トモリの探し物
わたしは何を間違えたのだろう。どうすれば正解だったのだろう。目を瞑っている時、トモリノドカはそればかり考える。
ただ言われたことを言われた通りにこなしていたのがいけなかったのか。それに疑問を持ったのがいけなかったのか。疑問を持って、そのうえで何も変えられなかったのがいけなかったのか。何処までが取り返しの付く間違いだったのか、殆ど何も憶えていないというのに考えてしまう。
憶えているのは間違えてばかりだったという後悔と、何もかもを失ったという虚無感。それから、やり残した仕事を終わらせなければならないという小さな使命感。これも、本当に終わらせる事ができるのかはわからない。
わたしは何を間違えたのだろう。どうすれば正解だったのだろう。目を瞑る度、考えて――
「――起きろナイン。仕事だ」
最近やっと聞き慣れた男の声が、トモリの意識を過去から今へと引き戻した。
目を開くと、不機嫌そうな表情の男と視線が合った。尤も、トモリはこの男の機嫌の良い顔を見た事が一度も無いのだけれど。
「……おはようございます。あれ、空が赤い。もうこんばんはです?」
「くだらん芝居はやめろ。仕事の時間だ」
眠たそうに瞼を擦りながら挨拶をすると、不愉快だと言いたげに睨まれてしまった。また失敗しちゃったかなとトモリは溜息を吐く。
トモリノドカは旧世界人――勇者である。王国で勇者と呼ばれる為には、ある程度の実力と忠誠を示さなければならない。トモリに王国への忠誠心は全く無いが、今はまだ王国での身分が必要だ。仕方の無い事だと諦め、にっこりとした笑顔を作ってみせた。
「ところで、ナインとか九号とか呼ぶのはやめません? なんか気分悪いですし」
「お前は旧世界ではそう呼ばれていたのだろう。ならば我々もそう呼ぶ」
「覚えてませんってば……何回か言ってますけど、不快だから呼ばれたくなかったんじゃないかな、昔のわたしも」
二度目の溜息。背後から誰かの舌打ちが聞こえたが、これくらいは許してほしいとトモリは思う。望んでいる扱いをしてくれないのなら、せめて望んだ呼び方くらいはしてほしい。
――旧世界人と呼ばれる者達は、この新世界と呼ばれる地で目覚めるまでの記憶が曖昧だ。個人で程度の差はあるようだけれど、トモリノドカには殆どの記憶が無い。
憶えているのは間違えてばかりの人生だったという深い後悔と妙に頑丈で死にたくても死ねない身体らしいという自覚。それから、顔も名前も忘れた誰かと考えた自分の名前。忘れているのだ、思い出せと押し付けられたのはナインや九号という不快な呼び名。
記録や何かを見せられたわけでもなく、ただ「お前の本当の名はこれだ」と押し付けられた。迷惑で、殺したくなる程に不愉快だ。昔の自分も数字や番号で呼ばれるのが嫌いだったのだろうとトモリは考える。
「友達も平和も守る、でトモリノドカ。素敵な名前だと思いません?」
「ああ。お前に似合わないと思う程度にはな」
「ふふ、昨日同じこと言われました。ちっとも似合わないけど良い名前ですねって、褒めてくれた子がいるんですよ」
「……知ったことじゃない。そろそろ黙れ」
残念、これ以上はお話してくれなさそうだ。トモリはしゅんと肩を落としてみせた。これは三割程本心でやってみせたのだが、強く睨まれてしまった。恐怖が混じって見えるのが少し悲しい。
とはいえ、意外と会話に応じてくれるのでこの男――名前は何度聞いても答えてくれないので知らない――と話す時間をトモリは気に入っている。相手は気に入っていないだろうし、心底から不快に思っているのも理解しているけれど。それでも会話に応じてしまう甘さを仲間に叱られている事も知っている。
