捌拾
黒川さんの仕事が今日終わる。
最も重要だった現地企業と政府との話し合いが完了し、今後は黒川さんなしで話を進められるそうだ。
この一週間は精神療養の期間になるはずだった。
好きなことをして、甘いものを食べて、ゆったりと過ごす。
そんな優雅な日々を過ごすはずだったのにーー誰とは言わないが、某デルさんに邪魔される。
それだけじゃない。シドラとかいう面倒な組織のおかげで、結局あれ以降一度も外に出ることが叶わなかった。
部屋から出ることすら執事長に止められる始末。軽い軟禁状態だ。
仕方がないと分かっているから文句は言わないが……ストレスが溜まる。
暇することがなかったのは、ある意味アーデルさんのおかげだ。
毎日毎日、飽きることなく花を送ってくる。後藤さんが少し可哀想だ。
「野郎に毎朝花束渡されて俺の心はカラカラだよ。俺はキューピットさんじゃねぇっつうの」
花を処分してるのは後藤さんだから、どちらかというと恋路を邪魔している側では……。これが両思いの恋愛なら、彼は馬に蹴られるべきだろう。
花なんて序の口。
皿の下に手紙が隠されているやら、高級お菓子の差し入れがあるやら、毎日何かしらのイベントが発生する。
手紙は拙い日本語で書かれていた。
きっと勉強しながら書いたのだろう。超捨てづらい……。
あまりに可哀想だから読んではいるが、隠し持つわけにもいかない。黒川さんに見つかったら大事だ。
申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら花と一緒に燃やしてもらう。
本人も、食べ物以外の贈り物が灰になっていると薄々気づいていることだろう。それでもめげずにアピールするメンタルは認めよう。
「今朝はゆっくりなんですね」
「ええ。今日は契約書にサインするだけですから早く戻ってこられます。明日になったらやっとサリンとゆっくりできる……」
明日は黒川さんの休日、そして明後日は帰国の日。朝一番に飛ばして日本に帰る。
空港でお土産を買う時間はあるだろうか。
「いってらっしゃい。黒川さん」
あと3日でこの国とはサヨナラだ。
何も問題が起こらないことを心から願う。
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私は心から願ったつもりだったが、どうやら神様的には足りなかったらしい。いや、足りないのは信仰心かもしれない。だからいつも無視されるのか。
何も起きるなと願えば願うほど、事態が悪い方へ進むのはなぜだろう。
「ここ、どこだ……」
最後の記憶ははっきりしていた。
昼食を食べ終わったところ、強い眠気に襲われたためベッドに横になったのだ。後藤さんは明日の飛行機の調整と確認のため、空港の管理者と電話しに外へ出ていた。
そして目が覚めたらこの場所。
警戒を強めながら見回す。
私たちの泊まっている部屋より一回り大きい。一目で高級品と分かる調度が並んでいる。
重厚感のあるキングサイズのベッドには似つかわしくない手枷足枷がついていた。そしてそこから伸びる鎖は私の手足のそれへと繋がっている。
鎖といっても鉄の匂いがする重いものではなく、軽くて丈夫な合成素材だ。
とはいえ簡単に壊せるようなものではなく、ペンチを使ってもびくともしないだろう。
「足枷嫌い……」
足枷は移動の制約が大きい上、関節に当たって痛い。手はまだ我慢できるんだけど、足は勘弁してほしい。大丈夫、逃げないから。
これで誘拐は4度目。これまでの誘拐の半分が旅先ってどういうこと……?
ラシード邸から私を拐かすなんて良い度胸だ。
あそこは中東でもトップクラスのセキュリティが敷かれているはずだ。
プライバシー度外視の監視カメラに屈強な男たち。そして最新鋭の防犯システム。何で詳しいかっていうとハーディさんに散々自慢されたからだ。
外から手を出せないとなると、内部の人間の手引きがあった可能性が高い。
シドラや他組織の内通者がいたのだろうか。
……この小綺麗な監禁部屋を見るにシドラではなさそうだ。
それかアーデルさ……いやいや! 流石にないだろう。
手段を選ばないヤンデレが近くにいるせいで感覚が鈍っていた。普通の恋愛は誘拐にまで及びません。
愛に狂って監禁する倫理観ぱっぱらぱー男なんて、黒川さんくらいだ。
アーデルさんはもっと穏健なはず。
「あれ、じゃあ……」
私とアラビアンナイトしたがってんのは、一体どこの誰だろう。




