勇者の誕生
王国暦三〇〇二年 七ノ月
一
薄暗い石造りの部屋で、互いに武器を構えて対峙する二つの影があった。
壁にくくられたたいまつの炎を受けた影の一つは小さく、もう一つは巨大だった。
小さな影は人だったが、巨大な影は魔族である。人とは違う異世界に暮らすもの。封印されていた扉をこじ開け、平和な人の世を荒らしにやってきた怪物たち。
光の当たりかたで影が伸びているわけではなく、その魔族は実際に巨大だった。
全長はおよそ八ログ(約五・六メートル、一ログは約〇・七メートル)。身体は全身が毛に覆われていることをのぞけば人の体格をそのまま巨大にしたように見えるが、顔は馬のようであった。頭頂部に二本の角が生え、長い鬣が肩を覆っていた。
強大な魔族の軍勢において第一将軍をつとめる男、その名もイェンゲである。
粗末な腰布のみを身につけ、その手には巨木をそのまま引き抜いたかのような、太い棍棒が握られていた。ただの一撃たたきつければ、人ごときはあっと言う間にミンチになってしまうに違いない。
だが今、イェンゲは肩で息をし、視線も定まっていないようだった。よく見れば、その身体には新しい傷口が幾筋もはしり、鮮血がなお流れ出ていた。
対峙する人の方はといえば、抜き身の剣を正眼に構え、目つきは鋭く、油断なく相手を捉えていた。息の乱れ一つなく、身体には目立った傷もない。明らかにこちらの方が優勢だった。
白銀に輝く壮麗な鎧かぶとを身につけ、左の小手には小振りの盾が取り付けてあった。剣も含めていずれもがかつては世界に散らばっていた伝説の装備である。
男の名前はフェイ・トスカといった。
大陸でもっとも大きな国家サンクリーク王国の騎士にして、いまや世界を救う伝説の勇者と信じられている若者である。
彼の目的は今現在の相手であるイェンゲなどではなく、その先にいるであろう魔王、グローングそのものであった。
イェンゲが、こんなはずではないと言わんばかりに首を振った。焦点を失っていた目が一瞬、正しく相手をとらえ、それと同時にイェンゲが雄叫びをあげながら棍棒を振りかぶった。
魂ごとふるわせるような雄叫びとともに、人の身体よりよほど巨大な棍棒が振りおろされてくる。並の人間なら身をすくませるばかりの光景だが、歴戦の勇者であるフェイが、破れかぶれの攻撃にむざむざ当たる道理はなかった。
落ち着いて軌道を読み、最小限の動作でかわす。棍棒は目当ての目標を肉塊にすることはかなわずに、代わりにその場の石床を盛大に砕く。石の破片があたりに飛び散ったが、そのときにはフェイはすでにイェンゲの懐に飛び込んでいた。
巨大なイェンゲは身体を伸ばして立っている限り、フェイの間合いでは下半身にしか攻撃することができない。だが今ならば、イェンゲは攻撃のために姿勢を低くしており、上半身を攻撃することが可能である。
フェイは剣を下段に構えてイェンゲの身体の直下に入り、右わき腹から左の胸にかけて、伸び上がるようにして斬り裂いた。
一瞬だけ、両者の目が合った。
フェイは万が一の追撃を避けて素早く飛び退ったが、イェンゲにもはやそのような力は残されていなかった。新たな傷口から鮮血を吹き出させながらひざを折り、最後は仰向けになって倒れ、息絶えた。
勇者フェイ・トスカは、剣を振って刀身についた血を払うと、鞘に収めた。それから動かなくなったイェンゲに近づいた。
死体から漂ってくる悪臭に耐えながら腰布のあたりをしばらく探ると、やがて自分の拳ほどの大きさの宝珠を見つけ出した。
「これが、結界をとく鍵か」
フェイは、青く澄んだ光をたたえる宝珠をしばらく眺めた後、それを腰に下げた道具袋の中に慎重にしまった。
「これで、残すは魔王のみ」
振り向くと、決意のこもった目で進む先を見据えた。
「王よ姫よ、今しばらくお待ちください。必ずや魔王の首級を持ち帰り、この世に平和をもたらしてご覧に入れましょうぞ・・・!」
改めてそう誓うと、勇ましく足音を響かせて進み始めた。
サンクリーク王城内に設置された小さな礼拝堂で、少女がひとりひざまずき、静かに祈りを捧げていた。サンクリーク王女、シフォニアである。
幼い頃から美しい顔立ちと愛らしい振る舞いで、王国の至宝と呼ばれて国民から愛されてきた。十八歳となった今は上品な色香をまとい、ひたすらに愛らしいばかりだった以前とはまた違う、大人の女性としての美しさを見せ始めていた。
