ココネの使命
――幼い頃からの疑問がひとつ。
旧世界には「人の世を滅ぼす為に魔王が現れ、其れを討つ為勇者が現れる」などという伝説があったそうです。ですが、魔王は悪で勇者は善であるなどと一体誰が決めたのでしょう。魔王と勇者の現れる理由を誰がどう知り広めたのでしょう。
子供のあたしは大人に聞くと殴られそうなので口にはできませんでしたが、にんげんの作るお酒の味に慣れた今でも疑問です。
角持つ者は魔に堕ちる。翼持つ者は怪物となる。にんげんの中に皆と違うものはいてはいけないのだと、大人は皆そう言い、子供は信じ。角を持って生まれた子は己の手で角を削り落とし、翼を持ち生まれた子は親の手で翼を捥がれ。拒んだ者は、異を唱えた者は火に焼かれ、水底に沈み。逃げることのできてしまった子供達を、大人になってからそうなってしまった者達のことを魔族だと呼び蔑み。果たしてこれが善なる行いなのでしょうか。人に許されることなのでしょうか。
幼い頃からの、疑問です。善悪とは何なのでしょうか。人と魔の違いとは何なのでしょうか。その違いは生まれた子を殺さねばならぬ程のものなのでしょうか。生んだ親を憎まなければならない程のものなのでしょうか。
にんげんとは、何なのでしょう。どうして旧世界は滅びたのでしょうか。旧世界が滅びた理由が人の罪であるとすれば、どうして新世界と呼ばれるこの世界も滅びてはいけないのでしょうか。同じにんげんから生まれたはずの、にんげんではないと石を投げられたものたちは彼らを恨み、滅ぼしてはいけないのでしょうか。幼い頃からの、誰も答えてくれない疑問です。
「――――こうして魔王は勇者に討たれ、魔族も滅び。世界は平和になりましたとさ。めでたしめでたし」
紙の無駄遣いとしか思えないつまらない絵本を読み聞かせる、いつもの仕事が終わりました。面倒なお仕事の中で最も面倒で苦痛な時間が終わったので、少しだけ気が楽になりますね。
果たして本当にめでたしなのでしょうか、などと茶々を入れたくなるのをぐっと堪えながら絵本を閉じると子供達が退屈そうに欠伸を嚙み殺すのが見えました。ガキどもめ。この絵本高いんだぞ、売れば十日は贅沢に晩酌できるくらい。
「……はあ、めんどくさ。滅びてないから今の世界があるじゃんね。はいはいもうお仕舞、今日の読み聞かせはお仕舞ですよ。先生は掃除やらお祈りやら仕事があるので帰ってくださいね」
こんこんと説教台を叩きながら子供達に解散を促します。真っ当な聖職者の前でこれをやるとまあ激しく怒られると思うんですが、ここにはいないのでよしとしましょう。こんな汚いところに本物は来ないので。
正確には、もう来ないと思うので、ですけども。良い人だったんですけどね。
ナルカサテラ王国、首都アルステラの隅の隅。城壁の外の貧民街、もとい旧市街にある廃教会を借りてあたし、ココネは教師の真似事をしています。
本来の持ち主が遺した聖書や絵本を読み聞かせて、あとは王都近郊での仕事の探し方や山や森の歩き方、街の外での常識を最低限。始めて三年経ってまだ卒業生なんてのはいないんですけども、面倒三割怒り三割、残りの四割は楽しさといったところで中々悪くない生活を送っています。お酒も飲めますしね。
「……ココネ、お前酒飲みてぇからおれ達帰したいだけだろ」
子供達を教会の外へ追い出しながら今日は葡萄酒か麦酒かどうしようかなと悩んでいると、子供達の中で一番生意気で頭の良い子が声を掛けてきました。えっと、名前なんでしたっけ。短い茶髪、右頬から耳にかけて火傷痕。確かエバン君だったかな。
「先生かお姉さんと呼びなさい。でもよくわかってるじゃないですか。もうね、早く飲まないと手が震えそうなんです」
「……誰も何も言わねえけどよ。お前のとこの神様って酒禁じてなかったか」
「おや、勉強熱心ですね。でもね、これは大事なお話なんですが。教義を破る快感ってね、一生ものですよ。一度味わったら改めるなんてとてもとても」
「ぜってぇ子供に言っちゃ駄目なこと言ってんぞお前……」
信じていない神の教えなんて守るわけないじゃないですか、とはさすがに言えませんでした。旧市街の住民達から得ている一応の信頼は前任者の跡を継いだ聖職者だから、という勘違いによるものでしょうし。ちょっと服を拝借して恰好を真似ているだけで神様なんて信じていないと知られたらその一応の信頼すら失ってしまいます。まあ、正直それでも良いんですけども。
「酒が血を汚すなんて、馬鹿な考えですよねぇ。あ、これもバレたら審問だな……。エバン君、お姉さんが串刺しの火炙りにされてるのを見たくなかったら黙ってあげてくださいね。盗みで失敗して捕まった時の道連れにしたくなったら言ってもいいですけど」
「……言わねぇよ。つかよ、それだって子供に言うことじゃねえだろ」
