表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

意識とは何か

作者: 橘 みとせ
掲載日:2026/03/29

人生で、いちばん最初の記憶はいつ、どんな場面だろう。

私の場合は、寝台列車の中。


聞いた話では、私が二歳のときに家族そろって寝台列車で上京したそうなので、最初の記憶は二歳ということになる。


座席の上に、簡易の二段ベッドのようなスペースがあり、そこに寝かされていた。カーテンが閉めてあり、薄暗かった。

ふと目覚めると、隣で添い寝していたはずの母がいない。


大きな声で泣いた。


母は、私が寝たのを見計らって、祖父母たちのいる下の座席に戻っていたのだろう。

それほど遅い時間ではなかったに違いない。


泣き声を聞いて慌てた母は、背伸びをしてカーテンの隙間から顔だけのぞかせた。

しきりになだめながら、手のひらの銀色の粒を幾つか差し出したのは、昭和のころ大人たちがよく食べていた「仁丹」か、子どもの夜泣きに効くという「宇津救命丸」か。

私は、母にもう一度、ベッドへ上がってきてほしかったので、そんなことでは泣きやまなかった。


「ちょっと寝かせてくるわ」

母は、残念そうに大人たちの時間をあきらめ、ベッドに上がってきた。


記憶の中のこの一連のシーンで、二歳の私は、自分の思いを言葉にこそできなかったが、状況を察知して、何が起きているのかを分かっていた。


ー 隣にいたはずの母がいない。何でいないのか!

ー なだめるためにカーテンから顔だけ出した母は、私が泣きやんだら、また座席に戻ろうと思っている。

ー 仁丹なんかでごまかされないぞ。そんなの要らない。ちゃんと上がってきて隣にいて!

ー 私が泣きやまないので、やむなくベッドに上がってくることにした母。


二歳であっても、そのシーンをどこか俯瞰して観察している「意識」というべきものがあり、自分の思いや感情、そして母のふるまいに込められた思惑の両方に気づいていた。


言葉をあやつることができない年齢でさえ、起こっていることをつぶさに把握している意識があり、それは、歳を重ねてもずっとある。


二歳の私と共にあった意識は、いまキーボードを打つ自分に気づいているそれと、途切れなく続いている。


年齢も、性別もない。

ただ、気づいている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