太く凛々しい眉をほんの少ししかめるようにして、必死に祈りを捧げている。
「フェイ様・・・」
ふと、言葉がこぼれ落ちた。
無意識に発せられた言葉が、静かに張りつめていた空気をふるわせる。自ら発した言葉に肩をたたかれたかのように感じて、シフォニアは目を開き、顔を上げた。
ゆっくりと首を巡らせて辺りを見るが、彼女のほかには誰もいない。やがて止められた視線の先にはステンドグラス越しのやわらかな陽光を浴びる一輪の花があった。
清楚さを感じさせる白い陶磁器の花瓶に入れられた花は、黄色い花弁をこころもちうつむかせ、少し元気がないように見えた。
シフォニアはこの花を贈ってくれた男の姿を思い浮かべた。今なお死地で戦い続けているであろう男の、そのたくましくも暖かい二の腕まで脳裏に浮かんでしまい、我知らず顔を赤らめた。
軽く頭を振って熱を追い払うと、再び両手を組み合わせ、目を閉じて祈りの体勢に入った。しかしその前にもう一度だけ、その男の名を呼んでみた。
「フェイ様・・・」
その言葉は彼女の唇と耳を、甘くなで上げた。
長きに渡って平和を謳歌していたこの世界に、魔族の侵攻が始まったのは今から三年ほど前、王国暦二九九九年のことである。
それまで魔族や魔物といえば、街道をはずれたり山に入ったところにはいくらか存在してはいた。とはいえ知能も力もさほど強くなく、たびたび辺境の町や村を荒らすようなことはあったものの、人々の治世を脅かすような存在ではなかった。むしろそうしたものの対処に戦力を使う分、人同士の大規模な争いが起こりづらく、見ようによっては平和にひと役買っているとさえいえた。
しかし魔王の出現によって、その状況は一変した。
魔王はこの世界に現れるなり、世界各地へと宣戦布告を行った。さらにその力を見せ付けるために、大陸の盟主と呼べる存在であるサンクリーク王国を急襲、シフォニア王女を誘拐したのだった。
王国暦成立三千年を控え、祝賀ムードにおぼれていた人々はこの一件に色めき立ち、王女を救出せんと当事者のサンクリーク王国のみならず、各国から王女救出のための援軍・援助の申し出があった。
とはいえ人質をとられている以上、あまり大々的に軍を動かすこともできない。そこで時のサンクリーク王ノヴァ八世はふれを出した。すなわち、
卑劣なる魔王により連れ去られし王女シフォニアを
救い出さんとする勇者を募る。
見事王女を無事救い出せし者にはリーク金貨千枚と
「王国の勇者」の称号を与え、
王女との婚姻を認めるものとする。
というものであった。
さて、このふれを見て数多の戦士が我こそはと立ち上がった、というわけではない。ノヴァ八世は王女を溺愛しており、いくら腕が立とうがどこの馬の骨とも知れない男に大切な娘を渡す気は毛頭なかった。だからこのふれも、街の四辻に立てられて民衆に広く伝えられたということはなく、実際には友好国へ外交ルートを使って伝えられたのだった。
各国からしてみれば、非常に大きな影響力を持っているサンクリーク王国との婚姻はなんとも魅力的であったから、こちらも得体の知れない武辺者に話を持っていくはずもない。
結局、集まったのはほとんどが騎士階級のものたちで、中には王族本人の姿もいくらかあった。騎士が王女を救った場合は、金貨と称号はともかく、婚姻の権利は自分が忠誠を誓っている王族へゆずる算段である。
一方、そういった外交的損得が絡まない当のサンクリーク王国の騎士たちにとっては、これはまさに千載一遇のチャンスであった。ノヴァ八世は四人の男児をすでにもうけていたから、すぐに自分や子供が王権を手にするというわけではないにしろ、一介の騎士から王族になるチャンスなど、一生に一度あるかどうかも怪しいものなのだ。
もちろん、そのような卑しい勘定を抜きにしても、王国の騎士として正しい心を持っているものならば、誰しもが王女の救出に立ちたいと考えるのは自然なことと言える。
フェイ・トスカも、そのように考えたサンクリーク王国の騎士の一人であった。
トスカ家は代々騎士の家系ではあったが、過去に目立った勲功をあげたものはほとんどおらず、貴族としては末端の地位にいるといってよかった。父親は身体が弱く、近隣の魔物討伐にすら一度も出ることなく齢四〇にしてすでに隠遁しており、フェイは一九歳の若さで家督を継いだばかりだった。
