできるのだろう。

「だから、セト、といったか。俺の息子よ」突然フェイ・トスカから目線をあわせられて、セトはぎくりとした。

「安心して俺に斬られろ。時が戻り、魔王を倒したならば、産まれてくる子供にもう一度その名を付けてやる。おまえの人生もやり直しになるだけだ。異形の怪物に囲まれて貧しい暮らしをするのではなく、今度こそ王の一族として宮廷での暮らしを送ることができる」

 父親から初めて息子へ向かって投げかけられた言葉は、しかしセトには何の感動も得られないものであった。

「僕は」セトは、声が震えてしまわないように精一杯気を張って、フェイ・トスカに向かって声を上げた。「あなたの言っていることはよくわからない。だけど、僕は今の生活が貧しいなんて思わない。宮廷で暮らしたいなんて考えない。僕が今考えているのは、ガンファや、シイカや、マーチと一緒にこれからも生きていくことだけだ!」力一杯、そう言い切った。

 だが、そんなセトの決意もフェイ・トスカからすればなんの意味もないかのようであった。

「そうかい」フェイはセトに目線を合わせたまま、右手を背中に担いだ剣の柄へと動かした。「どうでもいいさ。もう一度生まれたときには忘れてるんだからな」そう言うと、剣を抜き放った。まだ頂点を過ぎてはいない太陽の光を反射して、反り返った刀身が鈍い輝きを放つ。

 セトも剣を抜いた。両刃の直刀がフェイ・トスカのそれと同じように光を受けてひらめいた。

「抵抗する気か。だが、構えを見るだけでもまだまだ三流だな。俺相手にどうにかできると思うのか」せせら笑うかのようなフェイの言葉に、ユーフーリンが反論した。

「あまり甘くみない方がいい。何しろあなたの息子だ」ユーフーリンはそう言いながら自身の姿をゆがませ、筋骨隆々の大男になってみせた。両手に手斧を持っている。「それに、あなたの計画を聞いた以上、私もなにもしないわけにはいかない」

「好きにしろ、サルマネ野郎が」

「それは私に対する最高級の侮蔑の言葉だ。では、好きにさせてもらおう!」ユーフーリンは吼えると、手斧を交差した構えでフェイ・トスカに向かって突進した。

 フェイはその動きを悠然と待ちかまえる──だが、そのとき別のところでも動きがあった。

 フェイの左手後方およそ二〇ログ(約一四メートル)──後ろ手に縛られたままのマーチとシイカのいる近く──の地点の土が突如盛り上がり、中から猛烈な勢いで飛び出してきたものがあった。

 飛び出したのはガンファだった。彼はあらかじめこの場所に潜んで息を殺し、奇襲のタイミングを探っていたのである。

 驚異的な身体能力を持つガンファは、ひと飛びで一〇ログほどの距離を詰め、フェイ・トスカと自身のちょうど中間ほどの位置にいたマーチ、シイカのところまでたどり着いた。そして、彼女たちをそこへ先導し、そのまま見張っていた魔族を目一杯殴りとばした。魔族は事態を把握する暇もなく吹き飛び、絶命した。

「走って!」マーチとシイカも驚いて目を丸くしていたが、説明してやる余裕はない。ガンファは叫ぶようにそう言うと、フェイ・トスカへと向かっていった。

 フェイ・トスカはすでにユーフーリンと斬り結んでいた。二本の手斧を軽々振り回すユーフーリンに対し、フェイは防戦に徹している。端から見ればユーフーリンが圧倒しているかにも見えるが、実際には派手に斧をふるうユーフーリンに対してフェイは最小限の動きで受け流しており、フェイの技量が上回っていることがわかる。

 しかし、そこへガンファが突っ込んでくると、さすがにフェイの表情から余裕が消えた。その巨体は武器を必要とせず、身体全体が凶器となる。

「ちっ」フェイは舌打ちすると、ガンファの拳をかわして一歩退いた。囲まれるのは危険すぎる。

 セトは乱戦には加わらず、三人から少し離れて戦局をうかがっていた。ユーフーリンから言われていたのは、「勝機を待て」ということ。ガンファとユーフーリンが隙をつくるのを辛抱強く待ち、それを逃さないことだった。

