結婚を諦めていたのに私が番だと言われましても
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・地名とは一切関係ありません
登場人物
・リナ・リスター ・サイモン・カーティス
・髪:チャコールグレー ・髪:シルバー
・瞳:金 ・瞳:ネイビー
結婚……それはささやかな私の夢だった。
父と母がいて、妹がいて、裕福とは言えないけど日々の生活に困ることはなく、少ないけれど仲のいい友人がいて使用人との関係も良好。
毎日それなりに嫌なことと良いことがあって私の身体に不調はない。
本当に普通の幸せを嚙みしめている日々に何も文句はないのだ。
……だから私は、そのささやかな夢が叶わなくても構わない。
「お父様、お母様」
「どうしたんだいリナ」
「私結婚を諦めたので養子を貰うことにしました」
「そうかい、養子を……え?」
「何を言っているのリナ、貴女はまだそんなこと考える歳では」
「……流石に私も現実を見てますわ、こんな私の相手などハズレくじも同然だということぐらい」
困ったように肩をすくめたリナはさらりとドレスの裾を翻す。
ふっくらとしたものが視界に入り落ち着いたドレスがそれをまた隠した。
そう、リナの体型は標準の女性よりもずっと大きいのだ。
しかもそれが加護によるものなのだからどうしようもない。
この世界の人間には生まれたときに四柱の神いずれかから加護が与えられる。
豊穣の女神、勝利の男神、幸福の女神、平和の男神。
どの神からの加護もささやかなもので、例えば幸福の女神の加護を持つ者は運が良かったり、平和の男神の加護を持つ者は身の回りの争いごとに巻き込まれにくくなる。
毎回加護が働くわけでもないし、この国の人々も意識して生活しているわけでもない。いいことがあれば加護に恵まれたと感謝する程度だ。
けれども極稀に神に愛され強い加護を授かる者が現れる。
その者たちの加護は他の人と違い居るだけで効果が現れたり、時には状況を一からひっくり返すほどの一手を示すことができるのだ。
リナはその極稀の加護の力が強い者だった。
豊穣の女神、リナが生まれてからはこの領地で不作の年はない。
ただし、その強い加護には代償が付いている。
大きすぎる加護が受け入れられないのか、人の体の一部が変形してしまうのだ。
耳が獣のようになってしまう者、頭に角が生えた者、目は見えるのに目から羽が生えている者……リナの場合、一般的な女性より身長も体重も一回り大きい身体というのが代償であった。
小さい頃には心無い言葉や不躾な視線が投げかけられた。
いくら強い加護を持っているとはいえ、人ならざる見た目を人は恐れる。
家によっては、加護を授かった者を隠し虐げ利益だけ搾取するようなところもあるという。
そんな中で家族や周りの友人、使用人に恵まれたリナは腐ることなく素直に育った。
そんなリナも結婚適齢期を迎えると徐々に心の傷が増えていった。
友人たちの結婚、妹の婚約、相手に会うことすらままならない自身の縁談。
友人の結婚も妹の婚約も心から喜んだし祝福を贈った。
会わせてもらった友人の結婚相手もリナを見て眉を顰めるような心無い人でもなかった。
……だから余計に思ってしまう。
そういう人が世の中にはたくさんいるのにどうして自分にはそんな相手がいないのだろうと。
そうして小さな傷が増えていったリナは冒頭の発言を両親へと投げかけた。
リナが長子で加護がある以上、この家を守らなければならない。
ならばともに並ぶパートナーが居なくても跡継ぎさえいればいいのだ。
「リナ……そんなこと言わないで、貴女は十分可愛らしいのよ」
「そうだとも、お前の魅力が分からない奴などほおっておけ」
母が近づき優しく抱きしめ、父も優しい眼差しでリナを見ていた。
本当に自分は恵まれている。
だからこそ、私も決断しなければ。
「……では一年……一年間だけ頑張ってみます。それでも相手が見つからないときは、どうか私のお願いを聞いてください」
母を抱きしめ返し父を見つめる。
一度視線を外した父が大きく溜息を吐いて分かったと呟いた。
………
「ねぇ先輩、本当にここですか?こんな何もなさそうな田舎の領地に?」
「ええ、間違いありません」
「へぇ……それって感覚的に分かるもんなんですか?俺まだ理解できなくて」
「そうですね……貴方に運よく番が見つかれば分かるでしょうね」
「それって答えになってます?どんな感じかって聞いてんですけど」
「……」
「うわ、そんなめんどくさそうな顔しないでくださいよ」
「してませんよ、表現に困っていただけです……そうですね……自分の好物から漂う匂いを感じ取った、という説明で伝わりますか?」
「……どこかで焼いてる肉の煙の匂いに反応した、みたいなもんですか」
「そうですね、近づけば濃く、離れれば薄まる……あとは……勘です」
「へぇ~……んじゃ、行きますか先輩の番を迎えに」
「えぇ、行きましょう」
先輩と呼ばれた男はネクタイを締め直し帽子を正して眼鏡に指を添えた。
それを見て隣に並んだ男が屈伸して笑う。
「気合入ってますね」
「それはそうでしょう、生涯の伴侶に会えるのですから」
「でも相手、多分ヒトですよね?獣人なら向こうから会いに来てもいいくらいの範囲ですし」
「恐らくは」
「それだと先輩のこと番って分からないんじゃ?」
「……そうですね、しかしそんなことは些細なことです」
「おぉ」
「ほら、行きますよ」
「はーい」
軍服のマントを翻して先を行く先輩を追いかけるように男は軽く答えて立ち上がった。
………
「お姉さま!!次はこの方とかいかがですか!?」
「……また来たのレナ?」
温室で育てている野菜に水をあげていると妹であるレナが手にたくさんの釣書を抱えて走ってくる。
どこから嗅ぎ付けたのか私の養子発言を知ったらしく次の日から自分の周りの独身男性を紹介しまくっているのだ。
困ったように笑って水が入った如雨露を置くとレナが釣書ごと抱きついてきて顔を埋めた。釣書の固さが少し痛い。
「だって!!だって!だって!!!お姉さまが結婚に憧れていたのも、未来を夢見ていたことも知っているもの!!私は加護も普通だからお姉さまの変わりにはなれないし!!まだ年齢だって若いのに……っ……諦めたようなこと、言うから……」
ぎゅうっと回されている手に力が入る。
見目のよくない私にも懐いてくれて、私の問題を自分のことのように扱ってくれる可愛くて大切な私の妹。
自分の婚約のこともギリギリまで伸ばし先に私の縁を結ぼうとしてくれた優しい子。
つむじしか見えないその頭を撫でればゆっくりと顔が上がる。
涙でぐしゃぐしゃの瞳と目が合い思わず笑ってしまった。
「ふふっ、可愛い顔が台無しね」
「いいもん」
「良くないわ、今日はヴァルター様も来ているでしょう?」
「別にヴァルに見られてもいいもん……」
「レナ!」
温室に慌てたような声が響く。レナの婚約者のヴァルターが走って来るのが見えた。
二つ隣の領地を納める伯爵家の長子であるヴァルターはレナとは政略結婚だ。けれども婚約するまでの期間にお互いの想いは通じ合い仲睦まじくしている。
私にも偏見の目を向けず、誠実に向き合ってくれた稀有な人だ。
「お久しぶりです、義姉さま……お変わり無いですか?」
「えぇ、ヴァルター様も元気そうで何よりです……妹が申し訳ありませんね」
「いえ、こちらこそレナがすみません……」
レナは婚約者になった後からヴァルターの家に拠点を移している。本来は頻繁に帰ってこれる筈もないのだが、その当たりはヴァルターが手を回しているようだ。
ヴァルターもレナづてに私の事情を知っている。その証拠に釣書の四分の一はヴァルターの人脈だ。
私からレナを剥がすとそういえば、と私に視線を移した。
「最近領地で何か事件でもありましたか?」
「えっ?いえ、私の知る限りでは無いと思いますが……」
「ならいいんですが……先ほどここに来るまでに都の軍服を来た二人組がいまして、もしや何かあったのでは、と」
「都の……?」
この国の中心はここから馬車で一週間はかかるため大きな事件や行事でもない限り都の軍隊は動かない。彼らは所謂エリートである。完璧な実力主義でどれだけ身分が高かろうがそこでは何の意味を持たないと言う。
ちなみに一定の距離に駐屯地があり、地方の貴族たちは自分の領地にも近いこちらに所属することが多い。そして何かあったときに動くのはこの駐屯地にいる軍人だ。
だからこそ都の軍人がいると目立つ。
「そうね、お父様に聞いてみるわ……レナ、落ち着いたらヴァルター様と一緒に応接室に来なさいね」
「……はぁい……」
さりげなく立ち去ろうとしたらしっかりと釣書を押し付けられ仕方がなく受けとる。ヴァルターにも声をかけ踵を返したとき、温室の入口が騒がしいことに気づいた。
「……みつけた」
「?」
ふわりと風が吹いたかと思えば目の前には銀色に艶めく髪が揺れ安堵したような表情を浮かべた美しい人がいた。
あまりにも急に現れた人に対し驚きバランスを崩して後ろに体重がかかる。転ぶ、と思い目をつぶった時にピタリと身体の浮遊が止まった。恐る恐る目を開ければ先程の美男子が私の手を引き腰に手を当て支えている。
「え」
「申し訳ありません、急なことでしたのでお身体に触れてしまいました」
申し訳なさそうに眉尻を下げ、眼鏡越しの蒼い瞳には心配の色がありありと見えるその表情に私は思考を停止した。
お礼の言葉も言えないほど動揺している私を起こし、驚いた反動で手離し落ちていった釣書を拾おうと手を伸ばしたところで彼は動きを止めた。
「……釣書?」
「お姉さま!!」
「義姉さま!」
「ちょっと先輩!」
前後から同時に言葉が発せられようやく私も正気へと戻る。
レナとヴァルターは私を守るように前へと出て、走ってくる軍人は私の近くにいた軍人の腕を引き距離をとった。
改めて目の前にいる二人を見る。黒と白でデザインされた軍服は都の軍隊の証。先程のヴァルターが言っていたのはこの二人のことだろう。
一人は先程助けてもらった長い銀髪を一括りにしている男、もう一人は先程のこの男を先輩と呼んだ赤褐色の短髪の男。
「……助けていただきありがとうございました。都の軍隊の方とお見受けしますが、こちらにはどのような用事で?」
「あー……っと、えーっとですね……先輩?」
「父も……リスター伯爵も承知のことですか?」
「そのーこれから会う予定で……ねぇ、先輩!」
しどろもどろに受け答えする短髪の男に何故か微動だにしなくなった長髪の男。
怪しさしかないこの状況にどうしたものかと視線を外すと長髪の男がふらりとこちらに踏み出した。
警戒したヴァルターの肩に手を置いて首を振る。下手に動くとこちらの身が危険だ。なんせ相手はこの国トップの軍隊に所属している軍人。私たちなど片手でどうにでも出来るだろう。
彼は私たちの前に来るとおもむろに跪き私の手をとった。あまりにも予想できない行動にレナもヴァルターも私も動けずにいる。
「……か」
「……はい?」
「私では、貴女の伴侶に相応しくありませんか……!?」
「「「「え」」」」
目尻に涙を浮かべながらそう言った男に対し、それぞれ異なる意味を含んだ四人の叫びが温室にこだました。
………
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。私は都の第二師団に所属するサイモン・カーティス、こちらは後輩のテディ・ミルトンと申します」
先程とは売って変わって落ち着いた声が応接室に響く。自己紹介に合わせて短髪の男……ミルトンが頭を下げた。
あの後駆けつけた父が仲裁に入り、今は私たち家族、そしてヴァルターが同席して二人の話を聞いている。
どうやら父は日にちまでは分からずとも二人が来ることは事前の手紙で知っていたらしく、さほど驚いた様子もなかった。
「本来であれば伯爵に面通りしてから事を進めたかったのですが……気づいたときには身体が動いてましてあのような醜態をさらしてしまい……」
「……では、リナが……私の娘がそうだと言うのですか?」
「えぇ、間違いありません」
父と話しているカーティスの瞳が私の方を向き柔らかく細められる。今まで向けられたことの無いその視線に困っているとレナが私の手を握りカーティスを睨み付けた。
「……お父様、いったいどういうことですの?お姉さまの存在がこの人たちにとってどういう意味がありますの?」
「……レナ、先ずは睨むのをやめなさい……リナも伝えていなくてすまなかった……彼らは……いや、カーティス殿は、彼の番を探しに来たんだ」
「……つが、い?」
「……番って……獣人だけが分かるっていう、あの?」
「それが義姉さまだって言うんですか?」
番という言葉の意味は知っていた。
獣人がその存在を感じ取れるということも。
しかし自分には無縁のことだと思っていたし、そもそもこの広い世界の中で出逢うなんてことは恋愛小説でしか例を聞いたことがない。
「獣人の軍人は己の番を探すため定期的に駐屯地を回ります。都にいるとは限りませんからね。先月この近くの駐屯地に来た際、私は貴女の気配を感じました。なので二週間ほど前からしらみ潰しに歩き回って……ようやく……貴女を、みつけ……たんですが……その……」
段々と小さくなっていく声と覇気に顔を上げればカーティスが一粒涙を流す所をばっちりとみてしまった。
美男子の涙はなんという破壊力なのだろう。
急に泣き出した意味も分からないというのに私もレナも母も、しまいにはヴァルターまでその光景に釘付けになった。
「……先程、釣書を、みてしまって……もしや貴女にはもう……お相手が……っ!」
わっと泣き出した彼に隣のミルトンはドン引きしている。えー、俺も番見つけたらこんな感じになるの……?見たこと無いんだけどこんな先輩……みてていいのか、これ……と呟いていた。
なんだか居たたまれなくなり父に視線で許可を経て彼に近づく。取り出したハンカチを手に、あの、と声をかけたら勢いよく上がる顔に思わずびくりと身体を揺らす。
眼鏡越しの蒼い瞳がしっかりと私をとらえた。涙で濡れているせいで光の反射が水面に写る月のように揺らめいている。
どうぞ、とハンカチを渡すと先程の彼の問いに静かに答える。
「先ず私に相手はおりません……先程の釣書はこれから目を通すところでした……しかし、私は見ての通り加護持ちに加え長子でありこの家を継ぐ予定となっています」
渡したハンカチを握ったまま涙も拭わず彼はまっすぐに私を見る。ふと、家族以外でこんなにもまっすぐに私を見つめる瞳をみたのはいつぶりだろうと考える。
「……社交もこの成りですから数えるほどしか出たこともないですし、恐らくこれからもほとんど……加護を持つだけで他に何のとりえもない……分かりましたでしょう?私のような者が貴方様の番などというのは……」
「つまり私が婿養子となりこの領地に来ればよいというわけですね?安心してください、私は次男ですので実家は無関係ですし、社交に関しては私も軍人なので滅多に出ません……あんなところ好きでもないですし……あぁでもリスター嬢……失礼、便宜上リナ嬢と呼ばせてください。リナ嬢が着飾る姿はぜひとも見たいですね、身長が高いのできっと……」
「先輩、ストップ」
意気揚々と先程までとは違う意味で瞳をキラキラとさせながら話し始めたカーティスをミルトンが口を手で塞いで物理的に声を遮った。
周りを見れば全員がぽかんとした表情でカーティスを見つめており、カーティスは邪魔されたことが不服そうにミルトンの手を払いのけた。
「……今のお言葉、嘘偽りありませんか?」
呆気に取られていると後ろから低い声が響き、ふらりと私の横に並ぶようにやって来たレナは無礼にもカーティスを指さした。
「お姉さまに似合う色は?!」
「グレーやベージュですかね、あぁでも出来れば私の色である青を身に纏っていただきたいです」
「お姉さまに似合うドレスの形は?!」
「私は女性の服装に興味がないのでどういった名称なのかは分かりかねますが、裾が長めで上にジャケットのようなものを羽織っていたら素敵かと」
「デートするとしたら?!」
「そうですね……先程の話を聞く限り外出をあまりしなさそうでしたので……こちらの温室でささやかなティーパーティーは如何でしょうか?植物園を貸し切りにするのもいいですね」
「……お姉さまの好きなところは!?」
「全て、です」
静かにはっきりとカーティスが言い切った。
これには流石に驚いたのかレナの勢いが萎んでいくのが分かる。
「獣人にとって番というのは生涯を通じて一人だけ。最早その魂に惹かれていると言っても過言ではありません。同じ獣人同士であれば感覚的に分かるのですが、ヒトはそういったものを感じ取れないと聞いています。なので私の言っていることが信じられないのも重々承知しております」
「ヒトは見た目、財産、そして繋がりを大事にします。だからそこには政略があり、裏切りもある……俺……わたしにはまだ番はいませんが、番を得た獣人がどういったものかは家族や親戚で目の当たりにしています……つまり」
ひゅっ、という風を切る音と金属がぶつかり合う音がしたのは同時だった。
ミルトンが一瞬で私の後ろに回ったかと思いきや、目の前のカーティスが私を抱きしめるように引っ張り頭の斜め後ろで鞘に入った短剣同士がぶつかり合っていた。
その剣の矛先は私というよりカーティスを狙ったもので、恐らく私がそのまま立っていても害はなかったであろう。それにもかかわらず、カーティスは私をかばった。
「獣人は何よりも番が優先、そして番と出会った獣人は身体能力が上がるんです」
すみませんね、先輩と軽い調子で謝った彼は短剣をしまい、そして私にも謝った。
「あと助け起こせなくて申し訳ないです、緊急時以外に番に触ることは先輩の逆鱗に触れるも同然なので」
「え」
その言葉を聞いて部屋の隅から声が上がる。カーティスの手を借り起き上がり声のした方へ顔を巡らすと、血の気が引いて真っ青になり震えているヴァルターがいた。
「えっ、俺、義姉さまに触っ……!」
「あぁ、後輩が脅かすようなことを言ってしまい申し訳ありません。番の家族や極近い親戚の方は対象外ですよ。必要以上の触れ合いはしてほしくない、という表現が正確ですかね。挨拶やダンス等で触れる分には構わないですし……ましてや貴方にはお相手がいらっしゃる、尚更私は気になりません」
「あ、よ、よかったです……」
先程の彼らの実力を目の当たりにしたせいか怯えていたヴァルターだったが、カーティスの言葉に一つ安堵の息を吐く。しかしまだ不安なのかレナに近づいてその手を取り一緒に元の場所へと戻っていった。
「さて、リナ嬢。ここまでのやり取りで何か分からないことなどありませんか?他の手段で証明しろとおっしゃるなら数日猶予はいただきたいところですが」
先程手を借り起き上がった時から握ったままなのをいいことに私の手に口づけを落とした彼は窺うように私を見上げる。
どうしたらいいんだろうか。
番に選ばれるというのは奇跡に近い。
獣人の数はけして少ないわけではないが、その番と巡り合えるのは全体の四割程度だと前に読んだ本に書いてあった。
カーティスの反応を見る限り、恐らく本当に私は彼の番なのだろう。
だから余計にどうしても、彼にかわいそうという感情を持ってしまう。
せっかく見つけた番が私のような者なのだから。
どうしてこのタイミングなのだろう。
せっかく気持ちに区切りがついたのに。
結婚という夢を諦め、養子を育てていく決心をしたばかりなのに。
一年の猶予なんてただの方便だ。
のらりくらりとレナや父の縁談を交わして結婚相手も探す気など微塵もなかった。
どうして、何故、私なのか。
「……リナ」
聞きなれた声に色々と考えていたものがパッとなくなる。
顔を上げれば父が優しい眼差しでこちらを見ていた。
「リナ、一度カーティス殿とゆっくり話をしなさい。どんな疑問も、どんな思いを抱えているのかも全て彼に伝えてみなさい……些細なものも残らず全てだ」
