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百合耳かき・無題

作者: 地ゐ聞

今日の月は円く、灯りをともさずとも部屋の中を見渡すことが、できるほどだった。

外は騒がしい。構内の通りに近いこの屋敷は、祭の夜には、人と火で満たされている喧騒が伝わってきて、実に騒がしかった。

「はー」

満がちょうど縁側にいたときのことだが、うんざりした様子で万がやってきた。

受験の追い込みは、夏にやってくるとはいえ、なかなかに気の毒な様子だ。はっきりいって、万の成績はよくなく、それを無理をして難関校に挑もうとして、学校の教諭たちにもだいぶいさめられたのを聞いている。

(まあ、そうか)

満は今日の仕事はほど終えて、縫物をしていた。すべて終わったわけではないが、休憩中は、こうして自分のことをする。

満は、声を掛けた。

「お飲み物を?」

「頼むよ」

万は、言って、ころんと行儀悪く寝転がった。いつものことではあるのだが、服が皺になる。あと髪に癖がつく。

そもそも畳敷きも縁側も、そりゃ雑巾がけや、箒も叩きもかけているが、じかに寝っ転がるなど満の眉を内心ひそめさせる行為だ。

万は動かず、着流しの浴衣の裾をだらんと伸ばし、腰まである髪は、やや末広がりになるものの、真っすぐで、それが渦を巻いていた。

とまれ、満は茶を淹れに行った。和室ではあるが、紅茶を置いてある。

氷を鳴らし、ポットから湯を注ぐ。

すたんすたん、と、足音を摺りながら、部屋に戻ると、万は起き上がって、縁側から外を見ている。

万の隣に衣擦れをさせつつ、紅茶を置く。

「どうぞ」

「あい」

万は、よく冷えた紅茶を飲んだ。喉が動く。

行儀が悪うございますよ、と、満は、心中で言いつつも、そのときには、傍に控えていた。

庭を見ている。

しかし、なにがあるわけでもない。

万は、テイカップを置くと、無言で空を見ている。こりゃよほどぼうっとしているな、と。

銀色じみた、真っすぐな髪が月光に映えている。

櫛を、と、満はなんとなく思った。が、動かずにいた。

「今日、月大きいね」

万は言った。

「そうですね」

満は言った。そのうち、ふと思い立ち部屋の電気を消しに立った。灯りが消えると、月がよく陰を落として、部屋が昏くなった。

満は、万の横に戻ってきた。万はまだ月を見ている。手にはテイカップを持って、行儀悪く、ながら飲みをしている。

満も月を見た。

花鳥風月ってそういえば言うな、と、そのとき思った。

万が紅茶のカップを置く。

シンとした沈黙が、聞こえる。

虫の音が周回していた。夏のまひるの日差しを避けた、ほっとしたような、騒がしい求愛のオーケストラ。

(そんないいものではないな)

静寂。

すとん、と。

気がつくと、膝に重みを感じている。

隣にいた万が、満の膝に頭をのっけたのだ。

そのままごろごろとするのが、布ごしに感じられる。

服のすそが乱れるんだよな、と、満は思いつつ、月を見たまま、目だけ動かしていたのを、戻した。

まんまるおっつきさま。

そのままそこにある。

「あ゛~~」

万が言う。言いたいのは、満であったが、目じりをさげつつ、呆れながら言う。

「痺れますよ」

「うん」

「おぐしがひどいことになっていますよ」

「うんうん。わかるわかる」

「返事が……」

満は、ややまなじりを上げたが、ごろんとなった万の耳をふと指で髪をかきわけてみた。

(かわいいおみみ)

「まんさま。少々どいてください」

「ん」

万は、素直にどいた。

満は、つと立って行くと、畳をすりながら、座った。

近くの戸を開け、中に入っていた小物の中から、耳かきの棒を取り出す。木でできた芯の尻に、ぼんてんが乗っている。

戸を閉めると、再びつと立って、静かな様子で、また同じように縁側に戻る。

万は、紅茶に口をつけ、だらしなく足を投げ出していた。

大がつくほどの金持ちの家ではないが、血筋のせいか、家柄に厳しい。

幼い頃から行儀作法を叩き込まれてきたのは、知っている。でも内実はこんなもんである。

縁側に戻ってくると、満は、座り、さっきと同じように万に、膝に横になるよううながした。

「あ~~」

万は、紅茶のカップを置いて、さっさと頭を横たえた。

とはいえ、自分で動く気はないようである。

庭を見て、腕を枕にするかわり、膝を枕にほほを埋め、指先は縁側の木の木目を撫でている。

満はいう事もなく、失礼します、と、も言わず、そっと耳の辺りを櫛を入れて、万の髪を梳き始めた。

万は、急に触られて、くすぐったそうに細く目を開けた。

近くの蚊取り線香を引き、骨董品のあんどんに、明かりを入れる。

しばらく、万のゆたかな艶をたたえた髪を、静かに梳く。

万の髪は、黒い色に、どこか銀めいたかがやきが混じっている。

ので、普通の黒髪とは違っていた。綺麗な髪と満は、幼い頃から彼女を見てきて、ずっと想っているが、本人は、性格上、周りと違っていることが、それよりも気になるようだ。

我が子を束縛はしない、と、満の遠縁にあたる、万の父親などは言う。体面から後妻をもうけないと言われ、陰でひそかに、「たいしたひとだよ」と言われつつも、「しかしあれではまんさまは不憫だろうね」と、耳に届くようには言われている。

