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暗闇と嘘

    二


(落とさな・・・そっと・・・)

(薬・・・そこまで強く・・・うごかさない・・・)

 途切れ途切れにそんな声が聞こえたような気がした。この家のなかではほとんど聞くことのない男性の低い声。

 夢を見ているのかと思ったが、それにしては奇妙な現実感がある。意識を集中すると、少しずつ覚醒していくのがわかった。

 暗闇の中で、シイカは目を覚ました。

 風を入れるために上げてある木窓から月明かりが入ってきていて、その範囲はいくらか明るい。向かいのベッドでは、マーチが眠っている。彼女のたてる規則的な寝息がしっかりと聞こえてくるほどに、あたりは静かだった。

 たまたま夜中に目が覚めてしまっただけで、なにも変化はないように感じる。だがその静けさがシイカの不安をあおった。

 マーチを起こさないように、そっと自分のベッドから抜け出すと、居間を抜けてセトが眠っている部屋へ向かう。

 シュテンでともに暮らしていた頃、いつも横にあったセトの寝顔を見れば安心できるはずだった。・・・しかし。

 ベッドはもぬけの殻だった。

 壁に立てかけられたままの剣が、非常事態を訴えているように感じられて、シイカは血の気が引くのがわかった。

 自分の部屋へ戻り、眠っているマーチを揺さぶったが、マーチは目を覚まさなかった。戦士として修行をしているマーチは、普段は気配に敏感なはずなのに、今日はどうしてしまったのか。

 もう一度部屋を出て、今度はソナタの部屋へ向かう。だが、ソナタの姿も部屋にはなかった。

「どういうことなの・・・」

 シイカはまた部屋へ戻り、マーチを起こそうと試みた。だが、いくら揺さぶっても反応はない。湧き上がる不安を抑えきれなくなったシイカはマーチを抱え起こすと、最後の手段に出た。

「ごめん、マーチ!」

 シイカは右手を振りあげると、精一杯力を入れてマーチの頬を張った。ぴしゃりと乾いた破裂音が響く。マーチは目を覚まさない。

 もう一発。破裂音が響き、マーチの左頬が真っ赤に染まった。

「う・・・なに・・・?」ようやく反応があった。だが安堵している暇はない。

「マーチ、起きて!セトがいないの」

「トイレじゃないの・・・」とりあえず意識は戻ったようだが、覚醒にはほど遠い様子のマーチはむにゃむにゃとそんなことを言った。

「でも、剣は起きっぱなしだし、ソナタさんもいないし、マーチはちっとも目を覚まさないし、何かおかしいよ!」

 重さに慣れるために剣はいつも身につけていろ、とは剣を習い始めたその日にセトが言われたことで、セトは今日までその言いつけをしっかり守っていたのだ。

「たしかに・・・なんかぼーっとする。なんだろこれ・・・?」

 マーチはベッドから降りて立とうとしたが、ふらついてシイカに抱きとめられた。それでも少しずつ目が覚めてきているようだ。

「セトを探しに行きたい。マーチ、手伝って」

「うん・・・。ちょっと待って、今ちゃんと起きる」

 マーチはシイカから離れて立つと、しこたま頭を振った後、両手で自分の頬を数回たたいた。

「・・・?左側だけやけに痛い」

「あ、それは・・・ごめん」


 セトたちを探しに外に出るため、ふたりは普段着に着替えて居間に出てきた。

「セトとお母さん、いつからいないの?」より目を覚ますために柔軟体操をしながら、マーチが尋ねた。

「私もついさっき起きたばかりだけど・・・そのときにはもういなかったの。でも」

 シイカは少し戸惑った後、自らの考えを口にした。

「目が覚める寸前に、セトじゃない男の人の声を聞いたような気がするの。夢だったかも知れないけど・・・」

「そいつらに連れ去られたかも知れない?」マーチがつなぐと、シイカがうなずいた。

「うーん、この里にそんなことするやつがいるとは思えないけど・・・でもお母さんもいないし、二人とも戻ってこないし・・・確かに心配ね」マーチは体操を終えると、完全に覚醒した様子でシイカに向き直った。

