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さよなら、私のホールデン

作者: H2O(みず)

ちょっとした短編小説です

思いついた事を書いただけの駄文なのでそれでも良い方は読んで下さると幸いです


中学2年生の夏休み、俺は家出をした


その頃の俺の家は両親が毎日喧嘩をしていて2人の歪み合う姿と声にうんざりしていたからだ

限界が来ていた俺は中1の12月頃に目標の資金が貯まったら機会を見計らって家から出て行ってやろうと決めた

結局金を貯めるのに時間がかかって決行は中学2年の夏休みになってしまった訳だが


終業式の前日に貯めた金と荷物を準備して駅のコインロッカーに予め入れておいた

翌日はスマホと書き置き(どれ程うんざりしていたか書き殴っただけだ)を自分の部屋に置いて1学期の終業式に向かい、式が終わったら帰らずにそのまま駅まで行った


コインロッカーに入れたバックパックを取り出し、丁度ホームに着いた何処に向かうかも分からない電車に飛び乗り、見知らぬ駅に適当に降りてコンビニに寄ったりどんな街なのか見ながら当ても無くブラブラした


家出をしたからといって別に行きたい場所がある訳でも無いし

とりあえず道の続く先に気の向くままに歩くことにして駅前を離れ閑静な住宅街を通り過ぎ、段々と周囲の風景が田んぼと畑になりつつあった頃には、もう日がとっぷりと暮れていた

