陸拾肆
今日は稀に見る晴天だった。
キンキンに冷えたVIPルームで少しばかり待機したあと、係員の案内で飛行場の滑走路に出た。プライベートジェット専用の滑走路だからか一般のそれとは完全に隔離されており、普通の飛行機を間近で見る夢は叶わなかった。
「うわ、あっつ……」
嫌な汗が首を伝う。
見上げた空は雲ひとつなかった。風がスカートをめくらんばかりに強く吹くが、全く涼しさがない。
地面のコンクリートでバーベキューができるんじゃないかってくらい暑い。確か今日の最高気温は36度だったが、ここはそれよりずっと暑いに違いない。そしてサウジアラビアはさらに......。
黒川さんの所有するプライベートジェットは、大手飛行機メーカーの最新小型ジェット。白い燕のようなフォルムに太陽がよく映えている。
一体いくらするんだろう。
「どうです? なかなか良いでしょう? サリンと旅行するために買ったんです。今回は仕事ですけどね」
「かっこいいですね」
「私以外にかっこいいとか言わないでください」
……黒川さん、無生物にも嫉妬できるの?
普通の飛行機の内装は、機長室があり、CAの待機室があり、客席がずらりと陳列した向こうにトイレがあるもんだ。
乗ったことはないが、それくらいは知っている。
私の想像していたジェット機の内装も、それとさほど変わらないものだった。うん、そんなもんだと思ってた……。
「べ、ベッドがある……!?」
そこに客席はなかった。
ソファやテーブル、ベッドなどがあり、ここの写真を見せられて「ホテルの一室だ」と言われても納得できるような内装だった。
ただ普通のホテルと少し違うのは、飛行機の座席のようなものが端にあり、シートベルトや緊急事態時の手引きなどが設置してあるという点。どうやら離着陸の際はここに座るらしい。
機体の左右には巨大な窓がついており、外の景色を鮮明に見ることができる。
窓にそっと触れて気がついた。
ーーこれはガラスじゃない。液晶画面だ。
「どうなってるんですか、これ!」
「外部のカメラで景色を映し出しているんですよ」
1メートル以上距離を取れば、普通のガラスと見分けがつかなくなる。
他にも黒川さんに聞いて見ると、この機体には現代技術の結晶が大いに詰め込まれているようで。ますます値段を聞きたくない。
「じゃあ俺は機長室に行こうかな」
「えっ、後藤さんが運転するんですか?」
「メインで運転するのは機長。俺は副機長だからそれなりに、かな。実はパイロット免許も持ってんだよ」
前から思ってたけど、後藤さん手に職つけすぎじゃない? ヤクザに飛行機の運転技術いるか?
「すみません、ちょっと電話してきます」
黒川さんは入り口付近で通話し始めた。
ソファに座って涼んでいると、後藤さんが私たちのためにアイスコーヒーを淹れてきてくれた。テーブルの少し凹んだ部分ーーおそらく転落防止の凹みーーに置くと、後藤さんは黒川さんの分を飲み始めた。
「あー生き返る。うっま」
「……黒川さん、お仕事大変ですね」
真面目な顔で話し込んでいる彼をちらと見る。
「そう? 組長ってば土日もちゃんと休んでるし、定時で帰るし、そんな大した仕事やってないよ」
「それは割と普通のことなのでは……? そういえば黒川さんって”会長”なんですか? 玲海堂の理事の方たちがそう呼んでいたんですが」
「複合企業だからいくつも会社があって、それぞれに社長がいるんだ。それを全部まとめたのが黒川グループで、組長はそこのトップ。だから会長って呼ばれてる。母体になってる企業の社長も兼任してるから、社長って呼んでも支障ないと思うけど」
「はー……ヤクザ業は見る影も形もないですね」
「そうねぇ。そうだ! チーズケーキもあるけど食べる?」
後藤さんは露骨に目を逸らし、話題を変えようとした。きっと触れられたくないのだろう。私は優しいので乗っかってあげる。
見る影も形もないのは表向きってことか。今回のサウジ行きもただのお仕事じゃなさそうだしね。
石油王の家に泊まると言っていたが、はたして本当にただの石油王なのか……実はサウジアラビアのあらゆる裏家業を取り仕切る家かもしれない。
後藤さんは喉が乾いていたのか、黒川さんのアイスコーヒーをほとんどすっかり飲み干してしまっていた。
「後藤、アイスコーヒーをもう一杯淹れてこい。こんなに飲みやがって」
「げっバレた」
電話を終えた黒川さんが戻ってきた。
「サリン。あんまり後藤と仲良くすると妬いてしまいます」
「大丈夫ですよ組長! 俺のタイプは女優の上原裕だから」
「は? サリンの方が可愛い」
ああ始まった……。
しょっちゅう勃発する二人のバトル。私を武器にして戦わないでほしい。
こういうのを見ると、やっぱり仲が良いんだなと思う。黒川さんがキレてるのに銃を出さないなんてよっぽどだ。私もいまだに銃口つきつけられるのに。
「えーっと、俺そろそろフライトの時間なんで。機長室に行かなきゃなー!」
「おい待て。話の蹴りがついてない」
「サリンちゃんは、上原裕よりずっと可愛いです!」
「は? サリンのことを可愛いって言って良いのは俺だけだ。舌切れ」
「ひえぇ、理不尽……」
後藤さんは逃げるようにコックピットへ去っていった。
さて、日本ともしばらくお別れか。
サウジアラビア楽しみだなぁ。
何事もなく帰ってこられますように。