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ほの見える道筋

   四


 結局、マーチとシイカは丸一日過ぎても屋敷へ戻ってこなかった。

 マーチだけならばともかく、追っていったシイカまで何の連絡もなしに戻らないのはどう考えてもおかしい。彼女たちの身を案じてまんじりともせず夜を過ごしたセトは、これまでの心労もあってずいぶんと憔悴した様子だった。

 ガンファにできることといえば、セトのそばにいてやることと、彼のために心を安らかにする薬草茶を淹れてやることくらいである。彼がもともと持っていた薬草の大半はあの隠れ里に置いてきてしまったが、ユーフーリンは自分の蔵に貯蔵してある薬草を自由に使わせてくれたので、ガンファはせめてその中から出来るだけ上質の薬草を選び抜いてお茶を淹れてやった。

「ありがとう、ガンファ」自分の生きる意味に悩み、マーチとシイカの安否を心配するセトは、とても周りに気を配る余裕などないだろう。それでもお茶をひと口飲むと、笑顔でガンファに礼を言った。

「飲んだら、少し横になった方がいい。眠れなくても、目を閉じているだけでも違うから」

「うん。でも──怖いんだ、僕」セトは下を向いた。ガンファには、このところ、本来は快活なこの少年の、こんな顔ばかり見ているように感じられた。

「目を閉じると、リタルド兄ちゃんのことを考えちゃう。そこに、マーチとシイカが重なってくるんだ。もし・・・もしも、マーチやシイカが死んでしまったりしたら、それはまた、僕のせいだ。僕が生きているせいで、マーチやシイカは」

「そんな考え方をしたらだめだ、セト」ガンファはセトの肩を揺すって、強引に話を止めさせた。「リタルドは、結果的にセトの手にかかったけれど、それは君のせいじゃない。それに、マーチもシイカも、死んだりはしていないよ」

 実際、マーチたちが死んだということは考えにくい。ユーフーリンの言葉どおり、プリアンは治安がいい。それが人間であっても、事故などで死者が出れば行政が把握するし、少し調べればユーフーリンの耳にも届くだろう。町の外へでてしまっていればわからないが、昨日それらしき人物が外壁の外へでたという情報もない。少なくともマーチたちはまだ町中にいて、生きているのだ。

 だが、その先の消息はつかめていない。おそらくはフェイ・トスカの手のものに拉致されたのではないか、というのがユーフーリンの見解だった。

「僕は、もっとうまくやれたんじゃないのかな」セトがぽつりと言った。

「マーチを行かせてしまわなければよかったんだ。そうすれば、こんなことにならなかったのに。もっと剣をうまく扱えたら、リタルド兄ちゃんを死なせずにもすんだ。・・・それとも、あのときやっぱり、じいちゃんのところに残っていればよかったのかもしれない。そうすれば、僕が死んだだけで、あとは誰も死んだり、苦しんだりせずにすんだんじゃないのかな」

「それは違うよ、セト」ガンファは出来るだけ優しく声をかけた。それまで向かい合って座っていたが、ゆっくりと立ち上がって、セトの腰掛けているベッドの隣に腰を下ろした。ベッドがきしんだ音をあげて抗議したが、ガンファは気にせず、セトがもっと幼い頃よくしてあげたように、大きな腕を回して彼の肩を抱いた。

「後悔は誰だってする。僕もそうだ」

「ガンファも?」セトは顔を上げた。いつも鷹揚としていて、セトを優しく見守ってくれているガンファが、今の自分と同じような思いに苛まれているなどとはとても想像できなかった。

「つい昨日、同じようなことを考えたよ」

 ガンファは一度大きく息を吸った。それからゆっくりと、でもできる限りしっかりとした口調で、セトに語って聞かせた。

「僕たち巨人族は、本来は戦いのために生まれたっていわれてる。僕も本当は、もっともっと強くなれたのに・・・そうなろうとしなかった。もしそうなっていたなら、あの日、ぼく一人ですべての敵を片づけることが、出来たかもしれない。セトが剣を抜く必要もなく、リタルドを殺してしまうことも、なかったかもしれない」