別に特別なのではない。いい家柄というのは、少しでも目立てば、世間からの声もよく聞こえるものだし、世間がそうだ。

すう、と、万が寝息のような音を漏らした。

「勉強のほうは順調にいっている?」

満は、尋ねた。

万は言った。

「いってるよ」

「そのようですか」

「こっち。梳いて」

「お耳を掃除しようと思っていたのですけれど」

「いいじゃない」

「寝転がったままでは」

満は、口うるさくなりかけたが、万は起き上がらない。

(せっかく梳いても、ごろごろ転がっては、しようがない)

しかたなく、膝にあごをのせるようにさせる。

窮屈な姿勢だろうが、万は、いかにも楽でなさそうな姿勢ながら、満の膝にしがみつくようにして、髪を後ろへ流した。

除湿機が、耳障りな音を立てている。

ぱた、ぱた、と、万の足袋の肢が動いた。ゆったりと拍子をとっているような、心の中で子守唄が響いてきそうな、なんとものんきな仕草だった。

髪を梳く。腰まである、万の髪はひっかかりのひとつもなく、まあ、受験のストレスが大変なものだろうに、若いというのはうらやましいことだ。

髪を梳く。髪を。

(そういえばにきびは悩んでいたな)

思い起こし、自分のときはどうであったか、満は思いを馳せた。すぐにやめる。

万とは五歳も離れていないが、自分のときとでは、だいぶん、今は違うものだろう。そのような世の中だ。

「……。はい。もういちど、頭をこちらへ」

「はい、はい……」

万は、なにがおかしいのか、口元がややゆるんでいた。満は、構わずに、少し頭の横を撫でて、耳をそっと触れた。

万が、もぞもぞとする。

くすぐったかったのだろう。

少し、力を抜いて、万の耳を、そろそろと支え、慎重に耳かきのヘラを進めていく。

「外から始めますね」

満は言った。

万は無言である。とはいえ、耳かき中に喋るのもない。

形の良い、と、満には見える耳は、実はそこそこ大きめである。

わずかにではあるが。

万が恥ずかしがっていることは、知っている。とはいえ、余人には言わないほどコンプレックスではあるようで、満がこの家で働き始めた年頃のころには、当然人に言うようではなくなっていた。が、満にぽろっと言ったことはある。

「秘密よ」

と、念を押された。

内心思いだしながら、かり、かり……と、心を無にして、擬音を時折思い浮かべる。

人の耳を触るわけだから、わりかし見た眼より集中力がいる。

万は、耳が少し弱いため、あまり触らないことも心掛ける。くすぐったくなるからである。

気をつけて触るというほうが正しい。

不思議な耳のこりこりした軟骨のような、渦巻きを掻いていく。満は、なぜか万の耳の中を水流に沿って漕いで行く舟を思い浮かべた。

(詮ないなぁ)

かりかり、かり。

かり……かり……かり……。

「おかゆいところは?」

万は無言である。目を閉じている。やや不満のよう……にも、見えるが、そうでないようにも見える……。

かりかり、かり。

かり……かり……かり……。

ぽん、ぽんと、指先で、万が、満の膝をたたいた。

「はい」

満は手を止めて、話せるようにした。

「敬語。あと、……名前」

「まん、これでいい? ……」

「いいよ、みち」

万は言った。

それから、満がじっとしていると、とん、とんと、また指先で、膝を叩いてきた。

満は、耳かきをうごかして、また掃除のつづきを始めた。

万は、目を閉じている。心地よさそうにも見えるが、横顔。

……満は、自分がそういうところもあるのだが、人の内心をはかりにくい。

付き合いが長く、成り行きで親密な仲を結んだ万に対しても、それは同じで、だが、そういう欠点を承知して、どうにか補うよう心掛けて、なんとかやりくりしている。

何を求められているのかわからない。だが、こうすべきだろう。

何を感じて、そのような表情をしているかわからない。だが、こうすべきだろう。

何に……して、そういう表情をするのかわからない。だが、こうすべきだろう。

だましだまし、行動で補うことで、わからない溝を広がらないようにしたり、埋めたりしてきた。

「……」

……。

……。

……。

(どうして何も言わないの?)

