1、地獄の始まり、そして終わり
やー!やー!皆さん初めまして
早速で悪いんだけどあそこ、見てご覧よ
どこよりも深く、どこよりも暗く、もし生物がその場にいたのなら数秒と経たずに朽ち果てるような苦痛の蔓延している、そんな場所に意識を持った【それ】が揺らめいている。
『………』
【それ】が最後に言葉を発したのは何万年前だったか、誰もいないこの場所ではそれを知るのは当人だけなのだが、当人もそんなこと知りはしないし気にすらしていない。
そんな場所に何故【それ】がいるのかと言えばそれはむかしむかし、それはもうはるか昔の出来事のせいでありました。
聞きたいかい?
そーんな興味無いフリしないで、ここにいるってことは聞きたいんだろ?
あー、ごめんごめん。そんなイラつかないで聞いてってよ!
おや、時間をくれるのかい?
ありがとう、それじゃあ聞かざあしょう。
これから話すのはこの物語の前日談だ
とある村に茶色い髪を後ろでひとつに括りせっせと畑を耕す十五歳ほどの少年がおりました。
その少年には母はおらずもう廃人となった父しかおらず、家族の分も働かなければいけないのでしょう。
それはそれはせっせと働いております。
いや、家族の分だけではありませんね、今やほとんどの村人が廃人となっているので村人の分ですね。
少年の住む村にチラホラと立つ家屋はどれもボロボロで雨風を防ぐことすら困難そうで村の住人の目も皆虚ろなものでした。
それもそのはず、その村はここ数年飢饉に見回れており作物は痩せた野菜しか収穫できず狩猟の対象の動物たちも年々減っていきここ暫くは一兎を村の住人全員で分けて食べたほどだ。
村の住人は十九人ほどでその人数で分けたものだから一人が食せた量など一口程度だったのだが、それでも貴重な栄養源に誰もが有り難そうにたべていた。
こんな安息とは程遠い日常を送りながら目が死んでいない者が三人ほどおりました。
一人は先程から黙々と畑を耕す茶髪の少年、他の二人ははその少年の畑の端で藁を編み込んでいる黒髪を肩辺りで切り揃えている少女に畑と川を行き来して水を運んでいるこちらも黒髪の少年だ。
三人は皆同じ歳くらいで仲もよく協力して毎日作業に取り組んでいた。
見たとこどうも少女は茶髪の少年に気があるようで作業中もちらちらと茶髪の少年の方を見ている。
黒髪の少年もそれに気づいて茶髪の少年をからかい出す。
「おーい、モネ!またカイルの方ばっか見て手が止まってるぞー!」
「な、何言ってんのよ!ち、違うのよカイル、たまたまちょっとだけ休憩してただけなのよ?」
「そんなこと言って、ずーっとちらちら見てたじゃないか。ったく熱烈なこって」
「ズオウ!」
茶髪の少年はカイル、少女はモネ、黒髪の少年はズオウと言うらしい。
言い合うモネとズオウを見ていたカイルが笑い出す。
「おい、何笑ってんだよ」
「いや、村はこんな調子なのに二人は相変わらず元気だなって」
「ほんとよね、ズオウってなんでそんな元気なのよ」
「カイルは二人って言ったろ、ほんと都合のいい耳してるよ……」
三人は顔を見合わせる。
「「「ぷっ、あはははは」」」
いっせいに笑い、ひとしきり笑い終わったらそれぞれが自分の仕事の持ち場に戻る。
そんな確かな幸福の時間がここにはありました。
願わくばこの光景がずっと続いて欲しい、そう思ってはいたが飢えというのは残酷でそんな時間は長くは続かなかった。
一年もそんな生活が続けば当然、精神面だけでなく肉対面的にもガタが来て死んでしまうものが現れ始める。
日に日に少なくなっていく村人、十九人だったのが十八、十五、十一、とどんどん減っていきその分食料が増えるかと思えばそんなことはなく、生き残った住人は明日は我が身かと考えていくようになった。
骨と皮に必要最低限の筋肉だけを搭載した体では動くだけでもしんどいのだろう。
皆、自分の家に引こもるようになりもはや何人生きているのか誰も把握できなくなってきた頃、しかしそんな時も生きる希望を見失わなかったのは、カイルとモネの二人だった。
なぜこの二人が正気でいられたのかって?
