隠れ里の長
セトはアンプの言ったとおり、翌日の朝には目を覚ました。
熱もすっかり引き、一日寝ていた診察台から降りると少しばかり足をふらつかせてシイカをあわてさせたものの、腫れ上がっていた右腕も特に問題なく動かせるようだった。
アンプは湯を沸かすと病人用の薄い穀物粥と薬草茶を作ってセトにふるまった。薬草茶はシイカにも渡された。
「今日明日くらいは激しい運動は控えた方がいいけど、後遺症が残るたぐいの毒じゃない。よかったね」
「ありがとうございます、アンプさん」
セトはシイカほどにはアンプを警戒していないようで、粥も茶も素直に口にして礼を言った。それから何かを探すように辺りを見回す。
「・・・ここに住んでいるのは、あなただけですか?」
「ん?そうだよ。治療院もかねているから、来客は多いがね」
「主人は、別のところに?」
「ああ、そういうことか」
アンプはセトの疑問を理解した。セトは魔族の姿を探しているのだ。
「それについては、このあと説明があるよ。君を助けた女の子があとでやってくるから、彼女についていってくれ」
「・・・?」
アンプはそれで言うことは終わり、とばかりに食べ終えたセトの食器を回収すると奥へ引っ込んでしまった。
「ここ、魔族はいないみたい」代わりにシイカが教えてやった。
「・・・どういうこと?」
「私にも、よくはわからないけど・・・。何か事情があるみたい」
セトとシイカが顔を見合わせていると、そこへマーチがひとりでやってきた。今日は武装していないが、服装は男性的なパンツ・スタイルである。
「あ、起きてるわね」
「君は・・・」
「マーチよ。あなたは確か、セトだっけ」
マーチは腰に手を当て、上から目線でセトを諭した。同じところに並んでたつと、背丈も少しマーチの方が高い。
「剣を持つなら、自分の状態ぐらい把握できるようにしておきなさい。あなたが傷を負っていたことがすぐわかっていたら、あの場ですぐに対処できたかも知れないんだから」
「う、うん・・・ごめん。ありがとう」
「おかげで二日続けて里長の小言を聞く羽目になったわ。・・・というわけだから、準備がよければふたりとも連れていくけど?」
セトは頷きかけて、ふと思い出した。「ラグスたちは?」
「ラグス?」マーチはその単語に思い当たるものがなかったが、「荷車を引いていた動物」というセトの答えを聞くと途端に苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「いちおう、そのまま外につないであるけど・・・。ねぇ、あれってなんなの?昨日は気にしてる余裕もなかったけど」
「なんなのって・・・ラグスはラグスだけど」
「魔物でしょ!?」
「うん・・・まあ。でも速いし賢いし、おとなしい動物だよ。そんなに珍しくもないと思うけど・・・見たことなかったの?」
シュテンの町でもラグスは飼われていて、セトも世話を手伝ったことがあるし、街道をつなぐ定期便に、馬の代わりに採用している地域もある。普及したのはここ数年のことだが、ここまで驚かれるのも少々意外だ。
セト、シイカ、マーチの三人が外にでると、建物の脇の陰になっているところに、ラグスたちは荷車ごとつながれていた。荷車の上にはセトたちの荷物もそのまま積まれてある。
セトとシイカが近寄ると(マーチはある位置までくると足を止めた)、ラグスたちは甘えるような声を出した。お腹が空いているのだろう。
「なにか食べさせてあげたの?」セトが聞くと、シイカは首を振った。
「お願いして、水はあげられたんだけど・・・」
セトはマーチの方を振り返った。
「ねぇ、こいつら一昨日の晩から走り通しで、何も食べてないんだ。家畜用の飼料とか、分けてもらえないかな?」
「それ、何を食べるの?・・・っていうか、どうやって食事するの?」
マーチは遠巻きにしたままでセトに尋ねた。ラグスの太い二本の肢にのっかっている上半身は全体が毛に覆われた球体で、どこに顔があるのかもわからない。
「穀物のたぐいだったら、何でも食べるよ。草も食べるし・・・。放牧地があるなら、そこに放してやれば勝手に草とか食べるんだけど」
「そんなことできないわよ!・・・わかった、何か持ってきてあげるから、待ってなさい!」
マーチは下手に放したら家畜を食い殺されるとでも思ったのか、大げさに手を振って制止のジェスチャーをすると、あわてて走り出した。