「標的は森の中に潜んでいる。数は二十から三十。構成は傭兵崩れに騎士崩れ、脱走した旧世界人。この旧世界人が本命だ。同胞のお前なら見てわかるだろう」
これ以上余計な会話をしない為か、トモリから視線を逸らしながら男が仕事の説明を始めた。
「覚えてないですし、サイボーグでもないのでそういう機能は持ってないですけど……殺します?」
「損傷は抑えろ。再利用する」
「他は?」
「好きに壊せ。手は抜くな」
「別にそういう趣味も無いんですけどね。……ところで、お願いは覚えてます? 今答えを聞かせてもらえるとやる気が変わるんだけどなあ」
「その話は後に……」
「テメェ、調子に乗るなよ」
男が答えようとするのを遮るように、背後から別の男の声がした。振り返ればトモリと会話をしてくれる男よりもいくらか若い男がトモリを睨んでいる。酷く苛立っているようだ。成程、殺気の主はこの子か。トモリは顔には出さず納得した。
「黙って聞いてりゃ、べらべらくだらねぇお喋りしやがって。何様だテメェ、旧世界人のくせによ」
「すみません。何を怒っているんですか?」
「……おい、よせ」
「先輩がそうやって甘くすっからこいつが調子に乗るんでしょ!? 俺もう耐えらんないっすよ、こいつが俺等と同じ言葉使ってるの……!」
トモリと会話をしてくれる方の――先輩と呼ばれていた――男に怒鳴りながら、若い男が腰の剣に手を伸ばす。ちゃきり、鞘から覗く刃にトモリは奇妙な力を感じた。トモリには理解のできない力、魔力と呼ばれるものだ。
少し考えて、トモリは口を開くことにした。武器に手を掛けた人間は基本的にもう止まれない。黙ったところで良いようには転ばないのだから、話を進めてしまうべきだ。
「それで、すみません。そっちの人が怒ってる理由はわからないんですけど、お願いはどうなりましたか?」
「……ナイン、お前は黙っていろ」
「黙りませんよ。もうすぐ仕事を始めないといけないでしょう? その前にやる気を上げたいなって思ってるんです。ううん、それと。その呼び方本当にやめません?」
ちらりと視線をやれば、若い男の顔は真っ赤に茹だっていた。ついでにその背後で二名が腰に手を伸ばしている。あちらは銃か。随分血気盛んな子達だなあ。トモリは心の中で溜息を吐いた。
「…………トモリノドカ。頼むから黙ってくれ」
「わあ、嬉しい。名前を呼んでくれましたね。でも、それとこれとは別なんですよ。言うことがありますよね?」
「それは、仕事を終えてからだ」
「それじゃあ駄目です。駄目なんですよ。だってほら、信用できないじゃないですか。お互いに。だからね――」
要求を告げようとしたその一瞬、トモリは空気が冷え理解のできない力がぶわりと膨らんで迫ってくるのを感じた。
それから、撃鉄の起きる音と刃が鞘を走る音を耳にして――
「――やめろ。頼むからやめてくれ」
先輩と呼ばれる男の絞り出すような声の後、ばきんっという音が響いた。トモリはにっこりとした笑顔を作り、両手を挙げてひらひらと振ってみせる。
「そんなに辛そうな顔をしなくても、酷い事はしませんよ。まだした事無いじゃないですか」
笑顔を見せながら、トモリは立ち上がった。馬車はもう止まっている。そろそろお願いを終わらせて仕事を始めなければ。
「銃の二人は人差し指を潰しました。煩くされると困るから息を止めてますけど、死ぬ前には戻ります。あ、そっちの剣の人は何もしてないですよ。折れちゃっただけです。首輪、硬いですから」
半ばから折れた剣を見詰めて固まっている若者を指差して、本当に何もしてないですからねと念押しを一つ。
――さて、これで邪魔が無くなった。