「これは良い意味で言うんですけどね、あたしは君達のことをクソガキと罵る事はあっても子供と侮る事はありませんよ。お互い悪事に目を瞑っていきましょう。お互いに脅しのネタを持っておきましょう。それこそが対等な関係ってものですよ」
さ、もう帰りなさい。にっこりと笑顔を作って少年の肩を掴んでくるりと回し、背中を軽く叩きました。大袈裟につんのめる彼にそんなに強くしてないでしょと笑ってまた明日と手を振ってみせます。
「……お前くらいだよ、ここでまた明日とか言うやつ」
「いい言葉ですし、君達も使うべきですよ」
「……まあ、明日も来てやってもいいけどよ」
「はい、是非に。明日は山歩きと釣りを教えてあげましょう。そろそろ脂がのって美味しくなる時期のはずですし」
「お前、それで酒飲みたいだけだろ」
その問いには笑顔だけを返しました。頭と勘の良い子は嫌いじゃありません。生まれと時代が違えば盗みや暴力なんて覚えずに生きていけただろうにと悲しくなる程度には好ましいと思っているんです。
いつの時代も、どの国でも。貧民街などと呼ばれるところに住む者は子供だって強く逞しい。盗みに身売り、いつかは殺しも。生きる為に己が身を武器として戦う者を侮ることなんてできません。そこに戦ってきた時間や実力は関係無いのです。その武器があたしに向かない限りは頑張るなあと感心できますし、向けられればそれじゃあしょうがないですよねと殺すだけ。もしかすれば、殺されるのはあたしかも。
……どちらであれ、です。見捨てられながらもひたむきに生き続ける彼らを、嫌いにはなれないのです。仲間意識、とは違うかな。にんげんはやっぱり嫌いですし同じにはなりたくない。名前は付けられない好意なんですけども。
仕事を終えて、太陽が沈み三つに割れた月がよく見える夜。
今日はちょっと贅沢に晩酌をしましょうということで葡萄酒、牛の乳から作ったチーズ、鶏の干し肉、胡瓜の酢漬けを説教台に並べました。旧世界が遺した文明と智慧に感謝ですね。
さあまずは一杯と葡萄酒を胃に流し込もうとしたところで、こんっ…こん、と控えめに扉を叩く音がしました。知っている叩き方。ちょっと嬉しいお客様です。
お酒を仕舞おうか考えて……やめました。あたしがお酒飲んでるところを見るの好きだって言ってましたし、気を許してる感じがしてむしろ良いかも。
深く息を吸って、毎朝鏡で練習している笑顔を意識します。優しそうな人に見えるように、親しみやすく見えるように。そうして、扉を開けて。
開けた扉の前には、女の子が一人立っていました。黒い髪を肩まで伸ばして、旧世界では学生服と呼ばれていたらしい服装に身を包み。腰には無骨で似合わない剣を差した気弱そうな子が一人。あたしを見る黒い瞳は、少し潤んでいて。
笑顔は自然と浮かんでいました。無理矢理にでも作ろうと思っていたんですが、必要が無くてよかった。ぱっと見では怪我や汚れも無さそうですし。
「――――やあやあ勇者様、いらっしゃい。待ってましたよ。あ、そうだ。今朝酢漬けを貰ったんです。美味しいですよ、お腹空いてます?」
扉の前で遠慮がちな笑顔を浮かべる少女――愛おしくも憎々しい正義の味方、にんげんが誇る善の象徴。王国の勇者様が一人へと、手を差し伸べてみせました。
さてさて。ここからこそが、大事なお仕事の時間です。
トモリノドカと名乗る旧世界人……勇者と呼ばれる少女と出会ったのは、四月程前のことでした。
三つに割れた月の二つが隠れた夜に、空へと手を伸ばす女の子を見て。思わず声を掛けてしまったのが始まりでした。理由は善意でも悪意でもなくて、情けないものなんですけどね。
――――ただ、怖かったんです。この子は割れた月をさらに割って、砕いて、粉々にしてしまう。そうして砕けた月が降り注いで、そのまま全てを終わらせてしまうのではないか。なんて、馬鹿みたいな恐怖に駆られてしまって。それで、止めなきゃと声を掛けてしまったんです。
こちらへ振り向いた女の子は、そんなあたしの恐怖をよそにぽろぽろと涙を流していて。よく見たらぼろぼろで、なんとなく放っておけなくて教会へ招いて余っていたチーズとパンをご馳走しながら話を聞いて……と。それから今日に至るまで、月に一度程度ではありますが彼女の方からあたしに会いに来てくれるという関係が続いています。
友人ってやつなんでしょうか? 前に会った時にそう言ったら喜んでいたので、そういうことにしましょう。
「……それで、今回行ったところは上書き……えっと、更新の影響が少なかったみたいで。旧世界のものがたくさん遺っていたんです。駅とか、ビルとか、電波塔とか……文字化けしちゃってるから、看板とか標識見ても何処だったのかとかはわからないんですけど。でも、名前を知ってたかもしれないものを見れるとやっぱり嬉しいなって。やっぱり騎士の人達は軍事基地とか研究所を見付けたいみたいですけど」
