陸拾陸
「黒川さんと後藤さんってかなり仲が良いですけど、一体いつから知り合いなんですか?」
冷えた身体を、あったかいコーヒーでじんわりと癒す。
クーラーとアイスコーヒーと黒川さんのせいで芯まで冷えてしまった。カーディガンを持ってきておいて良かった。
サウジアラビアをはじめとした中東は昼夜の温度差が激しい。
特に砂漠は、昼は40度は超える灼熱地獄なのに、夜になると気温が一桁にまで下がる。夜の寒さは市街地でも例外ではなく、荷物の中には防寒具があった。
「後藤は中学からの付き合いです。古い友人ですよ」
彼の口から思いも寄らない言葉が飛び出した。
ゆ、ゆゆ、”友人”……? え、本当にその……友情とか、そういう人間っぽい感情があるの……。
「後藤さんの親が、黒川組関係の人だったんですか?」
「いいえ。あれは外部の人間です。後藤は元々、北関東の半グレや暴走族を仕切っていて、私の祖父ーーつまり先代の目に止まったんです」
半グレや暴走族を仕切っていた……いや、うん、何も言うまい。
「祖父は、後藤のグループをそっくりそのまま組の下部組織にしました。同時に後藤は兄弟杯を交わして組入り。年が近いんでうちで預かることにしたんです」
「は、はぁ……」
予想以上に壮絶な経歴だった。
「”年が近い”って……同い年じゃないんですか?!」
「ええ。3歳くらい違いますよ。まあ後藤はずっと留年していたので、玲海堂に編入するときは私と同じ学年に調整しましたが」
後藤さん、私や黒川さん相手にはお茶目で優しく振る舞っているが、見た目通りの怖い一面もある。
前に家にいる若い人が粗相をやらかしたとき、鬼と見紛う形相で怒っていた。それはもう恐ろしくって、私はしばらく彼と目を合わせられなかった。
普段は気さくで温和、部下の人たちにも慕われていて、性格はあまりヤクザらしくないなと思っていたが、経歴が彼の本質を映し出していた。
確かに彼は、黒川さんの右腕だ。
「まあ、友人というより家族みたいなものです」
それは私も同感だ。
兄の部下というよりは、もう一人の兄のようなーー家族に対する敬愛の念を私は後藤さんに抱いている。
なんて、黒川さんに言ったら怒るだろうか。それとも後藤さんなら許されるだろうか。
「私が心の底から信じられるのは、後藤とサリンだけですよ」
「そんなに私のこと信用できます? 付き合いの長い後藤さんと比べたら……」
「……だって家族でしょう?」
当たり前のことを言わせるなと。
黒川さんの目つきからかすかな怒気を感じられた。何気ない、ほとんど冗談のような返答が彼の気に触ったようだ。
いつもの私なら、彼を苛立たせないようここで話題を変える。
でも今日は違った。
踏み込めと、私の心のどこかが囁いてきた。
「どうして私を妹にしたんですか?」
本当はもっと早く聞いても良かった。
けれどなぜだか切り出せなかった。思いがけない言葉が投げ返されるのが怖かった。
怒っているだろうかと顔色を窺ったが、予想に反して黒川さんは涼しい表情をしていた。しかし少し迷っているようだった。
「……確かに、妹でなくても良かった。でもね、妹が良かったんです」
「愛人でも妻でもなく?」
「ええ。サリンは身悶えるほど可愛いですが、家族として一緒にいたいと思ったんです」
黒川に迎え入れられたばかりの頃。
一度だけ、どうして自分が抱き枕なのか聞いたことがある。あのとき彼は何と答えたっけ。私にとってすごく大切なことなのに、よく覚えていない。
彼は笑っていた。
違う。これは作り笑いだ。数年前の私が見抜けなかった、精巧にできた笑みだ。その裏にはどこか薄暗く悲しいものがあった。
彼は本当にーー本当に、家族が欲しかっただけなのかもしれない。
「ーーと、いうのは建前で……本当はサリンが好みドストレートで、つい欲しくなったからです。ペットショップで一目惚れして買ってしまうようなものです」
「……」
おい、私の哀愁を返せ。
私はもしかして、そんな軽い気持ちで妹にされたの?
もっと深い事情とか過去の因縁とかないわけ? ない? ああそうですか……。
そうこうしているうちに、機体はサウジアラビアの領空に入った。