「……お父様……」
「私たちは一度席を外す。今日中に終わらなければ何日かかってもいい……そうですよね、カーティス殿」
「えぇ、休みはしっかりともらってきているので」
「お前の悩みはお前にしか分からない……言葉にして伝えるのは勇気がいるだろうが、ここで隠してしまったらお前はもう二度と、その思いを口に出すことが出来なくなるんじゃないかと思うよ」
「……」
「この部屋には誰にも近づけさせない、何を話したのかも詮索しない、だから、ね?」
「……はい」
「カーティス殿、娘の許可なく触らない、近づかない、嫌がることをしない、というのを守れますか?」
「勿論です、誓約書に書いても構いません」
「結構」
そういうと父は立ち上がり部屋を出ていった。続くように母とレナ、ヴァルター、ミルトンが出ていく。ミルトンが部屋を出る前に振り返り、もう一度カーティスに釘を刺してから部屋を出ていった。
二人残されると一先ずカーティスに座るように勧め、私も向かいのソファへ腰を下ろした。
どこから、何をどう話せばいいのか。こんなにも自分の心臓が跳ねているのは初めてだ。それもいい意味ではない方に。震える手を誤魔化すようにきつく握りしめると、優しい声が私の名を紡いだ。
「……リナ嬢、先ずは私について知っていただきたいのですがよろしいですか?」
声の方へ顔を上げれば、微笑みを浮かべながらこちらを見つめるカーティスと目が合う。
この方は、本当にしっかりと私の目を見つめてくれる。そこには嫌な視線など全くなく、ただただ私をその瞳に捉えていた。
小さく頷けばありがとうございますとカーティスが微笑む。
「改めまして私はサイモン・カーティス。都の第二師団所属です。師団の存在はご存じですか?」
「はい」
都には五つの師団がある。それぞれが得意分野に分かれており、第二は戦闘特化型だったはずだ。
師団に入れるのは本当に優れた技能を持つ者だけなので、目の前にいるカーティスがどれほど優秀なのかは語るより明らかだ。
「カーティス家はここから馬車で一週間程度の場所にあります。家族構成は父、母、兄、そして双子の妹……祖父と祖母は別の場所に隠居しています。あと我が家は猫の獣人です」
「……猫、ですか」
「えぇ、猫です……お好きだと嬉しいのですが」
先程ミルトンと刃を合わせた時を思い出し猛獣の類を予想していたが思ったより可愛らしいものに思わず呆気にとられる。その反応をどう受け取ったのか見えないはずの耳と尻尾が下がったのが見え一つ咳払いをした。
「猫は……というより動物全般好きなので……」
「そうですか……!」
私の一言や行動一つに一喜一憂するその姿に不思議な感情が湧き上がる。
純粋な好意というものに慣れておらず、どういう反応をしていいのか分からない。
しかしここまで露骨な好意を受け取れば、流石の私も心が揺らぐ。
きっとこの人は裏切らない。私を信じて、尊重して、隣に並んでくれる人だ。
あとは私が信じれるか……心を許せるか……同じものを返せるか、ということ。
「……カーティス様」
「はい」
「……私は……私は、貴方のことがまだ信じられないのです……お気を悪くされたら申し訳ないのですが、貴方が本当に私を望んでいるということも、番だということも、先程妹への質問に答えた内容でさえも……どうしても疑ってしまうのです」
途切れ途切れに言葉を紡ぎながら手が微かに震えだす。
今までの表面だけの関係性を思い出し、言われた負の言葉たちがこだました。
「だから貴方を試すようなことをしてしまうかもしれない、心にもない言葉を投げかけてしまうかもしれない……っ!」
言いながらそれは嫌だと思う自分がいることに気づいて酷く辟易した。
彼を信じ切れていないのも、不安なのも本当のことだ。
けれども私は今人生で初めて優越感を感じていたことに気づいてしまった。
こんなにも見た目も中身も完璧な人が自分のことを番だと言い、自分だけに優しく接し、甘い言葉を囁き、蕩けるような視線を送ってくる。絶対に彼が裏切らないと確信を得たからこそ、私はこんなことを口に出来たのだ。そんな自分が恥ずかしい。
気付いた瞬間血の気が引くように冷静になり、急いで謝罪の言葉を口にする。
「……申し訳ありません、今の言葉は聞かなかったことにしてください」
「いえ、リナ嬢のおっしゃることも一理あります。先程も言ったように、証明の手段はいくらでもありますし……私は貴女の心の憂いが無くなるならどんなことでもしますから」
にこりと何の含みもなく微笑むカーティスに更に自分の醜さが露呈したようで俯いた。
自分に自信があれば、こんなことを感じずに済んだろうか。
彼に出会わなければ、こんな醜さに気づけずにいれたのだろうか。
(違う、彼のせいではない……私が知らない、私がいただけだ)
「リナ嬢……?大丈夫ですか?顔色が……」
「……大丈夫です……ちょっと、自分の醜さに呆れていただけですから」
「そんなこと……」
言葉を続けようとしたカーティスだが、私の様子を見てその後の言葉を飲み込んだようだった。
どこまでも私を想う彼の行動に、番って凄いんだなとどこか他人事のように思い始めた。
細く長く息を吐いた後、心配をかけないようなるべく笑顔で彼の名を呼ぶ。
「……私は番について小説や物語の世界の知識しかありません。良ければ番について教えていただけると嬉しいです」
「え、えぇ!勿論です!」
私からの好意的な質問に彼は嬉しそうに頷いた。
………
「リナ嬢は小説や物語の知識しかないとおっしゃいましたが、その知識でほぼ正解です。番は獣人にとって最も大事な存在、失ってはいけないもの……こちらはヒトにはあまり共感されないのですが、自分の子どもよりも番を獣人は優先します」
ヒトは血の繋がらない伴侶よりも、自分の血が繋がった子どもを大事にする傾向がある。しかし獣人は例え血の繋がった子どもでも、最優先事項が番なのだ。例えば生命の危機に瀕した時、自分よりも子どもよりも番を守る。
(まあ、番に子どもを優先しろと言われたら逆らえないのが獣人なのだが)
本能では番を守りたくとも、番が望むから子どもを優先する。だから獣人とヒトとの夫婦もそれなりに上手くやっていけるのだ。勿論子どもに情が無いのかと言われれば否だ。かけがえのない存在には変わりない。ただ、優先順位が不動なだけである。
案の定、リナも感覚的に理解できないのか不思議そうな表情を浮かべている。
慌てて、例えばの話ですと付け加えた。
「番の言うことは基本的に何でも受け入れ叶えようとします。獣人にとって番に嫌われることは死を意味しますから……だからそういった物語の題材になりやすいのです」
「……なんでも、というのは」
「言葉通り何でも、ですね。世界の裏側の果物が欲しいと言われればすぐに向かうでしょうし、一緒に居たいと言われれば何日でも傍を離れずに過ごします」
「それは……なんというか」
「えぇ、とても危ないのです」
過去、番に望まれたからと事件や事故が絶えなかった時があった。そのほとんどがヒトを番とする獣人の仕業で、喜ばせたいという獣人の本能をヒトが悪用した最悪の時代だった。
「なので現在は獣人に番が見つかると誓約書を提出しなければなりません。魔法契約によって過度な要求をしない、そしてさせないといった縛りが課されます。申し訳ないのですがリナ嬢と私の間にもこの誓約書を交わさなければなりません」
「そういったものがあるんですね……誓約書を交わすことは問題ありませんが……ちなみに、もし破った場合は……?」
「聞いた話になってしまいますが、即座に拘束系の魔法が発動するようです」
「なるほど……」
納得したように頷くリナの様子を彼女に気づかれないよう観察する。嫌悪感はないか、恐怖はないか、獣人に、自分に好意を持ってくれているだろうか。
先程リナは忘れてほしいと言ったが、彼女の話を客観的にくみ取れば、恐らく心に深い傷を抱えている。特定の誰か、というよりは世の中の常識や価値観によるものだろう。
加護持ちが何だというのだろうか、他の人と見た目が違うのが何だというのだろうか。
獣人だって普段は感覚が敏感になってしまうため隠しているだけで、種族によっては耳や尻尾を生やすことが出来る者もいる。
それと一体何が違うというのだろうか。
「その契約書はどこで交わすのでしょう?」
心地の良い声に現実へと戻される。世の中を目の敵にしたところで討てるようなものではないのだ。
(いっそのこと誰かがいればリナ嬢の憂いも晴らしやすいのに)
そこまで考えてふと思考を止める。先程まで誓約書の話をしていたのに、さっそく破りそうな自分に気づいて内心笑ってしまった。
(なるほど……誓約書は大事だな)
「誓約書はどこでも交わせます。こちらの紙にお互いの名前を書くだけです」
胸ポケットにしまっていた紙を取り出しリナの前に広げる。
紙には先程話した内容が仰々しい言葉によって羅列され、一番下に余白があった。
番に出会える可能性が高かったので念のため準備していたのだが、持って来ていて正解だった。
「私はすでに内容を把握しているのでゆっくり読み込んでからで大丈夫ですよ」
何か分からないことがあれば答えます、と付け足してさらりと自分の名を刻む。
誓約書とペンを渡すとお礼を言ってリナは早速目を通し始めた。
別のことに集中し、こちらを気にしてないリナをここぞとばかりに眺める。
リナの最初の印象は柔らかそう、であった。
実際転びそうになった彼女を抱きとめてその身体の柔らかさにも惹かれたが、そういう意味ではなく、暖かい気候と心地よい日の日差しが良く似合うという意味での柔らかさだ。
獣人のほとんどは容姿というものにそこまで執着していない。
大事なのはお互いの性格や相性、そして健康かどうかということであり、正直ヒトのいう美醜の基準を理解できないのだ。
(だからリナ嬢の苦痛を理解しきれない……)
獣人やエルフ、魔族といったヒト以外の種族に加護は与えられない。
一説には、他の種族とのバランスをとるために与えられたのだという説もある。
獣人に限った感覚で言えばリナのような加護持ちは尊重されて然るべきだ。
特別な力があるものは、他のもののためにその力を振るう……ならば守り称えるのは当然のこと。
なのにヒトは畏怖の対象とし、排除し、蔑もうとする。
そのくせ自分たちの利益は手放さないのだから質が悪い。
都でも虐げられた加護持ちを保護する案件が後を絶たないが、リナはそういう意味で稀なケースだ。
家族に、友人に、周りに大事に育てられたのが目に見えてわかる。
番の悩みならそれは自分の悩みと同義。傷ついているなら慰め、慈しみ、寄り添いあっていく。
ただ今回の場合は私の言葉が逆にリナを苦しめることになるかもしれない。
いくら私が思いのたけを伝えても、今の状態ではきっと彼女には届かない。
(傷ついているのが分かっているのに、その相手が手の届く距離にいるのに、私は……)
リナのことを考えるだけでツキツキと胸が痛む。
思わず手に力が入った時、あの、という控えめな声が響いた。
「はい」
「サイン、しました」
差し戻された誓約書に並ぶ二人のサイン。
まだ何の関係性でもないというのに謎の満足感が身体を支配した。
「ありがとうございます……あとは……」
室内を見渡し開閉可能な窓を見つけると誓約書をもってそちらに近づく。
「開けても?」
「どうぞ」
許可を貰いその窓を開け、誓約書を投げ捨てる。
驚きの声とともにリナがこちらに向かうのが見え、彼女が見やすいように一歩下がった。
「え、あの鳥がさっきの誓約書ですか?」
「えぇ、誓約書に魔法がかかっておりそのまま都の教会へ飛んでいきます」
投げ捨てた誓約書は瞬く間に姿を変え白い鳥となって羽ばたいている。
その姿はあっという間に見えなくなり心地よい風だけが吹いていた。
斜め前にいる彼女の髪が揺れる。微かに香る薔薇の匂い。きっと先程の温室でついたのだろう。
すぐにでも触れたい欲を押さえ手を後ろに組みなおした。
「……その、これも私が貴女の番であることの証明になると思うのですが……」
「あ……」
まだ彼女から認めてもらっていない。
いくらこちらが番だと言っても、ヒトがそれを受け入れなければただの他人だ。獣人同士ならば言葉にしなくとも分かるのだが、ヒトの場合、相手の口から番だと認める言葉がもらえなければ番にはなれない。
番の嫌がることはしたくない、焦らせたくない、がっかりさせたくない、拒否されたくない、でも受け入れてほしい、触れる許可が欲しい、自分の番だと主張できるものが欲しい。一言でいい。番ということを認めるものでなくてもいい。友人としてでもいい。自分が彼女の傍に居られる肩書を得たい。
これだけ近くに居るのに理性を保てている自分を褒めたい。だいぶギリギリではあるが。
「……私がカーティス様の番だということは、理解しました」
「!!」
「ただ、その……えっ?!」
「ありがとうございます!」
受け入れられた、と思った瞬間どうしようもない嬉しさが身体を支配する。
勢いに任せてリナを抱き上げれば戸惑う彼女の顔が近くに見え、輝く金の瞳と視線が絡み合った。
そういえば加護を持つ者は皆この瞳の色になると聞いたことがある。
満月のような神秘的なその輝きに吸い込まれそうになっていると彼女の戸惑う声が聞こえてくる。
「う、わ……待って、ちょ、と……ストップ!ストップです!」
リナの声にピタリと動きを止め静かに彼女を下ろす。
そのまま少し距離を取るとその場に跪いた。
「申し訳ございません、許可もなく触れてしまいました……どうか許してください」
喜びのあまり一瞬我を忘れてしまった。
先程リスター伯爵と約束したばかりなのに。
彼女は嫌がっていなかっただろうか、怒っていないだろうか、私に恐怖を感じていないだろうか。
何を言われるか分からず心臓の音が反響するほど静かな時間が過ぎる。体感的には長く感じたが、実際の時間は一瞬だったのだろう。
「ご、ごめんなさい!そんな、やめてください!驚いてしまって……それだけなので……!」
私の肩に触れるリナの手に恐る恐る顔を上げれば真っ赤になって焦っている彼女が目に入った。
本当に恥ずかしがっているだけの様子なのを確認し漸く安堵の息を吐いて立ち上がり、もう一度頭を下げた。
「改めて申し訳ありません、受け入れてくれたことが嬉しく、一瞬我を忘れてしまいました」
「私の方こそすみません……慣れてなくて……必要以上に騒いでしまって……」
両手で顔を隠しながら話す彼女も可愛らしい。
それにしても番の口から拒まれるような言葉を聞くというのは想像以上に堪えるものがある。
二度と聞くことのないように精神面を鍛えなければならないと強く決心した。
「あの……」
「先輩っ!!!!ダメですよ!!!ってあれ……?」
リナの声がテディの声によってかき消される。
慌てて駆け付けたらしい彼は何故か縄をもって部屋に飛び込んできた。
「テディ、今貴方リナ嬢の言葉を遮りましたね」
「え、理不尽!!俺は先輩がリナ嬢に手を出したんじゃないかと思って慌てて駆け付けたってのに!」
そう言うテディの言い分に一応は納得する。見境が無くなった獣人ほど面倒なものはない。
先程のリナの声を拾ったのなら尚更だ。
「っていうか、え?先輩すでに手出し……」
「見るな」
テディがリナと私の顔を交互に見ているのに気が付き、今だ顔の赤みが残ったままの彼女を背に隠す。
こんなに可愛らしい顔を他の男に見せてたまるものか。
「言っておきますが手は出して……出してはないです、多分」
「多分?!リナ嬢!嫌なことは嫌って言ってくださいね!!じゃないとマジで止まらないですよ!!」
「だ、大丈夫です!その、ちょっと私が大げさに騒いでしまったので」
「リナ嬢……貴女は押しに弱そ……優しそうなのでこれは獣人からのアドバイスですけど、絶対に主導権を握ってくださいね。俺らは何があっても番の嫌がることをしません、先にここまで許していると伝えることが大事です。逆にこれ以上はダメだということも」
「は、はい……」
「……私たちを心配して駆けつけてくれたことには一応感謝しておきます。まだリナ嬢との話が終わっていないので貴方ももう戻りなさい」
「……本当に大丈夫なんですよね?」
「えぇ、もう大丈夫です」
「分かりました……伯爵たちにはバレないよう来たんで感謝してくださいよ、優秀な後輩に」
「……都に戻ったら好きなだけ奢ってあげますよ」
「やった!ではお邪魔しました!」
風のように来て風のように去っていったテディの足音が聞こえなくなると背に隠したリナと向き合う。
先程より落ち着いたのか、いつもと変わらない頬の色を少しだけ残念に思う。
もう少し恥じらう姿を目に焼き付けていたかった。
「リナ嬢、少し邪魔が入りましたが先程言いかけたことをお話しいただけますか?」
「あ……その前に確認なんですけど、私が自分をカーティス様の番だと認めたときから、その、こ、婚約者、という扱いになるのですか……?」
「そうですね、勿論婚約の手続等はヒト同士の婚約と同じ手順を踏みます。要はお互いの家族への顔合わせや結婚後の身の置き方に関しての取り決めとかですね……ただ、獣人との婚約はヒトとの婚約と違い、一度交わすと破棄になることは不慮の事故を除いて絶対にありえません」
「そう、ですか……」
歯切れの悪い返事、そして思案するような表情と仕草にこちらもだんだん不安になってくる。
先程リナは番だと『理解した』と言った。私と彼女が番だということを『理解した』と。
それは番だということを受け入れはしたが、番になることはまだ認めていないということだ。
(やはりまだ証明が足りないだろうか、リナ嬢を安心させるためなら何日でもとは思ったが正直今すぐにでも番になりたい……しかし嫌だという気持ちがあるのなら……)
「カーティス様が良ければ……って、えっ!?どうしてそんな落ち込んでいるんですか……?」
「あ……申し訳ありません……少し、言葉の意味を深読みしてしまって……」
「深読み……?」
想像だけでこの有様だ。これ以上何かを考えたら本気で立ち直れなくなってしまう。
私がまた涙を流すのではないかと心配そうにのぞき込む彼女の手を取り自分の頬に当てた。
「リナ嬢……お願いです、私を番に……婚約者にしてください……何でもします、貴女が望むなら私以外のヒトとの関係を持っても構いません、嫌ならば必要以上に触れないことも約束します、ですから……」
「っ」
リナが息を飲む音が聞こえる、それと同時に彼女が膝から崩れていくのが分かり慌ててその身体を支えた。しかし咄嗟のことに支えきれずともにズルズルと床にしゃがみ込む。
「リナ嬢……?!」
「待って、本当にきれいすぎ、無理、かっこよすぎる、眩しい、無理、美人への耐性がない」
否定の言葉と称賛の言葉が交互に聴こえ、喜んでいいのか落ち込んでいいのか分からずにいると再び真っ赤になった彼女が目を閉じて私の胸に額を付けるように身体を預けた。急な接近に心臓の鼓動が早くなっていくのが分かる。
「認めます、私は貴方の……カーティス様の番です」
「!!!」
「でも……私は異性からの好意……というか、異性そのものに慣れておりません、今だって、あんな……あんな表情で迫られたら私はもういっぱいいっぱいですし、触れられるのも、愛の言葉を囁かれることだって慣れてません」
「……はい」
「あっ、別にカーティス様に触られるのが嫌とかではなく……それなら今こんなに近くに居るわけないですし……そうじゃなくて、その……ゆっくりと、関係性を築いていきたいのです……今日会ったばかりですし、お互い知らないことがまだたくさんありますし……」
「はい……!」
「とりあえず緊急時以外で私に触れる時は宣言してからにしてください……私の心臓が持ちません……」
「その、では早速なんですが……抱きしめてもいいですか?」
「だっ……っ」
やや暫くの間の後小さく頷いたのを確認し同時にリナを抱きしめる。