一八を過ぎれば成人とみなされるとはいえ、公の場に出るにはいかにも若すぎるフェイは、父親がまったく武勲を残せなかったこともあって、当初は露骨な中傷を受けることも多かった。
フェイは父親同様身体が小さく、その身長は二ログ半(約一・七五メートル)にも届かない。だが、幸いにして父親の虚弱さを受け継ぐことはなく、むしろその生気を奪ってしまったと揶揄されるほどに身体が強かった。加えて剣才もあり、家督を継ぐ以前から、同年代の男に負けたことは一度もなかったという。
王族に近い権力を持つような高位貴族たちが名乗りを上げる中で、フェイのような力のない騎士は中傷され、あるいは圧力を受けて名乗りを取り下げるものも多かった。だがフェイはそういったことはものともせずに選抜試験に参加、見事勝ち抜いたのである。
フェイの他に任命されたのは、すでに魔物討伐などで多くの武勲を挙げ、整った顔立ちで一般市民の人気も絶大なリンドール公をはじめ、いずれも王国のみならず、諸外国へもその名が届いているものたちばかり。
これに他国で選抜されたものたちもあわせて総勢二〇名が、王女救出のために旅立ったのであった。
こうして旅立った二〇名は、大半が騎士であったから剣術に長けているものが多かったが、中には魔法を得意とするものもいた。いずれにしても戦いにおける能力は非常に高いものばかりであったことは間違いない。
しかしながら、なにしろ王女を救出して褒美を得られるのはひとりだけだったから、二〇名は協力するということはなく、むしろライバルたちを出し抜こうとするものも多かった。彼らのうちの何名かは、同士討ちによってリタイアする羽目になってしまった。
さらには魔王も当然彼らの動きを感知しており、幾度となく刺客を送ってよこした。当然ながら刺客はその辺にいる雑魚とは違い、人間を凌駕する身体能力を持っていたり、凶悪な魔法でもって幻惑したりと彼らを翻弄した。そうしてつわものはひとり、またひとりと倒れていき、王女の居場所が判明するころには、戦い続けていたのはフェイ・トスカただひとりという有様だった。。
こうなったのはもちろんフェイ・トスカが屈強であったからだが、そればかりということはない。多くの幸運も彼に味方した。
まず彼が無名であり、外見からもあまり強そうには見えなかったこと。魔族側も無尽蔵に人材があるわけではないらしく、刺客はすでに勇名を馳せているものから優先的に送り込まれた。後回しにされたことで、フェイは段階的に実戦を重ね、能力を磨くことができた。
次に彼が単独行動をしていたこと。二〇名はほぼ全員が貴族あるいは王族であった。彼らは基本的に、一人で遠出をするということはない。軍勢を率いることこそしなかったものの、小姓を多数引き連れ、中には専属の料理人まで同行させていたものもいたという。大人数になればなるほど、その動きを感知され、狙われやすくなる。フェイがひとりで動いていたのは彼の家柄が大して良くないということの表れでもあったが、行動を敵に察知されにくく、またいざとなれば逃げることも容易であるというプラス要素も大きかった。
そして、フェイには魔法の素養があったこと。王国にいたころは必要性がなく、また学ぶ機会もなかったが、旅の中で偶然学ぶ機会を得ることができ、強力な魔法を覚え、また敵の魔法に抗うすべも覚えることができた。
こうした幸運にも恵まれ、旅の中で大きく成長したフェイ・トスカは、王女が幽閉されていた洞窟へ単身乗り込むと、そこを護っていた強力な竜をも倒して、見事王女を救出したのだった。
王女を伴い、サンクリークの首都アルメニーへと帰還したフェイ・トスカは、国民に熱狂的に迎え入れられた。それは王城にて待つノヴァ八世にしても同じ気持ちであったが、貴族たちの中にはこの新たなる勇者の誕生を、そこまで純粋には受け入れられないものたちもいた。
もちろんそれは、事前に王が出していたふれのせいである。それまで騎士としても貴族としても、ほとんど発言力を持っていなかったトスカ家が、今回の武勲によって宣言通り王女と婚姻をなせば、一気に王族としての権力を持つことになる。平和な御代が続く間、地道な努力の積み重ねで今の地位を築いたと考えている高位貴族たちは、ただ一つの武勲で自らが足蹴にされることが我慢ならなかった。
