ココネの願い
もしものお話。
ずっと先の、あたしが生きている間には叶わないかもしれないけども。あたしが死んだ後だとしても、いつかは叶わなきゃいけないもしものお話。
もしも、毎朝角が伸びていないかと怯える必要が無くなるなら。もしも、伸びた角を本能に逆らって削る必要が無くなるなら。もしも、これから産まれる子供に角や翼が生えていないかと怯える必要が……いえ、欲張るならば。角や翼があったとしても、それもよしと受け入れ笑える世界なら。
産まれてきてごめんなさいと、こんな姿に産んでごめんなさいと。そんな言葉が必要無い世界になったなら。
もしものお話です。あたしが生きてる間にはきっと叶わないと思っていて、あたしが死んだ後だってそうなるのにどれだけの年月と血が必要なのかわからないもしもの世界。それでも、もしかしたらあたしの生きてる間にと夢見てしまって、もう生きていない人達がそんな世界で幸せそうに笑っている姿を、夢だからと。
夢だからしょうがないよね、良いじゃんかって。そうやって夢に見ることを、死んだ人達は許してくれないはずなのに。
あたし達がにんげんと呼ばれる未来を。意志持つすべてがにんげんだと認め合える世界を。夢見てしまうんです。在り得ないと思っているのに、それでも。
お父さんが夢見た世界を、この目で見れたらと。どうしても、思ってしまうんです。お父さんとお母さんが火に焼かれて死ぬのを見たっていうのに、どうしても。
にんげんなんて、みんな死んでしまえばいいのにと思っているくせに。滅んでしまえと思っているくせに、笑い合えたらとも思ってしまう。
あたしが本当に見たい世界は、どっちなんでしょうね。あたしは世界をどうしたいんでしょう。どうなってほしいんでしょう。
あたしは、あたしがわからない。
悪酔いした日に見る夢というのは最悪なもので、この時ばかりはもうお酒やめようと思うんですがそれでも酔いが醒めてくると次のお酒は何を吞もうかと考えてしまうのが酒飲みの数少ない欠点ですよね。
遠く昔、星落とす女神がこの新世界で酒を禁じた理由はこれだろうなと納得しつつ、まあ信仰しているわけでもないのでいいよねと。いえ、うるさい人に見付かったらこれをネタに脅されるか審問官呼ばれるかの二択が待っているのでよくはないんですけども。
「…………つまり、何が言いたいのかっていうとですね、二日酔いの朝に仕事の話されてもなんもわかんないし考えたくないしなんなら手と足と頭出るよねって話なんですよ。ついでに昨日のおつまみも口から出てきます。わかります?」
「わからねぇしわかったら問題だろうが酒乱のクズがよ」
目の前の少年――四十越えてるからにんげん基準で言えば中年なんですが――に弁明を試みたところ、酷い罵倒を返されてしまいました。酷くないですか? 寝込みを襲われたと思って反射で殴っただけなのに。普通に起こしてくれない方が悪くありません?
……と、言い返したら連絡に来たら酔い潰れてるお前が悪いし蹴り起こそうと構えただけだと返され説教が始まり今に至るというわけなんですけども。
中年、もとい今あたしを睨んでいる魔族は月に一度定期連絡に来てくれる同胞なのですが、すっかりそれを忘れて酔い潰れてしまったのでお説教を受けてしまっているのが現状です。いえ、正しくは二日酔いの八つ当たりと盗人の類が入ったという勘違いでぶん殴った後に気絶した彼の顔に胃の中身をぶちまけてしまったので起きた後にお前いい加減にしろよと怒られているわけなんですが。
……国から存在しないものとして見捨てられている隅の方とはいえ、一応王都に潜り込んでにんげんとして暮らしているわけですし、多少酒に溺れるのも許してほしいところなんですけどね。おまけに勇者の篭絡――いえ、全然進んでないんですけど――をやっているわけですし。
「それで、勇者の方はどうなってる? 使えそうなのは見付けたんだろ?」
不機嫌そうに腕を組みながら、犬を思わせる尻尾の生えた少年姿の中年が言いました。普段は上手く隠しているようなんですが、強く殴り過ぎて隠せなくなったみたいですね。切り落とした方が隠すには早いと思うんですけどね。あたしの角みたいに。
「……見付けましたけど、そんなすぐにどうにかできると思わないでくださいね。信頼ってのはね、ゆっくりと確実に積み上げてゆくものなんです」