石のように固まっている彼女からのお返しは無かったが十分だ。
「リナ嬢、私のことはどうかサイモンとお呼びください」
「……私も敬称はいらないです……」
「……リナ」
「!!っもうだめです!これ以上は……!」
その言葉にパッと両手を離す。
何事もなかったように立ち上がるときちんと許可を取って彼女の身体を起こした。
本当に耐性がないのか、恥ずかしさから瞳が潤んでいる彼女を見て良くない欲が顔を出す。
必死にそれを隠して押し込むと最後にやらなければならないことを思い出した。
「リナ、改めて番になることを受け入れていただきありがとうございます……その、リナが私の番であることを他人にも分かるようにしておきたいのですが、よろしいですか?」
「そ、れは……何をすれば……他に誓約書でも?」
「いえ、ちょっと噛ませていただきたく」
「噛ま……?噛む……?何をです?」
「リナを、ですね」
「私を……?!!?!?」
「そして私のことも噛んでもらえれば」
「私が……!??!?!」
そんなに驚くことだろうか、と首を傾げるとリナは信じられないという目で私を見ていた。
………
「えっ、それ、本当にしなきゃいけないんですか……?」
「えぇ、所謂マーキングというものです。お互いに魔力を伴った印をつけることで自分のものであると他人に知らせる意図があります……婚約期間の間だけですが」
「……私、この家から出ないので……」
「ダメです、何より私が不安で落ち着かない……本当なら分かりやすい場所に付けるのですが……リナが嫌がるのであればなるべく目立たない場所にしますので……」
「くっ……」
この短い間にカーティス……サイモンは私が彼の何に弱いかを把握したようだ。
先程ミルトンが言っていた言葉もその通りだと今ならわかる。
恐らく私は“お願い”に弱い。
頼まれれば、懇願されれば、自分が出来ることなら、きっと私はその“お願い”を聞いてしまう。
サイモンが相手だとなおさらだ。ただでさえその容姿に慣れていないのにこちらを窺うように頼まれたらとても断りにくい。猫の獣人だなんて聞かなければよかった。大きな猫に見えてしょうがない。
「……本来ならどこを噛むのですか?」
「目に入りやすいところですね、手の甲や首、鎖骨やうなじとかでしょうか」
「……それはちょっと……」
手の甲はともかくそんなところに顔を寄せられるのはまだ抵抗がある。
だからと言って手の甲は目に入るので目立つだろう。
どこかいい場所はないかと自分の身体に視線をやる。
ふと、ふっくらとした自分の腕が目に入った。
「あの、ここはどうですか?」
「肘窩ですか、リナが良ければそこでいいですよ」
(ひじの内側って肘窩って言うんだ……)
新たな学びを得つつ、何でそんなことを知っているか不思議に思っているとあぁ、とサイモンが答える。
「戦闘訓練の一環で身体の名称を覚えるんですよ」
「えっ、声に出てましたか?」
「いえ、リナの視線は意外と分かりやすいので」
それは思ったことが顔に出ているということだろうか。
そんなこと、一度も言われたことなどないのに。
(あぁ、そうか、彼は私を見ているからか)
加護持ち特有の金の瞳、そもそも呪いではなく祝福のはずなのだが、呪いが移るというような噂が流れたり、その心を見透かすと言った嘘か真か分からないものが出回ってしまい、人々は殊更腫物を扱うように私たちを見ていた。
私も私で迷惑が掛からないよう視線をずらすことが多かったのだが、サイモンは最初から私の目を見てくれていた。私が視線を外しても、こちらが彼の様子を窺えば必ず視線が絡む。
(……当たり前なのに、変な感じ)
くすぐったさを感じているとサイモンが私の名を呼んだ。
「ではそこで……曲がるところの上と下、どちらがいいですか?」
「あ、では上で……」
触れますね、という言葉とともにサイモンが二の腕と手首を支えるように持ったが、ふと自身の眼鏡を外して指にかける。思わずその姿に見惚れていると至近距離で視線が噛み合った。身長があまり変わらないため顔と顔の距離が近い。
眼鏡というのは本当に人の印象を変える。あまりの刺激の強さに思いっきり目を閉じた。
「……リナ、ダメですよそんなに可愛らしい顔をしては」
「してないです!絶対してないです!!」
「困りましたね、もっと触れたくなってしまいます」
「困らないでください!!早く一思いにやっちゃってください!!」
「ははっ、わかりました」
サイモンが動く気配に薄目を開ける。
彼の顔がだんだんと腕に近づき吐息を感じると思わず身を揺らしてしまった。
チクリとした軽い痛みを感じて目を開ければ痛みを感じた場所にうっすらと歯の痕が残っていた。
「痕は数日で消えますが、替わりに我が家の象徴であるガーベラが浮き出るはずです」
「……それ、先に説明してもらいたかったです……」
「心配しなくてもそこまで大きいものではありません、周りに見せつけられないのは残念ですがその場所でしたら服装で隠れます」
マーキングをしたせいか気分の良さげなサイモンをみて次の文句が言えなくなる。
着実に絆されているのを感じつつその痕を見ていると、ではと目の前に手が差し出された。
「リナはここにお願いします」
「!!!!」
この一瞬の間に次は自分の番だということを忘れていた。
差し出された手、そして指示された場所は左の薬指の付け根。
所謂結婚指輪をはめるところだ。
「重すぎません……?というかこれ私が重いということになりません……?」
「そんなことはありません、獣人が男性の場合ここに付けることが多いですよ」
ニコニコと笑うサイモンに疑いの目を向けていると少々事情もありまして、と話しにくそうに咳払いをする。
「ここに付ける男性獣人が多いのは、ヒトの女性に言い寄られないためなんです」
「あぁ、なるほど……」
「ヒト以外の種族の女性であればマーキングの魔力で番が出来たと感じることが出来ます……しかしヒトはそうはいかず……分かりやすく婚約者がいることを示すためにもここがいいのです」
サイモンの説明に納得する。
先ず、ヒトは魔力を感知できない。魔力自体はヒトも持っているがそれを感知するためには専用の魔道具が必要となる。人は魔力を込めることしかできず、魔道具無しに魔法を使うことが出来ないのだ。
そして獣人は男女ともにヒトから見れば圧倒的に顔が整っており、その容姿に憧れ近づく人が多い。獣人もある程度の年齢になり番が見つからなければ番ではない人と結ばれることもあるという。特に爵位を持つ獣人は後継者問題もあり受け入れることがあるらしい。
(きっとその可能性に賭けているヒトが多いのね)
サイモンもきっとたくさんのヒトに囲まれたのだろう。
この容姿に加え物腰柔らかな態度はきっと人気がある。
そう思うと何故か胸の奥底が騒ぐ。不思議な感情に戸惑っているとサイモンが慌てたように口を開いた。
「リナ、私は潔白ですから……!獣人の中には番が見つからない期間に遊ぶような者もいますが、私は決してそんなこと……!」
「えっ……いえ、そこは別に……サイモン様みたいな方でしたらきっと言い寄られる方も多かったでしょうし……」
「否定はしませんが全部断わってますし、私の身に触れさせてもいません!」
「否定はしないんですね……」
「何もやましいことはありませんから」
きっぱり言い放った彼の話を聞いている間に、いつの間にか胸の騒ぎは無くなっていった。
サイモンの手を取り両手で包むように持つ。自分とは違う大きく、軍人らしくごつごつとした手に一気に恥ずかしさが募ってきた。
(流れでしてしまおうと思ったのに……意識してしまったら恥ずかしくて無理……!)
「ま、魔力を込めて噛めばいいんですよね?」
「はい、そんなに力は込めずとも大丈夫ですよ」
何故か嬉しそうにしているサイモンは一度意識の隅に追いやり、薬指を持ち上げるように支える。
(これは……そうお肉!骨のついたお肉!それにかぶりつけばいいだけ!)
女は度胸、と魔力を込めてその指を噛む。すぐに離れ見てみると私と同じように薄く痕がついていた。
そのうち我が家の象徴であるシロツメクサが浮かぶのだろう。
「ありがとうございます……!」
「……なんか、凄い疲れました……」
羞恥心と獣人特有な習慣に振り回され疲れ切った私は手近なソファに座る。
何気なく出てしまった呟きだがサイモンが甲斐甲斐しく世話を焼こうとしているのに気づき、それを止めて向かいのソファへ座らせた。
「これで私とリナは番……婚約者となりました。今後は先ず両親への挨拶をと思っているのですが、よろしいですか?」
「はい……サイモン様は一度都に戻られるのですか?」
「いえ、挨拶まではこの休み中にしたいと思っているので……リナの都合が良ければ、ですが」
「私は特に予定はありませんので……」
「分かりました、では明日もう一度改めて伺わせていただきます」
話がまとまるとサイモンは部屋の壁にかかっていたベルを鳴らす。
暫く後に両親やレナたちが戻ってきた。
並び立って待っていた私たちを見て全てを悟ったのか、レナは勢いよく抱きついてくるし母は目に涙を浮かべていた。父も穏やかな笑みを返してくれて、何故だか私も無性に泣きたくなってしまった。
サイモンの番だということを受け入れ無事婚約者となった私は、昨日我が家の顔合わせを正式に行った。
顔合わせと言いつつ、一昨日の騒動である程度の挨拶は済んでいたためヴァルターやミルトンを含めた当事者全員でランチを食べただけだ。堅苦しいことは何もなく、最初と変わったことと言えば私の隣にサイモンがいることだけである。
そんな中驚いたのはサイモンが軍服ではなく、きちんとした正装で現れたことだった。
都に帰る時間などなかったはずだと不思議に思っていると、ミルトンが笑いながら教えてくれた。
『番に出会える可能性が高いときは全ての準備をしてくるのが獣人です……番に会うと歯止めが利かないというか……自分のものにするまで帰らないというか……どうにかこうにか婚約までは持っていくので』
ここまでは想定内ですよ、と楽しそうに言うミルトンがサイモンを見る眼差しは本当に嬉しそうで、慕われているんだなと微笑ましく思った。
婚約も認めてもらい和やかな時間を過ごしていると、ふと、今後の予定についてサイモンに確認をしてみる。
サイモンの領地はここから馬車で一週間ほどと言っていた。そうなるとそれ相応の準備をしなければならない。休み中に挨拶まで終えたいと言っていたが、そんなに長い休みを取っているのだろうか。
「サイモン様のご両親への挨拶はいつにしましょうか?ご都合もありますし、休み中に向かえますかね?」
「あぁ、丁度伝えようと思っていたところだったんです。先程連絡が取れまして、急ですが明日は如何ですか?」
「……明日?」
「はい、丁度兄が視察から帰ってきているみたいなので」
「えっ、あれ、ここから一週間かかるって言ってませんでした?」
「あっ、こんなこともあろうかと移動用の魔道書往復分持って来てます」
「……」
唖然とする私の視界の隅でミルトンがほらね、と笑っているのが見える。全ての準備をするにしても用意周到過ぎではないだろうか。そもそも移動用のスクロールなんて高級すぎて存在すら怪しんでいたものだ。いや、それよりも明日って言ったのは聞き間違いだろうか。
「……準備しますね!」
言いたいことは沢山あるが、私の常識で物事を考えるのはやめよう。こうなったらもう流れに身を任せる方がいい気がしてきた。
すべきことを頭の中でリストアップしながら、母とともに部屋を出て準備を始めた。
………
「……お姉さまのあんな顔、初めて見たわ」
慌ただしく出ていった姉と母の背を見つめポツリと呟く。
その声に反応したのは隣に居たヴァルターで、そうだねと頷いた。
姉は昔から大人びていた。幼い頃は姉という存在がそう感じさせているものだと思っていたが、成長した今なら分かる。姉は大人にならざるを得なかったのだと。
加護持ちとして生まれ、聞きたくもない言葉を聞いて、好奇と嫌悪の視線にさらされて、子供らしいこともその振る舞いさえも人目を気にして出来なかった。私が生まれる前はこの屋敷の中でさえ心無い言葉を投げかける者がいたという。勿論それを知った父が片っ端から解雇していなくなったが。
友人といる時でさえも、姉は周りを気にしていた。自分がいることで周りに迷惑が掛かっていないか。どこまでなら自分は許されているのか。幼い時の自分は一度でもそんなことを考えたことがあっただろうか。
私は何故姉が周りに何かを言われなければならないのか、あんなにも周りを気にしなければならないのかが分からなかった。姉は何もしてない、迷惑をかけたわけでも、我儘を言ったわけでもない、ただ強い加護をもって生まれただけだ。ただそれだけなのに。
私が言葉を話せるほどに成長すると今度は姉と私を比べる者が現れた。最初は愛らしい、可愛らしいと褒められて嬉しかった。可愛いと言われて嬉しくないわけがない。ただ、その言葉の裏に姉との対比が含まれていると知った時、私は可愛いという言葉を、そしてそう言い放った人を拒絶した。
丁度その頃に姉が私と距離を取ったことがあった。突き放されたわけでも、意地悪をされたわけでもない。ただ急に姉と会う時間が減り私は酷く悲しんだ。今思えばあれは姉なりの自己防衛だったのだろう。自分が傷つかないための、そして私を傷つけないための。結局私が三日三晩泣いたおかげで姉はまたいつものように私との時間を作ってくれるようになった。今だから言える、わがまま言ってごめんなさいお姉さま。
ずっと何かを窺って、しまい込んで、諦めて、傷ついて、そうして淑女然とした姉の様子を見ていた。
だから今、カーティスの隣で彼に振り回されている姉を見て私は心の底から喜んでいる。
家族では引き出せなかった様々な表情に、慌ただしくも楽しそうな年相応のその笑顔に。
「……あの顔を引き出したのが私じゃないのはすごく悔しいけど」
「レナは本当に義姉さまが好きだよね」
「当たり前でしょ……私にとっては世界一のお姉さまなんだから」
だからちゃんとけじめをつけなければ。
ヴァルターに断りを入れ席を立つ。真っすぐに向かったのはカーティスの所だ。
呼びかければミルトンとの会話を終わらせこちらを向く。蒼い瞳が私を捉えた。
「……先日の様々な無礼をお許しください。事情が分からなかったとはいえ、初対面の方にとってはいい態度ではありませんでした」
真っすぐにその瞳を見つめ返し頭を下げる。
カーティスは私の行動が予想外だったのか慌てて席を立ち、顔を上げるよう声をかけた。
「いえ、それなら私の方が……!勝手に侵入したようなものですし……」
「……カーティス様が姉のことを本当に大事にしているのだと、この二日間でしっかりと伝わりました」
この人なら、何があっても姉を一番に考えてくれる。
頭を上げて無理に笑顔を作った。胸の底にある僅かなさみしさで泣かないように。
「私の姉を、お姉さまを、絶対に幸せにしてください……お義兄さま」
「……勿論です。私の全てをかけて誓いましょう」
「泣かせたらすぐに返してもらいますから」
様子を見守っていた父も安堵の表情を浮かべ、ヴァルターやミルトンも優しげな表情を見せた。
ここに居る全員が姉とカーティスの幸せを願っている。
(愛されることが当たり前なんだと……お姉さまがそう思える日が早く来ますように)
………
急な出発が決まり、母と協力してどうにか必要なものは揃えたが心の準備が全く出来ていないまま当日を迎える。
当然のように眠りは浅く、緊張で朝食も喉が通らず、侍女は私の今日のヘアメイクを楽しみにしていたそうだが、目の下に隈が出来た私を見て別の方向に力を発揮してもらうこととなった。
「……レナ、貴女よくこんな試練を乗り越えられたわね……」
「私もすごく緊張してたわ……ただ、お姉さまと違ってもっと日程に余裕があったから……」
「心臓飛び出そう……」
レナと母に励ましと慰めを受け、どうにか玄関へと向かう。
玄関先ではサイモンがスクロールを展開し、魔法陣の上に荷物を乗せているところだった。
「おはようございます」
「おはようございます……あまり眠れませんでしたか?」
私に気づいたサイモンが近づき心配そうに眉尻を下げる。
一瞬で寝不足を見破られ思わず頬に手を添えメイクを担当した侍女を見るが、彼女がショックを受けているのを見る限り普通の人は気づかないことなのだろう。
隠してもしょうがないので正直に打ち明けた。
「えぇ、やはり緊張してまして」
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ、私の家族はそのままのリナを見てくれますから」
その言葉に心臓がきゅっと縮まる。
サイモンには獣人が加護持ちに忌避感を持っていないということを丁寧に説明されたが、それでもやはり心配は残る。ミルトンが最初から友好的だったことを思い出してどうにかその心配からも目を逸らした。
「それに、今日のリナは一段と綺麗ですね……大事な日の衣装にその色を選んでいただきとても嬉しいです」
「……昨日のサイモン様もそうでしたでしょう?」
褒められるということが照れくさく、笑顔のサイモンから視線を外した。
今日もそうだが、昨日のサイモンも差し色に金を使っていた。私は全く気付いていなかったのだが後でレナが褒めていたのを聞いて今後はそう言ったことにも気を配らなければならないのかと衝撃を受けたのは記憶に新しい。ちなみに昨日の私は青をどこにも差し込んでいなかった。実はアクセサリーを選ぶときにサファイアを提案されたのだが断っていたのだ。そういう意図があるなら教えて欲しい。
なので、その反省を込めて今日はなるべくサイモンの瞳の色に近い青を纏いここに立っている。
サイモンからの反応が悪いものではなかったので安堵した。
「はいはい、お二人さん周りを見てくださいね~」
からかいを含んだミルトンの声に我に返るといつの間にか私たちを生暖かい目で見る家族や使用人に囲まれていることに気づいた。あまりの恥ずかしさに羽織っていたショールで顔を隠すとヘアセットを心配した侍女に怒られる。
「先輩も、そろそろ時間じゃないですか?」
「……邪魔されたのはあれですが、確かにそうですね」
サイモンは懐中時計を取り出し時間を確認した後、軽く服装を整えた。
私も隣に並び家族と向き合う形をとる。
「リスター伯、昨日お伝えした通り二日ほどあちらに滞在してきます。道中の心配はありませんが、向こうでも不自由なく過ごせるよう手配してありますので」
「あぁ……どうか何事もないことを願っているよ」
父はサイモンに声をかけた後私を見る。
そんなに心配するな、と優しく頭を撫でてくれた。
きっと父だけではない、母もレナも、ヴァルターでさえ私の不安の種が分かっている。
「いいか、何かあったらサイモン殿からスクロールを奪ってでも帰ってくるんだぞ」
「え」
「彼ならそれぐらい許してくれるだろう……冗談だ、だがそのくらいの気持ちでいなさい」
一瞬本気の声が滲んでいたが、父なりに私の緊張をほぐしてくれたのだろう。
隣に居るサイモンが不安げにしているのも気になるが、分かりましたと返事をして出来る限りの笑顔を向けた。
「では行ってきます」
「気を付けるのよ!」
「頑張ってお姉さま!!」
「おかえり、待ってますから!」
皆から声をかけてもらい魔法陣の真ん中へと進む。
スクロールを使うことはもちろん初めてなのでやはり怖い部分があり、サイモンに頼み手を握ってもらっていた。
「リナ、出来れば目を瞑っていた方がいいです……たまに酔う人もいるので」
「分かりました」
「では三つ数えたら発動させますね」
その言葉にしっかりと目を瞑る。思わず握った手に力が入ればサイモンが握り返してくれた。
「三、二、一……」
「っ」
僅かな浮遊感を感じた後、サイモンの声を頼りに目を開ければ全く違う景色が広がっていた。
「おかえりサイモン」