「あー、気持ち悪いもの見た・・・」
「そうかなぁ。慣れればかわいいと思うけど」
セト、シイカ、マーチの三人は里長の住む屋敷へと向かっていた。
あのあと、マーチは飼い桶に飼料を入れて戻ってきた。セトがラグスの前に置いてやると、ラグスのけむくじゃらの球体が突如割れて(少なくともマーチにはそう見えた)、そこからぎっしりと歯の生えた口がのぞいたのだ。
ラグスたちはすぐに球体ごと口を飼い桶に突っ込んで食事を始めたので、その光景はほんの一瞬の出来事だったが、マーチの脳裏にはしっかりはっきりと刻み込まれてしまったのだった。
「直接乗ることもできるんだよ。なんならあとで乗ってみる?」
「乗るって、馬みたいに?」
「そう。ホントは、馬銜と一体になった専用の鞍があるんだけど、コツをつかめばそんなのなくても乗れるよ」
「あんたも乗れるの?」
「一応・・・速く走らせるのは難しいけど、乗るだけなら馬よりも楽かな。おとなしいし」
「ふうん・・・。あ、見えてきた。あそこが里長のお屋敷よ」
マーチが指さした先に建っているのは周辺にあるのと変わらない木造平屋の建物だった。一応、大きさは一回り大きいようだったが。
セトは、少し後ろをついてきていたシイカを振り返った。あまりしゃべらないのはいつものことだったが、表情は少し緊張しているようにも見える。
「里長はちょっと口やかましいけど、別に悪い人じゃないから。そんなに緊張しなくてもいいわよ」
マーチの言葉はふたりに向けられたものだった。言われて、セトは自分も緊張していることに気づいたのだった。
屋敷の入り口は多くの建物がそうであるように扉はないが、簾がかけられていて中の様子は見えなかった。マーチは簾を無造作にかきあげると、そのまま中へ入っていく。
セトたちも続いて中にはいると、広間になっていた。入り口すぐの部屋が一番大きいのは珍しいことではないが、一般的な家のそれに比べるとこの屋敷の広間は広い。おそらく里の集会所なども兼ねているのだろう。
広間の中央には十人ほどが同時に席に着けるであろうテーブルがおかれ、その一番奥に男性がひとり、椅子に座ってセトたちを待っていた。
「里長、連れてきましたよ」
マーチはそう言うとセトを促し、前に進ませた。
「君たちがマーチの連れてきた客人か。確かにずいぶん若いね」
里長は椅子に座ったまま、進み出たセトとシイカを一瞥してそう言ったが、その里長自身もセトが想像していたよりずっと若い。長というから、セトはグレンデルのような老人の姿を思い浮かべていたのだが、目の前の男性はせいぜい四〇歳に届くかどうかといったところだ。
「私はこの里を取りまとめているもので、名はテスという。君たちの名前は?」
「僕はセト。この子は、シイカ」セトは名乗ると、頭を下げた。「助けていただいて、ありがとうございました」
「まぁ、まずは座りたまえ。少し長くなるかも知れないからね。マーチ、お茶の用意を頼むよ」
「はーい」マーチは間延びした返事をすると、かまどの方へ向かっていった。セトとシイカはテスの向かいの椅子に並んで座った。
「まず・・・」テスは視界をちらりと動かして、入り口脇のかまどに吊してあるやかんを外し、お茶の用意を始めたマーチを見やった。
「お礼を言ってもらったけれど、マーチとユーフォに聞いた限りでは、君たちを襲ったのは武器を持った小鬼だったそうだね?」
「はい。手斧に毒が塗ってあって、それで・・・」
「それならむしろ、こちらが謝罪をしなければならないね。その小鬼はこの里を探っていた魔族の手下で、マーチたちが追っていたものなんだ。彼女が森の中で確実にしとめていれば、そもそも君たちが襲われる理由もなかったんだからね」
「でも、助けてもらいましたから」セトはきっぱりと言った。「原因が何であっても、恩は恩だって、じいちゃんが言っていました」
「なるほど。・・・ユーフォは君たちのことを逃亡奴隷ではないかと言っていたけれど、あまりそうは見えないな。魔族に虐げられていたにしては、ずいぶんとまっすぐだ」
「僕は虐げられてなんか・・・」
「まあいい」テスはセトの言葉をさえぎった。「まずはこの里のことについて、言っておかなければならないことがある」