 ガンファはあくまでも優しい口調でセトに語りかけている。ずっと昔には、ぐずるセトを寝かしつけるために子守歌を歌ってやったこともある。そんなことを思い出しながら。

「昨日、落ち込んでいるセトを見て、リタルドだったら、きっと君のことを上手に元気づけてあげられるのに、って考えた。僕は口べただし、鈍重だ。森ではぐれたのだって、僕が不用意に獣車を離れてしまったからだ。どうしてこんなことにって、あの後ずっと自分を責めていたんだ」

 ガンファは言葉を紡ぎ続ける。自分でも驚くほど、たくさんの言葉が口から出てきていた。幼い頃から見守り続けたこの少年のことをなんとか元気づけてやりたくて、ガンファは今必死だった。

「みんな同じなんだよ、セト。すべてを失敗せず、上手にやってのけるなんて、人間も魔族も、誰にも出来ない。こうすればよかった、ああすればよかったって、みんな思いながら生きているんだ。だけど、その思いに囚われすぎたらダメなんだ」

 肩に回した腕から、セトの体温が伝わってくる。ガンファに比べたらずっと小さく細い肩ではあるが、昔に比べたらだいぶ筋肉がつき、大人の体つきに近づいている。

「後悔は、明日生きるための糧にするんだ。今日失敗したことは、明日成功するように、って。リタルドは・・・もう戻ってこないけれど、シイカとマーチは、そんなことはないんだから」

 話しながら見下ろすと、セトはまぶたが閉じている時間が少しずつ長くなっているようだった。ガンファの大きな腕にに肩を抱かれて安心したのか、まどろむようにしている。

「彼女たちが囚われているなら、救い出す方法を考えよう。無事に生き延びたら、ユーフーリン様に少しだけ土地をいただいて、それをみんなで耕すのも、きっと悪くないよ」

「うん・・・」セトは返事をしたが、もうほとんど聞こえていない風であった。ガンファは微笑むと、出来るだけベッドをきしませないように注意しながら立ち上がり、セトを横たえさせた。

「ゆっくりお休み」ガンファはしばらくセトを見守っていたが、セトがやがて安らかな寝息をたて始めるのを確認すると、話し始めたときよりもずっと深く息を吐いた。こんなに長くしゃべったのは初めてかもしれない。

 自分の気持ちがしっかりとセトに伝わったかどうかは分からなかったが、少なくとも、今セトはよく眠っているようだ。少しでも安心してくれたのなら、今はそれでいい。

 窓に布を掛けて日の光が強く入らないようにしてから、ガンファは静かに部屋を出た。

 またユーフーリン様の薬草蔵へ入れてもらって、セトが目を覚ましたときに飲ませるための薬草を探してこよう。セトが悪い夢を見ることがないよう願いながら、ガンファは今自分が出来ることをしようと思った。

 後悔は、明日を生きるための糧に。セトを励ますために口にした言葉は、自分へ向けての言葉でもある。


 鳴り響く鐘の音で、セトはゆっくりと目を覚ました。

 室内が薄暗いのは、窓に本来はテーブルに掛けられていた布が掛かっていて、即席のカーテンになっているからだった。窓からは微風が入り込み、カーテンはそよそよと揺れて、明るい日差しが忍び込むように差し込んでいる。

 セトがベッドから起きあがってカーテンをはずすと、太陽はすでに真昼の高さだった。今鳴り響いている鐘は、正午を示す『一日の半分の鐘』だろう。

 そうなるとセトが眠っていたのはおよそ二アルン(約四時間)ほどだったが、それでも朝方に比べればずっと体が軽い。セトはガンファが自分を寝かしつけてくれたことを思い出して、胸中で彼に感謝をした。

 自分が幼い頃、よくガンファの仕事場へ遊びに行って、ガンファが薬草を調合していてもおかまいなしに、その身体によじ登って遊んでいたことを思い出す。そのころからガンファの身体は今と同じくらい大きくて、自分の身体は今よりもずっと小さかったから、その背中を上って肩にのっかるだけで、小さなお山を登るくらいの感覚だった。今から思えば、あれはガンファからすれば邪魔で仕方なかっただろうが、ガンファはいやな顔ひとつせずセトに付き合ってくれた。やがて遊び疲れると、ガンファはその腕の中でセトを寝かしつけてくれたのだった。