低く穏やかな声にパッと顔を上げる。声の先には銀髪を丁寧に撫で上げた男性と、艶やかな金髪が肩で揺れている女性がいた。
「お久しぶりです、父上、母上」
サイモンやミルトンを見ていて分かった気でいたが、獣人というのは予想を超えてはるかに顔が良い。
これはまずい、直視できるかが怪しい、今すぐにでもサイモンの後ろに隠れたい。
「……そちらの方が?」
「……あ……」
二言三言、親子の会話が終わった後私の方に視線が集まる。
緊張で喉が張り付いていると今だ繋いだままの手が優しく撫でられた。
僅かに視線を動かせば、大丈夫だとサイモンが目を細める。
その手を握り返してから離すと姿勢を正す。
「……初めまして、リスター伯が娘、リナと申します」
「リナさん、はじめまして……サイモンの父のユーリと言います」
「はじめまして、母のレティシアです」
下げた頭を上げると改めて二人を見る。
サイモンは母に似ているのだろう。涼しげな眼もとがそっくりだ。あの艶やかな銀髪と蒼の瞳は父譲りらしい。僅か一瞬、そんなことを考えていると目の前に迫る緑の瞳。
「貴方、どこにマーキングしたの?魔力は感じるから付けたんでしょうけど……」
「えっ」
「母上、近いです」
「こら、レティ、リナさんが驚いているじゃないか」
迫る美女の迫力はすごい。首元を見られている間一歩も動けずにいると私とレティシアの間にサイモンの腕が差し込まれ漸く距離が離れた。
「貴方は私に似ていると思っていたのだけれど……」
「母上ほど独占欲は強くありませんよ……それにリナの嫌がることはしません」
「そうかしら?こんなに可愛らしいのに見えない所に付けるなんて殊勝だこと」
「確かに、よく我慢できたねサイモン」
「……もうやめましょうこの話……」
気まずそうに話すサイモンが新鮮でもっと三人のやり取りを見ていたかったが、ぱちりとレティシアと目が合うと彼女はきれいに微笑んだ。
「リナさん、改めてようこそ……色々と大変だったでしょう?他の兄弟も紹介するから中でゆっくり話しましょうね」
「ありがとうございます」
一旦話が途切れるとユーリとレティシアに案内され応接室へ入った。
途中数人の使用人とすれ違い身構えていたが、流石に自分の雇用主のいる前では何も言われないだろうと少しだけ肩の力を抜く。
応接室にはすでに人影があり、サイモンとよく似た男性が立ち上がって迎えてくれた。
「はじめまして、サイモンの兄のグレッグと言います」
「はじめまして、リスター伯が娘リナと申します……視察から戻られたばかりだとお聞きしました。お休み中の急な訪問となり申し訳ありません」
「気にしないで、寧ろタイミングが良かった。まさか弟が番を見つけただなんて……会えて嬉しいよ」
流れるように差し出された手を握ると斜め後ろから素早く手刀が飛んできた。勿論当たったのはグレッグの手首である。
「長い」
「ははっ、なにこれめっちゃ楽しい!お前もそんな顔するんだ?」
「リナ、この人の見た目とトークにつられてはいけません……人をからかうのが生きがいの男なので」
「実の兄に向ってその紹介はないだろう?ともかくようこそリナさん、歓迎するよ」
サイモンによく似た顔なのに表情がころころと変わり、彼もああいう風に笑うのだろうか、と少しグレッグのことを視線で追いかけていると目の前が急に暗くなった。暗くなる直前見えたのは恐らく掌で、思わず後ろに一歩引けばすぐに何かに背中が当たり、お腹の方にも感触が伝わる。状況を考えると背中に当たったものは恐らくサイモンで目元を隠され抱きつかれている。
「えっ、サイモン様?!」
「……見ないでください」
弱弱しく囁かれた声がひどく悲しげで思わず振り解こうとした動きを止めた。
「……事前に言わずに触れて申し訳ありません、でもダメです……そんなに兄を見ないでください」
肩口に顔を埋めているのかくぐもった声と眼鏡が当たる音が耳に響く。
切なげに言葉を紡ぐのを聞いてこれは早めに弁解をした方が良さそうだと思っていたことを素直に吐き出した。
「ごめんなさい、グレッグ様がサイモン様に似ていたので……貴方もああいう風に笑うのだろうかと考えていました」
「……兄の顔に見惚れていたわけではなく……?」
「そんな恐れ多い……」
「……あんまり他の男性を見つめないでください」
「私の周りの男性なんて身内しかいませんよ?」
「それでもです」
漸く目元を覆っていたものが離れ、身体の締め付けが無くなるとゆっくりと瞬きをして視界をクリアにする。いつの間に前に回ったのか、落ち込んでいるサイモンが目の前に見えた。
「申し訳ありません、また勝手に……」
「いえ、私も配慮が足りませんでした」
今度時間が合えばどこまでがサイモンの許容範囲なのか一度確認した方がいいだろう。
私の意図しない所で彼を悪戯に悲しませるのは本意ではない。
落ち込む彼をなだめてふと視線を上げた先で蒼い瞳と視線が絡む。その目が細められるのを見て私が今どこで何をしていたのかを思い出した。
「ん~いいものを見せてもらったなぁ」
「っ、あ、まっ、これは」
「ふむ、しっかり手綱を握られているな……いいことだ」
「ほら、言ったじゃない」
「サイ兄泣いてるの~?」
「サイ兄怒ったの~?」
曲がりなりにも婚約者の家族にこんな場面を見られ正気でいられる人がいるだろうか。
新たな声に反応することも出来ず恥ずかしさが頂点に達した私は意識を手放した。
微かに感じた甘い香りに意識が浮上する。
思わず身じろげば焦ったように私の名を呼ぶ声が聞こえた。
「……ん」
「リナ!大丈夫ですか……?」
「あれ、私……って、え……花……?私死ん……」
「違います」
即座に返事が返ってきて横を見れば花の隙間からサイモンの顔が見える。
どうやら私は花に囲まれて横になっているらしい。
ゆっくりと起き上がればいくつかの花が下へと落ちていった。
ソファに腰かけ今の自分の状況を思い返す。サイモンはソファの下に膝をついていた。
「私……と、んだご迷惑をおかけしましたよね!?」
「そんなことないわよ?」
またしても間髪入れずに返ってきた返事に視線を動かす。
レティシアが心配そうな表情を浮かべ私の頬に手を当てた。
何度でも言う、美人に耐性が無いのです私は。
「まさかあの程度のやりとりで倒れるとは思わなかったわ……ヒトはこういったことに慣れてないと聞いていたけど……あら、また真っ赤ね」
「母上、リナのことを弄ばないでください」
「人聞きが悪いわぁ……でも素直で可愛らしい子ね、貴方にぴったりじゃない」
「あっ!起きてる!」
「ほんとだ、起きてる!」
レティシアを前にして固まっていると可愛らしい高い声が部屋に響く。
応接室の入り口を見れば小さな女の子が二人、両手いっぱいに花の蕾を抱えて立っていた。
「カレン、カリン先ずはご挨拶しなさい」
「「はーい」」
上の兄弟とは真逆でユーリに似た顔立ちにレティシアの色。サイモンの双子の妹が蕾を抱えたままソファの近くへやって来た。
「はじめまして、カレンと言います」
「はじめまして、カリンと言います」
「はじめまして……リナと言います、よろしくお願いします」
あまりにもそっくりなため現状見分けがつかないが、髪を結んでいるリボンの色が違うので暫くはそこで判断するしかない。赤がカレンで、ピンクがカリンだ。
「……あの、この花はあなたたちが?」
「そう!リナ様凄いね!」
「お花咲かせちゃうんだね!」
そう言って彼女たちは私の膝の上に花を撒く。すると蕾んでいた花がみるみると咲き誇っていった。
自身の加護にはこんな効果もあったのかと驚いていると膝の両側にカレンとカリンがそれぞれ立って咲いたばかりの花を手に取ると私の髪に挿した。
「「咲かせてくれてありがとう!!」」
「あ……どう、いたしまして」
気持ち悪いと蔑まれるのではなく、加護で感謝される日が来るとは思わなかった。
私にとって当たり前のことにお礼を言われるのは何だか不思議な気がする。
お返しにと私も二人に花を挿せばレティシアのもとへ行き、くるくる回って喜んでいるようだった。
「……リナ、そろそろ私に構ってください」
「あ、ご心配おかけしました……」
ずっとそばにいたのであろうサイモンがソファに身体を預けながらいじけたように見上げてくる。
こんな時でも私のお願い通り身体に触れずにいてくれるのをみてくすぐったい気持ちが芽生えた。
膝の上の花をかき集めていると、私の持つ花に視線がいったのに気が付き迷った挙句サイモンの髪にもその花を挿した。
驚いたように飛び起きた彼に後悔の念が湧き上がったが、両手を広げたまま動きを止めたのをみてどうしたのかと様子を窺う。
「リナ……抱きしめていいですか?いいですよね?」
「まっ、ここで……ってあれ……?」
じりじりと迫る手に待ったをかけていると先程までいたレティシアと双子の姿が見えない。
視線が後ろに行ったことに気づいたサイモンが私から視線を逸らさないままその疑問に答えた。
「母たちなら先程部屋を出ましたよ……気を遣ってくれたのでしょう……で、いいですよね?」
「なんでそんな急に」
「番から贈り物をもらって喜ばない人はいませんよ」
「贈り物って……そんな大げさなものでは……」
「そんなことはありません、貴女からのものでしたらその辺の石ですら家宝にします……ダメですか?」
「……少しだけなら」
「ありがとうございます」
熱量に負けて返事をすればすぐさま抱きしめられる。これまで何回か抱き締められたが先程とは違い、レナが私に抱き着いてくるような抱擁にだんだんと恥ずかしさは無くなっていった。
サイモンがそうなのか、獣人がそうなのかは分からないが喜びを態度で示そうとする上、断ると非常に悲しそうな顔をするのをやめて欲しい。断った後の顔が浮かんでだんだんと断りにくくなっていっているのだ。
「……リナ、今回は相手が妹でしたから何も言いませんが、出来れば贈り物を受け取るのも、贈るのも……相手が異性の場合は直接はやめていただきたいのです」
「……それは身内でも、ですか?」
「いえ、リスター家の皆さん……ヴァルター殿まででしたら私は何も言いません……ただ私の家族の場合には……特に父や兄に何か贈り物をする時には間に私が入ってもよろしいですか?」
「……」
「やはり、嫌ですよね……大丈夫です、せめて一言いただければそれで……」
「いえ、構いませんよ……私も何をプレゼントしていいか分からないので、そういった意味でも一緒に選んでくれるのはありがたいです」
「……若干の認識の齟齬があるような……」
「なにか言いました?」
「いえ、受け入れていただきありがとうございます」
「あ、ついでになんですけど……サイモン様は私がどこまでなら異性との接触を許してくれますか?」
先程のすり合わせをしようと問いかけただけなのだが私を抱きしめる手に一瞬力が入る。
ゆっくりと離れたサイモンの表情は俯いていて分からない。
二の腕をしっかりと掴んだまま彼は微動だにしなくなった。
「……」
「……サイモン様?」
「……それは……」
「えっ、何でまた泣いてるんですか?!私また伝え方間違えました!?」
はらはらと落ちる涙に私の方が驚いてしまう。自分の放った言葉を反芻し、より詳しい説明をする。
「あの、私が他の方とどうこうなりたいわけではなくてですね……先程グレッグ様に視線をやったのを気にしていたみたいなので……そもそも私に異性の友人など片手で数える程度しかいませんけど、仮にその人たちや友人の旦那さんに会った時にどのくらいの距離感を保てばいいのか気になりまして……」
「……後で異性の友人について詳しく聞かせて下さい」
「あ、はい……」
私の言いたいことが伝わったのか涙を拭うと再び私の身体は彼に包まれる。
「私の本音を言うならば、出来る限りの接触は控えていただきたいです……けれどもリナの交友関係を制限させたいわけではありません……私が同席出来る時にはさせていただきたいですし、もし出来なければ必ず使用人を待機させてください。接触は緊急時を除いて最小限に、会話の礼儀は守ってくださって結構です……けれどもあまり長い間見つめないでください……」
「分かりました」
そもそも私が相手の目を見つめながら話すのは稀だ。接触に関しても同様で自らも、そして向こうからも触ろうとする者はいないだろう。同席に関しても別に聞かれて困るような会話はない。
(そうなるとカーティス家や親族との接触の方だけ気を付ければいいのかもしれない)
心当たりのある親族の顔を思い浮かべていると、サイモンがまたゆっくりと身体を離し何故か戸惑ったような表情を浮かべていた。
「……私がお願いしておいてなんですが、リナはそれでいいんですか?」
「え?」
「貴女にとっては行動を制限されるわけですよね……?嫌だとか、面倒だとか、そういった感情はないんでしょうか?」
「そう、ですね……私がもっと普通だったら煩わしく思ったのかもしれませんが……私のこの狭い世界の中では何も困ることはありませんね。サイモン様が心配しているような異性との接触もありませんし……それに先ず、普通の男性なら私に近づきもしませんから」
以前受けた誹謗中傷やあからさまな嫌悪の目を思い出し手に力が入る。
何かを察したサイモンが私の頬に手を当てた。
「申し訳ありません、辛いことを思い出させてしまいましたか?」
「……いいえ、とにかくそのくらいのことでしたら私にとっては問題ありません」
その手を上から包むように乗せれば、どことなく安堵した表情を浮かべたので私も微笑み返す。
いつの間にか私はサイモンに悲しむ顔をさせないために行動することをなんの疑問も思わなくなっていた。
「私が無意識にサイモン様が嫌に感じることをしていたら、先ずは袖を引っ張るなり、手を引っ張るなりしてください……さっきみたいなのはもうだめですよ」
「わかりました」
乗せた私の手ごと下におろされると手を繋がれる。指が甲をなぞる感覚に反射で引っ込めたくなってしまったがどうにか留まった。
もうだいぶギリギリのところまで来ていたが心配をかけさせてしまったのもあり、もう少しだけ頑張ってみようと身じろぎ一つ出来ないまま時間が過ぎるのを待った。
サイモンとの話し合いが終わるころには、すっかりランチの時間になっていた。
ユーリとグレッグにも倒れたことを謝罪したが二人とも怒るどころか婚約しているのだから周りの目など気にしなくていいと謎の励ましをされ、こちらの方が困惑する事態となった。あれ以上の何を求めているというのだろうか。
そしてその答えはすぐに分かることになる。
ランチの席に案内されると感じた違和感。当主であるユーリの席が上座に一人で座るのではなく、レティシアの隣だったのだ。その反対側にグレッグ、そして私たちが続き、レティシアの下にはカレンとカリンが続く。
食事が運ばれ感謝の言葉とともに食べ始めて早々、ユーリとレティシアの間で食べさせ合いが始まったのだ。全てというわけではなく、お互い好きなものを一口相手に食べさせているようで思わず食事をする手が止まる。さりげなく周りを見るが家族も使用人も気にしている様子はなく、あまりにも自然に行われている状況に私の感覚がおかしいのかと不安になった。
「リナ、食事の手が止まっているようですが……もしかして驚いていますか?」
「え、えぇ……」
「あれは獣人同士だとよく見られるのですが……安心してください、気を許した家族の前でしかしませんよ」
あれを外でもやるのか、という不安がサイモンに伝わったのか小さく首を振って答えてくれた。
そして私は驚きながらも『気を許した家族の前』という言葉に胸があたたかくなっていた。
彼らに受け入れられたのだと、少しだけ実感できたから。
「サイモン、説明はしっかりした方がいいぞ?婚約期間の獣人もするだろう?」
「えっ……」
「余計なことを……」
「お前が番を大事にしているのは分かっているが、もう少し色々と教えてあげてもいいんじゃないか?出来る出来ないはまた後で考えてさ」
グレッグがサイモンを見る目には家族を想う優しさが溢れている。
サイモンが気まずそうな顔をしているのを見る限り本当のことなのだろう。
そしてその言葉を汲み取れば、私は少し、いや相当サイモンに我慢させていることがあるのだ。
「リナ、気にしなくていいですから」
「……いえ、私も少し気にはなっていたんです」
彼は優しい。私が嫌だということは絶対にしてこない。
先程サイモンは私の行動を制限するのは嫌じゃないのかと聞いた。私も同じだ。私の我儘で彼の行動を制限したいわけじゃない。グレッグの言う通り、知らないままなのと、知ってやれないのではまた意味合いが違う。
「私が最初にゆっくり関係を深めたい、と言ったから貴方は律儀に守ってくれているのでしょう?勿論ゆっくり進んで行きたいとは思っていますが、だからと言って貴方のしたいことが出来ないのは……その、フェアじゃないと言いますか」
「……でも、リナが無理をすることはないですし……無理をさせたくありません」
「……先程グレッグ様が出来る出来ないはまた後で、と言っていました……私も一応婚約者ですし……知ることも、それを実行するための努力もしたいとは思っています」
「……あんまり私を甘やかすとリナが大変になりますよ?」
「それは……私に無理をさせないと言ったサイモン様を信じます」
「ははっ、リナさんの方が上だったな」
「サイモン、獣人とヒトとでは感覚に差があることが多い……確認も兼ねてどういった習慣があるかは教えておいた方がいいだろう」
私とグレッグ、そしてユーリからの言葉を受けサイモンは分かりましたと小さく呟いた。
「じゃあ慣れるためにも早速食べさせ合ったらどうかしら?」
「そうだね、リスター家よりかはやりやすい環境だろうし」
「!!」
恐らくこういう展開にはなるだろうなとはうっすら感じていたが本当になるとは。
手に持ったフォークを握りしめていると、レティシアがまたユーリの口元へと食事を運び、更にカレンやカリンにも食べさせる。
私が少しでもやりやすいように、と気を遣ってくれたのだろう。
ここまで気を遣ってもらっていてやれませんとは言えない。
それに先程ユーリが言ったように、リスター家よりかははるかにやりやすい環境だ。
それに何より、隣のサイモンの期待の眼差しがすごい。最早気にしないのは無理なぐらいの刺さるほどの視線にやらないという選択肢は消えていった。覚悟を決め先程切り分けたままのチキンにフォークを指す。
「……どうぞ」
ソースが垂れないよう下に手を添えてフォークをサイモンの方へ運ぶ。
恥ずかしさから目線を逸らしていたが様子を窺った一瞬、嬉しそうな彼の笑みを見て大きく胸が鳴る。
うるさいほどの鼓動に戸惑っていると、いつの間にかフォークからチキンは無くなっていた。
「ありがとうございます……リナには、厳しいですか?」
「……いえ、せっかくですし……頑張ります」
先程のような笑みが見れるのなら、自分の恥ずかしさぐらい我慢するべきだろう。
私の回答にいそいそと自分のチキンを切り分けると、私に向かって差し出してくる。時間をかければかけるだけ恥ずかしさが大きくなるのを学んだ私はすぐにそのチキンを口に入れた。緊張と羞恥心で何の味もしないチキンを飲み込めば満足そうなサイモンの表情が目に入る。
「またしていただければ嬉しいです」
「……出来れば……あんまり人がいない所がいいです……」
周りを見る余裕は無かったがしっかりとカーティス家の皆さんに見られていたのだろう。勿論この後の食事の味がしなかったことは言うまでもない。
食事を終えサイモンと二人庭園を歩く。
カーティス家には温室は無いらしいのだが、その代わり季節の花々が庭に咲き誇っていた。
「リナ、ありがとうございました……でも本当に無理はしないでください」
「……無理ではないですよ、私だって貴方のことは知りたいと思っているんですから」