「そろそろどっか探さないとな」

荷物にはテントもある

野宿が当たり前になるだろうと想定して道具と食料も持って来た

誰にも邪魔にならなそうな場所を探していると、ボロボロのトタン屋根の待合所があるバス停が見えた

「あそこで休めないかな」

テントを張る手間を考えると廃墟なりこういった屋根付きの場所があると有り難い

本当にバスが来るのか疑わしい程のボロさだが、周囲をコンクリートの壁で囲んであって雨風はある程度凌げそうだ


バス停に近付くと凹型のコンクリート壁の中に長椅子が置かれているのと、それに座る誰かが見えた

暗さも相まって幽霊でもいるのかと一瞬冷や汗をかいたが、すぐにその人影が黒のセーラー服を着た女子であるのが分かった

「あのー、、、」

声を掛けてみたが、椅子に座って俯いたまま動く気配が無かった

よく見るとその女子のセーラー服は汚れてボロボロで

長い黒髪は毛先がボサボサになっていて

俺と同じ様に当てもなく彷徨っているんじゃないかと思えた

「大丈夫ですか?」

俺の声に気付いたのか俯いていた顔を上げたその女子は、まるでこのまま死んでしまうのでは無いかと思わせる程の儚さがあった


「あの俺、草薙匠(くさなぎたくみ)って名前です」

とりあえず自己紹介をしてみたが彼女は答えなかった

『グウゥゥゥ』

が、代わりに彼女のお腹が大きな音を立てて返事をした

「ふっ、、、」

あまりの綺麗なタイミングに思わず吹き出してしまった俺を睨む彼女の顔は恥ずかしさからかみるみる赤くなっていった

「何か食べますか」

「、、、大丈夫」

『グウゥゥゥ』

「貴女のお腹は大丈夫じゃ無いみたいですけど?」

再び盛大に鳴ったお腹を押さえながら参ったなと呟いて、観念した様に彼女は首を縦に振った

「とりあえず、これどうぞ」

降りた駅前のコンビニで買ったメロンパンとお茶を渡すと、彼女は躊躇いがちに手を伸ばして受け取った

「、、、ありがと」

もそもそとハムスターみたいにメロンパンを齧る彼女の袖口から、微かに腕に痣が見えた

何処かでぶつけたのかと思いながら彼女を見ていると、視線に気付いたのかこちらを見返してきた

「貴方、、、バックパッカー?」

「いや、ただの家出少年」

「そっか、、、何処に行くの?」

「特には決めてない」

「ふーん、、、」

彼女はまたメロンパンに口を付ける

彼女は175cmの俺より身長は少し低かったが、その横顔からは大人びた印象を受けた

「貴女も家出?」

「貴女はやめて、、、星宮志乃よ」

「じゃあ、星宮さんも家出?」

「志乃でお願い、、、そんな感じかな」

手元のメロンパンを見ながら志乃さんは呟く

「お父さんと色々あって参っちゃってさ、、、一緒にいたくなくって」

「そっか、俺も両親が喧嘩ばっかで家にいたくなくて」

「似た者同士だね私達」

「ははっ、、、そうですね」

そんな嬉しくも無い共通点でも俺達は笑い合い、少し打ち解ける事が出来た


「今日はここで寝るの?」

「そのつもりで覗いたら志乃さんがいたんだ」

「私もここで寝るしか無いかな」

「ならタオルケットがあるから使ってよ」

バックパックからタオルケットを取り出して志乃さんに差し出す

「貴方の、、、匠君のでしょ?」

「男の使った物は嫌?」

「そうじゃ無いけど、、、悪いよ」

「なら等価交換って事で、志乃さんの事を1つ教えて欲しい」

「なにそれ、錬金術師のつもり?」

クスクスと笑う志乃さんはもう少し気の利いた返しをしなよと言いながらタオルケットを受け取り、それにくるまってバス停の壁にもたれかかった


「私ね、今年で高校を卒業するんだ」

思ったより年上のお姉さんだったのか

「匠君は?高校生?」

「中学2年です」

「本当に?背も高いし落ち着いてるから同い年位かと思ったよ」

バックパックを枕にして志乃さんと反対の壁に寄りかかりながら「そんな事ないですよ」と謙遜でもない返事を返した


少しの沈黙の後、志乃さんはまた話し出した

「私さ、卒業前に一度でいいからやっておきたい事があって、それも家出した理由なの」

「何をしたいの?」

「デートがしたいんだ、出来れば好きな人と」

「いるの?好きな人」

「ううん、そんな余裕無かったし、、、皆んな私を避けるし」

「どうして?志乃さん美人だしモテそうなのに」