可愛らしく見える笑顔をと考えて、諦めた。きっと自分には似合わない。少なくとも今の状況では似合うと思ってもらえない。普段通りの笑顔を作ろうと意識する。
「お願い、覚えてますよね。貴方の口から聞きたいなあ?」
「……ヤマノセミナの遺品は見付かった。状態は悪いが、修復可能な程度の損傷だ」
ヤマノセミナ。その名を聞いた瞬間トモリの胸がちくりと痛んだ。数日前、トモリの目の前で死んだ少女の名だ。特に交流があったわけではない。気に掛けられていた覚えも無い。だというのに、トモリを助けて死んでしまった。
そういうお人好しで、仲間からは慕われていたらしい。元々他の勇者からは役立たずと嫌われているが、この件でまた酷く嫌われてしまった。関係を改善したいとは思わないが、申し訳無さも感じていた。
これは、罪滅ぼしにもならない自己満足だ。遺品が彼らの手に渡り墓を用意できたとして、それで悲しみやトモリへの憎しみが癒える事は無い。トモリが騎士団と交渉したのだと知られれば最初からきちんと戦っていればとより憎まれる。理解している。それでもトモリはそうしたかった。
「それで? それからどうなるんです?」
「ヨツバエイスケの班に遺品を渡すよう教会のものには伝えた。遺体も、彼らが望めば墓地を用意するようにと」
「頷きました?」
「……頷かせた」
「素敵なお返事ですね。もっと早く聞きたかったなあ」
ぱちぱち。満足のいく回答にトモリは心からの笑顔で拍手を送った。男は部下、あるいは後輩の惨状に心を痛めているようだが、この被害で留めた彼はむしろ上出来と褒められるべきだろうとトモリは考える。返事の内容によっては三人とも殺してしまおうかと考えていたのだから。
ここで答えることを渋っていた事情も察しは付く。上から勿体振って上手く操るように言われ、無茶だと思いながらもどうにかこなそうと努力していたのだろう。トモリはそういった努力が嫌いではない。己に向けられていなければではあるが。
「それじゃあ、気分も良くなりましたしお仕事してきますね。お迎えはどれくらいです?」
「……陽が沈んだ頃に。いいか、こちらは要求を飲んだんだ。お前も言われた通りの仕事をしろ」
「はい、努力はしますよ」
トモリが飛び降りた後、男が御者台に指示を出す。幌の中のやりとりを把握していたのかトモリにはわからないが、指示を待っていたとばかりに馬車は勢い良く走り出した。
蹄と車輪の音が遠退いたところでうんと伸びを一つ。疲れたというわけでもないが、窮屈な空間から解放された心地好さは本物だ。
「……さてさて。やねこいけどやらないとだ」
溜息を一つ。夕陽に赤く照らされた森へ向かってトモリは歩き出した。
わざと大きく足音を立てながら森の中を歩き、人の気配がする方へと近付いてゆく。慌てているような声もすれば、冷静な声に興奮を抑えきれていない息遣いも聞こえる。
「えっと……そこと、そこと、ああ、そこにもいますね。あのお、隠れてるのは気付いてるので、出てきてくれませんか。お話しましょう?」
声を掛けても反応は無い。まあそうだよね、と溜息を飲み込んで何を言うべきか考える。時間を掛けたところで良い事は何も無い。
「わたしはここにいる皆さんを殺すよう言われて来た勇者です……って、もうわかってますよね。ところで自分で勇者って名乗るの恥ずかしいですよね。脱走した人もいるらしいですけどそれが理由だったりしますか?」
きりきりと弓の弦が弾き絞られる音がする。怒らせてしまったようだけど、何を間違えたのかな。旧世界でも新世界でも、トモリは会話を間違えてばかりだ。
