捌拾陸
「ーーと、いうわけで帰ってきました」
世の学生がむせび泣く8月最終日を乗り越え、晴れやかな気分で制服に腕を通した9月1日。
始業式はつつがなく。
久しぶりに会った友人たちに変わりはなかった。
強いて言うなら、西園寺君が少し日に焼けたくらいだ。
HRの残り時間を使って、クラスの皆は思い出話に花を咲かせる。
私が二人の友人に語った思い出は言うまでもなく、サウジアラビア旅行についてだった。
黒川さんとのあれこれは伏せたがーー石油王のおうち、一日限定の外出、誘拐に次ぐ誘拐など、バラエティに富んだ話をした。
序盤は楽しそうに相槌を打っていた二人だが、一度目の誘拐の話からだんだんと顔色が悪くなっていきーー最後には見たこともないような険しい表情を浮かべていた。
「お前、大変だったんだな」
「サリンちゃんが無事で良かったよ……」
同情と心配とドン引きが入りまじった口調だった。
箱入りのおぼっちゃまには刺激が強すぎたかもしれない。
ここ数年ですっかり麻痺してしまったが、誘拐なんて一度されただけで大事件だ。
特に金目的で誘拐されうる二人(御曹司と王子)はその重大さをよく分かっているだろう。
旅行の思い出としてさらっと語るべきじゃなかった。
「えーっと……ランス君は国に帰ったんでしょ? どうだった?」
気まずい空気を打破すべく話題を変える。
「ゆ、誘拐……?」と聞き慣れない単語に唖然としていたランス君は、私の言葉に正気を取り戻した。
「みんな元気そうにしてたよ。母上にサリンちゃんのことを話したら、是非遊びにきてほしいって言ってた」
「お、王妃様に……?」
それはまた大層なご招待だ。
ヨーロッパに行く機会があれば行ってみよう。
私が本で見たランス君の母国、アヴェリアの美しい景色を思い出していると、ランス君が缶の容器を机に出した。
卵型の蓋に、赤と緑の異国風の意匠が施されている。
「サリンちゃんにお土産! アヴェリアのチョコレート菓子だよ」
「うわぁ、ありがとう!」
「これ死ぬほど美味いぞ。なんたってアヴェリア王室御用達だからな」
なるほど。
自分のお気に入りのお菓子を持ってきてくれたわけか。チョコレートはとても嬉しい。
ほくほくしながら受け取った瞬間、私はあることを思い出した。
そういえば……二人にお土産買ってない……!
飛行場で買うつもりだったが、最終日もドタバタしてすっかり忘れていた。
何かご当地キーホルダーくらい買っておくべきだったな。
「ごめん……お土産買うの忘れた……」
「いや、誘拐された奴に土産せびるつもりないから……。元気な顔を見られただけで十分だよ」
久しぶりに会った田舎のおじいちゃんみたいなことを言われた。
優しさが心の傷にしみて痛い。
確かに彼の言う通りだ。元気な私がお土産、ということにしておこう。
「西園寺君は旅行とか行った?」
「今年はアメリカに行った」
「聡は西海岸でバカンスだよ。僕も行きたかったなぁ……」
彼からの土産もお菓子だった。
好みも何も伝えていないのに、二人はほんの数ヶ月で私の甘味好きを見抜いたようだ。やはり上に立つ人間は観察眼が鋭い。
それに食べ物くらいなら、我が家のミスター嫉妬日本代表も許してくれるだろう。
物と違って食べればなくなるんだから、黒川さんの目に触れる機会もなくなる。
「そうだ。巴の誕生日パーティーには来られるか? きついんなら無理するなよ」
確かにメンタルはやられているが、外出できないほどではない。
それに誕生日パーティーへの出席は誘拐に遭ってまで手にした権利なんだ。ちゃんと使わないと。
「大丈夫だよ。パーティーは来週の土曜日だっけ?」
「ああ。16時から妹の気が済むまで」
西園寺君の妹なんて想像がつかない。
私の一番身近な財閥令嬢が鳳翔さんだから、とびきり高飛車なイメージしか湧かないな。