「ふふっお世辞をありがと」

お世辞では無くて本心からだったけど、年下に言われたからか軽く流されてしまった

「匠君こそモテそうだけどね、背高いし中学生には中々いない大人っぽい感じだし」

「そんなこと無いですよ、、、単にコミュ障なだけですから」

「でも私には話しかけてくれたじゃん?」

「あれは、、、志乃さんがあんまりにも消えてしまいそうだったから声を掛けなきゃって思って」

「、、、そっかありがと」

そんな話をしながら、気が付いたら2人とも寝てしまっていた

これが俺と志乃さんの出会いで、きっと何者にもなれなかった筈の俺が将来何になりたいのかを決定する旅の始まりだった


「やっぱり身体が痛いな」

すっかり朝になって、起きた途端に身体中がバキバキになっている事に気付く

次からはもっと寝やすい工夫をしないと、なんて考えていると志乃さんがタオルケットを畳んで渡してきた

「ありがとう、お陰で良く寝れたわ」

「それは良かった」

「、、、ねぇ付いて行っていいかな」

申し訳無さそうな顔をしながら志乃さんはそう頼んできた

「別に良いけど、、、もしかしてデートのつもり?」

少しでも場を和ませようと、冗談まじりの俺の答えに志乃さんは笑顔で合わせてくれた

「それでも良いけど、君じゃ役者不足かな〜」

笑いながらからかう志乃さんに釣られて俺も笑い、俺達の旅は始まった


「とりあえず何処か身体を洗える場所を探したいな」

昨日から志乃さんの髪の痛みが気になっていた

何日か野宿していたのか相当にボサボサになってしまっている

「それなら近くの街に銭湯があった筈だよ」

「私、人に見られる所は、、、って贅沢言える立場じゃ無いか」

「ならネカフェでも探す?」

「いやそもそも私お金無いし、我慢するよ」

「銭湯代くらい俺が出すよ」

「そこまで甘えちゃ悪いって」

「ならまた等価交換、志乃さんの事を教えて欲しい」

「またそれ?私の事聞いても楽しく無いと思うけどな」

そう言いながらも銭湯まで歩く道すがら志乃さんは色々話してくれた

1週間前に家を飛び出して2つ隣の県から来た事

衝動的に飛び出したから持ち物が殆どない事

2日前に所持金が尽きてしまった事


「あのまま死のうかなって気になってたら、君が来てくれた」

「もしかして、、、余計なお世話だった?」

「そんな事ない、久しぶりに人に親切にされて嬉しかったよ」

暫く歩いた所で運良くバスに乗れ、再び空がオレンジ色になって来た頃には昨日降り立った駅の近くまで着いて目当ての銭湯を見つけられた


「ねぇ家族湯で入ろっか?」

銭湯の入口で志乃さんが唐突にそう言ってきた

「えっ?!」

「あっはは!冗談だよ〜!」

とんでもない冗談を言われてドキドキする心を鎮めながら2人分の料金を払い、疲れた身体に沁み渡るお湯の暖かさが心地良くて、つい長湯をしてしまった


「志乃さんは、、、まだか」

男湯から出て畳が敷かれた広い休憩スペースに行ったが志乃さんの姿は無かった

空いてるテーブルの前に座りセルフサービスの水を飲みながら財布の中身を見て、今の所は余裕があるのを確認する

しかしこのまま2人で彷徨うのをどれだけ続けられるのだろうと漠然と不安に感じていると、志乃さんが女湯から出て来るのが見えた

「お待たせー」

志乃さんは会った時のセーラー服から、俺が貸した無地の半袖白シャツと膝下までの短パンに着替えていた

昨日見えた腕の痣は小さい物で、どうして付いたか聞くのも変かと思い特に話題にはしなかった

「人が少なくて助かったよ、服もありがとうね」

「それくらいはサービスしとくよ」

「それはありがとう」

クスクスと笑いながら志乃さんも水を取って来て俺の隣に座った

志乃さんの手には脱いだセーラー服と、一冊の本があった

「その本は?」

「これは私がいつも持ってる本なんだ」

所々が擦り切れて年季の入った表紙は、上下に青と白に分れていて白色の部分に何か落書きみたいな顔が描かれていた

「どんな話なの?」

「、、、私達にちょっと似てる話だよ」

ふっと目を細めながら志乃さんはそう言う

「主人公が高校を退学になって寮から追い出されて家に戻るんだけど、親と会いたくないからって放浪の旅をして、ガールフレンドに一緒に何処か遠くに行って2人で結婚なんかして暮らそうって言うの」