「ん? あっと……ああ、そっか。いえ、殺しには来たんですが、殺したいってわけでもないんです。逃がしてあげることはできませんけど、上手に逃げてくれるなら追いもしません。それで、ええと……。お話をしませんか? わたしは聞きたいことがある、貴方達は逃げる準備ができる。お互い良いことがありますよね」
向けられている殺気はどんどんと鋭くなる。何か詠唱のようなものが聞こえ始めた。聞き慣れない言葉に理解のできない力、魔術や魔法の類か。
……これは駄目かな。もしかしたらと期待しながらやってはいるが、毎回失敗している気がする。
じゃあ、もうしょうがないよね。息を吐きながら、剣に手を掛けて。やねこいなあと声にしたくなるのを堪えながら。
「最後に、気が向いたら答えてほしいんですけど――吸血鬼って、見た事あります?」
問うと同時に矢が放たれた。炎の塊が、氷の槍が、雷の刃が。ありとあらゆる殺意が形をもって迫るのを感じながら、どうしようかなと呟いて。
轟音。爆炎が上がり、氷の槍が地を砕き、ばちばちと雷の走る音が響き渡る。土煙が巻き上がり、砕かれた岩と氷の破片が降り注ぐ中で、
「――ちょっと、荒っぽくやりますね」
小さな声だった。耳を澄まさなければ聞こえるはずのない、ましてやこれだけの轟音の中で聞こえるわけがない少女の声。何か妙だ。一人の女が疑問に思った。仲間に共有しなければと口を開くと同時に――
ぶちり。ばきんっ、ぐちゃ。耳を覆いたくなるような不快な音が、森の中にいくつも響いた。少し遅れて、悲鳴の合唱。
「いっ……でぇ、なんで、なんっ」
弓を構えていた仲間が肘から先の消えた腕を見詰めながら声を上げる。が、疑問の答えが出る前に鼻から上がずるりと地に落ちた。炎の塊や氷の槍を生み出していた魔法使いが詠唱中に首を折られ、大きな爆発を起こし仲間と共に灰となった。目に見えない透明な巨人が暴れているかのような、わけのわからない惨劇が繰り広げられている。
なんで。疑問と恐怖が森に満ちてゆく。ここにいるのは戦から逃げ出した臆病者ばかり。だけれど、戦えないわけではない。略奪を行うにも時々やってくる騎士や勇者を迎え撃つにも力は要る。勝てる相手かどうかを見極め逃げる目と勘だって要る。臆病者の集まりなりに上手くやってきたはずだ。
……この子供は様子がおかしいだけで優れた戦士には見えなかった。だから全員迎撃に賛成した。なのに、どうして。どうして、こんな。
ぶちり、ごしゃっ。不快な音が森に響き渡る。音のした方へ視線を向けた者は少女の剣で斬られるか拳で頭を砕かれ、逃げようとすれば見えない巨人が潰し、引き千切ってゆく。
女は蹲り耳と目を塞いだ。それでも音が耳に届き光景も目に焼き付いて離れないが、少なくともこうしていれば圧倒的な暴力の対象とならずに済むと考えたからだ。
「今ので七、残りは十。聞いてたより少ないですね、もしかして何人かお買い物とか行ってます?」
勇者が――怪物が、土煙の中から現れる。白い光の線が走る首輪をした、人の形の怪物が。黒かったはずの瞳を紅く煌めかせて、にっこりとした笑顔を浮かべながら。意味のわからないことを言っている。
「もう一回言いますね。頑張って逃げてくれるなら追いません。特に元勇者の方は頑張って逃げてください。あの人達に使われるのは可哀想だから、ちょっと酷い殺し方をすることにしてるんです」
逃げるなら追わないと言われているのに、誰一人逃げることを許さない重圧を感じる。逃げてくださいと言っているくせに、一歩でも動いたら殺すという目をしている。
……ちぐはぐだ。この怪物はちぐはぐだ。目と耳を塞いだ女以外の者は強い恐怖に襲われた。だが、だからこそ。ここでこいつを殺さなければならないとも考えてしまう。武器を握る手に力が込められた。逃げようとする者は、もういない。