サイモンと一緒にいるせいか、昔の私ならば絶対に言わないような言葉が自分の口から出ていることに驚きを隠せない。自分には向けられることが無いと思っていた純粋な好意に触れたせいだろうか。
(それに、彼は理由なく私を拒まない)
この一点における彼への信頼が、私を少し素直にさせているのだろう。
「……サイモン様、私に気を遣って出来ていないこと教えてもらってもいいですか?」
東屋に辿り着きベンチに座り、紅茶の準備を終えたメイドたちが去るとそう切り出した。
向かい合ったサイモンが一口紅茶を飲むと、確認も含めて婚約の時から話しましょうかと前置きをして口を開く。
「婚約後行うのがお互いに印をつけるマーキング、その後は最低三日以上行動をともにします。どちらも番が出来たことを知らせる目的ですね。今回は流れで三日以上一緒に入れることが分かっていたので伝えませんでした」
(……ずっと隣に居たのはそういうことか……)
いくら婚約したとはいえ、会って間もないというのに距離が近いとは思っていたがそういう理由があったらしい。やはり聞いておいてよかった。
「そして先程の給餌……特に男性から女性へというのが多いです……我が家は母の方が積極的に行いますが」
「……婚約期間にも行うんですよね?……サイモン様も?」
「そう、ですね……出来れば」
「……例えば」
目の前にあるフルーツの盛り合わせを指さす。
「こういったものでもいいのでしょうか?」
「はい、私からリナにというのが大事なので食べ物は何でも構いません」
「……でしたら……二人きりの時になら、しても大丈夫です」
「本当ですか?……嫌ではありませんか?」
「私、サイモン様のすることで嫌だと思ったことは一度もありません」
自分でも驚くほどはっきりと言い張ると思わずその口に手を当てる。
けれども今しっかりと伝えておいた方がいい気がしたのだ。
「ただただ恥ずかしいだけなんです……最初にも言いましたが慣れていないだけなんです……だから少しづつでも貴方に慣れていきたいし、望むことは叶えてあげたいと思っているんです」
顔に熱が集まっていくのが分かる。口に当てた手を広げ顔全体を覆った。
「……嬉しいです、伝えてくれてありがとうございます」
指の隙間からサイモンの様子を窺えばはにかんでいるのが分かる。
きっと私はもうこの人に惹かれているのだろう。
単純だろうが何だろうが構わない。いつの間にか喜ばせたいという想いの方が勝っているのだから。
身体の熱が高まり喉が渇く。冷たいものが欲しかったがそんな贅沢も言っていられない。
用意されたティーカップを取り紅茶を飲んだ。
「……!」
顔や態度に出ないようにさりげなく視線を巡らせる。同じように出されたサイモンのカップからは仄かに湯気が漂っているのが見えた。この短時間にここまで冷えるわけがない。つまり、私のだけがすでに冷えた状態で出されていたということだ。
(……まぁ、今は逆にありがたい)
このくらいの嫌がらせは覚悟していたし、思ったよりも可愛らしいもので安堵する。
少なくとも物理的に傷つけられる心配はなさそうだ。
「リナ、早速してもいいですか?」
そちらに気を取られている間にいつの間にかフォークに果物を刺したサイモンがにこにこと傍に控えていた。急に現実に引き戻され一瞬動きが止まる。
「本当は貴女を抱えて食べさせたいのですが……」
「……それは無理では……?」
「そんなことはありません、リナくらいなら余裕です」
忘れていたがサイモンは軍人だ。加えて獣人のため腕力もある。本当に抱えることが出来そうなのが怖いが流石にそこまでは私が無理だ。私の表情から察したのか少し肩をすくめて首を振った。
「ですが、それはまたいつかに期待しましょう」
そう言って笑うと口の前にフォークが出される。
先程と違い誰の視線もないので思ったよりすんなりとその行為を受け入れることが出来た。
みずみずしい果汁が噛むたびに口の中に溢れ喉を潤していく。
私が食べ終わるのを見計らって次の果物が運ばれてきた。
それも口に入れると、先程までの話を続けるように促す。
「他には贈り物もその一つでしょうか」
「贈り物、ですか」
それは普通の婚約者同士もするのではないだろうか、と不思議に思っているとまた次の果物が目の前に来る。話をしているはずなのに絶妙なタイミングで出されるため反射的に口を開いてしまった。
「貢ぐといった方が正しい気もしますね。大なり小なり自分の選んだもので番を飾りたいのです、頭から爪先、果てには番の暮らす部屋の調度品などもですね」
「……私」
「今あるもので十分だなんて言わないでくださいね……貴女には負担にならない範囲には収めますので」
「むぐ」
今のタイミングで口に入れられたのは恐らく私に反論させないためだろう。もぐもぐと口を動かしつつ、そろそろお腹も膨れてきたので運ぶ手を止めさせた。途端に残念そうに眉を下げるのはずるいと思う。
「あとは……結婚してからの話になりますが、獣人は通常一ヶ月ほど結婚式後に休みを取ります。その間は旅行に行くことが多いですね」
「長いですね」
通常、結婚後の休みは長くて一週間程度だ。半数程度はせいぜい三日だろう。そう考えると一カ月というのはかなりの日数になる。
「えぇ……基本的に番から片時も離れなくなるのですが……」
私の様子を伺いつつ、何かを隠すように眼鏡を指で掛け直す。
言わんとしていることがなんとなく分かり私も詳しくは聞かないことにした。
「それはまた……その時に考えましょう」
「……そうですね」
お互い空気が変にならないようティーカップに口をつける。いつの間にか飲み終えていることに気づくとサイモンがおかわりを注いでくれた。そこから注がれるのは勿論温かい紅茶で、そうなると私のだけ冷やすという何とも手の込んだ嫌がらせをしてきたものだと逆に感心してしまった。
………
ティータイムを終えるとリナを客室まで送り、私は父のいる書斎へと向かった。道中先程までの幸せな時間を思い出し心がじんわりと温かくなる。
(リナの方から歩み寄ってくれるなんて……)
これまでも、そしてこれからも、彼女の嫌がることはしたくない。だからどうしても自分の行動を律し、タガが外れないようにしていた。けれども自分の家という空間に気を緩めたのか、些細なことで過剰に反応してしまうようになってしまった。兄の茶々入れもその原因の一つではあると思うが。
しかしその茶々入れのおかげでリナとの距離が縮まったのも事実だ。
少しずつ彼女が私に心を許している。それがどんなに嬉しいことか。
(それにしても……早速リスター伯との約束が破られるとは……情けない)
リナは気づかないふりをしていた、いや、心配をかけないために隠したと言ったほうがいいだろうか。まさか慣れているとは思いたくはない。
わざと誰かが彼女の紅茶を冷めたものにしたのだ。
私も気分が高揚していたせいか、リナが飲むまでそのことに気づかなかった。それに、まさか我が家でそのような愚かな行為をする使用人がいるということが信じられなかったのもある。
何も言わず飲む彼女を見ているうちに沸々と怒りが湧いたのがわかった。しかしせっかくリナが隠しているのに私が今指摘するのはよろしくない。後で対処法を考えようと、目の前のフルーツに手を伸ばしたのだ。
父の書斎まで辿り着くと静かにノックをする。返事をもらった後入ればそこには兄の姿もあった。
「どうした?」
「あれ、リナさんと一緒にいたんじゃなかったのか?」
二人の視線を受け止め返すと、話がありますと先程の出来事を伝えた。
話すにつれ二人の表情が固くなるのが分かる。話し終えれば父は飽きれたような溜息をついた。
「まさかそんなことが……」
「リナさんは大丈夫か?」
「えぇ……本人は気にしていない様子でした」
そうは言っても何も思わないはずがない。失望したかもしれないし、呆れられたかもしれない。ここに来る前にリスター伯に言われた言葉がぐるぐると頭を回っていく。
『スクロールを奪ってでも帰ってこい』
万が一そんなことになってしまったら、私はどうしたらいいのか分からない。そんな恐怖を感じながら二人に対策を求めた。
「先程東屋の準備をしたメイド、及びシェフの把握はしております……今後はその人たちをリナの担当から外してもらおうとは思いますが……」
「誰か、はまだ特定できないんだな」
「はい……」
「……いや、まだ外すのは待ってくれ」
父からまさかのストップがかかり、少し静まっていた怒りが膨れ上がる。
「何故ですか?まさかリナにこのまま過ごせと言うのですか?」
「落ち着きなさい、彼女はもう我が家の一員だ……家のものに手を出されて黙っている当主がいると思うか?」
「っ」
温厚な父の鋭い視線に反射的に身をすくめる。怒りで視野が狭くなっていたらしく、小さく謝罪の言葉を述べた。
「この先リナさんは何度もこの家に帰ってくるだろう……どうせなら一気に膿を出してしまう方がいい」
「……見て見ぬふりをするのですか?」
「いや、それではリナさんが被害を被ってしまう……だからお前が未然に防ぐんだ」
父が立ち上がり書棚から一冊の本を取り出す。渡され確認した中身はこの家に勤める使用人のリストだった。
「レティにも共有し、私たちでリナさんに愚かな真似をした者を特定する……証拠が必要だからな、何かしようとした後に私たちがそれを止めるんだ」
「……分かりました」
「でもお前が近くにいると手を出してこない可能性もあるな」
「……まさか」
「サイモン……悪いが接触の時間は短めに頼むよ」
「そんな!!!先程リナが私に歩み寄ってきてくれたばかりなんですよ!?」
「あー……なんともタイミングの悪い……でもリナさんにバレたくはないだろ?」
「勿論です……っ!」
こんなに辛い選択肢があるだろうか。
せっかく距離が縮まったのに、何が悲しくて伴にいられないというのだろうか。けれどもここで残した膿がまた彼女を傷つけるかもしれない。
それは絶対に許せない。
「では」
「ちょっとユーリ!!!」
勢いよく開いた扉とともに母の声が部屋を満たす。
いつも父を愛称で呼ぶ母が呼び捨てたことに父だけでなく兄や私も固まってしまう。
「れ、レティ?どうしたんだい?私が何かしてしまったのかな?」
「違うわよ!!どうなってんのよ!?リナさんにつけた侍女のことよ!!!」
リナという単語に反応した私は母の手を掴む。
兄は急いで開いたままの扉を閉め父も母に寄り添った。
「リナに何があったんですか」
「……安心しなさい、まだ何もないわ」
「サイモン、レティの手を離しなさい」
無意識に力を込めていたらしく、父に掴み返されその手を離す。
うっすら跡が残ってしまった母に謝り常備している軟膏を渡した。
「それで?侍女がどうしたって?」
「……さっきリナさんの部屋に行こうと思って向かっていたら途中で彼女に会ってね……客室から離れていたし、サイモンもいなくて一人だったからどうしたのか聞いたら部屋の呼び鈴が壊れていて誰も呼べなかったと言ったの」
「……点検は」
「勿論してたわよ、私自ら確かめたのだから間違いないわ……一応部屋にも確認しに行ったけど、確かに壊れていた」
「それに近くに誰もいないなんてことあるはずがないな」
「えぇ、すぐにリナさんに付けた侍女を呼んだのだけれど……あろうことか私に謝ったのよ、リナさんにではなく、ね……それに自分が確認したときには鳴ったと言い訳もあったわ」
「……その侍女の名前は?」
「ナーサリア・キルデア」
「……レティ、先程サイモンから聞いた話も含めて君に共有したいことがあるんだ」
事の顛末を聞いた母は烈火のごとく怒り始めた。今はだいぶ温厚になったと思っていたので、自分が昔怒られた時のことを思い出し無意識に兄と二人、部屋の端に身を寄せている。どうにか父がなだめて収まったがやはり母を怒らすものではないと改めて自身の振る舞いを改めた。
全員の共有が終わると母と私は書斎を出た。そのままリナのいる客室へと向かう。
接触を控えるよう言われていたが今はそんなことを守る気はない。
客室のある階へ向かうと微かに聞こえる声に耳を澄ます。メイドたちの声だが、ただのおしゃべりを咎めるつもりはないので念のため気配を消して様子を窺った。
「……あの金色の目、こちらを見ないだけましだけど」
「一応弁えてはいるのね」
「わたし、初めてみたかも」
「まさかサイモン様の番だなんてね……」
「じゃなきゃ誰が好んで加護持ちを相手にするのよ……あぁ、でも加護によっては利益に繋がるからいいのかも……あの方、加護は何なの?」
「たしか豊穣の女神だったかしら」
「あぁ、さっきお嬢様方が花の蕾が咲いたって喜んでたわね」
「花を咲かすって……それだけ?気持ち悪くはないのかしら?」
「まだ子供だし……魔法みたいに見えてるのかもね」
「それにしても番って本当に選べないのね……旦那様たちがあぁだから忘れていたわ」
「あれ程不釣り合いなのも珍しいわね……まだ身分差がないだけいいのかも」
「サイモン様が見たことない顔をしていて思わずときめいてしまったわ」
「目の保養よね……あ、呼び鈴がなってる」
「せっかく壊れていたのにもう直したのね」
「誰が行く?」
「ないがしろにして怒られるのも嫌だし……パパッと作業しちゃいましょう」
声が遠のくのを待って私は漸く身体の力を抜いた。飛び掛からないよう抑えた結果掌にいくつかの傷が出来ていた。しかしそんな痛みなどリナに比べればなんともない。
彼女たちよりも先にリナに会うべく廊下を走る。反対から回り込むと例の侍女が客室をノックするところだった。何事もないように彼女に声をかけ、暫く誰も来ないように伝える。彼女も母に言われた後だからか、呼ばれたことを確認しなければならないと粘ったが私が許可をしたと言えばいいと言い切り部屋の扉を開けてそのまま閉めた。
「あれ、サイモン様……?」
「……リナ」
何と声をかけようか、怒りに任せ先程のメイドたちを罰しないためにリナの顔を見に来たのだが上手い言い訳が思いつかない。メイドを呼んだはずなのに、と不思議そうにしている彼女に近付き用件を聞く。
「先程レティシア様が呼び鈴を直してくださって……そのまま肝心の用を伝えるのを忘れてまして」
「あぁ、不備があって申し訳なかったです……何か入り用ですか?」
「お水をいただきたくて……なんだか喉が渇くので……」
照れくさそうに笑う彼女に少し肩の力が抜ける。
まだここから帰りたいとは思ってないようだ。
少し待つよう告げ私が直接水差しを持ってくる。
獣人の習慣を把握している者が多いので特別不思議には思わなかったようだ。幾人かの怪訝そうな顔を除いて。
「お待たせしました」
「なんでサイモン様が!?」
「気にしないでください、私が世話をやきたいだけですよ」
「えぇ……?とりあえずありがとうございます、受け取りますね」
立ち上がったリナが水差しを受け取ろうとするのを制しコップに入れる。再び座った彼女の隣に腰を掛けると水を手渡した。
「ありがとうございます……?」
「どうかしましたか?」
「サイモン様、怪我してます?」
コップを受け取ったところでリナが私の手を見つめる。大した怪我ではなかったので放っておいたのだが、どうやらコップに跡がついてしまったようだ。すぐさまハンカチを取り出して私の手を掴むと、まだ綺麗な水をそのハンカチを付けて丁寧に拭いてくれた。こんな時なのに彼女が心配してくれていることに喜びを感じるあたり、自分も相当だなと思ってしまう。
「塗り薬などした方がいいと思いますけど……」
「このくらいはすぐに治るので大丈夫です、ご心配ありがとうございました」
汚れたハンカチを受け取り洗って返しますね、と次の約束を取り付ける。
その意図に気づいたのか彼女も少し微笑んだ。
笑う彼女に今ここで起きていることを伝えるか悩む。隠したいのは山々だが隠し事をしているというのも居心地が悪い。しかし何と伝えればいいのか。変に心配をかけるならば何も知らない方がいいのではないだろうか。
考えた末家の痴態を晒す必要もないと、やはり伝えないままにすることを選んだ。
「……ごめんなさい、私のせいで……でも大丈夫ですよ」
唐突にリナが謝る。急な謝罪に困惑と、何かに気づいているのかと心臓が跳ねた。
焦りを悟られないよう努めて冷静に彼女と向き合う。
「何を……何に対して謝っているのですか?貴女が謝るようなことは何もないですよ」
「……なんとなくですけどカーティス家の皆さんが私を守ろうとしてくれているのは感じていますし、とてもありがたいことだと思っています……でも、私一人のためにここを変える必要はないと思うのです。ここに長く勤めている方もいらっしゃるでしょうし……それに私、こういったことには慣れていますし、このぐらいは可愛いほうですから」
リナの言葉を理解するのに時間がかかる。彼女は今、自分よりもここに勤めている人を優先しろと言っているのだろうか。自分は気にしないからそのままにしろと。それに慣れているとはどういうことなのか。かわいいほうとはどういうことだ。私はこんなにも貴女を傷付けた人たちが許せないでいるというのに。貴女はそんなにあっさりと許してしまうのか。
「……そんな辛そうな顔をしないでください、私本当に気にしてないんです」
「……貴女は、そうやって自分を守ってきたのですか……?」
「そんな大層なものではないですよ……事実を言ったまでです……気にしていたら、私は私をもっと受け入れられなくなっていたから」
その言葉を聞いて彼女は気にしないのではなく、仕方がないことだと受け入れているのだと気づく。自分が加護を持っているから、他人と違うから、だから何かをされてもしょうがないのだと受け入れている。そんなことあって良いわけがないのに。居てもたってもいられなくなり彼女を抱きしめるため手を動かす。許可を得る前にリナの方が私に身体を預けてきた。抱きしめていいのか空中に手を浮かしていると彼女が笑う声が聞こえる。
「……二人きりの時は許可はもういりませんよ」
「……いいんですか?」
「えぇ……サイモン様のことはもう信頼してますから」
一気にいろんな感情が溢れごちゃ混ぜになる。勢いのまま彼女を持ち上げ自分の膝の間にいれ横抱きにした。流石に予想外の動きだったのか目が合ったリナがこれ以上ないほど顔を赤く染める。
甘えるように顔をくっつければ彼女の身体が強張るのが分かった。
「……先に許したのは貴女ですからね」
「……こんなのは予想してないです……」
「言ったでしょう、このまま給餌も出来ますよ」
「……早まったかもしれない……」
腕の中で震える彼女が愛おしい。
だから彼女が何と言おうとこの現状をそのままにすることは私が許せなかった。
「リナの気持ちはわかりました……けれども私や、父や母、兄もこの現状を怒り憂いています。だから貴女が彼女らを気にする必要はありません……職務怠慢な態度は見逃せませんからね」
「そこまででは……」
「……私を番も守れない男にしたいというのなら、我慢しますが」
「言い方が良くないですよ」
「こうでも言わないと貴女は頷いてくれないでしょう?」
顔の角度を変え彼女を見つめる。至近距離で見つめ合う形になり、先にリナの方が顔をそむけた。
「……分かりました」
「ありがとうございます、あ、でもリナが特別何かをすることはないので大丈夫ですよ。何かがあれば私たちが未然に防ぎますから……万が一私たちの手の届かない所で何かがあったら教えてください」
「それは大変では……?おそらく私自身を傷つけるようなことはしないと思うので防がなくても実害は……」
「リナ?物理的に傷つけなければ何をしていいわけではないのですよ?それに……それを当たり前にしないでください……貴女はもっと怒って良いし、咎めてもいいし、助けを求めていいんですよ」
私の言葉にリナが不思議そうな顔をする。何がいけないのかまるで分っていない顔だ。最早何も感じなくなるほど長い間こうやって自分を誤魔化してきたのだろう。そもそもの基準がおかしいこともきっと気づいていない。