 先ほどもガンファが肩を抱いていてくれたおかげだろうか、悪い夢をひとつも見ることなく、セトはぐっすりと休むことが出来たのだった。

 カーテン代わりに使っていたテーブルクロスを元に戻すと、鐘が鳴り終わった。それと入れ替わるようにして外から足音が聞こえてくる。

 現れたのはガンファだった。目玉がひとつきりのガンファは人間に比べて表情を読みとりにくいが、今は心なしか神妙な顔つきをしている。

「セト、起きたのかい」

 そう声をかけたガンファは、セトの表情が朝と比べてだいぶすっきりとしているのをみて安堵したが、すぐまた表情を引き締めた。

「シイカたちの消息が分かった。ユーフーリン様のところへ行こう」


 執務室へ向かうと、今日はユーフーリンと思わしき人物が執務用のテーブルについていた。正装した初老の男性だ。

「やあセト君、気分はどうだい」

 初老の男性は立ち上がるとそうセトに声をかけた。部屋の角には老小鬼の執事が控えているし、ガンファも何もいわない。やはりこの男性がユーフーリンなのだろう。今日はさすがにいたずらはしないようだ。

「大丈夫です」セトは返事をしたが、ユーフーリンは特に何もいわず、テーブルを離れてセトたちに近づいてきた。

「やはり悪い予感が当たってしまったようだ」ユーフーリンは立派な口ひげをひとつ撫でると、一枚の書面をセトに手渡した。「つい先ほど、これが届けられてね」

 セトが書面をみると、ずいぶんと難しい言葉が書き連ねられていた。セトは以前にグレンデルやガンファたちが教師をしてくれたおかげで読み書きは一通り出来るが、それでも読むのにずいぶん苦労した。ガンファに手伝ってもらいながら何とか読み解くと、いくつかの形式的な時候の挨拶の後に、こんな文章がつづられていた。


   さて、貴卿におかれましては、


   たいそう珍しい子鹿を手に入れられたとか。


   当方も丁度美しい小鳥を二羽手に入れたばかりにございます。


   是非一度互いに持ち寄って、()で合うのはいかがでしょうか。


   もしも貴卿が当方の小鳥を気に入られたならば、

   

   子鹿と交換することもやぶさかではございません。


 何とも回りくどい言い方だが、セトにも何とか意味は理解できた。

 つまり、「珍しい子鹿」はセトのこと。二羽の「美しい小鳥」とはマーチとシイカのこと。

 要約すれば、マーチとシイカを引き替えにセトをよこせ、ということである。

 どうにか読み終わったセトはひとつ息をついて書面をユーフーリンに返した。

「まぁ、昨日彼女たちが戻らなかった時点で、予想できていた内容ではある」ユーフーリンは口ひげを撫でながら言った。「だが少々計算外だったのは、これがフェイ・トスカによる直筆で、正式な書簡として届けられたということだ」

「どういうことですか?」セトが聞いた。

「つまり、フェイ・トスカは今このプリアンにいるということだ。数日前には確かに本都に向かっているという話だったのだがね。その段階で引き返したのだとしても、今この町にいるというのは早すぎる。だいたい、将軍が町に入ったのに私の耳に届かないというのはおかしい」

「転移の魔法でしょうか?」今度はガンファが尋ねた。

「ほかには考えられない」ユーフーリンはつまらなさそうに言い放った。「魔法を使うことは知っていたが、まさかこんな特殊で高度な魔法を使えるとはね。情報戦は得意なつもりでいたが、どうやら一杯食わされたようだ。・・・ただ、気になることがある」

「それは?」

「フェイ・トスカがどうしてそんなに急いで戻ってきたのか?ということだ」ユーフーリンは考えごとをする仕草のまま姿を変えた。今度はセトのみたことのない、ゴツゴツとやたら角張り、強ばった皮膚を持つ魔族だ。

「転移の魔法が使えるようになったらそれは便利だろうと思って、若い頃に勉強したことがあるが──。あれはかなり魔力を消耗するらしい。長距離を移動したりしたときには、そのあと数日は簡単な魔法を使うことも出来なくなるんだそうだ。おまけに精神集中の方法が特殊で面倒で、一度試してみたんだがなんだかややこしいパズルを延々解かされているような気分になってね。あれは私のような、才能だけで魔法を使っているような人種には不向きなんだ。何しろ私は昔、大魔法使い某がかけたとかいう五重の結界を軽く念じただけで瞬く間に破ってしまったというほど膨大な魔力を──」そのまま昔話に突入するかと思われたユーフーリンは、全く話についていけないという風のふたりをみて、なにを話そうとしていたのかをかろうじて思い出した。「あー、つまり。転移の魔法っていうのは簡単に使える類のものじゃない。使用者の精神力的な面でね。それをわざわざ使ってまで急いで戻ってきたってことは、彼にとってことを急がなければならないような、不測の事態が起きたと考えられるってことさ」