「それから吸血鬼……は、知らなそうですもんね。じゃあ、もうしょうがないかな」
誰かが雄叫びと共に駆け出した。誰かが命を代価に呪いを唱え始めた。そうして、九人の戦士達が最期の戦を挑み――散ってゆくのを感じながら、それでも女は一人目と耳を塞ぎ蹲り続けた。
ぶちぶちと何かの千切れてゆく音がする。じゅうじゅうと何かの焼ける臭いがする。何も見たくなかったから、目を瞑り耳を塞いだ。せめて少しでも長く生きたくて身体を丸めて縮こまっていた。熱い何かが身体に掛かっても、石とは違う感触の何かがぶつかっても。決して顔を上げずに息を殺し続けた。
そうして、耳を塞いでも聞こえてくる音の嵐が止んだ後に。終わったのかもしれないと、目を開けて。
「――貴女でおしまい。みんな勇敢ですね、誰も逃げてくれませんでした」
怪物と、目が合った。合ってしまった。真っ赤な少女が、女を見ている。返り血だ。そう気付いた瞬間、血の臭いに気付いて吐き気がやってくる。堪えることすらできず、ぼろぼろと吐き出してしまった。
「吐くなら全部吐いた方がいいですよ。詰まったり逆流したりするとつらいですから。それで、吐き終わったらお話をしましょう」
心配そうな表情に、気遣うような声。嘘だ、偽物だと女は叫びたくなった。顔も名前も知らない少女にお前は嘘付きだと怒鳴りたくて仕方がない。そんなことをすれば死ぬとわかっていて、そもそもこの少女の事は何も知らないはずなのに。この少女が憎くて恐ろしい。
「貴女、旧世界人ですよね。何人かいるって聞いてたのに貴女だけみたいだったのは、他の人は別行動中なのかな。それともお別れしたんです?」
「……し、しらない。なにも、知らない」
女は嘘を吐いた。仲間の何人かなら今何処にいるのか知っている。だが、それを教える気にはなれなかった。どうせ殺されるか脳を洗われるのだ。それならば、せめてまだ生きている仲間にこれ以上の迷惑を掛けずに死にたい。戦って死ねなかった後悔が、今になって女を襲っていた。
怪物は困ったなというふうに溜息を吐く。次の瞬間には首を折られて殺されるかもしれない、歯が鳴らないよう噛み締めて、女は怪物を睨み付ける。
「別に拷問とかするつもりはありませんけど、正直に答えてくれると嬉しいなあ。……お仲間は何処に行きました?」
「知ら、ない。何も、知らない」
「ご立派ですね。わたし、そういうのは嫌いじゃないですよ。それじゃあ、違うお話にしましょうか」
言って、怪物が屈んで女と視線を合わせる。十代半ばの少女の形をした怪物が柔らかい笑顔を浮かべて女を見詰めている。偽物だ。吐き気がする。女はどうしようもない怖気に襲われた。
――どうしてこんなにも恐ろしいのだろう。ふと、疑問に思った。仲間を殺されたから? 違う。それならば怒りの方が大きいはずだ。
いつから恐ろしいと感じていたのだろう。仲間達がわけのわからない力で殺された時? 少し違う。確かに恐ろしいが、冷静になれば力の正体にもある程度の察しが付く。あの怪物は魔力を持っていない。ならばあの怪物が振るったのは旧時代に超能力や呪術と呼ばれた類の力だろう。知識もある程度は憶えている。今回はできなかったが対策はできる。知っていればそこまで恐ろしいものではない。
では、何が恐ろしいのだろう。自問自答を続ける中で、女は新たな疑問を見付けた。そもそも、何故これを怪物と呼んでいるのだろう。紅く煌めく瞳に、交戦状態を示す首輪の白い光。学生服を着た不可視の暴力を振るう少女。土煙の中から現れたその姿を目にしてから、怪物という呼び名がすっと頭に浮かんできたのだ。それ以外にこれを言い表す言葉は無いと思ってしまった。