「俺たちみたいな家出の話なんだね」

「そうなんだ、でもガールフレンドにフラれて最後には家に帰るんだよね」

そう言うと志乃さんは俺の肩に頭を預けて来た

志乃さんの重さと体温を肩に感じ、またこの人にドキドキさせられる

「私はさ、このまま誰も私を知らない私の方こそ誰の事も知らない場所に行って、、、そこで、、、」

そこまで話して志乃さんは黙ってしまった

「志乃さん?」

きっと疲れが溜まっていたんだろう、志乃さんはそのまま眠ってしまった

閉店まではまだ時間があるしこのまま寝かせといてあげよう

「誰も俺を知らない場所、、、か」

この本の主人公はそこに行って何をしたかったのだろう

手を伸ばせば届く距離にその本はあったけど、そうする気にはなれなかった

いつか志乃さんに頼んで読ませて貰おう

そうすればきっと志乃さんに認められた気がするから


「いいから、1度親御さんに連絡しなさい」

居眠りから目覚めた志乃さんに家出までの経緯を話したら連絡を入れろと叱られて渋々公衆電話から家に連絡を入れると、開口一番に母親から謝られた

俺が家出をした理由をちゃんと分かってくれたらしい

「兎に角すぐに帰って来な」

家出の原因が分かってもらえた以上、意地を張る意味は無い、、、だけど

「ごめん母さん、夏休みの間だけ許して欲しいんだ」

そう言って俺の帰りを望む声を無視して電話を一方的に切った

電話ボックスの外で例の本を読みながら待つ志乃さんに、親に連絡を取った事を伝える

「じゃあもう帰っちゃうの?」

「いや、夏休みだけ帰らないって言って切ってやった」

「こらー!親御さん心配するでしょ!」

そう言いながらも志乃さんはとても嬉しそうに笑ってくれた


翌日から俺達の放浪は本格的になった

水と食料を分け合い、テントや廃墟で寝泊まりして次の街に行く

時にはヒッチハイクをして

時には定額のバスに終点まで乗って

海まで辿り着いてはしゃぎ回ったり

山の中に小屋を見つけて泊まらせてもらったり

街中で1杯の牛丼を分け合ったりして

他愛もない話やお互いの事を話しながら笑い合った


そうやって志乃さんと2人で当てもなく旅をする事がただ無性に楽しくて

このままずっとこうしていたいと

それがどんなに無理な事だと分かっていても

願わずにはいられなかった


「ごめん志乃さん、、、」

その時は8月に入ってすぐに来た

とうとう俺の財布が空になってしまったのだ

「謝らないでよ、私こそおんぶに抱っこでごめん」

身元と経緯がよく分からない学生を日払いで雇う様な都合の良いバイトがある筈も無く、空の財布を満たす手段は見出せなかった

誰かから盗む事も頭をよぎったけど、志乃さんは許さないだろう

結局俺達の反抗は、ものの2週間と少ししか持たなかった

俺の出発点から2つ隣の県まで辿り着き何処だかは分からない街を歩きながら志乃さんと話す

「私はとっても楽しかったよ匠君とのデート」

「俺も楽しかった、このまま何時迄も続けていたい」

「そりゃ私もだよ、、、ってああっ!」

ふと志乃さんが立ち止まって、突然胸の辺りををまさぐり出した

「志乃さん?」

服の中から出て来たその手には1万円札があった

「あった!すっかり忘れてたよ!」

「何処に隠してるんだよ何処に!」

「何処ってブラの、、、」

「言わなくていい言わなくて!」

一体いつから持っていたのか、だいぶくたびれた見た目をした1万円札だった

「それじゃあもう少しだけ続けるかい志乃さん?」

俺からそう言われた志乃さんは即答しなかった

何か思い詰めるような珍しく言いたい事を躊躇している様な表情で

「いや、、、やっぱり私の旅はここまで、この街が終着点なんだ」

そう言ってから俺の手を取って歩き出した

「だからこれがデートの最後、締め括り」

そのまま俺の腕を引っ張ってどんどんと迷い無く歩いていく

「ちょっと志乃さん?何処に行くんだよ」

歩き着いた場所は

「ここは、、、」

ラブホテルだった

「入るよ」

「ちょっと待ったぁ!」

思わず手を払って志乃さんを止める

「何でこんな場所に!」

「今までのお礼だよ」

「ふざけんなよ!そんな事のためにやってたんじゃない!」

正直、俺はここまで見損なわれていたのかとショックだった

「大声出さないでよ目立っちゃうじゃん」

周囲をキョロキョロと警戒する志乃さんを見てハッと冷静になれた

「ごっ、、、ごめん志乃さん」

「いや、私こそいきなりでごめん」

お互い相手を見れずに暫く気まずい沈黙が続いたが、それを志乃さんが破ってくれた

「そのさ、私が匠君と2人きりになりたいからなんだけど、、、駄目かな」

顔を赤くして上目遣いに志乃さんが言ったその言葉に心臓が痛いほど跳ね上がった

「、、、」

またも沈黙が続いて今度は俺が破った

「変な事をしないって条件なら入ってもいいよ」

「君は、、、本当に健全な男子かい?」

「もし志乃さんとそういう事をするなら、お礼とかそんな形じゃなくて、まずちゃんと恋人同士になってからにしたい」

