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里の暮らし

    四


 里長の屋敷を出ると、まだ日は高く昇っており、よく晴れた空が遠くまで蒼いのが目に染みるようだった。

 里の周辺は確かに森の木々に囲まれてはいるが、里の中はすっかり切り開かれており、あまり森の中にいるという実感はわかない。

 里長テスは魔法の力によって護られているとは言っていたが、空から見ても分からないというのはにわかには信じがたい言葉だった。

「あんまり人がいないんですね」そう言ったのはシイカだ。建物の数自体それほど多いわけでもないが、今は人の姿がほとんどなく、閑散とした印象を受ける。

「この時間だもの。みんな仕事中よ」マーチが答える。「里長が言っていたけれど、この里は外界との接触を完全に絶ってる。だから全部自給自足なの。畑仕事や家畜の世話、森に入って木の実や薬草を採ってくるのも、里の住民全員が交代でやるのよ。例外なのは里長と、里が発見されないように周辺を偵察したり、入り口を見張ったりしてる連中くらいね。昨日あたしと一緒にいたユーフォみたいな」

「マーチは?」セトは何気なく聞いただけだったが、マーチは少々不機嫌そうに頬を膨らませた。

「あたしは・・・見習いね。本当はユーフォみたいに、里の外を警戒する仕事がしたいんだけど。昨日は研修というか、ちょっとしたテストみたいな意味合いもあったのよ。・・・だけど標的を森の外まで逃がしちゃうし、見事に落第よ。またしばらく畑仕事だわ・・・はぁ」

「畑仕事だって、楽しいじゃない」

「それがイヤだってわけじゃないの。あたしは、魔族をやっつけたいのよ」

 マーチの声のトーンが急激に落ちて、セトはマーチを見た。彼女はそれまでになく険しい表情で足下を睨みつけながら、独り言のように続ける。

「あたしのお父さんは魔族に殺されたの。・・・あたしとお母さんを逃がそうとして、あたしの目の前で死んだわ。お父さんの無念を晴らすために、魔物でも魔族でも、一匹でも多く殺してやるって、そのとき誓ったのよ」

 セトはなにも言うことができなかった。物心ついたときから平和なシュテンの町で、グレンデルという大きな存在に護られて育てられてきた。そんなセトからしたら、これほど強い魔族への憎しみを目の当たりにするのは初めてのことだった。

 マーチはセトとシイカが無言でこちらを見つめていることに気がつくと、あわてて表情を柔らかくした。

「あ、ごめんね、ヘンな話聞かせて。ほらあそこ、あれあたしの家だからさ」

 大げさに腕を振って指し示すマーチに相づちを打ちながらも、セトの脳裏には先ほどのマーチの表情が刻み込まれたままだった。少女らしい明るさを持つ彼女の笑顔と、いましがたの憎しみの表情が同じ人物のものとは思えなかったのだ。

 魔族の支配を受け入れられないものたちの隠れ里──その意味の一端を垣間見た思いがした。

 この里の人たちは、きっと大なり小なりマーチと同じような感情を持っているのだろう。そう考えると、この里が見つからないようになっているのはありがたいことともいえた。ガンファがセトたちを探してこの里を見つけてしまったら、きっとガンファは捕らえられ、最悪殺されてしまうことだろう。

「ガンファ、大丈夫かな・・・」思わず口にでた。

「はぐれちゃった人?きっと大丈夫だから、元気出しなって!」

 マーチの励ましには微塵の悪意もない。セトが慕うガンファが魔族であることを、彼女は知らないのだから。


「お母さんは、まだ仕事ね。今日は畑だったかな・・・」

 マーチの家に着いても、中は静まり返っていた。里長の屋敷に比べるとだいぶ小さいが造りはほとんど同じで、入ってすぐのところが広間になっていて、入り口のすぐ脇が台所。広間の奥には小さな部屋が合計四つつながっている。