「それは・・・セトを捕らえ損ねたからではないですか?」少し思案した後、ガンファがそう答えた。

 隠れ里から引き渡されようとするセトを助けたとき、フェイ・トスカはその場にいなかった。あの時点ですでに本都へ向かっていたのなら、確保失敗の報を受けて急いで戻ってきたというのは自然な発想に思えた。だが、ユーフーリンは首を振った。

「それなら、そもそも本都へ出向かないだろう。人間の王族を見つけだし殺害することは、魔王グローングが直々にフェイ・トスカへ下した命令だ。それが達成間近な今の状況なら、たとえ魔王の召還といえども後回しにしたところで大した罰を受けることもあるまい」いや待てよ、とユーフーリンは首をひねった。「──そもそも、そんなタイミングで魔王がフェイ・トスカを召還しようとしたこと自体が不自然だ。状況は当然、魔王の耳にも入っていたはずなのだからな。ということは──」ユーフーリンは顎に手を当てて「考え中」の姿勢をとった。それが癖なのか、ユーフーリンはその姿勢でひとつうなるごとに首を傾げる向きを変えるのだが、そのたびに姿まで変わるので、セトたちはそれが気になって仕方なかった。

「そうか、成る程。合点がいったぞ!」セトの胸ほどの背丈の少女の姿──獣のような耳が頭から生えている──になったとき、ユーフーリンは閉じていた目を見開いてぽんと手を打った。よほど自信がある推理なのか、大きな眼をいっぱいに見開いて嬉々として語り始めた。

「フェイ・トスカはおそらく、魔王に命令を撤回されたのだ。あるいは、じきされるのだろう。命令が下されてからもう一〇年以上が経つし、将軍とはいえ人間が我が物顔で領内に入ってくるのを嫌う魔族は多い。等々、理由はいろいろ考えられるが・・・まあそれはいい。フェイ・トスカはこの仕事をなんとかやり遂げたいのだろう。だが命令の撤回が広まってしまえば自由に動くことは出来なくなる。もちろん我がユーフーリン領で勝手を働くこともな。だからその前になんとかしてしまおうと、急いで戻ってきたのだ」これは正解に違いない、とユーフーリンはどうだと言わんばかりにうなずいてみせたが、今は少女の姿なので少々説得力に欠けるように感じられた。

 セトからもガンファからも、はっきりとした同意が得られなかったので、ユーフーリンは不満げに口をとがらせた後、また姿を歪ませた。今日最初にみたのに近い、初老の男性の姿だ。容貌は違うが、雰囲気は似ている。実年齢はともかく、ユーフーリンの精神はこれくらいの年齢性別が近いのかもしれない。

「となれば、この手紙への対処は、簡単だ」ユーフーリンはやれやれとばかりに両手を広げて、言った。「無視してしまおう」

「えっ!?」セトが飛び上がるようにして声を上げた。

「もちろん正式な書面だから、返事は書くがね。子鹿など知りません、小鳥にも興味はありませんと書いてしまえばそれきりだ。フェイ・トスカが直接乗り込んでくるかも知らんが、時間稼ぎくらいはどうとでもなる。そうできるように権力を捨てないでいたのだからね。その間に先ほどの推理の裏をとって──」

「そんなこと出来ません!」セトが叫んだ。その声には、ここへ来てからとんと見せることがなかった、強い怒りの感情が混じっていた。

 この方は、マーチとシイカの身を案じてくれていたのではなかったのか。わざわざ人をやって行方を調べてまでくれたというのに、無視してしまおうとはどういうことか。

「マーチとシイカを見捨てるなんて、僕には出来ない」

「だが、この書面の内容に応じると言うことは」ユーフーリンは冷ややかにセトを見た。「彼女たちと引き替えに君の命を差し出すということだ。君はそれでもいいのか?」

「かまいません」即答だった。「マーチたちを見殺しにするくらいなら──」

「捨て鉢になるのは感心しないな。それに、君は昨日自分自身で言ったことを忘れているんじゃないか?」

「どういうことですか?」

「君の命を護るために、すでに多くの力が使われ、他者の命も失われた。少なくともその労力分の価値を君は持っている。対して、囚われているふたりにそこまでの価値はない。特に私からすれば、何の価値もない」