そう言われた志乃さんは一段と顔を真っ赤にした

「なんだ?!口説いてるのか?!」

「あーもー俺も恥ずかしいんだよ!入るなら入ろう!」

クサい台詞を吐いてしまった恥ずかしさを押し込むかのように志乃さんの背中を押してホテルの入口に入った


しかし勢いに任せてロビーに入ってみたものの

「こういう場所って未成年はダメなんじゃ?受付の人にバレたら、、、」

「受付に人なんていないよ、ボタン押せばOK」

志乃さんがロビーに置かれている部屋の一覧表から1番安い部屋の決定ボタンを押すと、エレベーターの方に向かっていった

チェックインのシステムを知っている事実が俺の心にちょっとだけ影を落としたが、何故システムを知っているのか志乃さんに聞く前に部屋の前まで辿り着いてしまった


入った部屋は大きいベッドとテレビと冷蔵庫

そして、、、ガラス張りで部屋から丸見えの風呂場があった

「久々のベッドだ〜!」

志乃さんは嬉しそうにベッドに腰掛けて、俺は隣にあったソファに座った

「こんな風になってるのか」

「私も部屋に入るのは初めてだから結構新鮮だな」

それってつまり

「ラブホ自体には入った事があるの?」

「前にちょっとカラオケ行った同級生に無理矢理連れて来られた事があって、その気無かったからロビーでぶん殴って逃げてやったけど」

「あはは!志乃さんらしい!」

「匠君の私のイメージはそんなに酷いの?!」

暫くそんなじゃれ合いをしながら過ごしていると、不意に志乃さんが立ちあがった

「お風呂、先に入って来るね」

「は、、、はい」

思わず風呂場の方を見てしまう

ベッドからの視界は脱衣所と風呂場へのドアまでは壁で仕切られているけど、風呂場自体とベッドを隔てるのは1枚の大きな嵌め殺しのガラスだけだ

これはつまりベッドから風呂場にいる人を眺める為の構造なのか、、、

「ブラインドとか無いんだね」

余計な情報を志乃さんが呟く

「いーよ、見たかったら見ても」

「けっ、、、こうです」

「もう頑固だなぁ」

クスクスと笑いながら志乃さんは風呂場へ向かう

俺は風呂場に背を向けて、ただじっとベッドの方を見ながら動かずにいた


志乃さんが服を脱ぐ音

志乃さんがシャワーを浴びる音

志乃さんが歌う鼻歌

そういった音に全神経が反応してしまい、その度に心臓が跳ね上がる

そして風呂場のドアが閉まる音の後、志乃さんから声を掛けられた

「はい出たよ、もう見ても大丈夫」

「あぁ、、、緊張した」

安堵の声を上げてバクバクと跳ねる心臓を抑えようと必死な気持ちのまま振り返る



振り返った先に立つ志乃さんは、何も着てなかった



声が出なかった

欲情すらしなかった

ただ志乃さんの

今まで服で見えなかった身体中の

赤黒い痣と、小さい無数の火傷と、浅い切り傷の跡が

その色白で傷だらけの身体と

スラっとした肢体が織りなす

ある種の美しさに、目を奪われてしまった


「志乃さん、、、」

「えっち」

ハッとして目を逸らした

バッチリと志乃さんの全てを見てしまった罪悪感が心に湧き出して来る

「ごめんね、汚い物見せて」

「そんな、、、」

「お風呂入っちゃいなよ」

低く物悲しそうな声で促すと、志乃さんは俺に背を向けて裸のままベッドに潜り込んだ


俺は何も言えず、暫くそのまま座っていた

あの身体は一体何だったんだろう

志乃さんは何で俺にそれを見せたんだろう

グルグルと、考えても答えの出ない事を考えていると志乃さんが背を向けたままベッドの中で口を開いた

「ねぇ匠君」

「、、、何?」

「私を抱き締めてくれないかな」

「そういう事はしない約束だよ」

「抱き締めるだけ、それだけでいいんだ」

「でも、、、」

「お願い」

圧の籠った声で頼まれて、躊躇ったけど結局俺はベッドに潜り込んだ

ベッドは志乃さんの体温で暖かく、志乃さんの匂いがした

「触るよ」

志乃さんの背中にも痣や傷があった

その痛々しい背中に手を触れると一瞬志乃さんはピクリと反応した

「くすぐったいな」

「ごめん」

「大丈夫、続けて」

そのまま両腕で志乃さんの身体を包み込む

華奢な身体は、それでいて柔らかく自分の体に志乃さんの体温が染み込んでくる様だった

「匠くんの手、大きくって安心する」

志乃さんが俺の手と腕を撫でる

「志乃さんの身体も匂いも、とても安心する」

志乃さんの首筋に顔を埋めて深く呼吸をする


ドクンドクンと、心臓の跳ねる鼓動が互いに伝播していって

暫く2人して身じろぎもせずに

ただお互いの命の音と

そこにいる事を確かめ合っていた


「ねぇ志乃さん」

「なーに?」

「あの本でさ、主人公は放浪してどうしたかったんだろう」

「そうだねぇ、、、」

少し考えてから志乃さんは話す

「主人公、ホールデンっていうんだけどね」

「ホールデンはね、放浪の旅の中で人同士の軋轢の原因が言葉にあると考えて、その無意味さとクソッタレでインチキな世界に絶望して、誰も自分を知らず自分の方も誰も知らない場所で耳と目を閉じて口をつぐんで生きて行こうと考えたんだ」