 丘を下りたところにはフェイ・トスカの配下が数人控えているが、加勢に向かってくる気配はなかった。半端な力量では無理に乱戦に加わっても足手まといになるからだろうか。さらに風向きも丘の上から下に向かって吹き下ろすようになっており、弓矢での援護も出来ないだろう。ここまではユーフーリンの戦略通りといえた。

 ガンファが拳を振り下ろすと、フェイは落ち着いた動作でそれをかわすが、そこへすかさずユーフーリンが迫る。ガンファの巨体を隠れ蓑にして、フェイの死角をついて手斧をふるうが、フェイは的確にその動作を読んで攻撃をしのいでいく。だが、フェイはなかなか攻撃に転じることが出来ない。二対一のうえ、相手はともに強力な魔族だ。長期戦はフェイにとって好ましくなかった。

 またガンファが向かってくる。フェイは強引な手段にでた。魔法の力で筋力を瞬間的に増強すると、剣の腹でガンファの拳を受け止めたのだ。まさか受け止められるとは思っていなかったガンファは動きを止めてしまった。

 そこへ、背後からユーフーリンが迫る。だが、ガンファとの連携がとれていない分、フェイは余裕を持ってその攻撃をかわした。そして、魔法の力が残っている脚で強力な蹴りをユーフーリンに見舞った。

 ユーフーリンが吹き飛び、ガンファと一対一になる。とはいえ、フェイのねらいはそもそもガンファではない。間合いをあけたら目標であるセトに向かっていかれると考えたガンファは、フェイ・トスカに肉薄し続けた。だが、身体能力に頼った動きしかできないガンファではフェイを抑え続けることは難しい。フェイにあしらわれ、背中を向けてしまったガンファはその背を撫で斬りにされた。

「ぐぅっ・・・!」致命傷というほど深い傷ではないものの、十分な動きを取ることは難しくなる。背中から伝わる痛みと、不覚をとった悔しさでガンファはうめいた。

「このおぉっ!」そこへ、幼さを残す声が響いた。セトが突っ込んできたのだ。

 セトは身を沈め、最短距離でフェイへと迫る。しかしそのタイミングは絶妙とは言い難かった。背後からではあったが、フェイは十分その動きに対応することが出来た。

 何の工夫もない突進に、フェイも難しいことをする必要はなにもなかった。振り向きざまに片手で剣を振りあげる、それだけでよかった。

 反り返った剣の刃が、正しくセトの首をとらえる。

 そして、剣が振り抜かれ、セトの首が高く宙を舞った。

 あまりのあっけなさに、フェイが息を吐こうとした──その瞬間。

「残念、ハズレだ!」セトの声で、首が叫んだ。

 フェイの目前で力を失って倒れようとしていたセトの身体と、宙を舞うその首が、突如歪む。

 斬られたのは、セトの姿をしたユーフーリンだった。首を切られても全くダメージはないらしく、胴体は牛に、首からうえは鳥へと姿を変えて、それぞれでたらめにフェイから離れていく。