「やる気が無いようにしか見えねぇけどな。お前が遊んで酒に溺れている間にどれだけの同胞が死ぬか考えろよ」
痛いところを突かれてしまいました。とはいっても、実際頑張ってる方だと思うんですけどね。勇者って一度討伐やら遠征に出ると早くて五日、長いと一月は帰らないですし。戻ってきても大抵は壁の中にいるでしょうし。トモリさんを見付けられただけでもかなりの幸運だと褒められるべきだと思うんですけども。
「やり方は任せると姫様に言われてるんですよねえ。それとも、姫様から急かしてこいと言われました?」
「あの方の期待を裏切るなと言っているんだ。信頼なんて後で築けば良い。攫うなりなんなり手はあるだろ」
「乱暴だなあ。一緒に戦う仲間になろうってのに攫ったら駄目でしょ。信じてもらえなくなりますよ」
「旧い世界と共に死ねず、この世界に居場所の無い連中なんだ。俺達と共にいる方が正しいとすぐに気付くだろ」
「だからって強引な手を使って良い理由にならないでしょ」
こういうの、押し問答って言うんですかね。言いたいことはわかるんですけどね。
旧世界人、特にその中でも戦士だった者や、研究者や職人などであった者は勇者や賢者などと呼ばれています。だけども、それはおだてて都合良く利用しているだけ。だから成果を挙げられないトモリさんのような者は酷い扱いを受けている。その認識は、あたしと彼の間に違いは無いはずです。
ただ、その先が少し違う。彼は我々ならば王国よりも上手く勇者を扱えると思っている。まずは強引な手を使って集め、王国よりも良い待遇を保証してやれば喜んで従うはずだと考えているのでしょう。
あたしは、それからきっと姫様――魔王と呼ばれる魔族も。友となってほしいと考えています。いえ、後者は今もそうであるはずとあたしが思っているだけなんですけども。
利益のみの関係は望んでいるものを与えられなくなった時に脆くなる。それに報酬以上の仕事は期待できないでしょう。だけども、友であれば違う。確かな信頼を築くことができれば、ただ生活を保障するだけの関係よりもよい利益をお互いが得られるはず。
そう、あたし達にも大きな益があるのです。旧い世界とはいえ、にんげんである彼らが魔族と呼ばれる我々の明日の為に全力を尽くしてくれるのなら。友となれるなら。愛という感情を、あたし達も得られるかもしれません。理解できるかもしれません。
にんげんは、魔族の愛を否定する。それはにんげんにのみ許された感情だと、ひとでなしにあるはずのない感情なのだと。愛とはなんなのでしょうね。それを理解しなければ、否定も肯定もできないのです。
「いつまでもくだらない理想を語ってるんじゃねぇよ。手段を選んでいる間に同胞は死んでゆくんだ。それに、王国の味方をするんなら旧世界人も敵だ。それは洗脳されてようが脅されてようが変わらねぇだろ」
「それは、姫様が言ったんですか?」
「言わずとも察せられるだろうがよ。……それとよ、いい加減にしろよお前。あの方はもう魔王様なんだよ。姫じゃねぇ。愚かな先王とその配下共の首を刎ね、魔王の座を継いだんだ。それを姫様姫様ってよ、不敬だろ」
「…………べらべらと、よく喋るなあ」
「あ?」
少し、いえだいぶ。頭にきました。腑が煮えくり返るとはこういう感覚なのでしょうね。しばらく忘れていたんですが、思い出してしまいました。
言わずとも察せられる? お前があの子の考えを察せられるわけがないだろ。もう魔王様? 知ってるよ、そうなる前からそうなった瞬間、そうなってしまった後だって。あたしはよく知ってるよ。誰よりも知ってるんだ。
魔王と呼ばれるその魔族は、百年程前までは力も弱く、夢見がちな少女でした。にんげんと友達になりたい、にんげんと魔族が憎しみ合わない世界を作りたい。きらきらと、星のように瞳を煌めかせて語る幼い子供でした。あたしはその夢を語られる度に無理だと諭していたのに、いつからか難しいと言うようになって、どうすればいいのか一緒に考えるようになっていって。あの子は、あたしがずっと昔に捨てた夢を思い出させてくれたんです。魔王となったのだって夢を叶える為なのに。あの子がどんな顔をして父王の首を刎ねたのか、産まれてすらいなかったこいつは知らないくせに。