「追々分かってくれればいいです」
今後意識を変えさせればいいと、一度会話を終え目の前にいるリナを堪能する。柔らかな彼女の身体をここぞとばかりに抱き締めてその香りを楽しんでいると控えめながら彼女からのお返しがあった。首に手を回され縋るように抱きついてきた彼女に動揺してしまう。
「……!?」
「あ、嫌でしたか……?」
「まさか!!なんのご褒美かと……!!」
私の動揺が伝わったのか離れていこうとする彼女を引き留める。この短時間でリナにどんな心境の変化があったのかは分からないが急に積極的になられると嬉しい反面心臓が持たない。彼女もこんな気持ちだったのだろうか。しかし番に求められるということがこんなにも心を満たすとは。
(心臓が飛び出そうだ)
どこか余裕があったはずなのに、そんなものは初めから無かったように身体が動かないし言葉も出てこない。どうしたものかと困っていると不自然にリナの身体の力が抜ける。微かに聞こえる呼吸音に私はそのままリナを抱きかかえベットへと横たえた。
「……眠れなかったって言ってましたね」
先程気を失ったのも身体に負担がかかっていたのだろう。ここに来てからまだそこまで時間が経っていないのにあまりにも多くのことがあり過ぎた。その中でいくら寝不足だとはいえ、私の前で眠りに落ちるほど気を許してくれているのは素直に嬉しい。気持ちよさそうに眠る彼女につい顔を近づけるがすんでのところで我に返りその髪をすくって口づけた。
「……おやすみなさい」
部屋の外に出ると獣人ですでに伴侶のいる使用人に声をかけ見張りを頼む。ヒトよりかは信頼できるので多分大丈夫だろう。私も私で調査をするために踵を返した。
………
「や……ってしまった……」
この世のどこに初めて来た婚約者の家で爆睡するやつがいるだろうか。
時計を確認すれば二時間程経っており、重い身体を起こして水を飲んだ。
横になったことで崩れた髪とメイクを直し、どうにかみられるようになるとテーブルの上にメモを見つける。少し癖のある綺麗な文字をなぞった。
『私が迎えに行くまでは出来れば部屋に居てください……もしどこかへ行くときは部屋の前に待機しているシェナという獣人を連れてくださいね サイモン』
サイモンという文字に忘れていた眠る前の記憶がフラッシュバックし、また顔に熱が集まった。一体どうしたというのだろうか。あんなことするはずはなかったのに。確かに少しだけ私を心配してくれる彼を可愛らしいと思ってしまったし、不思議と彼の腕の中が安心できたというのもあったが、なんで、どうしてあんなことを。
自分の行いに悶えていると紙が擦れる音に我に返る。力が入ったのかメモに若干の皴が出来てしまったので自身の荷物から手帳を取り出し中に挟んだ。少し悩んだ末手帳の紙を破り文字を記す。
『庭園にいます リナ』
外に出たら伝言を頼むつもりだがすれ違いになってしまった場合に備えてメモを残した。
部屋にいた方がいいのは分かっているのだが流石にちょっと動いておきたい。ランチをした後ティータイムを挟んでそのまま寝てしまったのだ。おそらく数時間後にはディナーが待っていることを考えれば、少しでもお腹を空かせておきたい。
メモをテーブルに残し部屋の扉を開ける。顔を出して左右を見ていると近くに人影が見えて声をかけた。現れたのは小柄な茶色い髪の女性だった。
「あの、シェナさんはいますか?」
「私がシェナでございます」
「あ、失礼しました……庭園に行きたいのですが、案内してもらってもいいですか?」
「畏まりました」
どうぞ、と少し前を歩き始める彼女の後を追う。すれ違ったメイドにサイモンへの伝言を頼んでおり、仕事が出来る方だと感心してしまった。
少し歩くと外廊下へと出る。そのまま行き止まりまで歩くと昼にサイモンと散歩をした場所へと出た。
庭園内で行ってはいけない場所の確認をした後、シェナに案内のお礼を言った。
暫く見て回ることを伝えれば彼女も傍に控えるらしく、せっかくなので話し相手になってもらえないかと頼んだ。
「嫌でなければ……」
「私のようなものに伺いを立てなくても結構ですよ」
抑揚のない声で彼女が問う。言葉はきつめに聞こえるが真っすぐと私を見るその瞳には何の含みもなかった。正面から見ると彼女は随分と可愛らしい顔をしている。あまり遜るのも良くないかと頷いて先に一歩を踏み出した。
「シェナさんは獣人なんですよね?」
「はい」
「その、この質問が無礼にならないか分からないんですが……番はいるんですか?」
「はい、おります」
「そ、それって、お相手の方は……」
「獣人です」
「あ、そうなんですね……」
「……何か、お困りのことでも?」
こんな聞き方をすれば嫌でもこう返してくるだろう。誘導したようで心苦しいが全く関係のない第三者からの意見というものが私には必要だった。馬鹿げた質問から真剣な質問まで答えてくれるそんな人が。
「……その……獣人でも番以外の異性に惚れたりするんでしょうか」
「……」
「……そんな呆れてものが言えないような目で見ないでください……!」
「ないです、ありえないです……ヒトと違い獣人は番を得た瞬間他の異性はそういう対象として目に入りません。万が一不貞行為が実際にあったとしたらそれはもう相手から無理矢理としか思えません」
「……ソウナンデスネ……」
「他にご質問は?」
「番にされて嫌なことはありますか?」
「基本的にはないですね、常識的な範囲なら……流石に泥酔した状態で絡んで来たら怒りますよ」
「……サイモン様をみてどう思いますか?」
「それは……どういった意味でしょう?」
「……番を得た獣人として見たときに、周りからどう見られているのかと」
「そうですね……よく我慢できているな、と思います」
「我慢……」
「番を得てまだ数日だというのにあんなに理性的な方は初めてお会いしました。今もこうやって貴女に自由の時間を与えている。片時も離れないでいるくらいが普通ですから」
「……」
「ただ、サイモン様は貴女が無理をされることは望まないと思います」
「……すでに何回も言われましたね」
「私は獣人としての立場からしか言えませんが……貴女が少し歩み寄るだけであの方を手玉に取ることは可能ですよ」
「えっ、いや、そんなつもりはないんですが……」
「それに後の反動を考えると今のうちに触れ合った方が……試しに一回リナ様の方からキスでもすれば」
「どういう話をしているんですか?!」
いつの間にか立ち止まって話をしていた私たちの間にどこから現れたのかサイモンが割って入る。
突然の登場に私はひどく驚いたがシェナは涼しい顔で頭を下げた。
「……付き添いご苦労様でした、私が付くので戻って大丈夫ですよ」
「畏まりました、失礼いたします」
「シェナさんありがとうございました」
私の言葉にもう一度頭を下げると彼女は邸宅の方へ歩いていく。
並び立ったサイモンの髪が乱れているのを見て手を伸ばすと大げさなほど彼が反応を示した。
「り、リナ、彼女に何を言われたのか知りませんが、そんな」
「……ごめんなさい、髪の乱れを直そうとしただけなんです……」
「っ!!あぁ、そうだったのですね……!」
一人で慌てるサイモンが可愛らしい。反応を見るに最後の会話は聞こえていたのだろう。
改めて彼に手を伸ばしその髪を梳かす。さらさらと流れる感触が気持ちよく感じた。
『番以外は対象にならない』『番にされて嫌なことはない』『我慢している』
先程の会話を思い出して彼を見つめる。私が彼の番なのはもう覆しようのない事実だ。
私が彼に惹かれていることも自覚した今、何も躊躇うことはない。
「……サイモン様」
「はい」
「もし私が何でもしてあげると言ったら、何をして欲しいですか?」
「……えっ」
意を決して投げかけた質問。もっと喜んでもらえるかと思った予想に反してサイモンは私を見つめたまま静かに固まっていた。気のせいだろうか、いつになく真剣な目をしているのは。
「……サイモン様?」
「……なんでも……」
「はい、私に出来ることなら」
「……いいんですか、本当に何でもという言葉を取り消さなくても」
「……では、その、倫理的にいけないことは避けていただければ……」
「じゃあ大丈夫ですね」
「えっ……?!」
私の言葉を聞いた後、徐に私を抱きあげる。そのまま近くのベンチに座らされた。
まさかこの年になって、しかもこの体型で抱きあげられるとは思わなかったので驚きに声が出なくなる。
私を見下ろすサイモンの光る眼鏡の奥に見える笑顔に何故か嫌な予感が止まらない。
「もう取り消せませんからね」
「……って、え、今ですか?!それにまだ何されるか分からないんですけど!?」
「リナ、マーキングの話を覚えていますか?」
有無を言わせない笑顔に最早頷くことしかできない。私が頷いたのを確認して彼は続ける。
「魔力を込めて噛むことは最低限なのですが、それ以外にもマーキングって色々な方法がありまして」
「……まさか」
その先の言葉を察した私が逃げないように彼は私の手を取り掌に唇を寄せる。
そのまま軽い甘噛みがされると上目遣いに私を見つめた。
「なるべく痕は残さないようにしますので……マーキング、させてください」
掌から始まり、丁寧に指先や手首に唇が落とされる。時には噛まれ、私の反応を見て甘噛みの強さを変えているようだった。徐々に上がると初めてマーキングしたところへ辿り着く。噛み後の代わりにうっすらとガーベラが浮き出ていた。そこに唇を当てると吸われるような感覚に思わずきつく目を瞑る。
声を出さないよう反対側の手を口に当てていたのだがそれを優しく外される。うっすらと目を開ければ先程の場所に赤く色ついているのが見えた。ガーベラの模様と相まってまるで花が咲いているように見え、殊更に恥ずかしさが募る。
そんな私をお構いなしにその行為は続けられ、金属が当たる音にどうにか視線をやればサイモンが眼鏡を外して仕舞っていた。疑問に思っていると彼が首筋に顔を埋めるように動く。まるで匂いを付けるような動きにほんの僅かな余裕が生まれるも、そこにも歯が立てられあっという間にその余裕はなくなった。
「……どこも柔らかいですね」
「っ、ちょ、と、もう」
「もう少しだけ……」
顔に彼の髪が当たりくすぐったい。暫く後喉の辺りを噛まれた所でどうにか腕を動かし彼の服を引っ張った。
「……もう、これ以上、は……」
「……わかりました」
最後に噛まれた所に唇が当てられ、これ以上ないほどぐったりした私をサイモンが隣に座り自身に身体を預けるように移動させる。
涼しい顔で眼鏡をかける彼を直視できない。
一応まだ口づけすらしていない関係だというのにそれ以上の行為があったように思うのは気のせいだろうか。上半身の見えるところは網羅された気がする。
「……もうお嫁に行けない……」
「私以外の誰に嫁ごうというんです?」
私を支える手に力が入りむっとした声が降りてくる。気分的な問題でつい口から出たので深い意味は無かったのだが、他の人になんて嫁げませんよ、と返しておいた。
「実はリナとの接触は控えるように言われていたのですが……あんなことをいう貴女が悪いんですよ」
「……まさか今叶えることになるとは思っていなかったので……」
「……あの、本当に今更ですが、怖かったりとか、痛かったりとかしませんでしたか……?」
散々好き勝手しておいて不安そうな顔をしないでほしい。貴女に対しては自制が利かなくて、としょぼくれている彼に今更ですね、と返した。
「嫌だったら嫌って言いますし、サイモン様も加減してくれましたし、ちゃんと止めてくれたでしょう?」
「……じゃあまたしてもいいですか?」
「………………時と場合によります」
完全に否定しないあたり、随分私も彼に甘い。
今のをもう一回というのは結構勇気がいることだというのに。
私の返事に勝機を見たのか嬉しそうに分かりました、と返事が来た。
「そう言えば、使用人の調査が終わりまして……明日、皆に伝えようと思っています」
「……そうですか……」
「リナは……何か罰を望みますか?」
「いいえ」
自分が来たために最悪解雇になってしまう使用人に申し訳ない気持ちが募る。私が来なければ今まで通りの仕事が出来たというのに。職を失うというのは金銭的な喪失だけでなく、信頼の喪失も意味する。本当に職務怠慢な態度の人や、何らかの悪事に手を染めた人以外にそこまでの罰は求めていない。
「罰は望みませんが……私に関することで名前が挙がった人たちには、次の仕事先の紹介をして欲しいのです」
「……彼らは正当な理由があり処分を下されます、慈悲をかける必要はないと思いますよ」
「それでも……私が来なければ彼らは仕事を放棄することも無かった……せめて、これまでの功績は認めてあげてください」
「……それが貴女の望みなら善処はします……しかしこれだけは覚えていてください、加護持ちが来たからといって態度を変えるような者は、所詮その程度の人だということです。いずれどこかでボロが出ていたでしょう。貴女が心を痛める必要も、自分のせいだと責めることもしなくていいのですよ」
「……はい」
サイモンの言葉に頷きを返す。せめて明日、何事も起きないことを祈りながら私はまた目を瞑った。
………
その後ディナーの時間にまた皆で集まれば、グレッグは同情の眼差しを向け、ユーリは文句ありげに一切目を合わせようとしないサイモンを見つめ続け、レティシアは満足げに頷いていた。変な空気を不思議に感じているとカレンとカリンが私からサイモンの香りがすると口を滑らせたことで先程までの空気感の答えが分かり何とも気まずい時間を過ごすこととなった。
ヒトには分からないということが良いことなのか悪いことなのか。
食事の時も廊下を歩くときも部屋に戻ってからも獣人の使用人からの好奇な視線が刺さり居心地が悪い。
(理由を知らなければここまで居心地悪く感じなかったのに……!!)
因みにサイモンは私を部屋まで送った後、明日のことでやることがあるとユーリの所へ行った。恥ずかしさから素っ気ない態度を取ってしまった私が怒っていると勘違いしたらしく、随分後ろ髪を引かれながら部屋を出ていった。一応怒っているわけではないとは伝えたのだが。
ソファにおいてあるクッションにもたれかかりながら羞恥に耐えているとドアをノックする音が響く。
返事をすればシェナが入室を求めてきた。
「どうかしましたか?」
「冷たい水をお持ちしました。ついでにサイモン様からリナ様の様子を見てくるように頼まれまして」
「え?」
「上手く転がせるようになりましたか?」
「……えっ!?いや、さっきも言いましたけど手玉に取りたいわけではなく……!」
「そうなんですか?あんなに分かりやすいマーキングさせて」
「違います……!させたのではなく勝手にしてきたんです……!」
「あぁ、ではやはりリナ様が動いたのですね」
「間違ってはいないけど、ちょっと違う気もします……!」
水差しをテーブルに置きながら会話を続ける。淡々と話すシェナとの会話は意外と楽しい。
コップに水を入れ私の所へ運んできたのでそれを受け取った。
「……先程サイモン様に遮られてしまったのですが」
「はい」
「リナ様の様子を見る限り、こういったことには慣れていないと判断しました。ですので私からのアドバイスです」
アドバイスという言葉に以前ミルトンにかけられた言葉を思い出す。獣人は意外と世話焼きタイプが多いのかもしれない。
「結婚後、一ヶ月休みを取ることは聞きましたか?」
「はい、その間旅行に行くことが多いのだとか」
「えぇ、そしてその間は片時も番の傍を離れません」
「……それも少し聞きました」
「いいですかリナ様、今貴女が想像した百倍は離れないと思ってください」
「……え」
「一から十まで世話をするのは勿論、行く先々で貢物があります。貴女が動く前に番が動き、言い方を良くすれば何不自由のない生活が待っています」
「……」
「これが獣人同士だと男性の尽くし度が多少高いですが相殺されます。しかし片方がヒトとなると性別関係なく一方的に尽くす関係性が出来上がるのです」
「……」
「それを少しでも緩和させるためには日頃のスキンシップが非常に大切です。結婚前にある程度の接触を許していれば、暴そ……こちらの言うことも多少聞いてくれるでしょう」
「……暴走って言いかけませんでした……?」
「特にサイモン様のようなタイプは一番危ないです。理性の強い人が解き放たれた時の反動ほど怖いものはありません。ですので、出来れば今からある程度のスキンシップはしておいて損はないと思います」
「えっと……どれくらいの頻度で、どのくらい迄……」
「出来れば毎日、キスかマーキングさせておけば間違いないかと」
「…………」
「……まぁ、結婚後想像を絶する体験をしたいというのなら無理にとは言いませんが」
最後の言葉にぶんぶんと首を振る。今でさえあれなのにこれ以上、恐らく私の想像力では補いきれないようなことが一ヶ月も続くのは流石に困る。途中で慣れると思いますよ、と軽く言うシェナに私は一気に手元の水を飲み干した。
「心配しなくてもリナ様の気持ちを無視するようなことはないのでご安心ください。先程のように、少し寄り添えば勝手に向こうがフィーバーしますので」
「……意外と砕けた言い方をするんですね。あ、気にしているとかではないのでそのまま話してもらって大丈夫ですよ」
「失礼しました、寛大な対応恐れ入ります……私から言えることは以上です」
「ありがとうございます……大変……大変参考になりました」
今後の対応について深く考えさせられた私は、その後もシェナといくつかの会話を重ねたり、就寝前に遊びに来た双子の相手をしたりして有意義な時間を過ごした。
夜も深まりそろそろ寝ようかとベットに腰かけていると控えめなノックが響いた。不思議と誰が来たのかが分かり、返事をする前にドアを開けると、そこにいたのは想像した通りサイモンで、急に現れた私に驚いたかと思えばパシンと勢いよく自分の手で目を隠す。眼鏡は無事だろうか。
「サイモン様……?」
「……リナ、いくら我が家とはいえ誰かもわからないのにいきなり開けてはだめですよ」
「あ、ごめんなさい……でもサイモン様だと思ったので」
「っ……その、先程の件を謝りに来たのですが……」
「謝罪……?私別に怒ってませんよ?」
「でも……」
「……いつもと違う種類の視線を感じて落ち着かなかっただけです」
人の視線にはああいった種類のものがあるのだと初めて知った。
どちらにしても見られるというのはいい気分ではないが。
「それより……私の格好、何か変ですか?お見苦しいものを見せている自覚はあるのですが……」
「違います、逆です、見苦しいどころか見ていられるなら見ていた……ではなく、なんで寝間着はそんなに薄いんですか、普段着はあんなにガードが堅いのに……!!」
どうやらこの姿が原因らしい。見下ろして確認するがどこにでもある普通の寝間着だ。確かに普段着よりかは肌面積が広いだろうか。それでも十分常識的な範囲に収まっている。自意識過剰気味にこの状況を整理すれば、見慣れない姿に戸惑っているということだろうか。
(そういえばリスター家ではこの姿で会うことはなかったな……)
私が状況を飲み込もうとしている間も、以前として目を隠したままの彼に少し寂しさを感じる。私を映す蒼い瞳が見えないのが寂しい、と。いつの間にこんな欲を持つようになったのか。
「……目を隠されているの……嫌です」
「!!!」
私の言葉に秒で手を下ろすが目はまだ閉じたままだ。よく分からないが何かを葛藤しているらしく、数秒後薄目で私を見る。チラリと覗いた蒼に漸くホッとした。
「リナ、あの、ほんとにこれ以上は私が」
今になって思えば何故こんなことしたのだろう。
シェナに話を聞いたからだろうか。少しでも寄り添えればと思ったからだろうか。
少しだけ頬を染める彼を愛おしく感じたからだろうか。
出来るだけこちらを見ないようにしている彼に一歩近づき、その頬に唇を寄せた。