「一番左端が、お母さんの寝室。その隣があたし。右側の二部屋は倉庫。で、あんたたちだけど・・・」マーチはセトとシイカを改めて見て、首を傾げた。「そういえば、あんたたちってどういう関係なの?」

「兄妹だけど」セトはさも当然、とばかりに答える。「見えない?」

「見えないっていうか・・・どう見ても違うじゃない」マーチは憤然とした。セトとシイカは顔を見合わせる。

 セトとシイカは年こそ近いが、血がつながっているわけではないので顔立ちは全然違う。そもそもセトは黒髪に茶色の瞳。シイカのほうは髪も眼も透き通るような銀色をしていて、これで兄妹と言われて一発で納得する方がどうかしているだろう。

「私たち、同じ家で育てられたんです。それで・・・」シイカが弁明する。

「・・・奴隷仲間ってこと?」

「兄妹だってば」今度はセトがやや憤然としている。「本当はもっといっぱいいるんだ。シイカが一番下で、僕はその上」

「ふーん・・・まあいいや。倉庫を片方あけるから、セトはそこね。シイカはあたしと一緒。それでいい?」

「別にそんなことしなくても、ぼくも一緒でかまわないけど?」

「あのね・・・。年頃の男女が同じ部屋で寝るのがいいわけないでしょ」

「あっ、そうか・・・ごめん」マーチに言われて、セトは赤面した。グレンデルの屋敷では多いときで六、七人の子供がいたため、寝室を分けるという概念がそもそもセトにはなかった。シュテンの町をでる直前は子供はシイカとセトしかいなかったうえ、グレンデルは病気がちということもあって別の部屋で寝ていたため、ずっとふたりで寝起きしていたのだ。

「それに、奥の部屋はどこも狭いから、寝台はみっつも入らないわよ」

「寝台?台の上で寝るの?」

「・・・ほかにどこで寝るっていうのよ?」

「床の上で、ふつうに・・・」

「床の上なんかで寝たら、身体中痛くなっちゃうじゃない!あんたたちの住んでたところって、変な風習があるのね」

「そんなこと言ったら、台の上なんかで寝てもしそこから落ちたりしたら、すごく痛いじゃないか!」

 セトが反論すると、マーチはなぜか顔を赤くした。「お、落ちたりなんかしないわよ!それよりほら、部屋の荷物を移して、寝台を運び込んだりしなきゃいけないんだから!」

 強引に話を打ち切ったマーチはきっと寝台から落ちたことがあるんだろうな、とシイカは思った。それも、わりと頻繁に。


 寝台といわれて、セトが思い浮かべたのは今朝まで寝かされていた治療所の寝台だった。あれは石の台におおきな布をかぶせただけのものだったが、今セトたちの目の前にある、設置し終えたばかりの寝台はそれとは違い、木製の枠に柔らかいワラを敷き詰め、その上から布をかぶせたものだ。

「うわぁ・・・ふかふかだ」押し当てた両手が沈み込む感触に、セトは感嘆の声を上げた。

「床に寝るより、こっちの方がずっといいでしょ?」マーチは得意げにしている。「使い古しだけど、結構いい木材を使っているのよ、それ。何しろ森の中だから、木だけは使い放題なのよね」