決まってるだろう?
愛だよ、愛
あー、今そんなベタなって考えただろう?
いやいや、存外馬鹿にできないよ?
苦しい時でも愛する誰かがいるから頑張れる、前を向ける、耐えられる、そんな場面は意外と多いんだよ。
実際、二人とも他の家にひきこもっている村人と健康上はそこまで変わらない、むしろ働いている分引きこもっている村人よりは疲労も溜まっているだろう。
それなのにまだ腐らずに目に生気を宿しているのは精神的作用から来るもの、つまりはお互いがお互いを精神的支えにしているわけだ。
これを愛と呼ばずして一体なんと呼ぶか!
……おっと失礼、ちょっと興奮してしまったようだよ。
まぁ、つまりは彼らは二人揃う事で現状に耐えているということで、現状を耐えれているなら重い病気などしなければ二人が揃っている限り細々とではあるけど生きて生き続けれるだろう。
しかし、逆に言うなら片方に何かあればもう一人も今のように活動することは出来ないということ。
死を数えるしかない村人達と共に生活している順調そうな二人、その事件は起こるべくして起きたという他ないだろう。
いつものように日の出と共に家から出て川に仕掛けた罠の成果を見るついでに顔を洗い水を飲む。
それから各地にしかけた罠の成果を見に行き生き物がかかっていないか獣の痕跡のひとつでもないかと探し回り収穫があれば捌いて村人に配りなければそのまま戻る。
その日は運良く久方ぶりにうさぎが罠にかかっておりそれに誘き寄せられた蛇まで捕まえることが出来た。
カイルは急いで村に戻り獲物を捌きだす、しかしここでふと気になることがあった。
モネが起きてこない、いつもであればカイルが罠を確認して帰ってくるまでに起きて畑の横に座っているのだが何故か今日はまだいない。
嫌な予感が少ししたがせっかく手に入った肉を無駄にする訳にもいかないので、たまたま遅い日なんだろうと、そのうち起きて来ると考え目の前の獲物を捌くことに集中した。
それが後の悲劇を増長させる判断とは思いもよらずに……
獲物も捌き終わり、村人の数分切り分けることができカイルの心は当初とは獲物が取れた時の喜びとは正反対の不安の真ん中にいた。
捌くのにはそれなりに時間がかかった、それなのにモネが一向に起きてこない。
親友だったズオウが起きてこなかった日を思い出す。
前日までは元気そうに話していたのに起きてこないなと家に見に行ってみたら彼は他の村人と同じように塞ぎ込み虚ろな目をしていた。
その時感じた恐怖感が再びカイルの胸中を襲う。
見たくはなかった、光の消えた瞳をしたモネの姿を見て自分も正気を保てる気がしない。
カイルはきっとそう考えていることだろう。
しかし見なければならない、肉を全員に配らなければならないし、もしかしたら軽い病気で体調が悪いのかもしれない。
それならば助けに行かなければ逆に後悔をすることになる。
今のカイルの胸の内は不安感や心配、虚栄なんかでぐちゃぐちゃなことだろう。
それでも意を決してカイルはモネの寝る住居の扉に手をかけ勢いよく開けるとそこには誰もいなかった。
考えてもいなかった事態に混乱したのかカイルはそこでしばらく動きが止まる。
しかし、直ぐに彼の思考が軽くなる。
あぁ、きっともう家から出てどこかにいるんだ!
俺と同じ勘違いをして入れ違いでもしかしたら罠の確認に行ってくれたのかもしれない!
