第1話 記憶
もうろうとする意識の中、青年は目を開けた。仰向けの状態のまま周囲を見回す。
視界がまだ少しぼんやりとしている。それでもなんとなくは様子がうかがえた。
カビ臭い石の壁に鉄格子付きの小さな窓がひとつあるだけの陰湿な部屋。
察するに独房か…。
フラつく頭を押さえながら固いベッドから起き上がる。
「一体ここはどこなんだ…なぜ俺はこんなところに」
これまでの記憶を辿ろうとすればするほど頭が痛み何も思い出すことができない。
わずかに覚えているのは村に化け物が出現したという報告を受けて討伐に向かってそれから…
そうだ、その村に着いてからの記憶が無いのだ。
とにかく今置かれている状況を把握するため、青年は立ち上がって部屋を調べ始めた。
入り口の扉には当然のように鍵がかけられている。
「くそっ!どうやら何者かに捕まったらしいな」
次に背丈より少し高い位置にある鉄格子を掴みその小窓から外の様子をうかがってみた。うっそうと茂る木々が邪魔して遠方がまったく見えない。
どうやらこの建物の周りは森に囲まれているようだ。
どういう経緯でこうなった?
青年は、はやる気持ちを抑えきれず独房の扉を激しく叩き始めた。
「おーい!誰かいないか!おーい!」
静かな部屋に青年の大きな声だけが恐ろしいほどに響き渡る。
しばらくして扉の向こうからカツカツと近付く足音が聞こえてきた。
足音はやがて目の前で止まり、目線にあった扉の小さな四角い隙間から人の目が覗いた。
「うるさいぞ!静かにしていろ、シェイス=バーン」
「なに!?」
なぜ自分の名を知っている?いや、それよりも…
「教えてくれ!ここはどこだ?なぜ俺はこんなところに閉じ込められてるんだ?」
「随分と威勢がいいな。鎮静剤の効きが悪かったか。しかしそれだけ実験の効果も期待できるかもしれんな」
隙間から覗かせる男の瞳が不適に笑う。
「いずれここから出してやる。それまでおとなしくしていろ。これ以上騒ぎ立てるとまた眠ってもらうことになるぞ」
男はそう言い終えると再び足音を立てながら遠ざかっていった。
「実験だと…なんのことだ。わけがわからない…」
扉の前に突っ立ったまま、シェイスはただ唖然とするしかなかった。
夕方、徐々に暗くなっていく小窓を眺めながらベッド上で横になっていると突然扉の向こうから名前を呼ばれた。
「シェイス=バーンさん」
若い男の声だ。
「食事の時間です」
そう言って扉の隙間から差し出されたのは思ってもみないちゃんとした料理だった。よくあるコッペパン一個どころではない。
囚人のような扱いの自分に出される食事ではないぞこれは。
「まさか毒が盛ってあったりするんじゃないだろうな?」
扉の向こうの男に訪ねてみる。
「そんなことあるわけないじゃないですか。この三号棟ではこれが普通ですよ」
「三号棟?」
「いえ、なんでもありません」
若い男は焦ったように口をこもらせ早々にその場を立ち去った。
こんなおかしな状況で男が言ったことはとても信じられそうにもないが、目の前にある料理を目にしたとたん忘れていた空腹感が理性を狂わせる。
「どうせこの先どうなるかわからんしな。毒が盛られていたとしてもうまいことには変わりない!こうなりゃヤケだ!」
なにもかも吹っ切った感情でシェイスはどんどん料理を掻き込んでいった。
幸い食事後の体調になんの変化もなくシェイスは再びベッドに横になった。
夜、見張りがたまにうろつく気配が気になりなかなか寝付くことができないでいた。そもそも慣れないこんな固いベッドの上では体中が痛くて仕方がない。
結局ほとんど眠った感じがせず朝を迎えることとなった。
昼。いつまでもこんな所で固まっていたんじゃ体がなまってしょうがない。
狭い部屋の中、少しでも体を動かそうとシェイスは腕立て伏せや腹筋をし始めた。
「五百五十六…五百五十七…五百五十…ん!?」
体を動かし始めてしばらく、昨日と同じカツカツとした足音が複数この部屋に近付いてくるのが聞こえてきた。
やがてその足音は一斉に扉の前で止まった。
「なんだ?」
不審に思いシェイスが扉の前に近付こうとしたその時、
「うわぁ!」
スプレーで何かを噴射したような音とともに扉の四角い隙間からものすごい勢いで真っ白い煙が噴き出してきた。
「うぅおぇー!ごほっ、ごほっ!」
少し吸い込んだだけで涙と咳が止まらず顔中に鋭い痛みが走る。シェイスは手で口元を塞ぎながら慌てて部屋の隅に逃げ込んだ。
やがて煙が部屋中を埋め尽くすとシェイスの意識は遠のいていった…
「運びだせ!すぐに始めるぞ」