「うん、ありがとう、マーチ」セトは屈託のない笑顔でマーチに礼を言った。

「さてと、もういい時間よね」マーチは部屋の窓を覆っていた木製のふたを跳ね上げると、そこから顔を出して外を見た。そろそろ日が落ちる頃合いだ。

「お母さんもそろそろ帰ってくると思うけど・・・。あっ、そうだ火をもらってこなきゃ。ふたりとも、一緒にきて。場所を教えるから」

 マーチは初めて見る木製ベッドに寝転がったり、飛び跳ねたりしているふたりに声をかけると、外へ連れ出した。

「なにをもらってくるって?」

「火よ。火がなけりゃ、パンも焼けないでしょう」

「そういえば、かまどの火が消えてたね」シイカが言った。「火おこしはどうするのかな、っておもってたの」

「いちいちおこしてたら大変だから、外にある火炊き場でもらってくるの。面倒なときは、隣の家からもらっちゃうときもあるけどね」

「消さなければいいんじゃないの?」セトの暮らしていたところでは、かまどの火は絶やさないのが鉄則だった。

「火事になったら大変じゃない。みんな木でできているんだから。下手したら森中が火事になっちゃうわ」

「あー・・・そうか」セトは納得した。さっきの寝台のこともそうだが、住むところが変われば生活の仕方も変わるのだということを、セトは初めて学んでいた。

 火炊き場は、里のほぼ中心部にあった。石窯の中で火が燃えており、火の粉が飛ばないように、また雨などで消えることがないよう、鉄製のふたがかけられている。その横には大量の薪が積み上げられていた。

 マーチが釜の脇にある取っ手を引くと、音を立ててふたが開いた。そこへセトが薪を差し入れて火をつける。さらにその脇からシイカが数本の薪を釜の中に投げ入れると、マーチが取っ手を戻してふたを閉めた。

「これでよし。いやあ、人手がいると楽ね。釜の前って暑いから、あんまり立ちたくないし」しれっと一番暑いポジションをセトに任せたことを告白するマーチ。「さて、もどろうか」

 火炊き場を後にし、家に戻ろうとする一行に、後ろから声がかかった。

「マーチ!」「お母さん」

 マーチがうれしげに振り返ったので、セトとシイカもそれに習うと、こちらに手を振りながら駆け寄ってくる女性の姿があった。

 マーチの母親は、比較的ゆったりした麻のシャツに、足下まであるスカートを着用していた。戦争以前であれば、一般的な女性の服装である。マーチが男っぽい格好をし、髪の毛も短くしていることから、セトは母親というのも同じようなスタイルなのだろうかと何となく思っていたが、こちらは髪も背中まで伸びており、先の方はゆるやかなウェーブがかかっている。マーチも髪を伸ばせばそうなるのかな、とマーチをみると、目が合った。「・・・なによ」じと目で睨まれた。

「はい、マーチ。これ、今日のお夕飯の材料」マーチの母親は、側にくるなり抱えていた編みかごをマーチに渡した。なんだかそわそわしているようだ。「それで、この子たちが昨日言っていた・・・」

「うん、セトと、シイカよ」マーチは簡単な紹介をすると、セトの方を見て言った。「あ、気をつけてね。お母さん・・・」

「?・・・むぐっ!」マーチが言い終わらないうちに、マーチの母親がこちらへ向かってきたと思ったら、何のためらいもなくセトを抱きすくめた。母性を感じさせるには十分な質量をもった胸に顔を埋めさせられて、セトは混乱した。

「お母さん、抱きつき魔だから。・・・もう遅いけど」

 マーチの母親はセトを解放すると、今度は突然の事態に硬直しているシイカも同じように力いっぱい抱きしめる。セトよりも小さいシイカは顔が完全に胸に埋まってしまい、おまけに足が浮いてしまって自力では逃れようがなくなっている。

「お母さん・・・もう離してあげて」

 半ばあきれ顔のマーチに促されて、ようやく解放されたシイカは、息が詰まっていたのか顔を真っ赤にしている。

「いやあ、こんなかわいい子たちがうちに住むなんて・・・。あたしはソナタ。あんたたちも、お母さんって呼んでいいからね!」

 マーチの母親、ソナタは、セトがまだ目を白黒させ、シイカが息を整えるのに必死な中、満面の笑みでそう言ったのだった。


「・・・これから、どうしようか」

 夕食をとり終え、セトは自分用に割り当てられた部屋でシイカと相談していた。

「セトはどうしたいの?」

「ガンファを探しに行きたい・・・けど・・・」

 里の外にでることを禁じられたこともあるし、仮に外にでることができたとしても、狼一匹追い払えない自分では森から無事にでられるかも怪しい。かといって、この里の住民は魔族に対してネガティブな感情が強い。魔族であるガンファを探すことに、協力してくれる人はいないだろう。