いや、軽くなったと言うよりこれは無意識なのか意図してなのかは分からないけれど楽観的に考えるようしていね。
カイルは入れ違いの可能性は既に考えてモネの家に入る前に一通り村の近くは探し回っていた、それなのにいなかったから意を決してここに来たのだ。
そして本人もそれをわかっているのだろう考える。
それなら彼女は一体どこに行ったんだ?
思い当たるのは一つだけ、ズオウの家だ。
カイルもたまにズオウの家に行って何度か親友の様子を見に行ったことがある。
もしかしたら、昔の元気なズオウに戻っているかもと無駄な期待をしながら。
しかし、モネがカイルの家に行ったなら少なくとも希望をなくした訳ではないのだとほんの少しだけ先程よりは軽くなった心持ちでカイルの家に向かう。
しかし何故だろう、今は今朝より嫌な予感が強まる。
少なくともモネが他の村人のように腐ってしまうという最悪の自体は免れたはずなのに何故かカイルの心は一歩踏み出すごとに重くなる。
モネの家からズオウの家はそう離れていないのですぐに着いた。
扉に手をかけズオウの家に入ろうとすると家の中からタンッタンッとリズム良く何かを叩くような音がかすかに聞こえる。
なんの音だ?とカイルは疑問に思ったが入ればわかる事だとあまり深く考えず扉を開けると絶望の景色がそこにはあった。
見覚えのある服だったであろうビリビリに破かれた布切れが床に散らばっておりその中心でガリガリの体をさらしたズオウがうつ伏せでぴくりとも動かないモネに跨り腰を振っている。
顔が見えなくてもモネだとわかるほどに見なれた体にはところどころ切り傷や内出血が出来ており、抵抗をしたのかモネの手元の床は引っ掻いたような傷が沢山できていてその場にある両方の手の先には爪がなく出血している。
あまりの現実に理解が及ばず立ち尽くしている間もズオウは目の前に立つカイルの姿に気づくことなく腰を振り続ける。
意識が戻ったカイルは走ってズオウを突き飛ばす。
ズオウは抵抗することも無く軽々と後ろに吹き飛ぶ。
急いでモネを抱き抱えると意識は無いが脈はある。どうやら死んではいないようだ。
その事にホッと安心した後に壁際にモネを移動させ自分の服を着せた後、ズオウに詰寄る。
「おい、ズオウ!お前何してるんだ!
モネのあの怪我はなんだ!説明しろ、ズオウ!」
憤るカイルに怒鳴られズオウは薄く笑う。
「なんだよ、お互い気持ちのいいことしてただけだろ?」
「お互い?ふざけるなよ、モネのあの姿をみてよくそんなふざけたことが言えるな!?」
飄々と答えるズオウの態度に更に怒りが積もったカイルはズオウの横顔を殴り飛ばす。
しかしそれでもズオウは虚ろな目でへへへと笑う。
「畑仕事にも出てこなくなって俺たちがどれだけお前を心配してたと思ってるんだ!モネがどれだけ心痛めたと思ってるんだ!」
もう一度殴ろうとカイルが掴み掛るとその言葉に逆上したズオウがカイルを突き飛ばす。
「偉そうなこと言うなよ、お前はあのままでもモネが嫁さんになってくれるから気楽に居られただろうよ。お前らは考えたことあるのかよ。それを永遠と見せ続けられる俺のことをよ」
それはずっと昔からのズオウの本心だった。
歳の近い者はカイルとモネしかおらず、互いは恋仲に近い状態。他の村人はほとんど死人のような状況。
未来を考えれば考えるほど己には幸せな未来などないのではと思うようになっていた。
そうして虚ろとなった日々、気まぐれに来たモネに自分の欲望をぶつけた。
「どうせ俺達はもうおしまいだ、だったらよ全員でいい思いしてから死のうぜってなったんだよ」
「全員ってなんの……ッ!」
バコッ!と大きい音が鳴り響いた瞬間後頭部に大きな衝撃がはしる。
「いったい何を………」
目の前が真っ暗になっていく中見えたのはズオウの虚ろな目でニヤけた顔だった。
タンッタンッタンッ
肉を叩くような音に意識が戻る。
俺は一体何を……
意識を取り戻したカイルは上手く思考がまとまらずぼんやりとしていると頭が酷い痛みに襲われる。
しかしその痛みのおかげで意識が戻る。
そうだ、モネ!