そこへ、マーチがお茶を運んで戻ってきた。最初にテス、それからセト、シイカの順に素焼きのカップを並べていく。
お茶は薬草をせんじたものだったが、アンプのところで出されたものほど薬臭くはなく、漂う香りは心を落ち着かせる効用のあるものだった。
マーチはお茶を配り終えるとテーブルから離れ、テスの斜め後ろに控えた。
テスはお茶を一口すすると、少々大げさに顔をしかめた。「ちょっと渋いな。彼女は剣術だったら男にも負けないが、パンを焼いたりお茶をいれたりはどれだけやらせても上手くならん。まぁ飲めないほどではないから、我慢してくれ。・・・さて、君たち。里の様子は見たかな?」
「僕は、さっき目覚めたばかりなので・・・シイカ?」
「私も、少ししか見ていないけれど・・・。この里には、魔族が一人もいないんですね」
シイカはお茶の入ったカップを両手で包み、手を暖めながら言った。
「その通りだ」テスはまた一口、お茶をすすった。今度は真面目な表情を崩さずに、シイカ、そしてセトを見やった。
「ここには支配する魔族はいない。ここは人間だけの隠れ里なんだ」
槍を担いだオーディは、里の入り口を警護するのが仕事だ。だが、彼は先ほどからずっと里の奥、里長の屋敷の方ばかり眺めていた。
「こら、どっちを見てるんだ」
「うわっ、ユーフォさん」
肩をたたかれて振り返ると、ユーフォが立っていた。表情は穏やかだが、オーディよりも頭一つ大きいユーフォはそこにいるだけで威圧感がある。オーディはあわててごまかす。
「いや、今はたまたま・・・。それに、どうせ入り口には目くらましの魔法がかかってるんだから、なにも入ってきやしませんよ」
「まったく・・・。そんなに気になるのか?」
「そりゃあ、まあ。なんなんですか、あいつら?」
「さぁな。それを調べるためにも屋敷へ連れていったんだろう」
「マーチは昨日からつきっきりだし・・・」
オーディが口をとがらせると、ユーフォは苦笑した。
「気になってるのはそこか。そもそもあいつらを里に入れると主張したのはマーチだからな。・・・おまえはマーチの婚約者のようなものだから、おもしろくないのかもしらんが」
「い、いやそういうことじゃ・・・」オーディは赤面した。
「ああでも、もしあの連中がこの里に住み着くことになったらわからんな。マーチと歳の近い男がおまえくらいしかいない、というのがそもそもの問題だったわけだし」
「歳が近いって言っても、八つは離れてるんですけどね・・・って、あのガキども、ここに居着くんですか!?」
「最終的には里長が決めるだろうが・・・。若者が少ないのはこの里の問題点の一つだからな。希望されたら断らないんじゃないか?」
ユーフォがからかうような笑みを向けると、オーディはおもしろくなさそうに顔を背けた。
「私はかつて、レジスタンスの中心人物だった」
「レジスタンス?」
「抵抗組織のことさ。魔族と人間の戦争は人間の敗北に終わったが、私はあきらめが悪くてね。唯一生き残った王族を旗頭に立て、同じようにあきらめが悪い人間を集めて戦ったんだ」
「この里が、そのレジスタンスなんですか?」
セトの問いに、テスは肩を揺すって笑った。
「かつて、と言っただろう。・・・レジスタンスはつぶされたさ。私はかろうじて生き延びた。それでも、魔族の奴隷として生きるのは耐えられなくてな。こうして森の中に隠れ里を作り、外界との接触を断って暮らしている」
「だけど、魔族に見つからずに暮らしていけるんですか?森の中とはいっても空は開けているし、魔族の中には空を飛べるものだって・・・」
そう質問したのはシイカだった。
「もちろん、ただ森の奥に引っ込んでいれば見つからないなんてことはないだろうね。対策はしてあるさ。この里全体に特殊な魔法がかかっていてね。空からでは周りの森と同化して見える。入り口も、里の者でなければ分からないようになっているんだ。君たちも、里をでて森に入ったら二度と戻ってこれないから、気をつけるようにね」
そこまで話し終えると、テスはお茶をすすった。カップをおくと両手を組んで、ふたりをみる。「さて、次は君たちのことを聞こうか。君たちは何者だ?なぜふたりで森のはずれに?」
セトはシイカをちらりと見やったあと、口を開いた。
「逃げてきました」
「どこから?」
「それは・・・言えません」セトは言葉を濁した。
「ふむ。警戒されているかな?」
