意識とは何か
人生で、いちばん最初の記憶はいつ、どんな場面だろう。
私の場合は、寝台列車の中。
聞いた話では、私が二歳のときに家族そろって寝台列車で上京したそうなので、最初の記憶は二歳ということになる。
座席の上に、簡易の二段ベッドのようなスペースがあり、そこに寝かされていた。カーテンが閉めてあり、薄暗かった。
ふと目覚めると、隣で添い寝していたはずの母がいない。
大きな声で泣いた。
母は、私が寝たのを見計らって、祖父母たちのいる下の座席に戻っていたのだろう。
それほど遅い時間ではなかったに違いない。
泣き声を聞いて慌てた母は、背伸びをしてカーテンの隙間から顔だけのぞかせた。
しきりになだめながら、手のひらの銀色の粒を幾つか差し出したのは、昭和のころ大人たちがよく食べていた「仁丹」か、子どもの夜泣きに効くという「宇津救命丸」か。
私は、母にもう一度、ベッドへ上がってきてほしかったので、そんなことでは泣きやまなかった。
「ちょっと寝かせてくるわ」
母は、残念そうに大人たちの時間をあきらめ、ベッドに上がってきた。
記憶の中のこの一連のシーンで、二歳の私は、自分の思いを言葉にこそできなかったが、状況を察知して、何が起きているのかを分かっていた。
ー 隣にいたはずの母がいない。何でいないのか!
ー なだめるためにカーテンから顔だけ出した母は、私が泣きやんだら、また座席に戻ろうと思っている。
ー 仁丹なんかでごまかされないぞ。そんなの要らない。ちゃんと上がってきて隣にいて!
ー 私が泣きやまないので、やむなくベッドに上がってくることにした母。
二歳であっても、そのシーンをどこか俯瞰して観察している「意識」というべきものがあり、自分の思いや感情、そして母のふるまいに込められた思惑の両方に気づいていた。
言葉をあやつることができない年齢でさえ、起こっていることをつぶさに把握している意識があり、それは、歳を重ねてもずっとある。
二歳の私と共にあった意識は、いまキーボードを打つ自分に気づいているそれと、途切れなく続いている。
年齢も、性別もない。
ただ、気づいている。