会わない間に変わった? いいや。あたしに夢を思い出させたのはあの子なんだ。姫様は変わらない。諦めない。あたしがまだ諦めてないのに、あの子が諦めるわけがない。
長く息を吸って、吐いて。呼吸を整えてから笑顔を作ってみせました。この馬鹿を殺してしまいたい衝動はどうにか抑えられそうです。同胞殺しなんてのは、粛清の時以外やりたくありませんからね。襲われたなら別ですけども。
「いえ、ごめんなさい。お話長いなあって思っちゃっただけで。成果を出せって急かすわりに無駄話が多いし、もしかしてあなたも普段からそうやって怒られてるのかなって」
「――おい。あまり調子に乗るなよ、角無しが」
ああ、怒っちゃった。沸点低いなあこいつ。いや、我慢してる方かな? 抜くまではしなかったみたいだけど腰の短剣に手が伸びてるし。でも、殺したいのはあたしもなんだよ。
「削ってるだけで無いわけじゃないんですよねえ。いや、触ってほしいとは思いませんけどね?」
「誰がお前の角を触るか。手が穢れる」
「はあ、酷いなあ。そっちの尻尾と違って毛が散ったりしないからむしろ綺麗だと思うんですけどね? あ、掃除の時埃取りにも使ったりしてます? それなら便利だしあたしの負けですね、ごめんなさい」
「お前、いい加減に――」
「怒らないでくださいよ。はあ、それとも……あなたも尾無しって呼ばれるようになったら、わかってくれるかな? 」
「ぐっ……! 寄るな、気色悪いんだよお前!」
喧嘩する気は無いらしい。つまんないな、ちょっと脅しただけなのに。
……まあ、もういいや。これ以上はこいつもここにいたくないだろうし、連絡だけさくっと済ませて帰ってもらおうかな。
「じゃ、この距離のまま仕事の話をしましょっか。噂話なんですけどね、近々魔王の怒りを討とうって動いてる騎士団がいくつかあるそうですよ」
ぴくりと男の肩が跳ねました。抑えようと努力してるのは知ってるんですけど、やっぱり幼い身体だと難しいんですかね。いえ、見た目が幼いだけなのでやっぱり未熟なだけか。
「一番煩いのは何処のだ?」
「七番街の……名前なんだっけ。ていうかあいつら今もいちいち騎士団に名前とか付けてるんですかね? ……ええと、ほら、法国の猟犬が貸し出されたって話のとこですよ」
「法国……所属は?」
「そこまでは。まあ、貸し出しできそうなあたりで言えば審問者か処刑隊の先触れじゃないかなあ。不死隊ではないでしょ」
「いつ知った?」
「二日前。今朝広場通りました? あそこで火炙りにされてる五人の内の一人が教えてくれたんですよ」
「よく燃えていたな。やはりにんげんは燃えると臭い」
「……たいていのものは燃えると臭いんですよ」
良い人だったんですけどね。王都の美味しいお酒屋さんを知っていて、頼めば買ってきてくれる良い人だったんですけど。おまけに情報も確かな信頼できる人だったんですけどね。言ったところで無意味だってわかってるから、言わないですけど。でも、良い人だったんですよ。
五人の内、知っているのは二人だけですけども。どちらも火炙りなんて殺し方をされる程の悪人ではなかったと思ってます。まあそもそも、焼かれて死ぬなんて最期が相応しい悪人なんて本当にいるんでしょうかと思いますけども。
ううん、やめにしましょう。今気にすることじゃないですね。美味しいお酒を呑むツテが減った八つ当たりをするのも、嫌いじゃなかった人の死を愚弄された怒りをぶつけるのも。どちらも今ではないんです。
だから、さっさと今日の仕事を終わらせないと。それで、またお酒を流し込んで。肉と脂の焼ける臭いも、血の匂いも。全部、考えないようにしないと。
「捨て火のラスか貌無しディレが今回の討伐目標じゃないかって話らしいですよ。ディレはここ十数年出現報告が無いみたいですし、目立つラスを討ちにいくんじゃないですかね。ラスは喚び出す手段が無いわけじゃないですし」
「討伐ね……愚かなもんだな。にんげん如きが魔王の怒りを討てると本気で思っているのか? 旧世界のがらくたを集めれば捨て火のラスを殺せると?」
捨て火のラス。雷雲を纏い、炎を吐く巨大な竜の王。一夜で三つの国を焼け野原に変えたなんて昔話もありますがそれも百と三十年は昔の話。それに、その昔の戦いで彼は儀式を行い喚び出されたら必ず応じなければいけないという契約をにんげんと交わしてしまいました。大量の贄と複雑な手順、それに喚び出したところで言うことを聞かせられるわけではないので行う者はほとんどいませんでしたが。
