第11話 やがて相対する
「あと少しか」
木陰で、木に背中を預けながらアシュが地図を開いていた。現在位置はもう国境のすぐ傍で、1日程度移動すれば王国との国境に辿り着く。恐らく、カルカナはすぐそこまで来ているだろうが、関係ない。
今更逃げ隠れもしないし、ルートの変更もしない。予定通り進むだけだ。
(……特に寄る必要はないか……)
食料も金もまだある。わざわざ近く村や都市によって人目に触れる場所で買い物をする必要も無い。あとはただ国境に向けて進むだけだ。
馬車は無く、わざわざ整備された道を進む必要も無いため、山道すら通らない。
アシュは道のない森の中を進むのだ。
果たしてカルカナはアシュの居場所に気がつけるか。付近一帯を包囲すればまだ分からないが。
「さて……」
アシュは数時間前に分かれた老人のことを思い出し、苦笑すると道なき道を歩み始めた。
◆
すでに日が落ちて暗い山道を僅かに負傷を負ったカルカナが歩いていた。切り傷のようなものが皮膚に刻まれ、僅かに血を流している。治療のために巻かれた包帯は血が染みて赤色になっていた。
ただ、カルカナにとってはこの程度の傷は負傷の内に入らない。
「さっさと向かうぞ」
部下たちを率いて、先頭を歩く。無駄に時間を取られた。早くアシュを追わなければならない。もし、アシュと戦えるとしたらカルカナただ一人。傭兵団のメンバーが立ちふさがったところで足止めにもならない。
だから、カルカナが先頭に立ち、戦わなければならないのだ。
「少し休んだ方がいいんじゃないですか、負傷だってありますし」
部下から心配の声を投げかけられる。しかしカルカナは一蹴した。
「この程度、昔はいくらでも負って来ただろ。戦場に久しく出てないから、甘くなっちまったんじゃねえか?」
帰ったら死にたいと思えるような特訓をさせてやる、カルカナは馬鹿な部下を叱った。
「すいません」
荒くれ者でもカルカナの言葉は聞く。無駄口を叩いた団員はしゅんとなって謝った。
そして気を紛らわせるかのように呟く。
「にしても、あれが大戦の生き残りなんですか。きっと高名な『戦士』でしょうね」
先ほど戦った老人を思い出し、団員が呟く。
『儀盤』であるカルカナに負傷を負わせるほどの手練れ。そして大戦を生き残ったという経歴。あの老人はきっと大戦でも活躍した高名な『戦士』なのだと部下が推測する。
「ちげーよ」
しかしカルカナは否定した。
「あれはただの兵士だ。大戦の時なんざあんな奴はそこら中にいた。今とは力の水準がまるで違うんだよ、大戦の頃は」
今の時代では『儀盤』として知られるカルカナだが、あくまでも平和になったこの時代では強いというだけ。
カルカナがもし大戦の時代に放り投げられれば、それなりの『戦士』という認識で終わる。少なくとも彼に『儀盤』の称号はつかない。アシュが『儀盤』の称号を大戦の時代に生きた者達だけに絞るべきだと言っていたが、あれもあながち間違いではないのかもしれない。
「ただまあ、五体満足で生き残ってるってことは、まあ少しはできたんだろうけどよ」
ほとんどが四肢の欠損や精神に病を抱える中、あの老人は五体満足だった。運が良いのか、それとも少しは強い部類の兵士だったのかは分からない。しかし、いずれにしても――大戦の頃よりも基準は低くなったとはいえ――『儀盤』であるカルカナに勝てるわけはなかった。
「気引き締めてけよ」
これから戦う相手は老いぼれの兵士なんかよりも遥かに強い相手。カルカナは自分の気を引き締める目的を込めて呟くと、アシュを追いかけた。
◆
「……やっぱ、あいつは特定してくるか」
アシュが木陰に隠れ、少し離れた街道付近に視線を向けていた。
視線の先には二人組の男が立っている。どちらとも武装しているようには見えずただの一般人に見える。近くに荷台らしき物が見えることから、商人である可能性も否定できない。
疲れたのか、休憩がてら道の途中で立ち止まったと考えるのが妥当。