彼らはある可能性に・・・すなわち王女が勇者との婚姻を拒む可能性に少なからず期待していた。王女自身が拒めば、王女に甘い王はふれを撤回するだろうと考えたのだ。
だがそんな考えも、フェイ・トスカとともに帰還した王女を見た途端打ち砕かれた。
三年近くにわたって幽閉生活を強いられていた王女はいくらかやつれているように見えたが、その美しさは少しも損なわれることはなく、むしろ年齢を重ねて大人らしい身体つきになり、出迎えたものたちはみな感嘆のため息をついた。
しかし王女はそんな貴族たちには目もくれなかった。王女の視線は常にフェイ・トスカを捉えており、その表情は誰が見ても、明らかに恋する乙女のそれであったのだ。
王女はどの貴族たちにとっても、年輩のものならば愛しい娘のように、未婚のものならばあこがれの君として、とにかく特別な存在であった。そんな彼女が初めて見せた女の表情に、多くのものが嫉妬したに違いなかった。ひょっとしたらトスカ家が婚姻によって政治的利益を得ることよりも、単純にそのことが貴族たちの反対を呼んだのかもしれない。
王は娘とフェイ・トスカの帰還を心から喜び、すぐにも勇者の称号の授与式を執り行い、その場で二人の婚約を発表するつもりだった。しかし、貴族たちはこぞって反対した。
もちろん、あんな下等貴族を取り立てるなんて、と正直に言ったところで王が取り合うはずもない。そこで持ち出したのが魔王の存在である。
王女は無事救出されたとはいえ、いまだ魔王は健在である。これを廃さずして真の平和は訪れない。勇者とは本来魔王を倒したものにこそ与えられる称号で、フェイ・トスカもまた、この試練をくぐり抜けるべきであろう──。
これは理不尽な要求のようで、実はしっかりとした根拠があった。この世界に魔王が出現したのは今回が初めてのことではなく、過去にも数回あったことで、そのたびにサンクリーク王国より勇者が現れて、魔王を退治、あるいは封印しているのである。公式の王国史にも記載があることだった。
つまり、先達にならえば貴族たちの主張こそ正当で、ルールを破ろうとしていたのは王の方であった。ただし、過去に魔王が現れたのは王国史では二千年以上前のことで詳細は伝わっておらず、内容については民間の歌物語と同等の信憑性しかなかった。
王は文字のかすれた古文書の伝承にとらわれることの危険性を説いて抵抗したが、この件に関しては国民も貴族たちを支持した。
ただし、貴族と国民の思惑は全く正反対である。フェイ・トスカと王女の婚姻に反対する貴族たちは、より強大な存在である魔王と戦えば、フェイ・トスカ自身もただではすまないだろうと考えていた。勇者と魔王の伝承を持ち出したのはあくまでも口実で、実際には勇者が魔王を倒すことなど望んでいなかったのである。魔王はフェイ・トスカが倒れた後で、全軍を持って対処すればよいと思っていたのだった(相打ちになればその手間も省けてなおよいとさえ考えていただろう)。
対して国民は、この伝承が再現されることを強く望んでいた。フェイ・トスカはすでに救国の英雄として扱われており、そんな彼が魔王に敗れるはずはないと信じていたのである。
結局王は最後には折れて、フェイ・トスカに魔王討伐を命ずることになった。
フェイはこの命令を喜んで受けた。彼自身が、自分の地位では王女とはつり合わないと考えており、周りの貴族の声を抑えるためにもさらなる武勲を欲していた。
フェイは休息もそこそこに、再び一人で旅立った。城に戻ってからというもの一度も直接会うことを許されなかった王女はせめて見送りにたつことを望んだが、それすら許されずに自室の窓から王城の正門を眺めていることしかできなかった。
フェイ自身も王女にせめて一目まみえたい、と思わなくはなかったが、実際に会ってしまうと決意が揺らぐような気がしたので願い出なかった。しかし王女が自分を心配して悲しんでいるかもしれない、と考えたので、一輪の花を王女に贈った。
それは野山のどこにでも生えているような何の変哲もない黄色の花で、貴族間の贈り物としてはおよそ不似合いなものであったが、花を受け取った王女は涙を流しながらそっとその胸に抱いたという。
花には一言だけメッセージが添えられていた。
「この花が枯れるまでにはあなたの元へ戻ります」と。