殺す自信があるなら、王国はやりかねないかな。贄に関しても、勇者を使えば良いと考えるだろうし。
「……にんげんってのはね、我々が思っている以上に愚かな生き物なんですよ。そして、我々が思っているよりも強く運が良いんです。山呑みミョールを討ったのは一人の英雄ですし、百二の顔と百三の声を退散させたのはたった七人の凡人です。発掘された旧世界人は当たり外れがあるのでなんともですけど、今のにんげんは侮るべきじゃないですよ」
どうにも最近の魔族はいけないな。自分達は強くにんげんは弱いと思い込んでいる。伸びた鼻は早めに折るか削ぐべきだと思うけども……まあ、これはあたしが勝手にやることじゃないですしね。姫様が野放しにしてるなら、あたしも知らないふりをするべきでしょうか。
これはどっちなんでしょうね。姫様なら何か考えがあるはずという同胞への信頼なのか、考え無しの馬鹿は死んでもいいかという愛の無い無関心なのか。にんげんから産まれたあたしは、彼らに何を思っているんでしょう。どれだけ考えても、この疑問には答えが出ません。
「……黙れよ。お前に言わなくても、俺達はわかってるんだ」
「それならいいんですけどねえ。まあ、お婆ちゃんからのちょっとした助言だと思ってくださいな。これでもけっこうな長生きさんなもんで」
「……気持ちが悪い。お前はどうして生きてるんだ。たいした力も成果も無いくせに、どうして生きてあの方に目を掛けられているんだ」
「さて、どうしてでしょうね? あ、でも目を掛けられてるってところは否定させてください。だったらあたしは城勤めのはずですよ」
「…………本当に、気持ちが悪い。俺はお前を認めない。俺達は、お前のような腑抜けを許さない。碌に働きもしていないくせにあの方が名を覚えているお前を、決して認めない」
何か言い返そうと思いましたが、言い返す前に背を向けられてしまいました。尻尾はもう見えません。幻術の類ですかね、中々上手です。
年寄りというのはそういうものなのでしょうけども、若い魔族には嫌われがちです。ああいうのは別として、普通に嫌われると傷付くし慕われたいんですけどね。この貧民街で子供相手に教師の真似事をしているのも、子供に慕われると気分が良いからですし。まあ実際のところ慕われてはいないんですけども。
扉を開けて少年姿の中年が出てゆき、足音が遠退くのを感じながら溜息を一つ。彼はイヌの血が混じった魔族、いわゆる獣人だから耳を澄ませていたら聞こえるかな。それくらいの距離になったところで口を開きました。我慢ができなかったのと、聞いていたなら姫様に伝えてくれるかなという期待が少し。
「――――正しくありたいと願うならば、正しくあると信じたいのならば。信ずるからこそ疑いたまえよ。盲信とは、信仰と忠誠から最も遠いものであり、愛と正義を穢すものなのだから。お父さん。我らが母の本当の教えを憶えているのは、もうどれだけになってしまったんでしょうね」
きっと、誰もいない。もしかしたら姫様はと思うけども、そうだとしてもあの方はあたしにそれを悟らせないでしょう。信じる神が同じであったとしても見方が違えば殺し合いになってしまう、とはずっと昔にあたしが教えたことだから。
――お父さん。あなたが生きていたら、あたしの問いになんと答えたのでしょうね。あたしのこれまでを知っていたら……怒ったかな。そういえば、お父さんを怒らせることは一度もできなかったや。それじゃあ、失望させるだけかな。
まあ、どれだけ後悔したところで。数えるのも嫌になってしまったくらい昔のことなんて、どうしようもないんですけど。あるいは、この世界にあたしがどうにかできることなんて、なにひとつないのかもしれませんけども。
「お父さん。あたしの信仰は、まだ穢れていませんか。お母さん。あたしをまだ、にんげんと呼んでくれますか」
答えが返ってくることはないとわかっている問いを、何度も声にしてしまうのは。いつになったらやめられるのでしょう。する必要が無くなるのでしょう。
どれだけ疑問に思っても、誰も答えてくれなくて。あたしは答えを出せないまま。あたしの生は、そんなものばっかりだ。