即座に部屋のドアを閉めドアノブを握りしめる。
「……えっ」
一拍の間を置いて扉越しに声が上がると、就寝の挨拶を言い置いて私はベッドへと走りその身を布団で包んだ。中で包まりながら自身の唇に手を当てる。触れるか触れないかの微かな接触。子供でももう少しましな挨拶をするだろう。それでも、私にとっては家族以外への初めてのものだ。
(……嫌では……ないはず……多分)
今までのサイモンの言動やミルトンやシェナのアドバイスを頭の中で反芻する。
彼が私に触れるということは、私が触れても大丈夫なはず。
今までのことを思い出しているうちに庭園での出来事も思い出してしまい墓穴を掘る羽目になった。
暫くは悶々として寝付くことが出来ず、結局朝方眠りにつくもののすぐに侍女たちに起こされる。
随分早いなと思いつつもどうせ眠りが浅かったので丁度いい。身支度を整えた侍女たちが下がると入れ替わりでサイモンがやって来た。あまりにも早い再会に心の準備が出来ていない。それに入って来た時から満面の笑みの彼が怖い。無情にも扉が閉められると彼は爽やかに挨拶を交わす。
「おはようございます」
「……おはようございます」
「よく眠れましたか?」
「いえ、あまり……」
「そうですか、実は私もなんです」
話ながら少しずつ近づいてくる彼は困ったようにそう言った。
「……リナ、しておいて逃げるのは良くないと思いますよ」
「………………そう、ですか……ね?」
「えぇ、それに昨日のが夢でなければ貴女はそこまでは許してくれたという認識でよろしいですか?」
「………」
近づいた彼が椅子に座る私の背もたれに手を伸ばし、腕の間に挟まれて逃げ場がなくなる。
少しは慣れたと思っていたサイモンの顔も、こうやって見るとまた違う表情が垣間見え緊張からか段々と鼓動が早くなる。うるさいほどの心臓の音が彼にも聞こえているのではないだろうか。
「無言は肯定と受け取りますね」
そう言ってお返しとばかりに私の頬に唇を寄せた。そのままその唇は首や鎖骨へと下がっていく。
「まっ……昨日、したじゃないですか……!」
「毎日したいです」
昨日と同じ触れ方に、またマーキングされているのだと気づく。結局昨日と同じか、それ以上にマーキングされた後、満足したサイモンに漸く解放された。
またもや力の抜けた私を椅子からソファへと移動すると当然のように抱えられる。今は抵抗する気力も体力もないのでされるがまま身を預けた。最早抱えられる恥ずかしさ等どこにもない。
人は想定以上のことが起こった後だと些細なことは気に留めなくなるものだ。
「私は嬉しいですが、何故急に積極的になってくれたんですか?」
「……シェナさんから話を聞いて……獣人のこと、少し学んだんです。それを聞いたら、私も少しぐらい……頑張ってみてもいいのかな、と」
語尾が徐々に消えていく中、それを聞いたサイモンが微笑む。
すり寄られる感触がするが悪い気はしない。
「あと、漸くちょっとだけ、本当にサイモン様は私に弱いんだなということを自覚しまして」
「……今ですか?」
「えっと、はい……」
「私のアピールが足りないようですね……?」
「足りてます……!十分すぎるくらい足りてます!私が自覚したのが直近というだけで……!」
「あぁ、そういえばちゃんと言葉にしたことはありませんでしたね」
そう言うと私をソファへと下ろし、サイモンは床に膝をつく。恭しく私の手を取れば、その手の甲にキスをした。真っすぐな視線が私を射抜く。
「好きです、リナ……私だけの番……私は絶対に貴女を裏切りません」
「っ」
「……よければ今のリナの気持ちも教えてもらえませんか?」
握ったままの手を自分の頬に当てると自信がなさそうにこちらを見上げる。
獣人にとって番は絶対だ。私の返答次第でこれからの関係性も変わってくるだろう。
ここで恥ずかしさから曖昧な返事をするのは良くないと思った。そもそも私だって自分の気持ちを自覚しているのだ。ただそれを言葉にして伝えるだけ。ただそれだけなのに。こんなにも勇気がいるものなのか。
「わ、たし……」
声が掠れて震える。それでもサイモンはじっと私が言葉を紡ぐのを待ってくれた。
「……私も、す、きです」
「……本当ですか?」
意外だとでもいうような返事が返ってきたので怖くなりぎゅっと目を瞑る。
暫くそのまま次の言葉を待っていたが何の反応もないのを不思議に思い恐る恐る目を開くと、目を閉じる前と同じ状態の、私の手をそのままに固まっているサイモンがいた。
その顔が耳まで赤く染まっていることを除いて。
………
リナに気持ちを改めて伝えて、同じ気持ちではなくても好意的な反応があればいいなと思い投げかけた質問。真っ赤になって震えながら言葉を紡ぐ彼女を見て、確かな手ごたえを感じた。即座に否定的な言葉も、私の手を払うそぶりもなかったから。だからそれで十分だと思ったのに。
『……私も、す、きです』
幻聴かと思った。私の願望が作り出した都合のいい甘い幻かと。
だから咄嗟に確認するような言葉が出てしまった。きつく目を瞑る彼女を見てかける言葉を間違えたと思った。けれどもその後の言葉が何も出てこない。手も動かせない。消えるような声で囁かれた好きという言葉を何度も何度も噛みしめる。
「……サイモン様」
動けない私に気づいたのかリナが反対側の頬を包むように触った。両頬を彼女の手に包まれる。
困ったような顔で私をじっと見つめていた。
「私が言うのはおかしい気もしますが……もしかして、言われ慣れてない……です?」
「……そう、みたいです」
正確に言えば言われることには慣れている。ただしそれは、自分にとって興味のない相手からの一方的な言葉としてだ。自分が相手を想い、どうにかして手に入れたいと思ったのは当たり前だがリナが初めてで。ヒトである彼女はその中でも特にこういったことに耐性が無かった。だから自分が伝え続けている中で、いつか似たような気持ちを持ってくれる日がくればいいとそう思っていた。
そんな彼女からの特別な言葉。
(耐性が無いのは私もだったか)
「……貴女だから、私はこんなにも心を乱されるということを忘れないでくださいね」
反対側も彼女の手に添えて下ろすと片手でその手を握る。空いたほうの手を今度は彼女の頬に添えて身体を起こせば、察した彼女が僅かに身じろぐ。視線でその先を問えばぎゅっと閉じられた彼女の瞳を了承の意と受け取り、私たちは初めてキスをした。
触れるだけのやわらかなキス。二度目をしてしまうと歯止めが利かなくなりそうなのでそのまま彼女を抱きしめた。今なら何でもできる気がする。そう思えるほどの活力と幸福感が身体を満たしていた。
「好きです、大好きです、愛してます」
「っ、耳元で話さないでください……っ」
その後もリナに引っ付いたまま、朝食を告げる侍女が部屋をノックするまで幸せな時間を噛みしめていた。
………
「……日に日に仲良くなっているわねぇ」
「いいことなんだが……あの子は目的を忘れていないか?」
「まぁ大方片付きましたし、多少は我慢したようですし?」
両親とともにこちらに向かってくる弟たちを見つめる。
妹たちはすっかり彼女を気に入ったようで小走りに迎えに行った。
弟が番を見つけたという報告を帰りの馬車で聞いた時は、驚きと喜びで思わず立ち上がり従者に怒られた。どんな子だろうか、同じ獣人だろうか、結婚までの障害は何もないだろうか、身分差はないだろうか。興味と心配が湧いては消えて切りがない。家に帰れば明日来ることになったと報告を受け、仕舞ったままのスーツを慌てて引っ張り出す羽目となった。
魔法陣でやって来た二人を窓から見つめる。ヒトで加護持ちである彼女はずいぶん控えめな態度で弟の隣に並んでいた。
(これはまた……慣れていなさそうな……)
案の定、何がきっかけか分からないが母が近づいただけで固まってここからでも戸惑っているのがひしひしと伝わってくる。ヒトがいくら公の場での接触に慣れていないとはいえ、自分の知っている中でも断トツに慣れていなさそうであった。その後家の中へと移動したのを確認し、ソファへと座って彼らを待った。
丁寧なあいさつにこちらを気遣う言葉、そして見え隠れする不安感。
背の高い弟と並んでも見劣りしない身長は見栄えがいい。
こちらが握手を求めれば安堵したようにその手を取った。すぐに弟によって遮られたが。
それにしても何故こんなに見つめられているのか。そんなことをしたら弟が黙っているはずがないと思うのだが。嫉妬させるためにわざと……いや、そんなことができるような人ではなさそうだ。それとも何か自分の顔についているのか。顔周りを触り確認しつつ、どうしていいか分からずにいると弟が動いた。
結局それはただの興味だったようで安心する。
しかし、どうやら弟は獣人の特性について詳しく説明していないようだった。
嫉妬と言えば可愛いものだが、最早執着と言っても過言ではない。
特に番を得たばかりなら尚更なのだが、その後倒れた彼女を見て弟の理性の強さに感服することとなった。あれはかなり我慢している。
ランチの時間に彼女と再会して早々謝られるが、少しでも楽になれるよう励ましを込めて気にしないように伝える。しかし彼女の不思議そうな顔を見る限り伝わってはいなさそうだ。
食事が始まるとすぐに両親の給餌が始まる。相変わらずだな、と特に気にもせず食事を続けていると隣ではその説明がされていた。これはいい機会だと弟の説明に追加をし、多少彼女には悪いと思ったが荒療治として受け入れて欲しかった。番に嫌われたくない思いが強すぎて、あまりにも理性的であろうとする弟が少し可哀想に思えてきたから。
その思いが通じたのか、母の協力もあり無事に初の給餌も終わった。今後は少しづつ慣れてくれるといいのだが。
(けれど……幸せそうでなにより)
彼女の方も戸惑いが大きいだけで弟のことを嫌っているわけではなさそうだ。
ヒトの場合、獣人の努力次第の部分が大きい。番だと相手がわからないからだ。
どうにか振り向いてもらい繋ぎ留めておくしか方法がない。
彼女のことも心配ではあったが、様子を見る限り傾き始めているのだろう。自覚は出来ていないタイプのようだ。
(……羨ましいねぇ)
まだ年齢的に余裕があるとはいえ、この家を守るためには政略結婚も視野に入れる必要があった。けれども弟が番を見つけたので、いざとなれば彼らの子を大きくなってから養子にもらうことも選択肢として増えた。あくまでも可能性の話だが。
両親や弟を見ているせいか、ギリギリまで自分の番も諦めたくない。
どこかにいるであろう番に思いを馳せながら、弟たちを見つめていた。
その日の夕方再び会った時に分かりやすくマーキングされた彼女を見て、願っていたことながら僅かに同情心が出てしまった。恐らく昼の自分の発言がきっかけになっているのだろう。弟の幸せも願いたいが義妹の精神も守りたい。ヒトであるため匂いの分からない彼女が不思議そうにしているのを見て、そのまま知らないでいてくれた方が幸せだなと思ったところで妹たちの発言。子どもであるが故の無垢な質問に彼女は可哀そうなくらい真っ赤になっていた。
一方屋敷内の調査は順調に進み、ついでに出てきた素行不良者たちも一斉に罰にかけることにした。
父の書斎に集まり軽いものから重いものまで一人ずつ罰を決めていると、落ち込んだ様子の弟が部屋に入ってくる。
「どうした?リナさんに怒られでもしたのか?」
「……怒られてはないです……でも怒ってる気がします……怒ってないとは言ってましたが」
「結局どうなんだ……?」
即席の自身の事務机に座ると処分を決めた者たちの書類をひっくり返す。
弟には義妹関係の対象者の罰を決めてもらっていたのだが、見るまでもなく全員解雇にしていたはずだ。
「なんだ、罰を変えるのか?」
「変えません、解雇ですこんな奴ら……ただリナが……今までの功績を認めて次の仕事先を斡旋してほしいと頼んできたので……」
「それは……お前にとっては複雑だねぇ、それにしてもなんで彼女はあんなに寛容なのだろうか」
「寛容と言えば言葉はいいですが、あれは諦めと享受です……虐げられることが当然と思っているので何をされても仕方がないと思っているんですよ」
「……加護持ちだから?」
「えぇ……あとは見た目も関係しているようです」
「……俺らには分からない感覚だなぁ」
最初に会った時の不安感の正体はこれなのだろう。自分に拒絶されないかどうかが心配で怯えていたというのが正しい見方か。せめてこの家にいる間はそんなことを考えずに過ごしてもらいたい。だから弟の解雇という判断は父も自分も賛成だ。
「で、斡旋先はどうすんだ?」
「……リナの手前、探すだけ探して放置しようと思っていたのですが……せっかくなのでヒトしかいない厳しいところを探して斡旋しようかと」
「はは、それがいい」
「あわよくば兄上の隣を狙うような輩もいましたの記載しておきますね」
「え、そんなヒト居た?」
初耳のことにぎょっとする。信頼していた使用人にそういう目で見られていたのかと思うと裏切られた気持ちになって軽く落ち込んだ。黙々と作業をする弟をしばらく眺めた後、また目の前の書類へと手を伸ばした。
大方の処分が決まり確認作業へと入る。昼間は義妹が寝ている間に作業していたため落ち着いていた弟も、今は怒らせたかもしれないという気がかりから集中が欠け始めていたので先に戻すことにした。就寝前に彼女との時間をとらせたかったというのもあったが。いそいそと出ていった扉を見つめ、ふと書類に目を通す父をみやる。
「……父上もあんな感じだったのですか?」
「私かい?私の場合は……ほら、レティがあんな感じだから」
「あぁ……まさかサイモンが母上似だとは思いもしませんでした」
「要素はあったのかもしれないけど、サイモンの場合番がヒトだからね。余計にそうみえるのかもしれないな」
「……相手が分からないって想像を絶する不安、ですよね」
「そうだね……私たちは偶々分かる相手だったけれど……離れていくかもしれないという恐怖はサイモンにしか分からないからね」
過保護にも見える弟の行動も、不安から来ているものが多少入っているのだと思うとやるせない。ヒトの心は移ろうという。実際政略結婚した夫婦がそれぞれ愛人を持つなんてのは日常茶飯事だ。義妹がそんなタイプのヒトとは真逆の位置にいることだけは唯一安堵すべき点だろう。
「でもリナさんもサイモンのこと嫌ってなさそうで安心しました」
「グレッグもそう見えたかい?」
「えぇ、あのままサイモンがやらかさない限り大丈夫でしょう」
「……そこが一番の心配でもあるんだけど……」
「……父上もそう思います?」
あくまでも今は婚約期間だ。結婚するにしても準備だなんだと早くても三か月はかかる。更にはサイモンは婿養子としてリスター家に入る予定だ。そうなると軍の仕事をどうするのかといった問題も出てくるだろう。もしかしたらもっとかかるかもしれない。
「……我慢、出来るかな?」
「あの、ちょっとした疑問なんですけど……サイモンが都にいる間ってリナさんどこにいるんです?まさかリスター家?」
「……番を見つけたばかりの獣人が何か月も番から離れられると思う?」
「ですよね!?え、どうするつもりなんだろう……スクロールは流石に破産するし……連れていく、のか……?」
「リスター家もうちも都に屋敷はない……サイモンって今は寮で暮らしているんだよね?」
「あ、そういえば軍の貸し家があった気がします……一時的にならそこが借りれると思いますが……」
「……リスター伯が許可してくれるだろうか……」
「……」
ふとした会話から新たに出てきた不安の種に父と二人頭を悩ます。
「……明日帰る前にサイモンと話しません?」
「そうだね……なんか当たり前に連れていくとか言いそうで怖い」
「リスター家にどういう説明するのかまでちゃんと聞きましょう……待って、リナさんも知らない可能性ありますよね……?」
「彼女も交えて話そう……こうなったらレティもいれよう」
「母上いれて大丈夫ですか……?絶対サイモンの味方しますよ……?」
「そうなんだけど……女性の意見も一応必要じゃないかい?」
「……俺、明日は全面的にリナさんに寄り添いますね……」
「……それでいいと思う……」
次々出てくる不安に今から気が重くなる。
ただでさえ明日は使用人の辞令もあるというのに。
その後、纏め終わった書類を片付けながら今日は早く寝ようと父とともに書斎を出た。
………
朝食を食べ終わるとユーリからこの後辞令交付があることを告げられる。
気分がいいものではないので部屋に戻っていてもいいとは言われたが、自分の目で見届けようと同席を求めた。
広間に集められた使用人は臨時の辞令交付に戸惑っているようだった。大半は心当たりがないのかあまり関心が無いように見えるが、一部の人たちは明らかに落ち着きが無く不安そうにしている。
私とサイモンは少し離れた場所でそれを見守ることとなった。
広間にある中二階のスペースにユーリを先頭にレティシアとグレッグが並び立つ。微かなざわめきが静まるとユーリが辞令を読み上げた。
先ずは昇格した数名の名前が呼ばれ、その中にはシェナの名前もあった。やはり優秀な人だったのだと改めて感心する。
そして次に懲罰対象者が理由とともに読み上げられると納得のいかない人たちが騒ぎ出した。いきなり解雇になった人たちが多く、心当たりがないと必死に訴えている様子に隣のサイモンを盗み見る。
サイモンは冷静に、何の感情も見えない目でその様子を見ていた。興味や関心といったものが何もなく、ただただ静かに佇んでいる。無関心というのはこれほどまでに冷たく感じるものなのか。自分に向けられたわけでもないのに僅かな恐怖を感じ身を揺らすと、すぐに気遣わし気な視線がおりてきて私の肩に手を回した。
「リナ、大丈夫ですか?」
「……はい」
「……あの騒いでいる人たちのことなら心配しなくても大丈夫です。ちゃんと次の就職先を見つけておきましたから」
「……え、では……」
あの人たちが私のせいで解雇になった人ということだろうか。先程読み上げられた理由は職務放棄。それらしい理由ではあるが余程重要な仕事を任されている人以外で解雇するほどの罪かと言えば否だ。微かな罪悪感を感じていると、急に鋭い視線を感じる。
その先を辿れば私を担当していた侍女がこちらを睨んでいた。確か彼女も解雇を告げられていたはずだ。何かを呟くように口を動かした後、周りの数人が同じようにこちらを見た。その視線に怯んでいると肩に置かれた手に力が入る。
「……とんだ恩知らずですね」
「え……」
身体の芯から冷えるような声が隣から聞こえたかと思えば、ふらりと前に出たサイモンが手摺を乗り越えて飛び降りた。いくら中二階とはいえそれなりの高さがあるのだが静かに着地をして真っすぐに彼女たちの方へ進んで行く。視界の端で慌てているグレッグの姿が見えた。
「サイモン様!私たちは無実です!!」
「そうです!番だからってあの方の言うことだけを鵜吞みにするのは良くないと思います!」
話を聞いてくれると思ったのかサイモンに近づきながら訴える彼女たちに向かって彼は手をまっすぐ伸ばした。
「それ以上近づいたら身の保証はないと思ってください」
極めて静かで冷静な声に流石の彼女らも身の危険を感じたのかピタリと歩む足を止めた。
それで、と同じ声色でサイモンが言葉を続ける。
「あなた方が無実だと?はっ、笑わせる」
「で、でも何もやっていません!あの方には近づきもしませんし、それに」
「証拠がないじゃないですか!あの方の証言だけならいくらでも嘘を吐けます!」
「そもそも何故あなた達の解雇理由にリナが関係していると思っているんですか?心当たりがあるから彼女に食って掛かっているのでしょう?」
甲高く騒ぐ声に低い声が割って入る。腕組をしたサイモンが蔑むように彼女らを見下ろした。
「それに、仕えるべき人の名前も言えないような記憶力の持ち主に自分の行動がどうだったか問いただしても無駄でしょう?まぁ、貴女のような人に私の番の名を呼んでほしくはありませんがね」