「私は、この里にとどまるのは悪いことじゃないと思う」シイカが言った。

「あの里長の言うとおり、この里が魔族から完全に隔離されているなら、セトをねらっている人から隠れられるし」

「あのひと、信用できるのかな・・・」セトは不安げだ。

「ある程度は、してもいいんじゃないかな。私たちを拘束しようとしないし、本当に、ここに住み着いてほしいと思っているのかも」

「ガンファも一緒だったらな・・・」

 この里の居心地はそれほど悪くない。里長のテスは腹に一物あるように見える人物だが、この里であったそのほかの人物、とくにマーチやソナタは善人であるように感じる。せめてガンファの安否がわかっていれば、ここまで不安にかられることはないのかもしれない。

「もう寝るよ、シイカ?」部屋の外から、マーチの声がかかった。ふたりは一緒の部屋で寝ることになっている。

「あ、うん。・・・じゃあセト、また明日ね」

「うん。おやすみ」「おやすみ」

 ひとりになったセトは、明かりを消すと今日作ったばかりのベッドに寝転がった。窓も閉じているため、室内は真っ暗である。

「僕は、もっと強くならなくちゃ・・・」

 選択肢がない今の状況は、結局のところ自分に力がないからだ。狼を追い払うことができるくらい強ければ、ガンファとはぐれることもなかったし、小鬼を無傷で倒せていれば、この里に運び込まれることもなかった。森を単独で踏破できる能力があれば、強引に里をでてガンファを探しに行くこともできたかもしれない。

 そもそも、自分がこんな頼りない子供でなかったなら、あの町から逃げ出す必要もなかったのではないか。

 危険に見舞われたら、シイカを護ることを最優先にしろ、とグレンデルは言っていた。しかし今の自分にはそんな力もない。

 誰かに護られているだけでは、理不尽から逃れられないのだと、そんなことを考えているうち、セトは眠りに落ちた。


「剣を教えてくれって?」

 翌日。朝食を食べ終えたセトは、食器を片づけるマーチを手伝いながら、自らの希望を口にした。

「うん・・・自分の身もろくに守れないんじゃ、たとえ里をでることになったとしても、ガンファを探しに行くなんてできないと思うし」

「なるほどねぇ・・・まあ、ユーフォもいるし、あたしも見習いとはいえ基本くらいは面倒見てあげられるけど・・・」マーチはしばらく思案顔をしていたが、やがて向きなおって言った。

「じゃあ、あんたはあたしに何か教えてくれるの?」

「えっ?」

「だって、里に残らないかもしれない人に、ただ技術を提供してあげるだけって訳にいかないもの。なにかある?ちなみに金貨とか意味ないわよ。ここじゃお金、使わないから」

「うーん・・・」セトは考え込んでいたが、そのうち思い浮かんだことがあった。「じゃあ、ラグスの乗り方を教えてあげるよ」

「ラグスって、まさか・・・」


「ちょ、ちょっと!これ、本当に大丈夫なの?」

 マーチら里の自警団が訓練に使っている小さな広場。屈み込んだラグスの上にまたがって、その胴体を覆い尽くしている長い毛をつかんだマーチだったが、その姿勢はどう見ても不安定だった。

「大丈夫だよ。手じゃなくて、太ももをしっかり締めてバランスをとるんだ。それじゃ、立ち上がらせるよ?」

「待って、ちょっと待って・・・わぁっ!」

 セトの合図でラグスが畳んでいた足を伸ばし、立ち上がろうととすると、マーチはあっさりとバランスを失った。思わずつかんでいた手を離してしまい、そのまま背中から地面に落ちる。

「いったぁ・・・」

「変に暴れるからだよ。馬に乗れるんだったら、そんなに難しくないと思うんだけど?」

 言いながらセトはもう一頭のラグスにまたがると、軽く舌を鳴らして立ち上がらせた。

「ほら、こんな感じ。バランスが悪く見えるかもしれないけど、実際にはそんなことないから」

「うう・・・なんかくやしい。もう一度!」

 あっさり立ち上がったセトを見て、持ち前の負けん気を刺激されたマーチは立ち上がると再びラグスの体毛をつかみにかかった。当初は得体の知れないシルエットを持つラグスを気味悪がっていたが、セトへの対抗心がそれを忘れさせたようだ。

