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森奥の里

    二


 毒に侵され、気を失ったセトを乗せた獣車が走り出してから一クラム(約三〇分)あまり、手綱を握ったマーチはともすれば止まりそうになる疲れたラグスを叱咤しながら、獣車を走らせ続けた。

「まだ、着きませんか?」

 不安げにそう尋ねるシイカは、毒を含んだ血が脳に回るのを少しでも抑えるために、意識のないセトの身体を横にして傷口を上に向け、頭を自らの膝の上に載せていた。セトは時折呻くようにするので少なくともまだ死んではいないが、体温はどんどん下がっているようにも感じる。

「じきに着く。あまり顔を上げないでくれ」

 荷台に乗っているもうひとり、ユーフォは険しい顔つきで荷台の外を見ながら答えた。

 マーチが獣車を走らせ始めてすぐに、ユーフォがシイカに要求したことが、できる限り周りをみないでくれ、ということだった。

 向かっているのはふたりが住む里のはずだが、どうもその『里』というのはふつうの里ではないらしい。周りを見るな、というのは彼らの里への道筋を見せたくないからだろうか。光の当たり方からどうやら森の中へ入ったらしいことはわかったが、先ほどから同じところをぐるぐると回っているだけにも感じられて、シイカの不安は募った。

 そもそも、このふたり組は人間だけで森を徘徊し、しかも魔物を狩っていたのだ。魔族が領地を荒らす魔物を討伐するということはあるが、魔物討伐のためだとしても武装した人間の自由行動を許すなんてことがあるだろうか?

 はぐれたガンファのこともある。こうして道筋もわからない状態で彼らの『里』に連れ込まれてしまったら、もう自力では先ほどの場所まで戻ることもできないのだ。ひょっとしたらこのまま二度と合流できない可能性も──。

 考えれば考えるほど、自分たちが厄介な状況にどんどんはまりこんでいるように思えてきたが、セトがこの状態では流れに身を任せるよりほかになかった。

 うつむいてそんなことをぐるぐると考えていたシイカに向けて、マーチの声が威勢良く響いたのはそのときだった。

「着いたよ!突っ込むから、身体を伏せていて!」

「えっ?・・・きゃっ!」

 思わずシイカが視線を向けると、進行方向に細かい樹木が幾重にも絡んでできた、自然の生け垣があった。しかしマーチはまったく速度をゆるめず、そのまま生け垣に突っ込んだ!

 シイカがあわてて身を屈めると、身体のあちこちに木の枝が当たる感触があった。だが、予想していたほどではない。やがてその感触もなくなった頃、獣車がゆっくりと止まるのがわかり、シイカは身体を起こした。

 視界に入ってきたのは森ではなく、開けた空間だった。遠くにはいくつかの建物が見えている。どうやら、ここがマーチたちの暮らす『里』であるようだった。

 一行の元に、簡素な鎧を身につけ、槍を携えた若い男が寄ってきた。

「なんだぁ?エラい荷物だな、マーチ。戦利品か?」

「そんな場合じゃないの、オーディ。アンプはどこ?」

 オーディと呼ばれた男──やはりどう見ても人間である──はマーチにそう言われるとのんびりとした表情を険しくした。「なんだ、怪我したのか!?」

「あたしじゃないけどね」と聞くとオーディはまた少し表情を和らげた。「アンプなら、さっき薬草取りから帰ってきたところだ。今頃は自分のところで仕分けの最中じゃないかな」

 マーチはそれだけ聞くと、オーディから目線をはずして「ありがと」と言葉だけの礼を言うと再び手綱を握った。ラグスたちはいつになったら休めるのかと不平そうな鳴き声をあげたが、マーチが手綱を鳴らすとしぶしぶとまた走り出す。