月に一度程、王都に帰ったら旅先であったことを教えてもらう。お礼にあたしはご飯をご馳走する。そういう約束をしたわけではないんですが、決まった流れになっています。旧世界人と呼ばれる彼女達は新世界と呼ばれるこの世界をどう思っているのか、それを聞けるのは貴重な機会ですしね。逃すわけにはいきません。
――遥か昔、幾百か幾千年も昔のこと。この世界は一度、月からやってきた怪物に滅ぼされたそうです。いえ、滅ぼされかけたと言う方が正しいのでしょうか。
くろがねと石の塔を幾つも打ち建て、海も空も、宇宙と呼ばれる外の世界すら征したはずなのに。月から地へと降ってきた怪物が、あっという間に全てを焼いて壊してしまったそうです。そこから何もかもが終わりへ向かっていってしまった。そうしてかつての人類が滅びた後、隣の世界からやってきた人類が新たな文明を築き始めた。それが、今あたし達が生きているこの世界。今の世界を生きるにんげん達からは、新世界などと呼ばれています。傲慢ですよね。
……まあ、どうでもいい話です。大切なのは、今までよりもこれからです。かつての世界がどうだとか、にんげんがなんだとか。どうでもいいんですよ。過去に拘り今を蔑ろにしたら、あたし達の未来はいつまでも幸せに届かない。
あたし達が大切にするべきなのは、今をどうするかとこれからどうなりたいかです。さしあたっては、目の前の女の子とからしっかり信頼を得ることですよね。
「トモリさんは大忙しですねえ。この前は竜伐隊の荷物運びであっちこっち、その前は魔族の征伐に同行で王国の南端でしたっけ。愚痴……もとい、懺悔も溜まってるんじゃないですか?」
からかうように言ってみると、予想通りの気弱な笑顔が返ってきました。なんと言われるかも、まあだいたい予想できてしまいます。
「あはは……わたしはついていってるだけで実際はなんにもできてないですから。だから、愚痴は無いです。活躍できないけど死にもしないから、王都に帰る度団長さんに怒られるんです。何もできないなら死ぬまで寝てればよかったのにって」
勇者にも戦士にも見えない気弱な笑顔と言葉は、出会った時から変わりません。歩き方だけは多少の訓練を受けた人って感じがするんですけどね。それでも腰の剣を抜く姿が想像できないし、人どころか生き物を殺す姿もやっぱり想像できません。
この子が王国からどのような扱いを受けているのか、見れているわけじゃありませんから本当のところはわかりませんけど……可哀想だなという気持ちが半分と、丁度良いのを拾えたなという喜びが半分といったところ。意地が悪いのであまり喜ぶべきじゃありませんけど、彼女が王国から不当な扱いを受けている程あたしは仕事がしやすくなるので助かるんですよね。
「酷いこと言う人だなあ……生き残るって素晴らしいことだと思いますけどねえ、こうしてあたしに土産話を持ってきてくれるわけですし」
「……わたしも、ココネさんとお話できるの楽しいです。こうやって話せる人、ココネさんくらいしかいないし」
「あたしも気楽に話せる人がいて嬉しいですよ。子供達によく言うんですけどね、この世界で幸せになる為に大事なのは楽しく話せる友人と美味しいお酒ですから」
「友人……ふふ、うん。わたしも、友達は大事だと思います」
ほんと、友人って呼ぶ度に嬉しそうに笑うなあ。信じてるのか、ただ響きが嬉しいだけなのかはわからないですけど。詳しく聞いた事は無いですけど、やっぱり旧世界の友人とか仲間を懐かしく思ったりもするのかな。あるいは、それすらいなかったから嬉しいのかな。
…………本当に、丁度良い拾い物です。いえ、好ましいとは思ってますしモノ扱いをするつもりもないんですけどね。
だけどね、本当に丁度良かったんですよ。見捨てられている壁の外とはいえにんげんだらけの王都なんかで生活する羽目になってしまったんですよ。王国が一番嫌いなんです。本当に嫌だったんです。逃げ出したくてたまらなかったんです。角が伸びるのを感じる度に削り、同じように紛れた同胞が串刺しや蒸し焼きにされても助けることもできなくて、あたしもそうなる前にと逃げて隠れていたらこんなところまで。なんで王都まで来ちゃったんでしょうね。散々だったんですよ。もう本当に限界だったんです。
そんな生活を何年も続けて、やっと見付けた最大の好機なのです。どれだけ上から急かされようと、丁寧に確実に関係を築いていかないと。その過程を楽しむのも許されて然るべきってもんですよ。
にんげんの国に潜み、この世界に馴染めない旧世界人を見付け接触し、取り込み我らの友とする。勇者が善の象徴であるならば、我らの善の象徴となってもらおう。どうあろうと我らが悪であるというならば、勇者を悪に堕としてみせよう。
我らが悪だというのなら、その悪をもって善を討ってみせる。善の象徴を悪に引き込んでみせる。我らが聖地を取り戻す、その第一歩となってみせる。
それこそが、あたし――魔族のココネの、使命なのです。