「よし、それじゃまずは火炊き場に明かりを取りに行こうか。それまでは足下が暗いから・・・」

「あ、待って」シイカはマーチを制止すると、一人でセトの部屋に引っ込んだ。すぐにでてきたが、セトの剣を両腕で抱え持っている。

「持っていくの?」「うん・・・いやな予感がするの」

 セトにも少々大きいその剣は、より小さいシイカでは抱えて歩くのも難儀しそうだ。マーチはひもを持ってくると、剣を括ってシイカが背中に担げるようにしてやった。

「ありがとう、マーチ」シイカが礼を言って剣を背中に装備する間に、マーチも普段使いの二本の小剣を腰に佩いた。

「セトにも持ってろっていった手前、あたしも一応持ってくか・・・それじゃいこう、シイカ」


 シイカとマーチのふたりは家を出ると、マーチが提案したとおりに火炊き場に向かった。

 月がよくでているので全くあたりが見えないということもないが、やはり足下は少々心許ない。

 この里には魔法の灯りが存在せず、また森に囲まれ家もすべて木製であることから火の使用も最低限である。そのため日が沈んだあとに活動することはほとんどなく、夜の闇の中を歩き回る経験はシイカだけではなくマーチにもほとんどない。ふたりの足取りは必然、速やかとはいかなかった。

 しかし探し人のうち一人は、あっさりと見つかった。火炊き場のところに人影を見つけたのだ。

「あれ、火炊き場のところにいるの・・・お母さん?」

 女性にしては背の高いソナタのシルエットは、遠目からでも判別できる。

 こんな時間にいったいなにをしているのか、一点を見据えたままのソナタは動く気配がない。だが、マーチとシイカが後ろから近づいて声をかけると、ソナタは幽霊でも見たかのように仰天した。

「マーチに、シイカちゃん!?どうして・・・」

「シイカが、セトがいなくなったっていうの。お母さん、どこに行ったか知らない?」

 ソナタはマーチの言葉が聞こえていないのか、「そんな・・・確かに三人の食事に・・・」とぶつぶつ独り言を言っている。

「お母さん?」マーチが怪訝な目を向ける。

 ソナタはこれ以上狼狽した姿をふたりに見せないように、二度大きく息をついた。アンプに渡された薬は副作用などが出ることのないように、と彼女が強く頼んだためにそれほど効力が強いわけではないはずだったが、それでもこんなに早くふたりが目覚めてしまうのは予想外だ。

 とはいえ計画通りにいったとしても、翌朝にはふたりに事情を説明しなければいけなかったのだ。

 すでに事態は動き出しており、巻き戻すことは出来ない。ソナタは両手をマーチの両肩に乗せて、言った。

「聞いて、ふたりとも。セト君は・・・里を出て行ったの」

「なんで、急に!?」驚きの声を上げたマーチの肩をつかんで、ソナタは続けた。

「里長から、セト君一人だけなら里から出してあげると言われたの。ほら、ずっと外に人を探しに行きたがっていたでしょう?あなたたちを悲しませたくないから、黙っていくことにしたのよ。セト君からはシイカちゃんをよろしく頼むって・・・」

 計画が決まってから、頭の中でずっと考えていた言葉を一気にまくし立てる。まるで言い終えれば、彼女の心を支配する罪悪感から解放されるかのように。

 マーチはソナタの言葉を表情を変えずに聞いていたが、シイカは発言が進むほどに、その表情を曇らせていく。

「嘘、ですよね。それ・・・」

 やがて発せられたシイカの言葉は、セトの行動が信じられないという言葉ではなかった。ソナタの言葉が嘘であるという確信とともに、ソナタがこの場面で嘘をつくことの意味に半ば気づいてしまったことへの悲しみが込められていた。

「嘘じゃないわ、シイカちゃん」ソナタの表情がこわばる。

「それなら、何で剣を置いていったんですか?」シイカの背中には、セトがこの一月の間肌身はなさず身につけていた剣がずしりとその存在を主張していた。

「それは・・・」ソナタは言葉に詰まってしまった。剣など、セトの身の回りのものは、引き渡しがすんだ後、夜が明けないうちに処分する算段だった。それが済んでいない今の状況では、セトが自分の意思で森を出たという言葉は全く信憑性を持たない。