「お、おい!それごと行くのかよ!里長に報告は!?」

「けが人置いたらすぐに行くわよ!なんならあんた行っといて!」

「そんなことできるか!・・・あーあ、本当に行っちまった」

 置き去りにされたオーディは、チェッとつまらなさそうに舌を鳴らした。

「・・・そういえば、あの車、マーチと、ユーフォと・・・もうふたり乗ってたな。ありゃ、だれだ?」


「アンプ!」

「やあマーチ。今日も威勢がいいね」

 マーチは血相を変えて飛び込んでいったが、たくさんの薬草に囲まれた男は顔色一つ変えなかった。

 年齢は四〇台半ば、細身で長身、ウェーブのかかった長髪をうなじのあたりで無造作にしばったその男こそ、マーチが探していたこの里の薬草師、アンプである。

 オーディが言っていたとおり、薬草採取から戻ったばかりのアンプの仕事場は、たくさんの薬草が広げられていた。まだかごに入ったままのものもあり、室内は独特のにおいが充満している。

「アンプ、急病人よ。小鬼の毒にやられたの」

「なんだって?」

 ユーフォがセトを背負って室内に運び入れる。診察台の上にも薬草が広げられていたが、マーチがそれを無造作にどかすと、セトはそこに横たえられた。

「これは・・・まずいな」

「手遅れってこと!?」

 セトをみるなり険しい表情でアンプがつぶやくと、マーチが噛みついた。ユーフォの後ろについて室内に入ったシイカも絶句する。

 確かにセトの右腕は赤黒く腫れた部分がかなり広がっており、素人目にはかなり危険な状態に見える。

「いや・・・そういうことじゃない。ちゃんと治療をすれば問題なく回復できる段階だが・・・。毒の治療に有効な薬草が、ここにはほとんどないんだ」

「こんなにいっぱい草があるのに?」

「一つの森から採れる草の種類っていうのは限られているんだよ。この森からは疲労回復や切り傷の炎症を防ぐ効能を持つ草はたくさん採れるんだけどね・・・」

「あの、これ・・・」

 頭を抱えるふたりにおずおずと声をかけたのはシイカだった。胸にはガンファの薬草が入った麻袋を抱えている。

「そうだ!この中に使えるものはない?」

 マーチに言われて袋の中をのぞき込んだアンプは、しばらく無言のままそうしていたが、突如「なんだこれは!」と絶叫した。

「リクの葉に、エンキの根・・・。シホの花まである!それにこの粉末は、まさかあのヤクシャールでは・・・あわわわ」

「固有名詞出されてもあたしたちにはぜんぜんわかんないんだけど、使えるものはあるの、ないの?」

「あるには、ある」アンプは麻袋にほとんど顔をつっこんだ状態だったが、顔を上げるとマーチではなくシイカの方を見た。「だが、はっきりいってちょっとした毒消しに使うのはもったいないくらい貴重な草ばかりだ。・・・本当にこれ、使っていいの?」

「私のものではないのですが・・・」シイカは戸惑ったが、そうはいっても持ち主のガンファはここにおらず、セトが意識不明のままではシイカが答えるほかはない。「持ち主も、この状況ならかまわず使うでしょう」

「わかった。ならさっそく治療にかかろう。上着を脱がせるからユーフォ、手伝ってくれ」

 アンプはユーフォに指示をしてセトの身体を起こさせると、上着を脱がせ、上半身を露わにさせた。すると、セトの首元がきらめいた。

 光ったのはセトが身につけていた首飾りだった。グレンデルから別れの際に手渡されたそれには、粗末な服装のセトには不似合いなほど精巧な竜の細工が施され、宝石まではめ込まれている。

 アンプは一瞬だけそれに目をやると、すぐに何事もなかったようにセトを診察台に寝かせた。

「マーチ、ユーフォ。おまえたちは出なさい」

「えっ、なによ急に?」

「どうせ里長への報告もまだなんだろう。ここは大丈夫だから、行きなさい」

 急に年上らしい威厳を見せたアンプに戸惑いながらもまだ何か言い募ろうとしたマーチだったが、ユーフォに促されるとあきらめた様子で外へ出ていった。

 シイカはその場に残ったままだったが、アンプは気にする風でもなく、小刀を持ち出すとセトの右腕に当て、腫れている部分を切り開いた。止まっていた血がまた流れ出すが、先ほどよりも色合いは悪い。