「何の価値もないだなんて・・・!」たとえ本当にそう思っていたとしても、言い方というものがあるではないか。セトはユーフーリンをにらみつけた。

「君は旧友からの大事な預かりものだ。そして昨日も言ったが、預かるよう頼まれているのは君だけだ。私は約束を果たすために力を使う。君が納得しないのなら、ことが収まるまで縛り付けて納屋の奥にでも放り込んでおこう。なに、悲しみは時間が解決してくれる。一〇〇〇年以上生きている私が言うのだから間違いない」

 セトは言葉に詰まって唇を噛んだ。ユーフーリンは有無を言わせない口振りだ。だがそのとき、助け船が入った。

「そんなことは、させません」大きな一歩でセトの前に身を乗り出したのは、ガンファだ。

「ほう?」ユーフーリンは少々意外そうにガンファを見やった。「君は反対しないと思っていた。彼の思うとおりにしたら、彼は間違いなく命を落とすぞ」

「ユーフーリン様こそ、昨日おっしゃったことをお忘れです」不安そうな面もちのセトの視線を感じながら、ガンファは続けた。「セトを本当の意味で生かすには、動機が必要です。あのふたりを見殺しにすることは、セトから動機を奪ってしまうのと同じことです」

「なるほど。だが人質を助けて動機を得たとしても、それで命そのものを失っては意味がない。君にはセト君の命を守る算段があるのかね?」

「それは・・・」ガンファは口ごもった。だが、身を引くことはしない。

「やはり君たちが無茶をしないよう、しばらくどこかに閉じこめておく必要がありそうだ。無理矢理にでもね」

「ぼくを無理矢理どうにか出来るとお思いですか?」ガンファはひとつきりの大きな瞳でユーフーリンを見据え、彼に出来る精一杯の強さでにらんだ。「セトを救い出したとき、戦い方を少し思い出したんです」

 その身体を覆う筋肉がにわかに盛り上がり、圧力を増す。セトが思わず見上げた。

「ふむ。伝説にも名を刻む一つ目巨人(サイクロップス)が本気を出したらどうなるのか、少し興味はあるが・・・。やめておこう。屋敷を壊されるのは御免だ」

 ユーフーリンは両手をあげて降参のポーズを取った。

「ところで、ひとつ質問があるんだが、いいかね?」

 急に声のトーンを変えてそう聞かれて、ガンファもセトも戸惑った。

「・・・なんでしょう」ガンファがそう答えた。

「さらわれたふたりのうち、シイカという子がいたが、あれはどういう生まれのものなのか知っているかね?」

 声の調子も変わったが、聞かれた内容も唐突なものだった。ガンファとセトは目線だけ動かして互いを見やったが、その間もユーフーリンは返事を待っているようだった。結局ガンファが答える。

「シイカは、二年ほど前に、グレンデル様がご自身の家に連れてこられた子供です。どこの生まれか、詳しくは存じません。身寄りもいっさいなく、正確な歳も分かりません。ただグレンデル様は、連れてこられたときに八つか九つくらいではないか、とおっしゃっていましたので、今は十か十一くらいと思われます」

 答えながらも、どうして突然ユーフーリンがこんなことを聞くのか訝しんだが、ユーフーリンは聞くだけ聞くとまた思案顔になって黙ってしまった。また姿が変わる。今度はこれ以上ないというほど丸く太った中年の男性だ。あまりにも太っている──身長はセトくらいなのに、横幅でいったらガンファよりも太い──ので、セトなどはこういう魔族がいるのか、と思ってしまった。

「わかった」ユーフーリンは思案をやめると、言った。「君たちの希望通りにしよう」

「ユーフーリン様・・・ありがとうございます」どうしてユーフーリンが自己の主張を引っ込めたのかは分からなかったが、とにかくセトは礼を言って頭を下げた。ガンファも息を吐き、張りつめていた緊張が少し和らいだ。