 その様子をユーフォが少し離れた位置から眺めていると、オーディが近づいてきた。今日は鎧を身につけておらず、槍も持っていない。

「よう、オーディ。今日は休みか?」

 オーディに気づいたユーフォが声をかけたが、オーディは特に返事をせずにユーフォの横に並んだ。

「・・・ずいぶん、仲がよさそうっすね」

「なんだ、やきもちか?」

「そんなじゃないですけど・・・。外からきたばっかりのヤツに、ずいぶん気を許してるな、って」

「確かにな。まぁマーチと同年代の人間がここにはずっといなかったから、はしゃぐ気持ちも分かるだろう」

「確かにそうですけどね・・・」言いながらも、オーディは面白くなさそうだ。

「おまえも教えてもらったらどうだ?オレは身体が大きすぎて無理だったが、おまえくらいの体格だったらいけるんじゃないか?」

「そこまで野暮じゃありませんよ・・・。そういえば、もうひとりいた女の子は?」

「こっちには来てないよ。ソナタさんについていってるんじゃないか?」

 男ふたりがそんなやりとりをしている間にも、マーチはなかなかラグスを立ち上がらせることができないでいた。ちょうど今も派手に振り落とされたところだ。

「マーチ、センスないなぁ」

「くぅー・・・。あんた、この後の剣の訓練、覚えてなさいよ!」

 上から目線で言われて、マーチは尻餅をついた格好のまま悔しげにうめくのだった。


 そのころ、シイカはソナタにつれられて里からほんの少しだけ森にはいったところに流れている川辺に来ていた。ほかにも数人の女性が同行している。

「ここも一応、里の外だからね。危険はないけど、離れて歩くと迷うから、気をつけてね」

「はい・・・それで、ここでなにを?」

 とりあえずソナタの手伝いをする、ということだけでついてきたシイカがそう尋ねると、ソナタはいきなり自分の腰帯をほどき、服を脱ぎ始めた。周りの女性たちも同じようにしている。

「なにって、川ですることっていったら洗濯だよ!里の住民全員分をまとめてやるんだ。ほら、シイカちゃんも脱いだ、脱いだ!」

 あっという間に下着姿になったソナタは、ひとりだけ服を着たままのシイカを脱がせにかかった。

「わ、じ、自分で脱げますから・・・」

「なにあんた、細いねー!胸もおしりもちっちゃいし、たくさん赤ん坊を産もうと思ったら、もっとお肉をつけなきゃ!」

「あの、あの、はなして・・・」

 服を脱がされるついでに無遠慮に身体を撫で回されて、シイカは息も絶え絶えといった風情だ。

「あたしがおいしいご飯を作ってあげるから、たくさん食べなきゃだめだよ!」

 結局、下着姿にされるまで解放してもらえなかった。最後に背中を大きく叩かれて、シイカは咳き込んだ。

 この里での洗濯は、人が四、五人は入れる大きな桶に川の水を張り、そこに灰を獣脂で固めた石鹸を砕いたものを入れたあと洗濯物を入れ、複数の女性たちで踏み洗いをするというものだった。

 シイカも踏み洗いをしてみたが、体重が軽いので効果が薄いとなり、すぐにお役御免になってしまった。その後は洗い終わった洗濯物を干す作業を手伝った。里の住民全員分となればたいそうな量なのでそうすぐには終わらず、里の女性たちも何度か役割を交代しながら作業を進めている。

