第9話 初めての白化制御
訓練施設の空気は、重く、冷たかった。
ただ一歩立つだけで、胸の奥に鉛のような緊張がのしかかる。
「いいか」
異能対策局の男は無機質に言った。
「"怒り"を思い出せ。あの日、何が君を動かした?」
隣は、静かに目を閉じた。
──アオが、不良たちに囲まれていた。
──嘲笑され、殴られ、地面に倒れていた。
──自分は、それを見て、無力だった。
怒りが、胸の底からじわじわと湧き上がる。
血が沸騰するような感覚。
(──アオを、守りたい)
ギリッ、と歯を食いしばった。
だが──
「まだだ」
男は、容赦なく告げた。
隣の髪は黒いまま、指先も、心臓の鼓動も、何一つ変わらない。
「感情だけじゃダメだ。もっと、深く入れ」
「……っ!」
隣は、必死に記憶を掘り起こした。
アオが泣きながら、自分に助けを求めた顔。
それに応えられなかった、自分への怒り。
(守れなかった……)
(二度と……あんな思い、したくない!!)
──ドクン。
心臓が、大きく跳ねた。
髪の先が、わずかに白く染まった──
が、それは一瞬のことで、すぐに黒に戻った。
「惜しいな」
男は冷笑した。
「けど、初回にしては上出来だ。普通はまったく反応しない」
隣は、膝に手をつき、荒く息をついた。
(くそ……)
(こんなにも難しいのか……)
白化は、怒りだけで起きたわけじゃない。
あの日は、恐怖も、絶望も、全部混ざり合って、
ただ無我夢中だった。
今は、それを"自分で起こす"必要がある。
「まだ、やれるな?」
男は、冷たく問いかけた。
隣は、顔を上げた。
汗で額が濡れていたが、目は決して折れていなかった。
「──はい」
かすれた声で、それでも力強く応えた。
(アオのためにも、絶対に)
(この力を、手に入れるんだ──!)
訓練は、まだ始まったばかりだった。