「だが、むざむざと旧友との約束を反故にするわけにはいかない。彼女たちを救い、なおかつ君の生命をも救う道を探してみせようじゃないか。策を練ろう。ガンファ君、手伝ってくれたまえ」

 ガンファはもちろんとばかりに大きくうなずいた。

「向こうは急いているから、そんなに余裕はないだろう。だがそれでも、実際の受け渡しには数日、間が空くことになる。セト君、君はその間しっかり食べ、しっかり眠り、体調を万全にしておくんだ。いいね」

 セトもうなずいた。その瞳にはここへ来て以来彼が見せたどんな瞳よりも力がこもっている。

「他人のために──それも、十分に、生きる動機になりうる」ユーフーリンはその瞳を見ながらいった。

「だが、忘れてはいけない。次に彼女たちの顔を見るとき、そのときには必ずフェイ・トスカもそこにいる。それがどういうことか、よく考えておくことだね」


 そして、三日が経った。

 今日、ユーフーリンとフェイ・トスカは一緒に狩りをするという名目で町の外にあるアニスの丘と呼ばれる丘で落ち合うことになっている。

 もちろん、狩りは口実にすぎない。実際には、セトと人質になっているマーチ、シイカを互いに引き渡すために落ち合うのだ。

 セトは滞在中寝起きしていた部屋で、今日のためにあてがわれた服に着替えた。糊が利いた白いシャツに、タイツのようにぴっちりとした黒のズボン。セトはボタンで前を留める服など初めて着たので、少々手間取りながら着替えた。いつもならこういうときは、ガンファがかいがいしく世話を焼いてセトを手伝ってくれるのだが、今日はガンファはいない。彼は別行動ということらしく、まだ外が薄暗いうちにひとりで屋敷を出ていった。

 ユーフーリンとガンファが今日のためにどんな作戦を考えているのか、セトは詳しく聞かされていない。「君は君の役割だけ果たせばいい」とユーフーリンからは言われていた。

 この三日間、セトはユーフーリンに言われたとおり、自身の状態を回復させることにつとめた。しっかりと睡眠をとり、食事をし、屋敷の中で出来うる限り運動をした。眠れば悪夢を見ることはあったし、屋敷で供される食事は香辛料が強くて味がきつく、正直に言ってセトにはあまり口に合わなかったが、それがマーチとシイカを救い、自らも生きるために必要なのだと言われれば迷うことはなかった。

 靴も、セトからすれば編みこみサンダルの方が履きなれていてよいのだが、用意されたのは革製のしっかりとしたものだった。履いてみると、意外と違和感はない。つま先でとんとんと床をたたいてみる。なるほど、これだけしっかりしていれば、間違って小石を蹴っとばしたり踏みつけたりしてしまっても、何のダメージもなさそうだ。

 最後に腰帯を締めて、そこに剣を差した。これだけは、グレンデルから渡された黒鞘の長剣だ。まだ完全に使いこなすとまでにはいかないが、渡された当初からするとだいぶ身体になじんできた。

 もともと少なかった私物はあの隠れ里にすべておいてきてしまった。だから、今ではこの剣が唯一のセトの所持品である。

「ご準備はお済みになりましたか」まるでセトが着替え終わるのを待ちかまえていたかのように、入り口から老小鬼の執事が姿を現した。

 執事は無遠慮な目線で着慣れない服に袖を通したセトを上から下まで眺め回したが、まあいいでしょう、と大しておもしろくもなさそうに言った。

「ユーフーリン様は先にお待ちでございます。ご案内いたしますので、こちらへ」

 執事について歩いていくと、屋敷の門から少し離れたところに獣車が停められていた。以前ガンファが用意したような、荷車を改造したような代物ではない。立派な拵えの客車を前後二頭ずつ、合計四等のラグスが引く高級品だ。領主にふさわしい乗り物といえるだろう。