モネを助けないと!
カイルはズオウの部屋の端で放置されていたらしく目を開き周りを見渡せばすぐにモネとズオウの姿が見える。
しかしそこにはそれ以外のもう二人意外な人物が目に映る。
「おい……何してんだよ……
……なんで、ここにいるんだよ……親父!」
そこにズオウと共に裸で必死に腰を動かしていたのはとっくの昔に廃人と化していたカイルの父と、同じく廃人となっていた村人のひとりであった。
「目覚めたのかカイル、言ったろ?全員で楽しもってよ。知らなかったか?もうこの村には俺たちしか生きてねぇんだよ」
カイルの存在に気づいたズオウが腰を動かしながら話しかけてくる。
よく見ればカイルの父の近くには太い血のついた木の棒が落ちており血痕が自分のところまでぽたぽたと続いている。
直ぐにあれで後ろから殴られたのだと気がついた。
「ほら、そんな顔してないでせっかくだからお前も楽しもうぜ?な?」
軽薄な態度で誘ってくるズオウに、こちらを一瞬たりとも見もせずに腰を動かす父であった男と村人の男。
その中の男どもに重なって手や足先しか見えないが動く気配のないモネ。
その景色は人を鬼にするには充分なものであった。
ゆらりと立ち上がり音もなくズオウに近づくカイル。
「はは、次はお前にさせてやるよ。気持ちいいぞ?」
誘いに乗ったと思ったズオウがモネから少し離れようとしたところでカイルは床に落ちていた血のついた棒を拾い勢いよくズオウの顔面にたたきつけた。
一撃であった。元々ギリギリの体力しかなった男がほとんどの力を使って強姦をした。
そこに強烈な一撃を顔面に喰らえば即死するのは自然な事だ。
顔面の凹んだズオウはそのまま後ろに倒れると痙攣しやがて動かなくなる。
突然の出来事に動きを止めた父と村の男、その隙も見逃さず村人の男の方も木の棒で を振り下ろすと首があらぬ方向に折れ曲がり倒れる。
「ひ、ひいいぃぃぃ」
ようやく事態を把握した元父が急いでカイルから離れようとするがずっと動いていなかったせいで瞬時に動くことが出来ず先程の二人と辿る未来は変わらなかった。
男三人を殴り殺したカイルは木の棒を捨て、モネの頭を抱き抱える。
かろうじて、かろうじて息をしているモネを抱きしめカイルは涙を流す。
「ごめん、ごめん、俺が朝一でもっとちゃんと探していれば…………もっと早く君に気持ちを伝えていれば」
たら、れば、それは意味を持たない後悔の言葉だった。
言葉にしたところで考えたところでどうしようもない結末。意味の無い言葉。
しかし、言葉に意味はなくとも彼の流した涙には意味があったようだ。
「かい……る……ごめ……ん、ね」
カイルの涙が一粒、二粒とモネの顔に降り注ぐ。
それのおかげで意識を取り戻したのか定かではないが意味はあったのだろう。
何に対してか謝罪の言葉を放つモネに意識を取り戻したとカイルが気がつくと急いで顔を見合わせるようにモネの顔を覗き込み声をかける。
「モネ!ごめんな!痛かったよな、キツかったよな……助けてやれなくてごめんな……」
「カイ……ル、だ……いす、……き」
しかしそんな、カイルの悲痛な言葉は届かずモネは愛の言葉を囁いてそのまま息を引き取った。
「モネ!モネ!モネ!」
少年はその村で最後の住人となった瞬間から日が落ち、また登るまで彼女の名前を叫び続けたのであった。