行動の示唆
二日後。
カルカナのもとに、普段は影に徹するはずのカーン伯爵直属の執事が、わざわざ訪れていた。
まだアシュに破壊された建物の復旧も間に合っておらず、それでいてカルカナの負傷もまだ収まっていない。しかし雇い主であるカーン伯爵から送られてきた者というのであらば、精一杯の対応をしなければならない。
「頭をあげてください。私は用件を伝えに来ただけですので」
カルカナが頭をあげる。眼鏡をかけた若い男がソファに座っていた。彼はカーン伯爵の執事。用件を伝えるためにカルカナの元を訪れた。あらかた、その用件とやらは予測できている。
事件から二日が経つ。しかし未だ、アシュは見つかっていない。今も捜索隊を組んで近辺の町を探してはいるものの証言の一つすら出てこない。たった一人で子どもの頃から傭兵として世界を渡り歩いてきた男。
簡単には見つからないということぐらい分かっていた。
しかし、捜索に時間をかけていられないのも事実だった。
「あ、でも立ち上がらぬよう。地面に座って私を見上げるように。でないと、立場が明確になりませんから」
カルカナが頭をあげて立ち上がった瞬間、執事はそう告げる。立つな。自分の頭よりも高い位置に来るな、と。
立場はあちらが上。
団員に飯を食わせるため、湧く怒りを抑えながらカルカナが地べたに膝をつく。
「私からの用件は幾つかあります。ここで一遍に申し上げてしまってもよろしいのでしょうが、あなた達のような学のないものでは一度に覚えられるか分かりません。私から一つずつ質問していくので、それに答えていくように。分かりましたか?」
「ああ」
「返事は……まあ身分に相応の、ということで許してあげます」
ただ一つ、質問をするだけで嫌味が弓矢の如く飛んでくる。
カルカナは内心で良い顔はしていないが、それを表に出すほど子供ではない。
「あなた達の団員が三名、殺されたことについて説明をお願いします」
「ああ」
カルカナは答えると軽く説明をした。
アシュという二年前に団員を殺した、因縁の相手がいたこと。その相手を偶々《たまたま》団員が見つけ三人で迫ったこと。そして返り討ちにされたこと。
「なんとまあ。救えぬ最後。もし自分が殺されればあなたが動く必要が出てきてしまうというのに、使えぬ部下を持つと大変ですね」
「おたくもな」
カルカナは別に世渡りが上手いわけではない。しかし機会を伺う能力だけはある。だからこそカーン伯爵の私兵という上手いポジションにもつけたし、ある程度のことを我慢すれば団員に上手い飯を食わせられた。
すべては団員のため。
その団員が侮辱されたとあって、ついカルカナは口を滑らせた。
「侮辱もほどほどにしないと、次はありませんよ」
「悪かった」
「はぁ……これだから下賤な者は。まあいいです。伯爵から賜ったこの建物と、護らなければならない町が破壊された件について、説明をお願いしてもよろしいですか」
どのような解答が返って来るのか、そんな分かり切ったことを考えながらカルカナが説明した。
傭兵団としての威厳、仲間の命、町の破壊は逃がさぬよう仕方なかった。
「それで、町を破壊したと? 結局逃げられて? 笑いものですね」
一通り説明を聞いた執事は一つも表情を変えることなく、ひたすらにこき下ろす。
「加えて、団長であるあなたはこのザマ。本当に、何のために存在しているのやら」
カルカナは唇を噛んで黙った。口を開けば言い訳と責任転嫁に聞こえるだけだ
それに、まだこれは本題ではない。
どうせ、もう民兵辺りからカーン伯爵の元には事の顛末が届いている。ここでわざわざカルカナに事件の概要を話させたのは、嘘をついていないかを確かめるため。そして鬱憤を晴らすため。
本当の用件は別にある。
「どう落とし前をつけるつもりですか」
本題はここから。
カルカナは執事と目を合わせる。
「必ず捕らえ、殺す」
「よい返事。カーン伯爵は寛大です。あなた達のような下賤な者の食い扶持になってあげているというのに、このミスまで許すと言っているのです。期限は二週間。それまでに事態を収束させてください。分かりましたね」
「分かった」
案外、厳しい処罰ではない。
仲間のため、今はここで苦渋を噛みしめながらも頭を地に付け、提案を受け入れるしかない。