「なっ……!」
「それに証言とはいったい何のことでしょうか」
「何を言って……!あ、あの方が冷たい紅茶を出されたとか、アクセサリーが無くなっているとか言ったのでしょう?!」
「……冷たい紅茶にアクセサリーの紛失、ですか……それは初耳ですね」
「…………え?」
「私はリナからそんな話を聞いていません」
サイモンの言葉が信じられないのか数人の女性が私を見上げる。実際私はこのことを誰にも話していない。『聞いていない』と『知っている』は別だ。話しぶりからサイモンは紅茶の件もアクセサリーの件も把握済なのだろう。信じられないだろうと思いつつも私は彼女たちに首を振ると、明らかな絶望の色が垣間見える。先程の言葉は自白と同じだ。
「それからそこの貴女……近づいてもいない、でしたか?確かにそうですね、貴女は直接的には関わっていません……けれども覚えておいた方がいいでしょう……口は禍の元だということを」
「……!」
心当たりがあったのか膝の力が抜け座り込む。サイモンの静かな問答にほとんどの使用人が自らの罰を受け止め始めた。
「……せっかくリナがあなた達の減刑をしてくれたというのに……恩を仇で返されるとはこういうことなのでしょうね」
「減、刑……?」
「私は解雇の後、無一文で外へ放り出す予定でした……しかしリナがどうしてもと頼んできたので次の就職先に加え多少の退職金を用意していたのですよ」
まぁ、今の発言でそれも怪しくなりましたが、と呆れたように彼は吐き捨てた。
現実を受け入れた者、今だ受け入れられない者、そして受け止めたくない者。
「……あなた方の命があるのはリナの温情があったからです……この場で斬り捨てられないだけましだと思いなさい」
最後の言葉に乗った微かな殺気を感じ全員が身を固くした。
静かになった広間の中で、いつの間にかサイモンの近くに居たグレッグが彼を引っ張り階段を駆け上る。
「……良かった……!!サイモン、よく我慢した……!!」
そのままの勢いで私に彼を預けると、よろしく!と言って元の場所へと戻っていった。
俯いたまま微動だにしないサイモンにどうするか困っていると、目が合ったレティシアが外に出るよう勧めてくれた。彼女に同意の会釈を返し、サイモンの手を取って広間を出る。
まだ完全にこの屋敷の構造を把握していないので、廊下へ出た後適当に進んで行く。運よく外廊下へと続く道を見つけたのでそのまま庭園へと向かった。
昨日ティータイムをした東屋に辿り着くと繋いでいた手が彼の方から離される。
ふと隣を見れば怯えるような表情で私を見るサイモンがいた。
一歩引いた彼は見て欲しくないとでも言うように腕や手で顔を隠す。
「……サイモン様?」
「ち、違うんです、あれは、私はあんなこと、普段な、ら」
本人も混乱しているのか途切れ途切れに聞こえる単語からは彼の言いたいことが分からない。
落ち着かせた方がいいのは分かっているがどうすればいいのか。
「サイモン様」
呼びかければ彼はピタリと止まった。どうやら私の声は聞こえているようだ。
動きが止まった彼の腕に触るとびくりと揺れる。そのまま下ろすように動かせば、今にも泣き出しそうなサイモンと目が合った。
「なんでそんな顔を……?」
「……で……か……」
「?」
「……私のこと、怖くは、ないですか……?」
あまりにも予想外の問いに反応が遅くなる。私の間を肯定と捉えたのか、綺麗な顔が歪むのをみて慌てて否定の言葉をかけた。
「すみません、質問の意図が分からなくて……貴方のことを怖いだなんて思ったことはないですよ」
「けれど……先程の……」
「……一瞬、彼女たちを見つめる貴方の瞳を怖いとは思いました……けれどそれにはそうなる理由がありましたし……私に向けられたものでも無かったですから」
やっとサイモンの不安が何なのかが分かった。彼は彼女らを断罪する様子を私が見て恐怖心から離れていくのではないかと不安に思っているのか。確かに普段のサイモンからは想像できないほどの声色や表情ではあった。当事者でもない私ですら僅かな恐怖を感じ、彼が帯刀していなくて良かったと安堵するほどだったから。
けれども、それを見たからと言ってサイモンを怖いかと言われれば否である。
「私のために怒ってくれている人のことを何で怖いと思うんですか」
「……本当ですか……?」
「本当です、怖かったらこんなことしませんよ」
握ったままの手を持ち上げる。先程下ろした手はずっと繋いだままだった。片手を離し、眼鏡の隙間から瞳に滲む涙を拭う。
どうしたら彼の不安が無くなるのだろう。
「……私には経験が無さ過ぎてこういう時どうしたらいいのか分からないので……サイモン様はどうしてほしいですか?」
「……抱きしめて、ほしいです……安心、したいので」
控えめに繋がっている手が握り返される。そのまま両手を広げれば彼がおずおずと私に身体を預けてきた。一度手を離し彼の背に手を回すと、暫く後に彼の手も私の背に回る。
「……自惚れるくらいで丁度いいのかもしれないですね」
「……何がですか?」
「サイモン様の行動理由です……私に嫌われないように、というのがあるのでしょう?」
「……私は……貴女に嫌われて……見捨てられたら……とても、生きてはいけません……」
考えるのも嫌です、と回る腕に力が入る。
自覚してきたとは言ったものの、もうこれは自覚するしかないだろう。
彼には私が必要なのだ。
「ふふっ、番って凄いですね」
「……重くないですか?」
「自信のない私には丁度いいのかもしれません……現に私は今なら何でもしてあげれそうです」
「……何でもはよくないって言いましたよね」
「そうでした」
笑う私にサイモンも少しずつ調子が戻ってきたようで、暫く抱き合った後はいつもの彼に戻っていた。その瞳にはもう怯える影はない。
「お見苦しいところをお見せしました……」
「そんなことはないですよ」
結果的に抜け出してきてしまったので彼のエスコートで屋敷へと戻る。外に居た時間はそこまで長くはないはずだが、もう辞令は終わりそれぞれが動き出していることだろう。
「そう言えば……紅茶とアクセサリーの件知っていたんですね」
「えぇ……リナから話してくれるのを待っていたのですが……」
「すみません……あの時は動いてくれているのも知らなかったので、言うのも違うのかな、と……それにアクセサリーについては無くなっていたことすら分かりませんでしたし」
紅茶は冷たくてあの時は逆にありがたかったし、アクセサリーは無くなっていたのも分からないうちにシェナが落ちていたと言って戻してくれたのだ。あの時深くは考えなかったが誰かが隠したものを彼女が見つけ出してくれたのだろう。感謝してもしきれない。
流石に実家なだけあり、少し遠回りをしたようだが道中誰とも会うことなく応接室へと辿り着くとすでに全員がそこに集まっていた。私たちの様子から上手くまとまったことを悟ったのか安心した顔でユーリが着席を勧める。
「お疲れ様、無事に通達も終わったし一先ずは安心かな」
「次に雇う子たちは吟味しないと駄目ねぇ」
「それにしても意外と多かったですね……残った人たちにもここで釘をさせたのは良かったです」
さらりと言っているが、使用人の入替は結構な手間暇だ。レティシアが言ったように面接をしなければならないし、身元保証の確認もある。これからのことを考えると忙しくなるであろうカーティス家に原因を作った側としては少し罪悪感を持った。
「そう言えばサイモン、お前は明日戻ったらどうするんだい?」
伺うようにユーリがサイモンに問いかける。今日まではカーティス家にお世話になるが、確かに明日以降どうするのかは聞いていない。そもそも今回の休暇もあと何日残っているのかすら把握していないことに今更気付いた。
「一度都に戻ります。今回の休暇もギリギリですし、色々と手続きもありますから」
彼の返事にそうなのか、と頷く。サイモンが都に戻るとなると色々な打ち合わせは通信具でやるしかない。休んだ分の埋め合わせもあるだろうし、結婚までの大まかな準備はこちらですることになるのだろう。予想していた通りの流れに今後のことを考えていると、それで、というグレッグの慎重な声かけが耳に入った。
「その間って、リナさんはどこにいるんだ?」
よく分からない質問に首を傾げる。そもそもその問いは誰に向けてのものだろうか。
視線が私たちの方へ向いていたので一応答えておこうと声を出すと、隣からも答えが返ってくる。
「家にいますが……」
「連れていきます」
「「えっ?!」」
お互いの答えに驚き綺麗に顔を見合わせた。
視線の端で頭を抱えるユーリとグレッグの姿が見える。もしかしてこうなることが分かっていたのだろうか。
「連れていくって……どこにですか?まさか都に一緒に行くんですか?」
「……今の私がリナから何日も離れられるわけがないでしょう……?」
「えぇ……?」
困り果て周りに助けを求めるがユーリとグレッグは困ったように笑い、レティシアは頬に手を当て首を傾げた。
「息子可愛さで擁護するわけではないのだけれど……なるべくなら一緒にいた方がいいと思うわ。そうね……せめて一ヶ月。それ以上はサイモンも我慢を覚えなさい」
「絶妙に援護になっていないじゃないですか……!」
「そうは言ってもいつまでも一緒に居られるわけがないでしょう?貴方だって軍の仕事があるじゃない。遠征だってしてたでしょう?」
「……」
「……もしかして貴方、軍を辞める気でいるわけじゃないわよねぇ?」
レティシアの少し低くなった問いかけにサイモンが小さく身体を揺らす。気まずそうに視線を逸らす彼に、まさか図星だったのかと口に手を添えて声を出すのを我慢する。
サイモンが軍を辞めることを考えていたのは予想外だった。いくら私と結婚しリスター家に入ると言っても、私たちは年齢的にまだ若い。父はまだまだ健在で、私の後継者教育も始まったばかりだ。今の状態で彼が仕事を辞めてうちに来たところでやることが無いのが現実である。
それに今後のことを考えると収入はあった方が嬉しい。仮に軍を抜けたとて、所属していたという実績があれば仕事には困らないだろう。けれども活動範囲が田舎となれば収入はたかが知れている。
出来れば辞めて欲しくないがどうすればよいのかと悩んでいると小さな溜息が零れたのが聞こえた。
「……残念ねぇ、リナさんは貴方の軍服姿がかっこいいと言っていたのに」
サイモンの考えの甘さを滔々と語っていたレティシアがため息交じりにぽつりと呟く。最早説教となり小さくなっていた彼の耳がピクリと動いた。
急に名前が出たことで私も彼女を見つめると綺麗にウインクが返される。
これはこの芝居に乗るしかない。
「そう、ですね……初めて会った時の姿が素敵で印象に残っているのですが……」
「でももう見られなくなってしまうのね……残念ねぇ、リナさん」
「はい……でもサイモン様が決めたことなら……そういえば軍に所属している人が結婚式で着る礼服もあるそうですね……私見てみたかったのですが……」
「あらぁ、よく知っているわね?」
「……きっと素敵だろうなと思っていたので」
レティシアと二人、サイモンの方を横目で見ながら反応を窺う。
私達の会話はしっかりと聞いているらしく、天を仰ぎながら頭を抱えている様子が見えた。
数十秒の葛藤の末両手で顔を覆いながらぼそりと呟く。
「………………やめ………」
「サイモン?」
「辞めません!!リナを使うのはずるいですよ!!!」
「使うだなんて人聞きの悪い……リナさんの本心を引き出したのだから感謝して欲しいわぁ」
「サイモン様……いいのですか?」
「……いいんです、確かに私の考えは甘いと思いましたし……でも継続するにあたって色々条件付けますからね」
辞めないよう仕向けたとはいえ、サイモンの意思に反するのもしのびない。色々な条件とやらが気にはなるがなるべく受け止めようとは思う。様子を見守っていたユーリが仕切り直すように手を叩いた。
「では今後のことを整理すると、先ずは明日リスター家に帰る。都に戻るサイモンと一緒にリナさんも一ヶ月滞在。その間に式の手続かな」
「リナさんの滞在が決定事項になってますけど……大丈夫?」
「……善処します」
滞在場所や父の承認など考えられる不安要素はあるものの、行かないという選択肢は無いにも等しい。サイモンを丸め込んだ手前、彼の希望は聞いてあげたい。それに彼といることが嫌なわけではない。寧ろ一緒に過ごすことは問題ないのだが、都はこの辺りと比べても人口が多い。人の目が多い場所はどうしても抵抗感が出てしまう。
不安なのが滲み出ていたのか、徐にサイモンが手を握った。心配がありありと伺える瞳に大丈夫だと答えるといくらか安堵したように見える。
「それじゃあ今後のことも決まったし、今日はリナさんと一緒にゆっくり過ごせるわね」
「なんで母上と一緒に……」
「一緒じゃないわ、貴方は別行動よ」
「え」
「私とリナさん、それにカレンとカリンで女子会を開くから邪魔しないで頂戴」
「じょ、しかい……?」
「あなた、サイモンのことよろしくねぇ」
そう言うとレティシアは私を、ユーリがサイモンをそれぞれ引き取り、私はサイモンの声を聞きながら部屋を出ることとなった。
………
「全く、甘えすぎなのも問題ねぇ……」
レティシアに連れてこられたのは庭園の隅にある大木の下だった。ピクニックのようにシートを引き軽食が準備され、カレンとカリンは楽しそうに駆け回っている。
優雅に紅茶を飲む彼女を前に私は緊張していた。色々なことがあり過ぎてゆっくりと私的な会話をするのがこれが初めてだということに気づいてしまったからだ。何を言われるか分からない中固まっていると彼女に紅茶を勧められる。溢さないようゆっくり口に運ぶと、柑橘系の甘酸っぱい香りと程よい苦みに少しだけ緊張が解れた。
「……急に番だなんて言われて驚いたでしょう?」
「あ……そうです、ね……中々受け入れられなくて……どうして私なんかが、とか思ってしまいました」
「あの子は迷惑かけてなぁい?」
「いえ、慣れない私に合わせてくれました……最初から、今でも」
「……あなたたちの様子を見ていて分かっているのだけれど……直接、貴女の口から聞いておきたくて……あの子のこと、少しは好きになってくれたかしら」
「……はい、まだ同じ大きさとは言えませんが……これからも一緒に入れたらいいなと思っています」
「……良かった……サイモンが嫌になったら私を呼びなさいね、いつでも連れて帰るわ」
「そんな、サイモン様に限って……」
「いいえ、大事なことよ……申し訳ないのだけれど、獣人との結婚に離縁という言葉は無いに等しいの。片方がどんなに嫌おうとも、獣人はその相手を離すことが出来ないから……あの子からも言われなかった?」
「……そういえば……」
私が番になることへの返事を迷っていた時に、番になってくれれば別のヒトとの関係を持っても構わないと言われた気がする。あの時はいっぱいいっぱいで言葉の意味を深く考えていなかったが、だいぶとんでもないことを言われていたのだと今更気付いた。
「だから、何かの理由で貴女があの子から離れたいと思った時は私に連絡をして欲しいの。それが良い理由だろうと悪い理由だろうと構わないわ……ヒトは近すぎる距離感に疲れることもあるでしょうから」
「……わかりました、ありがとうございます」
「ふふ、サイモンの相手がリナさんのような方で良かったわぁ」
「いえ、そんな……勿体ないお言葉で……私のような加護持ちに心を砕いてくださる皆様には感謝しかありません」
「……結構根深い問題なのね」
「……?」
「何でもないわぁ、娘たちも呼んでいいかしら?そろそろ水分取らせないと」
「はい、勿論です」
走り回る彼女らに声をかけると一直線にこちらに飛び込んできたので慌てて抱きとめる。それが楽しかったのかケラケラと笑う二人に思わず笑みがこぼれた。流石にその後レティシアに怒られていたが。
その後もとりとめのない話を続ける。いつの間にか緊張はどこかへと消え去り、レティシアからはもう家族も同然なので義母と呼ぶように告げられた。
楽しく心地よい時が過ぎるのはあっという間で、リスター家に帰る時がやってくる。
来た時と同じようにスクロールで帰るため、荷物が大量にあっても困らないのは嬉しいが、流石にあり過ぎではなかろうか。カーティス家からのお土産という名の贈り物が大半を占めているのだ。
「こんなに沢山いただいて本当にいいんですか……?」
「勿論、これからサイモンがお世話になるのだからね」
ユーリが笑顔でそういうのでありがたく引き受ける。これ以上の問答は恐らく無意味だろう。
「サイモン、しっかりとリスター伯を説得するんだぞ」
「はい、頑張ります」
隣に並ぶサイモンにユーリが激励を込めて肩に手を置く。私たちが女子会をしている間、男性陣はどうやって私を都に連れていくか話し合っていたらしい。父がどういった判断を下すか分からないため、様々なパターンを想定してその回答を作っていたようだ。
「リナさん、いつでもここへ来てちょうだい……娘たちも喜ぶわ」
「はい、お義母様……機会があればリスター家にも来てください、精一杯おもてなしさせていただきます」
「サイモンの面倒をよろしくな~」
「兄上……」
「また会える?」
「また遊べる?」
「えぇ、今度は花籠を作りましょうね」
レティシアやグレッグ、双子とも挨拶を交わすと、その後ろに控えるシェナを見つける。
彼女にもお礼を伝えるといつもと変わらない調子でまた会えることを楽しみにしていると返事をもらった。
「では、また連絡します」
「本当にお世話になりました」
準備が整い魔法陣の上へと乗る。二度目にはなるが不安なので来た時と同じようにサイモンに手を握ってもらっていた。何の躊躇いもなく彼と手を繋げる日がこんなにも早く来るとは思わず、自分の単純さに少し笑ってしまう。それに気付いたサイモンが不思議そうに首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「いえ、サイモン様の行動力って凄いんだなぁと改めて思いまして」
「……褒めてます?」
「褒めてます」
ならいいです、と微笑む彼につられて私も笑うと魔法陣が光り始める。
彼の掛け声に合わせてまた目を瞑った。
結婚を諦めていた私に突如舞い込んできた番という相手。
こんなうまい話があるものかと疑い、相手を見て殊更に信じることが出来なかった。
身分的には問題ないが見た目がどう見ても釣り合わない。
他人の目というものを気にしながら生きてきた私にとって、これ以上注目されるような要素は増やしたくなかった。
けれども番という存在は彼らにとって絶対的なもので、なりふり構わず私を求める彼に心が揺らいだ。
私に対して嘘が無い、それだけを信じて彼の番になることを承認した。
けれども獣人のことを知れば知るほど、彼が優しく思いやりがあることを知る。
私を優先するあまり、自分の欲を押さえていることすら教えてもらわなければ知らなかっただろう。
少しずつ彼を知り、受け入れ、自分の気持ちを知り、今度は自ら番になることを望んだ。
これから先、幾度も困難があるだろう。
私の立場は変わらない。けれども絶対的な味方がいるということが、こんなにも心強いことだとは。
数十秒後、光が収まり目を開ければ見慣れた景色に肩の力が抜ける。
気付いた執事がすぐに父と母に知らせたらしく出迎えにわざわざ出てきてくれた。
手を繋いだままの私たちを見て母は喜び父は少し複雑そうに視線を逸らした。
結婚まであと何か月あるか分からない。
けれども何事もなく進めばいいなと心から祈った。
end
拙い文章をお読みいただきありがとうございました。
連載として載せていたものを短編という形にまとめシリーズ化しました。
思い付きで書いていたので矛盾や疑問点等あるかもしれませんが、ご容赦くださいますようお願い申し上げます。