「自己紹介、しましょうか。わたしは友守平和。貴女のお名前は?」
聞き覚えのある名前だった。何処で? 思い出せない。思い出したくない。けれど、思考は勝手に回ってしまう。思い出そうと残された記憶を掘り起こそうとしてしまう。
「……………とも、り。ともり、ともり、のどか」
「はい。友達の平和を守る、で友守平和です。良い名前ですよね、気に入ってるんです。それで、貴女のお名前は? そうそう、吸血鬼を見た事ありません? ちょっと探してるんです」
「ぁ。あ、あっ。……ぅ、げえ」
トモリノドカ。友守平和。そうだ、友守平和だ。その名を思い出した瞬間、女の全身から汗が噴き出した。喉が渇く。もう空のはずなのにまだ吐こうと胃が痙攣している。口を塞ぐこともできずに、女はぼろぼろとまた吐き出してしまった。
ああ、そうだ。知っている。女はこの怪物の顔と名を思い出した。忘れてはいけなかった、忘れたままでいたかったことを思い出してしまった。
月が砕かれた夜を思い出した。星の光が振り注ぎ大地を焼き尽くした夜を。故郷が滅び、旧世界などと呼ばれるようになってしまった原因が目の前にいる。
そうだ。こいつは、こいつの名前は。
「あ、なた……ないっ、きゅうごっ」
「――――お話、する気無いみたいですね」
ごしゃり。旧世界の終わりを思い出した女が最期に見たのは、冷たい金色に瞳を煌めかせた怪物の顔だった。
「またはずれ。まあ、期待してなかったけど」
血溜まりの中、溜息を吐きながらトモリは剣を収めた。吸血鬼を見た事は無いか、これを問うたのはもう何度目か。十を超えたところで数えるのをやめてしまったのでもうわからないけれど、答えを返してくれたのは二人か三人程だ。
「んぅ……ああっと……どうしよっかな。三十分くらい待ってれば迎えに来るかなあ。大声で呼ぶの疲れるし」
疲れるし、殴られるから面倒だ。痛くはないが殴られるのは好きではない。居心地は悪いがここで待っていれば怒られずに済むだろう、そう考えて汚れていないところを探す。身体は疲れを知らないけれど、少し座りたい気分だ。
――不意に、視線を感じた。顔は動かさず視線だけを向けると、小さなカラスがトモリをじっと見詰めている。これは数えることにしているけれど、もう七度目だ。あと三度は見逃してあげようと思っているので、気付かないふりを続けるけれど。
「信頼されてない……いや、怖がられてるのかな。はあ、悪いことするつもりなんてないのになあ」
悪意の有無は関係無いのだろうと、わかってはいるけれど。それでも信じてもらえないというのは傷付くものだ。じゃあ滅ぼしてしまおうかとまでは、まだ思わないけれど。
人は未知を恐れる。異常を憎む。それは旧き者も新しき者も変わらない。だから、慣れている。慣れているのだ。こういうところは変わらないのだなと、諦めてしまえば良いだけなのだ。
嫌われるのは、恐れられるのは寂しくて悲しい。だけれど、それだけだ。それ以外には何も無い。それなら、どうでもいい事なのだ。トモリの探し物と、仕事の邪魔にならなければ。極論を言えば何もかもどうでもいい。
吸血鬼。月に堕ちた、旧人類の裏切り者。トモリはそれを探している。見付けなければならない。トモリの生きていた世界は終末を迎え、旧世界と呼ばれるようになってしまったけれど、きっと吸血鬼はこの新世界でも生きている。
そう、きっといる。今も生きている。だってまだ見付けられていないのだから。だから、見付けなければ。それがトモリに残された仕事なのだから。吸血鬼を見付けだし、それから――
「――――それから、どうするんだっけ? どうしたかったんだっけ、わたし」




