小話6 外堀は埋めるためにある
「赤城さん、私のフィアンセのふりをしてくれませんか?」
私が秘書をしている政治家は、時々とんでもない無茶振りをする。今日はいつもの何倍も無茶なお願いだった。
黒川真人はいかにも人好きのする笑みを湛えて私を見つめた。決まりが悪くなって思わず目を逸らす。彼の魔力を秘めた視線に耐えられる人間は少ない。
彼は自由民権党所属の参議院議員だ。若いが将来有望な政治家で、いずれは大臣や総理に取り立てられるだろうと専ら評判の男。
しかし性格はお世辞にも良いとは言えない。秘書である私に看過できるレベルのパワハラセクハラをしてくる。
「無理です」
私はNOと言える日本人なのでキッパリ断った。
モテる男の恋人役をすると不必要なトラブルに巻き込まれるーーという教訓を、少女漫画から得ていた。どこにいっても女性に囲まれる黒川先生だ。付き合っているふりなんてしたらきっと碌な目に合わない。
「事情だけでも聞いてください」
こんな悲哀に満ちた表情をされて、誰が拒絶できるだろう。
「……事情だけなら」
「ありがとう。実は来月、各国の大使や政治家の集まりがあるんですが、パートナーを連れていかなければならないんです。私は妻も恋人もいないので困り果ててしまって……」
わざとらしく肩をすくめる姿すら、彼は画になる。
そういうことなら言ってやっても良い。人脈作りは政治家の仕事の一つ。秘書には仕える政治家を最大限サポートする義務がある。
それに私は、彼がフィアンセを連れていかなければならない理由をよくよく知っていた。
「官房長官はまだ諦めてらっしゃらないんですね」
「ええ。実は今回のパーティーも彼に誘われたんです。今まで散々誘いに乗らなかった手前断れなくて。すみません」
小林官房長官は黒川先生を息子にように可愛がっている。
どうやら本当の息子にしたいらしく、以前から自分の娘との縁談を組もうと画策している。娘さんは美人だし、官房長官と縁故関係になるのは今後とても有利に働くと思うが、黒川先生はあまり乗り気じゃない。私生活までも政治に捧げるつもりはないらしい。
縁談を断る流れでフィアンセがいると言ってしまったようだ。
私と官房長官の直接の面識はないし、誤魔化すのはそう難しくないだろう。
「構いませんよ。先生のお手伝いをするのが私の仕事ですから」
***
ドレスを着るのなんて生まれて初めてだ。
小さい頃はプリンセスみたいな素敵なドレスに憧れを抱いていたものだが、現実は腕がスースーしてちょっと寒い。袖のあるやつにしておけば良かった。
パーティーの数日前に、先生がドレスや装飾品、鞄などを買ってくださった。最初は遠慮していたが、自分が依頼されている立場だということを思い出したため、ご好意に甘えることにした。
きっと今夜のコーデの総額は私の給料3ヶ月分より高い。
「ーー綺麗だ」
陶磁器のような指が私の髪を持ち上げる。
悪戯っぽく髪を触ってくる先生は、いつにもまして輝いて見えた。きっと会場の照明のせいだ。
「お触り禁止です」
「私たちはフィアンセですよ。フィアンセらしく振る舞わないと疑われてしまいます」
「あの、先生」
「先生呼びも禁止です。そうですね……”真人さん”と呼んでくれますか? サリン」
「……ええ」
色っぽくて嫌になっちゃう。
その甘いルックスと言動に、一体どれほどの女性たちが虜になってきたことだろう。彼の本性を知らなかったら私も絆されていたかもしれない。
「そうだ。これを」
彼は私の左手を取ると、ダイヤがあしらわれた上品な指輪を薬指にはめた。
「……どういうつもりですか?」
「フィアンセですから。指輪がないとおかしいでしょう?」
そう言って自分の左手の薬指を見せつけてくる。そこには同じ指輪がはまっていた。
まさかこれだけのために買ったのか......。この人は散財癖があって困る。
パーティーは何事もなく終わった。
私たちの仲睦まじい(笑)様子を見て官房長官は縁談話を取り下げてくれた。その上、これまでにないほど祝福され、結婚式に招待してほしいとまで言われた。
黒川先生は欠片も良心を呵責していないようで(そもそも良心そのものがないのかもしれない)、笑顔で了承していた。よくそんな平気な顔で嘘をつけるな。やっぱり先生は政治家向きの性格だ。