「プレゼントは何をあげたら喜ぶかな?」
「……イケメン?」
「ごめん。お小遣いで買えるものにしてくれない……?」
私のお小遣いは0円だけど。
困惑する私にランス君が補足する。
「巴ちゃんは面食いなんだ。確か昔から男性アイドルのファンだったよね」
「じゃあお兄ちゃんっ子かな?」
「い、いや……そう言われんのは嬉しいけど、あいつ身内には厳しいんだ。しょっちゅう喧嘩をふっかけられるよ。昨日の夜も……」
と、西園寺君の愚痴が始まった。
まあまあ。喧嘩するほど仲が良いっていうじゃない。
喧嘩の理由も可愛らしいもので、どんな家でもやることは変わらないんだなとほっこりする。
「サリンちゃんのお兄さんが来たら喜ぶんじゃない?」
ランス君の提案に私は渋い顔をする。
「私の胃に穴が空いても良いんなら連れてくるよ」
「お前、マジで連れてくんじゃねぇぞ」
どうやらランス君は黒川と西園寺のごたごたを知らないらしい。
懇親会で私たちがどれほど気を揉んだことか。
考えれば面食いなんて、黒川さんの一番嫌いとする女性の特徴じゃないか?
あの人は自分にアピールしてくる女性すべてに嫌悪感を抱くからな……呼ばないが吉か。
それに友達の妹のパーティーに保護者同伴で参加したくない……。
「プレゼントはなくても良いよ。どうせ毎年何百個ももらってるんだ。気づかないだろ」
「そんなことないと思うけど……」
「そうだ。巴と両親に紹介したいから、14時には来てくれないか?」
はい……?
***
帰りの車内。
黒川さんが覚えているか確かめるために巴ちゃんの誕生日パーティーの話をしたところ、予想外の答えが跳ね返ってきた。
「西園寺家の娘の誕生日会? 私も行きますよ」
「はい?!」
そんな柄じゃないでしょ……。
黒川さんが”他人の誕生を祝う”ような感性を持ち合わせているとは思えない。どちらかというと台無しにする側の人間だ。
危険物の持ち込みは禁止だと伝えた方が良いだろうか。
「サリンは私のことを何だと思ってるんですか。久しぶりに西園寺家の当主と話をしたいだけです。外の事業が忙しくてなかなか会えていなかったので」
「そう、ですか……」
最近、彼は家を空けることが多い。
夕飯に間に合わない日や土日出勤が増えている。
黒川さんがいなくても私の休日に影響はないが、食卓に一人足りないのは少し寂しいものだ。
そして仕事とストレスは比例するのか、帰ってくると抱きついて離れない。
「そうだ。パーティーは16時からなんですけど、私は2時間早めに行きますね」
「……分かりました。私は時間通りに行きます。当日は好きにしてもらって構いませんが、遅くなる前に帰りますよ」
彼は鞄からはみ出す土産の箱に、ちらと視線を向けた。
「随分と仲が良いようですね」
「えっと……」
「ほどほどにしなさい。女友達はいないんですか?」
「……」
いるわけがない。
友好の第一歩を踏み出していた片岡さんは、例の呼び出し事件で自分の名前が使われたことを知って話しかけてこなくなった。
他にも少しばかり親交のあった女子がいたが、かなりそっけない関係になった。
理由は明白。
黒川さんが鳳翔家を潰したことを、玲海堂中が知っているからだ。
西園寺君が言うには、この学園は「誰かが愛の告白をしたら、次の日には全校生徒がその結果を知ってる」ほど噂が回るのが早い。
いじめや懇親会での出来事、そして鳳翔家の末路は公然の秘密だ。
そして私は”関わらない方が良い奴”から、”関わったらヤバイ奴”に昇格した。
泣きたい。
そんな私に優しく声をかけてくれるのはジャパニーズプリンスと金髪マゾ王子だけ……ううっ、変なあだ名つけてごめんね……。
「さ、西園寺君の妹ちゃんと……友達になります……」
黒川さんは満足げに頷いた。
自分に原因があると知ったら、少しは反省するだろうか。