「『勇猛果敢』—カルカナ・バーゼス。とても『儀盤』とは思えないような滑稽な姿ですね」
執事はいつものように一つこき下ろしてから話をする。
「ただ、今回の失態にカーン伯爵は失望しておられます。このまま犯人が逮捕されなければ、回り回って評判に傷がつくのはカーン伯爵。あなた方が犯人を捕らえられない場合に備え、当家の縁で腕の立つ殺し屋を手配することにしました」
「なに?」
「どうも腕の立つ殺し屋のようで、カーン伯爵のご友人からの紹介だそうです……っと、話し過ぎましたね。用件はこれで以上です。どうぞ、頑張ってください」
執事が立ち上がり、地面に座るカルカナを一瞥すると部屋から出て行く。扉が閉まり、足音が遠退いて気配が完全にいなくなったのを確認してから、カルカナは息を吐いた。
「ったく。面倒だぜ」
昔のような自由な時代は来ないのだと、ため息をつきながらアシュを捕まえるための準備を始めるのだった。
◆
カルカナが傭兵団の拠点を置く都市から離れた場所にある、小さな町。そこの商店街の一角にある書店で、アシュが本を読んでいた。
(……結局アストラ評議国は潰されたのか……となると南部は……ややこしそうだ
な)
情報が入ってこなかったここ二年の出来事を浚っていく。二年で大きな変化が幾つも起きたわけではない。しかし、確かに世界は変化していた。大戦の残り火として行われていた戦争のほとんどが終戦し、紛争地帯は少なくなっている。
領土問題や民族間での問題は残りつつ、ある程度世界はまとまって来たと考えるのが妥当。
(となると……)
アシュが持っていた本を置いて、店主を呼ぶ。
「なあ! 世界地図について書かれた本はないか! 最新のだ」
店主はアシュを鬱陶しそうに見ながらも、親切心で答えた。
「そこの棚だ。ったく、立ち読みばっかされると商売あがったりだよ。さっさと出て行け」
「助かる」
嫌味ごとに対しては一切気を払うことなく、棚に置かれた本の一つを手に取る。
(さて……)
アシュが現在いるのが最西端に存在するアシュラット協議国の東部辺り。数年前まで戦争していたメルーン貿易国はアシュラット協議国を南下した場所にある。
きっと、今ごろカルカナたちがアシュのことを血眼で探しているはずだ。
今回の事件は雇い主であるカーン伯爵の責任問題にも問われる。伯爵が今後、政治的立ち位置を維持したいのならば、労力をかけてでもアシュを殺すために動く。
そしてカーンは腐っても伯爵。役職は高い。付近一帯を治める貴族がアシュを匿うようなマネは、敵対関係にある有力貴族か、相当の馬鹿でない限りあり得ない。基本、アシュラット協議国を抜けるまではカルカナたちに追われると考えていい。
いつまでも辛気臭い国にいたくはないし、どこかへと逃げるべきだ。
向かう先は国境を面しているメルーン貿易国か王国か。
南下するとなると単純に距離が長く、それでいて政治的に厄介な地域を通ることになるため、メルーン貿易国を目指すのは無しだ。
現実的に考えるのならば王国一択。
大戦時でもアシュラット協議国は王国と敵対関係になったことはなく、基本的に友好的な立場にいる。国境の警備も幾らか甘い。というより、警備なんてほぼない。いつでもどこからでも王国領に入ることができる。
それでいて王国はアシュラット協議国の東に位置し、現在の居場所からもそう距離が離れていない。
王国に入ればカーン伯爵とて手出しはできない。
目指すのならば王国一択だ。
(ただ……)
普通に考えて、カルカナはアシュが王国に逃げることを読んでくるだろう。しかしだからといって南下するのも面倒だ。
ここは逃げ隠れしながら王国を目指せばいい。
なにせ、国境は広いのだ。すべてを警備しようとすると人手が足りない。
正面衝突となったら?
「まあ、それもアリか」
カルカナとの勝負がまだついていない。
ここらで因縁を断ち切るのもまた良い。
「おっちゃん。これ買ってくぜ」
「なんだ、お前買うのか。3000コロンだ」
「っげ、そんなすんのか」
「払えないのか」
「払えるに決まってんだろ、ほらよ」
この二日間、地道に溜めた3000コロンが今の一瞬で消し飛んだ。
「まいどあり!」
少し不満気な顔をしながらも、まあ良い買い物だったかと苦笑して、アシュは王国を目指し始めた。




