陸拾弐
Q、黒川さんに外出の許可が取れるか?
A、絶対に無理。
万が一にもあり得ない。ラクダが縫い針の穴を通り抜けるくらい無理のある話だ。
西園寺君の妹さんの誕生日パーティー?
ええ、もちろん行きますとも。可愛いと噂の妹さんに一度は会いたい。パーティーの参加にはかなり前向きだ。
しかし、西園寺君は私に最難関の砦を攻略しろと言う。
攻略なんてできるわけないし、そもそもしようしたくない。ライオンの尻尾の上でタップダンスなんてしたくない。
「善処するね……」
「頼んだ。妹が黒川に会いたがってるんだ」
***
食卓の黒川さんは至極ご機嫌な様子だった。
それもそのはず。自慢の妹が学年1位を取ったんだ。
後藤さんが祝いステーキとケーキを用意してくれた。誰よりも嬉しそうに高級A5ランク松阪牛を頬張っている。多分祝いにかこつけて良い肉を食べたいだけだ。
私にとっては別に珍しいことじゃない。小学生のときも成績は学年トップで表彰までされた。中学生のときもそうだった。
だから私には日常的なーー当たり前の結果であってわざわざ祝ってもらうほどじゃない。
でも......満更でもない。
「サリンちゃん頭良すぎて笑えるんだけど」
「笑っとけ」
後藤さんは一枚目を完食し、今二枚目のステーキを上品な手つきで切っている。こんな夜叉みたいな見た目だが、私よりテーブルマナーの心得がある。
「黒川さんも高校時代はずっと首席だったでしょう?」
「それがずっとではないんだよなぁ……ね、組長」
「……うるさい」
黒川さんはきまりが悪そうにワインを飲む。
「一度だけ、他の奴に首席の座を奪われたことがあったんです。一度だけね」
あら。気にしてそうだし、あんまり深く突っ込まんどこ。
黒川さんはやっぱり、プライドが高くて負けず嫌いだ。私相手のチェスも全力だし、負けたら勝つまでやりたがる。
「組長まだ気にしてるんですか? たった一回でしょ?」
「よりにもよって、あいつに引けを取るなんて。他の連中を煽り立てて、わざわざ俺の前で踊り出したんだぞ。人目のつかないところだったら殴り殺してた」
「当時の組長をおちょくれるのなんて、俺かあいつくらいでしたよ。今もですけど」
ええぇ……その人、一体どんな人なんだろう。
ちょっとご機嫌斜めになったな、黒川さん。今パーティーのことを切り出すのは得策じゃなさそうだ。
***
夏は嫌いだ。
なんてったって暑い。そして蒸し蒸ししている。こんなに湿気が多くなきゃ日本はもっと快適なのに。
ご存知の通り、私のお仕事は”抱き枕”としての職務を全うすること。
つまり、抱かれたまま微動だにしないことだ。それはどんな熱帯夜でも変わらない。常にクーラーをつけているものの、暑いもんは暑い。
変態は汗なんて気にしない。むしろご褒美と言わんばかりに密着し、何なら舐めてくる。
この家の中は治外法権であるため、日本国の法律も日本国憲法も通用しない。よって私に人権はない。
折衷案で手を繋ぐことを提案したものの、あえなく却下された。奴は身体を重ねることで絆がどうのこうの、勝手な戯言を言っていた。
こいつの言動は言うまでもなく、迷惑防止条例法違反だ。
「そうだ。大事な話があるんです」
寝る直前にそう言われ、私は思わず身構えた。
黒川さんの言う大事な話はたいてい文字通り中々の”大事”だ。会社の株が大暴落したとか? 明日逮捕されるとか?
「前に中東進出をしたい、という話をしたのは覚えていますか?」
「ええ。鳳翔財閥を買収したのもその一環ですよね?」
「現在の中東は脱石油経済を目指しています。ですから先行投資と中東進出で市場規模を広げたいと思っていまして……」
中東は裕福な国が多い。
石油に頼らない世の中になってもそれは未だ変わらない。取引相手としては悪くないだろう。しかし、私にその話をする必要があるのか? 私の意見を聞きたいわけじゃあるまい。
「だから夏休み、一緒にサウジアラビアに行きませんか?」
「……え」
ええっ?!
「さ、サウジアラビアに? 何で?」
「視察と挨拶です。本格的に仕事を始める前に、取引先と直接話したいと思いまして。本当は行かなくても良いんですが、あちらが会いたいと強くいうので断れなかったんです……しくしく」
嘘つけ、絶対断れるくせに。
そんなわざと悲しそうな顔を作って、私に同情してもらえると思ったか!
サウジアラビア……真夏に行きたくない国ナンバーワンだな。
確か最高気温は40度を超えるんじゃなかったっけ? 絶対に嫌なんだけど。
「一人で行ってください」
「日帰りならそれでも良いんですが、一週間かそれ以上は滞在しなければならないんです」
「それで?」
「サリンがいないと眠れません」
……これ、もしかしたらチャンスじゃないか?
私がここでゴネて、サウジアラビアに行く代わりに、西園寺妹の誕生日パーティー出席許可をもらえれば……!
「えー、暑いのやだー」
「そんなこと言わないで。サリンはずっと部屋にいてくれれば良いですから」
「えー」
「知り合いの石油王の屋敷に泊まらせてもらう予定なので、きっと快適ですよ。ね?」
し、知り合いの石油王だって? かなりのパワーワードが飛び出たな。
よし、私のターン!
交渉のカードをセット!
「うーん……あ、そうだ。実は夏休み明けに、西園寺君の妹さんの誕生日パーティーがあるんです」
「ああ、西園寺」
「そう。それに招待されてて。仕事について行く代わりに、パーティーに参加しても良いですか?」
努めて媚びた視線を送ってみる。
しかし、黒川さんは何やら迷っているようだった。
「……わ、かりました。良いでしょう」
やがて絞り出すような声で許可が出た。
やった! 作戦大成功!
でも、サウジアラビアに行かなきゃならないのか……うう、背に腹はかえられない。今のうちに暑さ対策でもしておくか。