「ところで、シイカちゃんはあの男の子・・・セトくんのことはどう思ってるの?」となりにきたソナタがそう聞いてきた。

「えっ?」

「セトくんは兄妹ですー、なんて言ってたけど、あんたもそう思ってるのかい?」

「私は・・・そうですね、兄妹とは、少し違うのかもしれませんね」

「やっぱりそうなんだね」

 シイカがそう答えると、ソナタは我が意を得たりとばかりにうなずいた。

「応援してあげたいのは山々なんだけど、マーチもずいぶんあの子のことを気に入ったみたいだからねぇ。母親としては困ってしまうね」

「あ、そういうことではないんですが・・・」

 シイカは苦笑混じりに否定したが、ソナタは聞いていないようだった。

「あの子には一応決まった相手がいるんだけどね。ただ、八つも年上だし、悪い子じゃないんだけど、どことなく頼りない子でねぇ。ほら、門番のオーディって子なんだけど、もう会ったかい?」

「えーと・・・」

「それでもこの里じゃそもそも出会いがないから、ずっと独り身でいることになるよりはいいかと思ってたんだけど・・・。自分で気に入った相手を見つけられるなら、やっぱりその方がいいわよねえ?」

「そう・・・ですね・・・?」

「そういうわけだから、シイカちゃんの応援はしてあげられないなぁ。でもセトくんも、こんなにかわいいシイカちゃんと二年も一緒に暮らしてたっていうのに何にも気づいてないなんて、ちょっと朴念仁なところがあるのかしらねぇ・・・?」

「あの・・・」

 ソナタはすっかり作業の手を止めて、しゃべることに夢中になっている。シイカがなにを言っても聞いてもらえず、かといって無視することもできない。さらに近くにいた女性たちも数人がおしゃべりに参加すると、川べりはあっという間に女性たちのかしましい声でいっぱいになった。

 こんな風にして会話の渦に巻き込まれる経験のなかったシイカは、その場から逃れるきっかけもつかめないままに、四方から矢継ぎ早に繰り出される言葉の奔流に飲み込まれていくのだった。


「うう、なんだか疲れたな・・・」

「なんでシイカが疲れてるのさ。僕なんかもう腕がパンパンだよ」

 夕食を終えたセトとシイカは、今日もセトの個室でくつろいでいた。

「剣の稽古、きつかったの?」

 セトはベッドにうつ伏せに寝転がり、今にもそのまま眠ってしまいそうだった。

「うん・・・まずは真剣の重さに慣れないと話にならないって、今日はずっと剣を振らされてたんだ」

 セトはシュテンにいた頃から剣を習っていたが、手習い程度であってそれほど本格的に時間をかけて剣を振ったことはこれまでなかった。

「そのあとアンプにも診てもらったし、ちゃんとユーフォにマッサージしてもらってたじゃない」

 部屋の入り口から声がして、ふたりが視線を向けるとマーチが立っていた。お盆にカップをみっつ乗せて持っている。

「はい、これ。筋肉を柔らかくするのよ。シイカもどうぞ。おいしいから」

 セトがベッドから起きあがる間に先にカップを受け取ったシイカが口を付けると、果物を搾ったジュースだった。さわやかな酸味があって、確かにおいしい。

 セトよりもシイカが気に入った様子で、セトが二口三口と口を付ける間にすぐ飲み干してしまった。

「お母さん、シイカのことをずいぶん気に入ったみたいよ。明日もまた問答無用で連れていかれると思うから、覚悟しておいてね」

「連れていかれるなんて・・・私も楽しかったですよ」

「でもうちのお母さん、ずっと横にいるとやかましいでしょ」

「そんなことは・・・」

 思わず言葉を濁してしまって、マーチに笑われてしまった。

「で、セトは明日もこっちに来るでしょ?それとも、腕が動かないかな?」

「行くさ。こっちから頼んだのに、一日でめげたりしないよ」

「そう、良かった」マーチはいたずらっぽい笑みを浮かべた。「セトが剣を学びたいって言ってくれて良かったわ。おかげで『お目付け役』のあたしも、畑仕事に回されなくてすんだし」

 マーチ自身、里の中での立場は兵士見習いといったところである。セトを襲った小鬼を逃がしかけたことで、その地位すら追われかかっていたのが、里長のテスからセトの監視を言いつけられたおかげでその危機から脱したのだった。