「素敵だね」

「そうだね、とっても素敵」

このままそうなってしまえばいいのにと、俺ときっと志乃さんもそう思った

誰も俺達を知らず、俺達の方こそ誰も知らない場所で

俺と志乃さんと2人で、生きていければ、、、いいのに、、、


いつの間にか手放した意識が戻った時

世界は相変わらず朝で

俺達は何も変わらない

唯の無力な少年少女でしか無かった


「それじゃ元気でね」

チェックアウトしたホテルの前で志乃さんはいつも通りの調子でそう言った

その姿は出会った時に着ていたセーラー服を見に纏っている

「駅まで送るよ」

「必要ないよ、だってこの街が私の出発点だったんだから」

それを聞いて目を丸くしてしまう

そういえばこのホテルに来るのも躊躇いなく歩いていた

「そうだったんだ、、、」

「この街に戻ったのは偶然だったけど、結局ここが私の原点で終点なんだろうな」

そう言いながら志乃さんは、ポケットから5千円を取り出して渡して来た

「はいこれ、ホテルの支払いの残り」

「いらないよ」

「帰り道どうするの?それに、私はもっと匠君に使わせてるよ」

「でも、、、」

渋る俺の手に半ば無理矢理お札を乗せて来た

「ほら!もうグダグダ言わない!」

こういう時に急にお姉さんぽくなる志乃さんを、堪らなく愛しく感じる

「ありがとう、必ず返すよ」

「もう、、、だからいいのにさー」

名残惜しそうにしながら志乃さんは笑い、深呼吸した

「じゃあ本当にお別れだね」

「、、、志乃さん!」

別れたくない、このままずっと2人でいたい

その気持ちが口の中まで出て来ていて、飛び出そうとするのを必死で抑えた

もう俺に志乃さんとの旅を支える力は無い

志乃さんもそれが分かって、これ以上俺に負担を背負わせたく無いから

だから偶然この街に戻ったのをキッカケに終わりを選んだのだろう

ここで俺が志乃さんを引き止めても、きっと困らせるだけだ


やっぱり俺達はどうしようもなく無力な、唯の子供でしか無かったんだ


自分の無力さが悔しくて俯いて肩を震わせる俺にすっと音もなく志乃さんは近付いて、俺がそれに気付いた時にはお互いの唇が触れ合っていた

そのほんの数秒の永遠が、俺達の別れの合図だった


「いい男になりなよ、そしたら私が付き合ってあげる」

そんな事を耳元で言い残して志乃さんは走って去っていき、俺はその背中が見えなくなるまで立ち尽くしていた




そして

俺はこの瞬間を、生涯後悔する事になる




帰路は電車で帰り、その車内で荷物の中にあの本を見つけた

本にはメモが挟まっていて「私の大切な本だから大好きな匠君に持っていてほしいんだ」と丸っこい字で書かれていた

帰り道はその本を読み耽り、多分3回は読み返したと思う

志乃さんはこの本を読んで何を考えて何を感じたんだろうと、志乃さんの事ばかり考えていた


自宅に帰り着いた俺を、母さんは泣きながら迎え入れてくれた

帰った時に父さんは家の何処にもいなかった

「あんたが帰って来ない事を、アイツは『そんな事より』って言いやがったのよ」

俺が家出した事を父さんに話した時の事を元ヤン(本人は隠してるつもりらしいが)の母親はそう吐き捨てていた

家から追い出された父さんが戻ってくるのかは分からないが、少なくとも喧嘩を見る事はもうなさそうでこれからは過ごし易くなるかなと少し安心していた




志乃さんが死んだ事を知ったのは、その3日後だった




***********************

繰り返します

昨夜○○市内の自宅で遺体となって発見された星宮志乃さんについて

逃亡中だった容疑者、志乃さんの父親である○○○○が逮捕されました

星宮さんの家庭では以前から虐待が疑われており、、、

***********************



眠い

頭がぼんやりする

視界もハッキリしない

ここは何処だ、今は何時だ?