私を知っている政治家のご友人方は、事前に根回しでもされていたのか話を合わせてくれていた。
よし、黒川先生の無茶なお願いをクリア。
私は秘書の職務を全うした。この夜が終わったらいつもと同じ生活に戻るーーつもりだったんだが。
『サリン、結婚おめでとう!』
「……え?」
パーティーの一週間後。
久しぶりに電話をかけた友人が、開口一番そう言い放った。
「ちょ、ちょっと待って。それ誰から聞いたの?」
『え? サリンのお母さんが言ってたわよ。親友の私に真っ先に教えてくれないなんてイケズね。政治家と結婚なんて玉の輿か〜。それもイケメン政治家の黒川真人だなんて! おめでたいなぁ』
友人の浮かれた声に、氷水を頭から浴びたような気分になった。
私は先生にフィアンセ役を頼まれたことを誰にも口外していないし、あのパーティー会場に私の母と連絡を取れるような知り合いはいなかった。
けれど彼女が知っているということは、きっとどこからか話が漏れたんだ。まずは誤解を解かないと。
「麗華、それは誤解だよ。黒川先生とはそんな関係じゃないもの」
『そうなの? ……サリンのお母さん、何か勘違いしちゃったのかしら』
「分からない。確認してみる」
友人との通話を切ると、すぐに母に電話をかけた。
母は携帯を手元に置かないため、いつもお留守番サービスに接続する直前になるまで電話に出ない。そんな母が、今日はワンコールで出た。
『結婚おめでとう!!』
「……お母さん、そのこと誰に聞いたの?」
母はどうしてそんな勘違いをしているのか。
なんだか、母は少し怒っているようだった。電話越しにも母が頬を膨らませている姿が見える。
『お盆ぶりに電話かけといて言うことがそれ? もっと言わなきゃならないことがあるでしょ?』
「ごめんなさい。ずっと忙しくって」
『まあ良いわ』
「ねえお母さん、結婚なんて一体誰から聞いたの?」
すると母は、さも当然のように言い放った。
『あら。黒川先生が直接電話で教えてくれたわよ』
「……え?」
思考が停止する。
黒川先生が? 母に電話で? 一体どうして……?
『「この度結婚することになりました。つきましては後日ご挨拶に伺います」って! もう、私嬉しくって! お仕事は続けるの? 子供を作る予定はある? ああもう! 話したいことがいっぱいあるんだから、さっさと帰ってらっしゃい!』
こんなに嬉しそうな母の声は久しぶりだった。
「結婚なんてしないよ。おかしいと思わないの? こんな急に先生と結婚だなんて」
『え? だってもう何年も恋人でしょ? そろそろ結婚しないのかって思ってたのよ』
私の驚きなんて露ほども知らず、母は言葉を続ける。
『何年か前にお会いしたとき、黒川さんに「娘さんとお付き合いさせていただいています」って言われたの。それからも何度かうちに来てくださって……お中元とかも頂いてたのよ。貴女は照れて隠したがってるから内緒にしてほしいって念を押されて、ずっとそのことは言わなかったけど……』
「……なにそれ」
我が耳を疑った。
もしかして、本当に私と先生は付き合っていたのかーーそんな馬鹿げた妄想が一瞬頭をよぎったが、すぐに振り払った。
そんなわけない。
告白なんてされていないし、一緒に食事に行ったのなんて数えるほどだ。何年も苦楽を共にした仲だが、男女の仲ではない。フィアンセだってただの”役”だ。あの指輪も丁重にお返しした。
やっぱり母の言っていることがおかしい。
『とにかく! 忙しいのは分かるけど、早く2人で挨拶にいらっしゃいね! あ、宅配がきたみたい。じゃあまたね』
「あ、ちょっと待ってーー」
ツーツーツー。
誤解を解く前に電話を切られた。何度かけ直しても母は出ない。
すぐに黒川先生を問い詰めようと番号を表示させた。しかし、そこでふと怖くなって指が動かなくなった。
「黒川先生、どういうつもりなの……」
知らぬ間に私は、見えない鎖に繋がれていた。
この後、黒川先生がなんとか言いくるめて結婚まで持ちこもうとしてきたので、サリンは怖くなって仕事を辞め、逃亡を図る。
しかし逃げられるはずもなく。すぐに連れ戻され、周りの後押しもあって半ば強制的に結婚させられる。
最初は嫌々だったけど、なんだかんだいって子供とか産んで幸せに暮らしそう。