「どういうこと、お母さん」マーチも疑いのまなざしを向けている。

 沈黙する時間が長引けば長引くほど、自身の言葉が嘘である証明になる。そのことはソナタにもわかっていたが、かといってふたりを信用させるに足る言葉は見つからなかった。

「まさか、魔族に引き渡そうとしてるんじゃ・・・」

 シイカから決定的な言葉が出た。だが、マーチはさすがにそこまで考えることは出来なかったようだ。

「それはないよ、シイカ。この里は魔族とのつながりを完全に絶つことで存在しているんだから」

「でも、マーチの様子からしても、たぶん薬を使って無理矢理つれていったのよ。どうしてそんなことする必要があるの?」

「それは・・・セトを里からだそうとした?」マーチのいいわけも苦しい。

「それなら、セトに里から出るように伝えればいい。セトは拒まないと思うわ。無理矢理するのは、セトが望まないことをさせるためでしょう?」

「そうだけど、さすがに魔族なんて・・・」マーチは戸惑いを隠せない。この里は魔族の支配から逃れ、そのつながりは完全に絶たれている。長年信じ込んでいたその確信が、今大きく揺らいでいる。「お母さん、違うなら違うって言ってよ!どうして黙ってるの?」

 ソナタは、ふたりのやりとりを聞きながらもなお、必死で言葉を探していた。

 だが、嘘は嘘だ。セトが自分で森を出たということも、この里が魔族の支配下にはないということも。

 我が子に向かってついたふたつの嘘を、これ以上つき通すことはもう出来ない。ついに、ソナタの思考は停止してしまった。ソナタの目尻から涙があふれ、ソナタは両手で顔を覆ってしまった。

「ちょっと、お母さん!どうして泣くの!違うんでしょ?違うって言ってよ!」マーチもだいぶ混乱しているのか、声を荒げてソナタの肩を揺さぶった。

「ごめん・・・ごめんね、マーチ」ソナタは嗚咽に何度となく声を途切れさせながらも、ついにその口から真実を告げた。

「この里は・・・隠れ里なんかじゃないの。私たちのような、魔族の支配を受け入れられないものたちを効率よく監視するために・・・見逃されているだけ。あなたのお父さんを殺した魔族に・・・形は違っても、結局は支配されているのよ」

「そんな・・・」力の抜けてしまったマーチがつかんでいた肩を放すと、ソナタはその場にくずおれてしまった。

「ソナタさん!セトはどこへ連れて行かれたんですか!」

 今度はシイカがいままでにない強い口調で問いつめると、ソナタは弱々しく口を開いた。

「里長の屋敷の奥から、外へ・・・森の外で、魔族との引き渡しが・・・」

「森の外・・・」シイカは歯噛みした。隠れ里という言葉が偽りでも、里には確かに目くらましの魔法がかけられている。回避の方法を知らないシイカでは、後を追うどころか森の外へ出ることが出来るかどうかもわからないのだ。

 ソナタは最早下を向いて顔を覆い、さめざめと泣くばかりだ。シイカはマーチの方を見た。

「マーチ、里を出る方法を・・・」彼女もまた重い事実を突如突きつけられて、混乱してしまっているかと思ったが、その瞳には光が宿っている。一度は力なく母の肩を放した両手を握りこぶしにし、力強く言った。

「あたしも行く」腕でこするようにして浮かんだ涙をぬぐい去ると、きっぱりと言った。

「こんなの許せないし、納得できない。あたしはセトを助けに行く」

「マーチ・・・ありがとう」

 そうなれば一刻も猶予もない。里長の屋敷に向かって駆け出そうとするシイカだったが、マーチがそれを制止した。。

「待って。あたしたちの足じゃ、たぶん追いつけない。一回訓練場へ行こう」

「訓練場?・・・あっ」なぜそんなところへ、と一瞬考えたシイカだったが、すぐに合点がいった。訓練場には二頭のラグスがつながれている。セトに対抗心を燃やしたマーチが毎日のように乗っていたのだ。

「ラグスなら夜目も効くって聞いたし、今からでも追いつけるかもしれない。シイカ、乗ることは出来る?」

「乗るだけなら、何とか・・・。でもあんまり早く走らせたことはないの」

「大丈夫、あたしに任せて。この一月の間、ほとんど毎日練習してたんだから。さ、行こう」

 マーチが火炊き場の釜の取っ手を引き、シイカが備え付けのたいまつを差し入れて火をつける。新しい薪は入れないまま、マーチは取っ手を戻した。シイカはすぐに走り出す。マーチは傍らに座り込んで泣いている母を見やった。

「それじゃ、お母さん・・・」

 ソナタは返事をしなかった。

「さよなら」

 娘の走り去る足音を聞きながら、ソナタはただ肩をふるわせるばかりだった。



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