「匠君」


その一言を聞いた途端に、ハッとして意識と感覚がクリアになった

「志乃さん?!」

自分が今真っ白な空間に立っている事に気付き、そして目の前には真っ黒なセーラー服を着た志乃さんがいた

「また会えたね」

嬉しそうに志乃さんは笑ってくれる、でも

「志乃さん」

俺は涙が止まらなかった

「何で、どうして死んでるんだよ」

「あっちゃ〜参ったね、、、知ってるのか」

こんな再会になっちゃってごめんねと、志乃さんは困ったような笑顔を俺に向ける

「お父さんがね、、、あの日私を殺しちゃったんだ」

「志乃さん、、、」

「お父さんね、お母さんが亡くなってからお酒ばかり飲むようになって、それでも足りないのか私を色んな捌口にしてたの」

「なら何でそんな所に戻ったんだよ」

ふっと視線を足下に落として、志乃さんは悲しそうに目を細めた

「優しかった頃のお父さんに戻って欲しかったんだ、だからずっと我慢してたんだけどね」

「君と旅をして色んな話をして、そうしてる内に我慢してちゃダメなんだって思えて来たの、お父さんとは匠君と同じように一緒に歩かないとダメなんだって」

「そんな事一言も聞いてないよ、、、」

「ごめんね、良い女に秘密は付き物なんだ」

悪戯っぽく笑う志乃さんは、とても魅力的だった

「君と別れて直ぐにお父さんに言ったの、お母さんはこんな貴方を望まない、お父さんは立ち直るべきなんだって」

俯いて話す志乃さんは首元に手を当てて続けた

「そしたらさお父さんは物凄く怒ったの、馬鹿にするなって、、そしてね、、、」

すうっと志乃さんの首に大きな手形が現れた

それはとても痛々しく、志乃さんに何があったのかを容赦無く突き付けてきた

「きっと、私がお父さんに向き合ってあげるのが遅すぎたんだろうな」


暫く沈黙が続き、俺はもう抑えられそうに無い程に積もった感情を志乃さんにぶつけた

「自己満足のエゴでもいい、誘拐同然でも良かった、俺があの時志乃さんを連れ去って遠くに行って2人で結婚すれば良かったんだ」

「そんな事出来る訳無いよ、私達はどうしようもなく子供なんだから、お金だってもう無くなってたじゃん」

「金なんて盗めばいい!奪えばいい!」

「匠君、、、」

「志乃さんの為なら、俺は人だって殺せるんだ!」

泣きながらそう絶叫すると、志乃さんは俺の顔を引っ叩いた

軽い音と鋭い痛みが鼓膜と痛覚を刺激した

「私、匠君が人でなしになるのなんて望んでないよ」

「じゃあ志乃さんは死んだ方が良かったって言うのかよ!!」

また声の限りに絶叫してボロボロと涙を流し膝をついて泣きじゃくる俺を、志乃さんは優しく抱き締めてくれた


暫く泣き叫んでほんの少しだけ落ち着いた時に志乃さんはまた口を開いた

「匠君、あの本読んでくれた?」

「読んだよ、何度も読んだ」

そっかそっかと言いながら、志乃さんは俺の額に自分の額をくっつけた

志乃さんの顔が間近になり、その優しい目が俺を見つめてくれる

「私ね、匠君にライ麦畑の捕まえ役になって欲しいんだ」

「無理だよ!俺はっ、、志乃さんが崖から落ちるのに気付けなかった低能でトンマなインチキ野郎だよ!」

「これからは気付ければいいんだよ、匠君よく聞いて」

また志乃さんは俺をギュッと抱き締めた

志乃さんの感触が、ある筈の無い体温が、全身に染み渡って来る