そのように、不意に、なんとなく思い、胸の中がほんの少しのあいだ、千々に乱れた。

その空隙も、行動で埋めていく。

奥。

耳の穴の周りをくすぐると、万は、蕩けたようになって、手足をほどいた。

寝息の音が、ふくらみのようになって、耳朶をくすぐる。

満は、自然と、しーく、と、口元を解いていた。

とん、とんと、耳かきのあいまに、梵天で、細かいのを取ると、ぴくりと時折震えたり、吐息を漏らした。

なんとなく煽られている気分にもなってくる。しかし、その自分の中の、熱を帯びかけたものを、また、濡らした布巾でくるむようにするのも、なにか心地いい。

(ああ……そうか、)

満は、鼻だけで、細く息を抜いた。肩の力が抜ける。

自分は、気を張っていたようだ。

くすくすと、しのび笑いをする。

万は聞こえなかったのか、いや、……ねこけていたようだ。でも、その耳悪しく響いたものには反応したらしい。

起きた。

「……うん? みち」

「なに?」

「酔ってる?」

「酔っていません」

「そうか……酔っているときのみちはお酒臭いものね」

「お酒臭くはありません」

「そっかな」

万は言って、鼻からスッと息を抜いた。

満の膝にかかる重みが、わずかに増した。

喋っている途中、耳かきが止まってしまった。続ける。といっても、すこしばかり大きいのがあって、それを、満はうまいこと掬い上げて、とんとんとちり紙を鳴らした。

それで片方の耳は終わったようだった。満は、少し目を眇めるようにして、万の耳のそばをおさえた。

なんのけない仕草だったが、万が、可愛い声を漏らした。

満も、そのつもりではなかったので、謝ろうとした。

で、いたずらな心も同時に沸いた。

……あまりこういうことは、しないほうがいい。

耳に口を近づけて、ふーっと、息で耳の中を撫でる。

万は、ますますくすぐったいようだ。

……。

「……なに?」

満が、耳朶に唇をつけたので、万はひゃっとでもいうような反応をしてから、満を、じろりとにらむような目で見てきた。

「まんさまがわるいのですよ」

「敬語」

「まんのみみにふれたい」

満は、言った。それから、困ったように眉根を寄せた万の耳に、覆い被さるように、手をぐっとしたのを、自分の口に近づけて、それを万の耳に押しつけた。

「……」

みち、と、万が視線で言っているような、そんな顔をして、それから、本当に今度は当惑したように、目を泳がせた。

(……)

こしょこしょ、と、満は、言葉を吹きつけた。

……。

「……」

(……――)

「――!」

おみみが真っ赤、と、いうと、万は、みるみる顔を赤くした。

間近でそれを見やってから、硬直したようになっている万から、一拍おいて、満は、身体を起こした。

名残惜しい、万のぬくもりが、じんわり触れていた手を痺れさせた。

「さ。こちらは終わりましたから……反対に」

「……もういっかい」

万は言った。

「はい」

「もういっかい、さっきの」

「あら」

「ちがう。耳を吹くの。あれが気持ちいいから、もう一回やって」

じゃないと、反対にいかない、と、万は言った。

満は、むらむらと、煮えるものを感じつつも、今度ははっきり微笑んだ。



月が上り。


そんな時間が経ったわけでも、それはなかったが、耳かきをじゃれあいながら、(おもに満がいじりながら)終え、万は今は膝の上に頭をのせて、寝そべっていた。

疲れているのだろうか。

疲れているとしたら、今の耳かきが原因と思わないでもない。

思わないでもない、ながら、満は、おとなしく座っていた。万はへんな沈黙を保ったまま、月を見上げて動かない。

「すん」

万は、妙な声を漏らした。

ともかく立ち上がり、満の膝からどけた。

「いいんですか?」

「いつまでも貸してたら、サエキさんが嫉妬しちゃうよ」

万は、満の婚約者の名前を出した。

もういい歳だが、紆余曲折あっていまだ恋人のままだった。

男と付き合うと、女は雰囲気が変わる。匂いも変わる。

(なんでそんな)

らしくもないことを、と思いつつ、満は、そっと胸に手をやった。

万が大学に合格できるかはわからないが、彼女が望んでいるのは遠くの大学で、一人暮らしになる。父親が心配している。母親は、意外にもあまり心配していないようだった。

万の父親は、普通の人で、家柄もちながらの人格はあるが、感性は、常のものだった。母親は、自分が少しばかり変わっているのを、自覚しているような人だ。

満は半々だが、それよりも、彼女が自分の婚約者の、名前を口にするのがつらい。

大人である。万が子供であるのも知っているが、脆い。

満の顔を見て、万は、見下ろして、じっとしたあと、ちょっとかがんで、耳もとに口を寄せた。

耳朶を舐める。

「ひゃっ」

満は変な声をあげ、万を見上げた。

「真っ赤」

万は言って、欠伸をしながら、廊下に出て行った。

満はやられた、という想いを噛みしめながらも、なんともいかれないことに、胸を詰まらせた。

泣いてはいない。

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