「心配しなくても、彼は助かるよ。処置が一段落するまで、座って待っていてくれ」

 立ち尽くしたままのシイカにそう一声かけた後は、もう周囲のなにも気にならない様子で、素早い手つきでセトの治療に集中した。シイカは壁際に腰を下ろしたものの、アンプの処置が終わるまで、不安げな表情を和らげることはできなかった。


 セトはアンプの治療を受けた後も目を覚まさなかった。

 シイカはその間ほぼずっとセトの横にいて、看病をしていた。セトは高熱を出し、盛んに汗をかいたので、水で濡らした布で拭ってやっていたのだ。

 意識のないままのセトが熱に浮かされるようにして呻くと、シイカはそのたび飛び上がるようにして奥の部屋で休んでいるアンプを呼びにいく。だが、返事は素っ気ないものだった。

「薬で、わざと体温を上げているんだよ。汗をかかせて、毒素を一緒に流しているのさ。そんなにおびえなくても、明日には元気になって目を覚ますよ」

 シイカは結局ひとりでセトの元に戻り、また布を濡らしてセトの汗を拭ってやった。ほかにすることも、できることもないのだ。汗を吸った布は少しばかり黒ずんでいるようだった。毒が染みているのだろうか。

 里の空が夕焼け色に染まり始めた頃、マーチがひとりで戻ってきた。包みを一抱えと、木製の水筒を持っている。

「食事持ってきたよ。おいで」

 シイカに声をかけると、奥の部屋へ入っていこうとする。が、シイカがその場を動こうとしないのに気がついて、また声をかける。

「何してんの?」

「わたし・・・いいです」

 シイカがそう言ったのはセトのそばを離れるのが不安だったからだが、マーチはそれを遠慮ととったようだった。

「あたしと、あんたと、あの先生で三人分。もう作ってきちゃったんだから、変な気を使うんじゃないの」

「あっ」

 マーチはシイカの腕をとると、強引に引っ張っていった。


 奥の部屋では、薬草の仕分けを終えたアンプが椅子に座ったままうたた寝をしていた。マーチと、彼女に引っ張られたシイカが部屋に入っていくと、物音に気づいて目を覚まし、大きく伸びをした。

「あれ、もう夕方か・・・。やぁマーチ。食事かい?」

「そうよ。飲み物もあるから、グラス出してきて。三つね」

「君もここで食べるの?めずらしいね」

「この子もいるしね」

 マーチは横を向いて答えた。奥の棚から素焼きのグラスを三つ出してきたアンプはそれを見て意地悪そうな笑みを浮かべた。

「お母さんに叱られたんだろ?で、客人の面倒にかこつけて逃げてきた、と」

 マーチは言葉に詰まり、アンプは今度こそ声を上げて笑った。

「・・・里長にも怒られたし、小言はもうおなかいっぱいよ」

「里長は何だって?」

「森の外まで出すなんて、不手際もいいところだってさ。おまけに・・・」大げさな手振りでしゃべりだしたマーチだったが、シイカと目が合うと唐突に言葉を切った。「えーっと、とにかく食べよう。お腹すいたし」

 マーチが包みを開くと、無発酵のパンにいくらかの野菜と薄切りの肉を挟んだサンドウィッチが三つ入っていた。肉は炙ってあるのか、食欲をそそる香りがぷんと薫った。

 マーチとアンプがそれぞれ手を伸ばし、口を開けてかぶりついた。シイカは空腹を感じていなかったが、ふたりの様子を眺めているうちに、薄い腹がくぅと鳴った。

「食べなよ。おいしいから」

 よくよく考えたら、今日口に入れたのはガンファにもらったハッカの葉くらいなものだった。いろいろなことがあったから自分のことがよくわからなくなっているだけで、本当はお腹が空いているのかもしれない。