 セトたちが近づくと、客車の扉が開いた。中から胸元が大胆に開いた真紅のドレスに身を包んだ若い女性が姿をのぞかせる。

「どうやら準備はできたようだね」

「はい、ユーフーリン様」

 セトが特に驚く様子もなくそう返したので、ドレスの女性──ユーフーリンは、面白くなさそうに頬を膨らませた。

 とはいえセトからすれば、ユーフーリンがどんな姿をしているかはわからなくとも、誰がユーフーリンなのかは簡単にわかる。ユーフーリンは初めてあったときに見せたような、屋敷の誰かに化けることは仕事に支障がでるということで禁じられているらしい(あのあと執事にこっぴどく叱られた、と招待された食事の席で語っていた)。つまり普段屋敷にいない人物、すなわちユーフーリンなのだ。ましてこの屋敷にいるのは魔族ばかりで、いまはシイカもマーチもここにはいないのだから、セト以外の人間はそれがどんな人間であれユーフーリンなのだった。

「この数日ですっかり慣れられてしまったようだ」ユーフーリンはそう言うと、整った髭を持つ老紳士の姿になった。そして改めてセトの姿を眺めて、

「馬子にも衣装だな」とだけ言った。

 セトは言葉の意味が分からず、目をぱちくりとさせるばかりだったが。


 セトが客車に乗り込むと、獣車は走り出した。

 壮麗な獣車を見れば、領民からはそれだけでユーフーリンが乗っていることはわかるだろうが、人間であるセトまで乗っていることを知られるわけにはいかない。そのため客車の窓は板が嵌められて外の様子はわからなくなっていた。だが天井の採光窓から光が入ってくるので、室内は明るい。

 車が走って幾らか経った頃、ユーフーリンが口を開いた。

「今日君は、フェイ・トスカと顔を合わせることになる」

 ユーフーリンの顔には何の感情もない。ただ、セトの顔を見て言葉を続ける。

「相手は君の父親だが、ためらわずに君を殺そうとするだろう。殺そうと向かってくる相手には」一瞬だけ、言葉を切った。

「君もあの男を殺すつもりにならなければならない」

 セトは神妙な表情を変えなかった。

「覚悟は出来ているかな」

「はい」セトはユーフーリンの目を見たまま、しっかりと答えることが出来た。「僕はやっぱり、まだ死ねない」

「ふむ」ユーフーリンは無表情のまま、さらに問いを重ねた。「なぜそう思うようになった」

「じいちゃんが昔言っていたことを思い出しました。他人から何かをもらったら、貰いっぱなしではいけない。自分に出来ること、与えられることのなかで、精一杯のお返しをしなくちゃいけないって」セトはつかの間目線をユーフーリンからはずした。グレンデルの姿を思い浮かべているのだろう。

「僕を生かそうと、たくさんのひとがいろんなものをくれました。じいちゃんやガンファ、リタルド兄ちゃんにシイカ、マーチ、それにユーフーリン様も。僕は、まだ誰にも十分なお返しが出来ていません。ここで死んでしまったら、なおさらです」セトはまた、ユーフーリンを見た。その瞳に濁りはない。

「それに、マーチがかわいそうです」

「マーチ?あの怒って出ていってしまった方の娘か」

「そうです。もしマーチが助かっても、僕が死んでしまったら、マーチはまた出ていってしまうかもしれません。そうしたら、彼女はひとりぼっちです。僕は何とか生き残って、マーチに魔族を憎む必要なんかない、また一緒に暮らそうって説得しなければいけません」

「ふむ。それは結婚を申し込むということかね?」

 ユーフーリンが少しだけ口の端を曲げた。からかうような口調でそういうと、セトはちょっとびっくりしたようだった。

「あれ?そういうことになるのかな」そこまでは考えていなかった、という風に首をひねる。

「まあいいさ。事がすんだ後の目標があるのはいいことだよ」ユーフーリンははっきりと笑顔になって、セトの頭を軽くたたいた。

「君の覚悟のほどはわかった。私はそれを信じるとしよう」そう言うと、長いすの上にごろりと横になった。「到着まではまだ時間がある。君も少し気を休めておけ」

(生きていくには、十分な動機だ)目を閉じて、ユーフーリンは考える。(だが、相手は歴戦の勇士だ。すべてがこちらの思い通りに運んだとしても、最良の結果が得られる可能性は低い)

 だが、時間はもうない。分の悪い賭けとわかってはいても、下りることは出来ないのだ。

(あとは私の推測が当たっていれば、まだ望みはあるのだが──)

 少年は自らの生きる道を見いだそうとしている。それが無駄になるのは見たくない。ユーフーリンは心からそう思った。

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