しかしながら、アシュの立場としては警戒しないわけにはいかない。一般人に見せかけたカルカナの手下という可能性もある。アシュは団員の顔や名前を全員分把握できるわけはないし、あそこに立っているのが団員だと否定できる要素を何一つとして持ち合わせていない。
それに、団員だけでは捜索の人手が足りないだろうから、傭兵も雇っていると仮定して、たとえ団員でなくとも警戒せざるを得ない。
二人は笑顔を浮かべて喋っているように見えるが、果たしてあれは本当の笑顔か。本当に会話をしているのか。
森を抜ければ草原が広がる。
しかし王国へ行くのならばこの道を通らなければならない。そうすれば彼らに気がつかれるだろう。相手が敵であると仮定した上で、アシュは隠密が得意だが、遮蔽物の無い環境で付近を捜索している敵に見つからずに長距離を移動する術はない。
かといって遠回りをしようとしても大幅な時間ロスになる。
そして、遠回りした先にカルカナが用意した敵が待ち伏せているとも限らない。
最善の選択はここを通り抜けること。
それしかないだろう。
「仕方ないか」
アシュが森から出て進み始める。
二人がもし付近を話しながらも索敵していればアシュの存在にすぐに気がつくはず。しかし二人はアシュの存在には気がつかずに会話に没頭しているように見える。果たして、気がついた上で敵だとバレぬよう気づかないふりをしているのか、それとも本当に気がついていないのか。
二人はアシュがある程度近づくとその存在に気がつく。
しかしすぐに顔を背けて会話に戻った。
「……」
普通の反応か。
「……」
アシュはさらに近づいて二人のすぐ傍を通る。
二人は一瞬だけアシュに再度視線を向けるが、気にしていない様子。それでいて立ち方や服の様子、体勢などから武器は隠し持っていないように見える。もし持っているとすればそれは小型のナイフぐらいもの。
付近にも隠された武器は確認できない。
本当にただの商人か。
「……」
最善を期するのならばここで二人とも切り伏せてしまった方が楽だ。しかし、無関係の罪のない人物をいきなり切り殺すほどアシュは腐ってない。
そこまでの非道に成り果てた記憶はない。
会話を交わさずアシュが通り過ぎる。
しかしどうにも嫌な予感が拭えない。
少々強引だが――
「――ひぃ!」
「っなんだ?!」
アシュがいきなりナイフを引き抜いて商人の一人に向けた。いきなり、首元にナイフを当たられた商人は恐れ戦いて倒れ込む。本当にいきなり、びっくりした様子で足も唇も小刻みに震えている。
隣にいた商人もいきなりのことに最初は何が起きたのか理解できていない様子だったが、すぐにナイフを構えるアシュを見て、できるだけ刺激しないよう固まっている。
「や、やめてくれ! 金ならある! 後ろの荷台に品物も入ってる! だから殺さないでくれ!」
戦いを知らぬ本当の商人らしい反応。
ここまでのリスクを冒して収穫はゼロ。仕方ないが、疑いすぎという可能性の方が高そうだ。
(仕方ねえか)
アシュはナイフを仕舞うと、商人たちには一切謝らずに歩き始めた。その草原の向こうへと。王国との国境へと。
◆
「行ったか」
「ああ、怪しんではいたがな」
街道で待機していたカルカナ傭兵団の二人が、完全にアシュの姿が見えなくなった後に口を開く。
「ガチで死ぬかと思ったぜ」
「団長が言ってたように一筋縄じゃいかなそうだな」
カルカナからは『絶対にこちらから手を出さぬこと』、『武器を持たぬこと』、『あくまでも一般人を装うこと』を徹底しろと言われた。
武器も持たず抵抗もしない人物を殺すようなクズではないと、カルカナはアシュを評価していた。だからこそ、武器も持たせず戦う意思も見せず、それを徹底することで切り抜けることができた。
最後、ナイフを向けられた時はさすがに危なかったが。
「名演技だったぜ」
「それな。自分でも驚いたぜ」
「っていうか、普通に本心から驚いてただろ」
「うるせーよ」
二人は笑い合う。
「じゃあ、さっさと報告しに行きますか」
「ああ。この借りは絶対返してやるからな、待ってろよクソガキ」
絶対的な情報を掴んだ二人はカルカナにこのことを報告するために、早足で合流地点へと消えて行った。