「やけにあっさり引き受けてくれたと思ったら、そういうことか」

「まあまあ。双方にメリットがあるってことで、いいじゃないの。・・・さて、そろそろ寝ようかな。明日も厳しくするから、セトもよく休まなきゃだめよ。ほら、シイカ。行こう」

 マーチは椅子から立ち上がり、シイカを促すと自分は空になったカップをお盆に乗せた。

「あんたたちは早くこの里をでたいんだろうけど、あたしは・・・」

「なに?」

「なんでもない。じゃあ、また明日ね」

 マーチは言葉を濁したまま出ていってしまった。シイカもそれに続く。

 セトは、マーチがなにを言いたいのか何となく察することはできた。だが、それを純粋にうれしく思うことはできなかった。

「ガンファ、今どうしてるかな・・・」

 はぐれたきりのガンファの身を案じ、セトの心は明かりの消えた室内同様に暗く沈むのであった。


 そのころ、ガンファはまだ森の近くにいた。

 姿をくらませてしまったセトとシイカの行方を探して、獣車の轍のあとを追い、セトたちが森の中へ入ったらしいことはわかった。しかし森の中は道が悪く、轍もとびとびに切れているうえ、この先はだんだんと道が細くなっており、獣車はそれほど奥まで入っていけるようには見えない。

 日が落ちてしまい、今日はこれ以上の捜索は無理と判断して森のはずれで火を焚いて休むことにしたのだった。

「でもどういうことだろう?森の中に入っているなんて・・・」

 ガンファは首をかしげた。

 セトにしろシイカにしろ、言いつけを破るような子供ではないから、何かトラブルに巻き込まれたとみるのが自然ではある。しかし、たとえば森の狼などにおそわれたのだとしたら、森にはいるより森から離れる方が賢明だ。

「なにかに、捕まったのか?でも・・・」

 フェイ・トスカら魔王軍の関係者に捕まったのならば、近隣の都市へ連れていかれるだろう。野盜の類だとしても、わざわざ森の奥まで連れていく必然性はない。

 さらにガンファの不安をあおるのは、獣車が森に入ったと思われる、そのすぐ近くに転がっていた一匹の小鬼の死体だった。昨日、セトたちが行方をくらませた後、轍の跡をたどっていったときは確かにそこにあった。だが、一日経って今日再び同じところへ行ってみると、死体は影も形もなくなっていた。

 実際には、里の人間がセトたちを運び込んだ翌日に死体を処分したのだが、ガンファにはそこまでのことはわからない。

 だが、その死体とセトたちが無関係であるとは思えず、ガンファの心配は募った。

「やはり・・・ユーフーリン様に助力を頼むべきか・・・」

 今日一日、轍の跡が見えなくなったあたりを中心に森の中を歩き回ったが、なにも収穫を得ることはできなかった。

 あまりにもぱったりと唐突に手がかりが潰えてしまっており、ガンファはそこに多少の不自然さも感じていた。論理的な考え方が通用しない状況には、魔法の力が絡んでいるということもよくあることだ。

 ガンファには魔法の素養がない。一方で、ガンファが頼ろうとしているユーフーリンは、高知能の魔族で魔力も強い。領地までは距離があるが、このままひとりで森の中をさまよい続けているよりは状況を改善できるように思われた。

「よし・・・」

 ガンファは立ち上がると、焚き火に砂をかけた。決めた以上、一刻も無駄にはできない。一度大きく息をつき、身を沈めると、勢いよく駆けだした。

 その速度は、全速力のラグスもかくや、とばかりのハイスピードだ。普段の静かな物腰からは想像もできないが、巨人族であるガンファの身体能力はやはり人間とは比較にならなかった。

 だが、ユーフーリン領は獣車で三日はかかる距離である。ガンファがどれほど駆けても二日はかかるだろう。安否のわからないセトたちのことを思えば、その時間すら惜しく思えて、ガンファの心は逸った。

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