 フェイの背筋を悪寒が走った。それはフェイがこの日初めて見せた隙だった。

 剣を構え直そうとしたが、ガンファがそれを許さなかった。一気に肉薄し剣を脇で挟み込んでしまう。フェイの動きが止まった。

 そこへ、今度こそセトが、剣を構えて突進してくる。フェイ・トスカの首にねらいを定め、長剣を下に構えて振り抜く算段だ。

「うおおおっ!」

 セトの口から気合いが迸った。


 ガンファとユーフーリンがつくってくれた千載一遇の好機。絶対に逃すわけにはいかない。

 相手は鎧をつけているから、胴体はねらえない。(先ほどまさにフェイ・トスカがそうしてみせたように)首を跳ね飛ばす。

 一撃で決めなければいけない。セトはそのことだけに集中する。

 その瞬間は、これまで思い悩んだことも、背後で見守っているマーチとシイカのことも、全て忘れた。

 視界も狭くなり、フェイの首筋、斬りつけるポイントだけが映し出される。

 あとはそこへむけて、構えた剣を振り抜くのみだ。


 全てうまくいった。最高の形だ。ユーフーリンは自らの描いた戦略を自画自賛した。


 だが──。


「こざかしいんだよ!」フェイ・トスカが吼えた。


 ガンファに抑えられた剣の柄を握ったままの左手から電流が走った。瞬時に生み出された小さな魔法は、ガンファへと伝わった。

 電流はガンファを焼いたわけではない。小さな刺激を与えただけだ。だが、絶妙に神経を刺激されたガンファは、しびれたようになって剣を挟んだ脇の力を緩めてしまった。

 ガンファの脇から剣が抜けると、あとはつむじ風がうなるようにして、フェイの身体が回転した。

 セトはその動きをほとんど知覚できなかった。ただ気がついたときには、振り抜いたはずの剣は自らの手に収まっていなかった。

 フェイ・トスカによって跳ね上げられたセトの長剣は、きりもみしながら飛んでセトの背後に落ちた。

 剣を拾いにいかなきゃ。

 そのときセトに考えることが出来たのは、ただそれだけ。

 次にはもう、どん、という衝撃を胸に受けていた。

 セトが視線を落とすと、フェイ・トスカの剣が深々とその胸に突きたっていた。


 痛みを感じることはなかった。

 目に入ってきた、自分の胸に剣が刺さっているというその映像が現実のものだと理解する暇もなく。

 のどの奥からなにかが逆流してきて、セトは嘔吐した。

 血を吐いたのだと知覚することは、もう出来なかった。


 セトの身体から力が抜けるのを確認して、フェイ・トスカは剣を引き抜いた。傷口から血が吹き出す。フェイは返り血を避けるどころか、その身を抱えるようにして受けた。フェイの腰回りがあっと言う間に血に染まった。その腰に身につけた袋も血まみれになる。

 袋の中には、『太陽の宝珠』が入っている。

 この世に残った最後の人間の王族。

 宝珠は袋の中で、存分にその血を吸っていく。


 やがてフェイは、唐突におもちゃに飽きた子供のように、無造作にセトを投げ捨てた。草原のうえに仰向けに転がされたセトは、もう何の反応も示さない。

 ガンファも、ユーフーリンも、シイカも、呆然とその場で動けずにいる中、マーチだけがセトめがけて駆けだした。

 縛られたままでこけつまろびつ、猿ぐつわのせいで叫ぶことも出来ないマーチが涙顔でセトの元へたどり着いても、フェイ・トスカは見向きもしなかった。

 腰袋から『太陽の宝珠』を取り出したフェイ・トスカは、満面に笑みを浮かべて宝珠を掲げて見せた。

 先ほど取り出したときは『太陽の宝珠』とは名ばかりの暗い闇の光を放っていた宝珠は、今やその名に違わぬ黄金色の光芒に満たされていた。

「ふ、ふふふ・・・はははは!」フェイの笑い声が、丘に響いた。

「まさしく古文書にあったとおりだ!これで準備は整った!」

 そして、改めて周囲を見回して、言った。

「ご苦労だったな、おまえたち。あとはこいつを祭壇に捧げれば、時間は巻き戻る。俺は次こそ必ず魔王を倒し、二度と魔族が世界を支配するなどという、間違った世界は訪れないだろう。おまえたちも死ぬわけではないが、こうしてともに集うことはもうない。何しろセトは王族だからな。亡骸は残しておいてやるから、せいぜい別れを惜しむがいい」

 ガンファはこの言葉に、命を捨ててフェイ・トスカに飛びかかろうとした。だが、身体が動かない。それはセトを失ったというショックばかりではない。ユーフーリンが魔法でガンファを抑えているのだ。

 牛と鳥の姿から人のそれに戻ったユーフーリンは、硬い表情でフェイ・トスカをにらんだまま、何も言わない。

 フェイ・トスカはその場に背を向け、笑いながら悠然と丘を下りていく。

 やがて笑い声が聞こえなくなった丘には、マーチの漏らすくぐもった嗚咽がかすかに響くばかりだった。

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