「ごめんなさい。でも・・・あの、すぐに出ていきますから」
ふたりだけで行動することは不安も大きかったが、ガンファを探しに行かなければいけない。テスの言うとおり、この里が外からは見つからないというのならば、自分たちで探しに行くほかはないのだ。
だが、テスの返答は予想外のものだった。
「・・・申し訳ないが、それは認められない」
「えっ!?」
「先ほどもいったように」テスの目つきがにわかに鋭くなったように感じられた。「この里は、外界との接触を断つことで魔族からの支配を免れている。君たちを解放することで、この里の存在を知られてしまうおそれがある」
「そんな・・・でも、はぐれたままの人がいるんです!」
「残念だが、あきらめてもらうしかないな。里から出ない限りは、君たちの自由は保障する。当面は監視をつけさせてもらうが・・・。マーチ、君が面倒を見るように」
「あたしですか?」仏頂面で後ろに控えていたマーチだったが、突然話を振られて驚いた声を上げた。
「そもそも君が連れてきた客だし、年齢も近いようだからな。彼らが里になじめるように、心を尽くしてやってくれ」
「はぁ・・・それじゃ、家に連れていきますけど」
「よろしく頼む」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
勝手に話を進めるテスとマーチに、セトは身を乗り出して抗議すると、テスはやれやれといった風情で前髪をかきあげた。
「まぁ、なにも一生閉じこめておこうというわけじゃない。近頃は魔族がこのあたりをよく捜索していてね。君たちを襲った小鬼もそうなんだが・・・。もうしばらくしたらそれも止むだろうから、そのときにこっそりと出してあげよう。君たちがこの里のことを口外しないという条件付きだが・・・とりあえずひと月くらいは様子を見ることになるかな。なに、この里の暮らしだってそんなに悪いものじゃない。魔族の奴隷として生きるよりは、よっぽどね」
言うべきことは言ったとばかりに、テスは立ち上がった。セトは食い下がろうとしたが、テスの冷たい視線に射抜かれると、声を出せなくなってしまった。
「ではマーチ、後は頼む」
テスは奥へと引っ込んでしまった。
その場に残されたのはセト、シイカ、そしてマーチの三人。
「セト、大丈夫?」シイカがセトをのぞき込んで声をかけた。セトの顔色は少々青ざめている。
「うん・・・。でも、あの人、なんだか怖いひとだね」
「里長が?そうかなぁ」
応じたマーチは、いつの間にか自分用のお茶を淹れてすすっていた。テスがいる間はおとなしくしていたが、すっかり砕けた調子に戻っている。
「あんな風に睨まれたの、初めてだった」
「睨んでた?そんな風には見えなかったけど」
マーチはセトの隣の椅子に腰を下ろした。
「なんというか・・・敵意があるという感じではなかったけど。すごく冷たい目をしてた」
「まぁ、戦争の頃はいろいろあったひとらしいから・・・。その辺の話は、あたしも詳しくは知らないんだけどね」マーチは努めて明るい声を出していたが、セトの表情は晴れなかった。
「それにしても・・・ガンファを探しに行かなくちゃいけないのに」
「ガンファって、はぐれたって言ってた・・・。もしかして、あの薬草の持ち主のこと?」
「ガンファは薬草師なんだ。町でも一番の腕前だった。でも僕たちを逃がしてくれて、別の町まで連れていってくれる途中だったのに・・・。ちょっとしたことではぐれちゃったんだ」
「行く当てがあったんなら、その人だけ先にそっちへ行ったのかもしれないよ?この森は水も豊富だし、木の実や果物もそこらじゅうにあるから、万が一迷ったとしてもしばらくは生きていられるし・・・。そんなに悲観しなくても大丈夫だよ、きっと」
「うん・・・ありがとう」
マーチの言葉は気休めは気休めだったが、落ち込んでいる自分を安心させたいという誠意が伝わってきたので、セトは礼を言った。
マーチは立ち上がると、四人分のお茶の入っていたカップをまとめて台所へ持っていった。瓶に溜めてある水で軽く中をすすぐと、ふきんで拭いて棚へ戻したあと、セトたちのところへ戻ってきた。
「さ、あたしの家へ行こ。あんたたちの寝床の準備をしなきゃならないし、お母さんにも紹介しなきゃ。おいしいものを食べてぐっすり眠れば、きっと気持ちも晴れるからさ」