「これからも君は君にとって、とっても大事な人や愛し合える人に出逢うと思う、だからその子達が崖から落ちないように捕まえ役になってあげて欲しいんだ」

「俺に、、、出来るかな」

「匠君じゃないと出来ない事だ、頼んだよ」

そこまで言って志乃さんは俺の頭を撫でてから背を向けてふっと一歩離れた

「志乃さん!」

嫌だ、まだ離れたくない

このまま志乃さんと一緒に逝きたい

こんなクソッタレでインチキな世界より、志乃さんの隣にいたい

「ダメだよ匠君、君はまだそっち側さ」

いつの間にか周囲には広大な青空と金色の絨毯の様なライ麦畑が地平線の彼方まで広がって、俺と志乃さんの間には綺麗な小川が流れていた

その川は大した幅は無くて、一歩踏み出しさえすれば簡単に越える事が出来そうなのに

どう頑張ってもその川を越える事が出来ないという事実を、何故か直感的に理解出来た

「死ぬのは、私1人で沢山だよ」

風に乗って漂うライ麦と志乃さんの香りを感じながら

俺はまだ志乃さんのいる所に逝っては駄目なのだと悟った

「確かにこの世界はクソッタレでインチキだけどさ、匠君には目一杯生きて欲しいな」

私はのんびり待ってるからさ!と振り返って俺に笑う志乃さんの身体は段々と透明になり始めていた


あぁ終わる、、、終わってしまうんだ

だけどその前にこれだけは、これだけは伝えないと!

「志乃さん!愛してる!」

声の限り、力の限り叫んだ

志乃さんに届いた俺の言葉は、あの旅で見た事の無かった志乃さんの泣き顔を俺に見せてくれた

「私も愛してた!18年間の人生で誰よりも君を愛してたよ!」

涙を流しながら嬉しそうに優しい笑顔を向けてくれる志乃さんは、もう向こう側が見える位に消えてしまっていて


「さよなら、私のホールデン・コールフィールド」


遂にその姿が見えなくなった時、俺は目を覚ました



目覚めて最初に見えたのは真っ白な見知らぬ天井と蛍光灯、それと鉄格子がある窓だった

重い上半身をベッドから起こし、まだぼんやりとする頭で、もしかしたら今までの事は夢だったんじゃ無いかと思った、、、いや期待した

志乃さんも家出の旅も、中二病の俺が妄想したタチの悪い夢なんじゃ無いかって

たった今その夢が覚めて、現実が動き出したんじゃないかって

自分の手に握られたあの本を見るまでは、そう思えた


目覚めたのは4月の半ば

どうやら俺は、いつの間にか中学3年生になっているらしい


家出から帰った3日後ニュース番組を見ていた俺は、発狂して叫びまくった挙句に意識を失ったそうだ

倒れた翌日に病院で目を覚ましたが、起きた途端に窓から飛び降りようとしたらしい(幸い目の前にいた看護師が止めたそうだ)

それ以降も目を離したら死んでしまいそうな程に自殺未遂を繰り返し、俺は自殺防止仕様の個室に移された

それからの俺は何も喋らず何を言っても反応が無く

流動食とブドウ糖の点滴で命を繋いでいたそうだ

「きっと俺のだらしなさを見かねて、志乃さんが助けに来てくれたんだろうな」

散々心配をさせてしまった母さんから事の次第を説明されて、そんな事を考えた


そうだ、もう情けない姿を志乃さんに見せられない

もう誰もライ麦畑の崖から落としちゃいけないんだ

「俺いい男になるからさ、見守ってくれよ、、、志乃さん」


志乃さんの形見になってしまったあの本に、そう呟いた


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