 サンドウィッチを手にとって匂いを嗅ぐと、自然と口の中に唾液が出てきた。やはりお腹が空いているのだ、と思って、シイカはサンドウィッチを一口かじった。

「肉は塩漬けだけど、野菜は今日畑でとれたやつだから、新鮮なままだよ。どう?おいしいでしょ」

 マーチの言うとおり、野菜は生のみずみずしさがあった。直前までセト等と暮らしていたシュテンや、それ以前にいたところでも、野菜は塩漬けや酢漬けにして食べることが一般的だったから、シイカは軽い驚きを受けた。

 一口食べた途端、それまで感じなかった空腹感が耐えがたいほどにおそってきて、シイカは二口、三口と立て続けに口に入れた。

「あんまりがっつくとむせるよ・・・。はい、これもどうぞ」

 アンプが水筒の中身をグラスに注いで渡してやる。果実酒だった。森で採れるものを使って作っているのだろう。それもシイカからすればあまり飲んだことのない、酸味を多く含んだ独特の味だった。

 サンドウィッチにしろ酒にしろ、食べ慣れたものではなかったが空腹を満たすためには問題ではなかった。夢中で食べ終えてしまうと、マーチとアンプはまだそれぞれ自分の分を食べている最中だった。


「あの・・・ありがとうございます。助けてもらって、食事までいただいて。お金なら・・・」

「あー、そういう話は里長とやって。明日、寝てる彼の目が覚めたら連れていくから」

 全員が食事を終えた後、シイカがマーチに向かって礼を言うと、マーチはひらひらと片手を振ってそう答えた。アンプの方は、食事を終えると横になり、あっという間に寝息をたて始めてしまっている。

「この里はちょっと特殊なの。まぁ、ちょっとみればわかると思うけど・・・その辺の話も、里長からあると思うから」

「この里には、魔族がいないんですね」

 シイカの指摘にマーチは驚いたようだった。

「里の中は最低限しか見せていないと思ったけど・・・わかっちゃうもんかぁ」

「魔族が支配する土地では、人間はこんなに生き生きしていませんから」

「なるほどね。でも、それを言ったらあんたたちだってそうじゃない?逃亡奴隷のたぐいかと思ったけど、それにしちゃしっかりとした身なりだし・・・。立派な剣も持ってたわよね、彼。てんで使えてなかったけど」

 シイカは答えられなかった。『魔族に支配されていない土地』があるなどと教えられたことはない。目の前の彼女は善人に見えるが、この里がいったいどういう存在なのか、それすらわからないうちには自分たちの事情をはなすわけにはいかないと思ったのだ。

 マーチも、シイカの警戒心に気がついたようだった。

「まぁ、こっちにもそっちにも事情があるってことね。あたしには話してくれなくてもいいけど、里長にはできるだけ素直に事情を話した方がいいわよ。もしあんたたちがこの里に住み着きたいと考えているなら、なおさらね」

 マーチは立ち上がった。「明日のお昼前に迎えにくるわ。アンプは戦争前、元々王国お抱えの薬草師だったらしいから、腕は確かよ。あんまり心配しすぎないで、あんたも寝なさい。じゃあね」

 シイカはマーチを見送ると、セトのそばへ戻った。相変わらず額に汗を浮かべてはいるが、一時期ほど苦しそうではない。汗を拭ってやり、額に手をおくと、熱もだいぶ下がってきているようだった。

「わたしたち、どうなっちゃうんだろうね」

 すでに日は落ち、明かりもない室内は急激に暗くなった。シイカのつぶやきは、あたりを包む静謐な空気を揺らすようにしてしんと響いた。


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