伍拾玖
麗華さんが再び登校し始めたのは、懇親会から2週間以上経ってのことだった。
教室に入ってきた麗華さんにこれまでのような華々しさはなく、まるで生気を失ったゾンビのような酷い顔になっていた。
金髪マゾ王子ーーもといランス君は彼女のことを好ましく思っていないが、流石に気の毒に思ったようで声をかけていた。
好きな人と話したら少しは元気になるかと思ったが、彼女は私を見るや教室から飛び出していってしまった。
この数週間で何をされたのか……。
やっぱり買収しただけなんて嘘だ。あの人がそれだけで済ますはずがない。
麗華さんの嫌がらせ問題は解決したが、また新しい問題が生まれた気がする。
それからの生活は平穏だった。
問題が解決したため、ジャパニーズプリンスと金髪マゾ王子との協力関係は解消かと思ったが、彼らは私と友達付き合いを続けるつもりらしい。
私は一人でいたかったんだけど、金髪マゾ王子がくっついてきて、それからさらにジャパニーズプリンスがくっついてくるから、必然的に3人組になった。
最初はちょっとうざかったが、慣れれば彼らと過ごす時間も悪くない。
女友達100人計画から遠かってる?
……しーらない。
「ねぇジャパ……西園寺君」
声をかけようとしたが、うっかり呼び名を間違えそうになった。
すぐに訂正したのに彼は聞き逃さない。
「何だよ”ジャパ”って」
「ジャパニーズプリンス」
「は?! 俺のこと?」
「えっ、聡のことジャパニーズプリンスって呼んでるの? 僕も真似して良い?」
金髪マゾ王子が爛々とした目をジャパニーズプリンスに向ける。
「良いわけないだろ! 何だその変な呼び名」
「初対面で絡まれた腹いせに変な名前をつけてやろうと思って……」
「その節は本当に申し訳ないと思ってる……ん? じゃあ、ランスの別名もあるのか?」
「あるよ。金髪マゾ王子」
「えっ?!」
「くっ……ははっ! マゾか、確かにな!」
金髪マゾ王子、不思議そうな顔をしてるけど思い出して。私に膝蹴りされて喜んでたでしょ。
ジャパニーズプリンスは私の呼び方がツボに入ったようで、机に突っ伏して笑っている。
「マジで、ハハッ……フフ、ふぅ……落ち着いてきた」
「サリンちゃん、ランスって呼んでよ。良かったら聡のことも聡って呼んであげて。ジャパ……フッ、こっちも良いけど」
「うーん……ちゃんと名前で呼ぶようにはするよ」
下手に親しくしすぎると、黒川さんにどやされそうだ。
それに下の名前を呼び捨てるにはまだ親密度が足りない。
***
今夜、黒川さんは仕事相手との会食があるようだった。
仕事が忙しくなるのに比例して、会食の頻度が増えてきた。そして機嫌が悪くなることも増えた。
相手は他企業の社長や会長のみならず、政治家や官僚、報道関係者の場合もあるらしい。恐らく黒川さんは接待される側だ。袖の下とかもらってるんだろうか。
頻度が増えた、とはいっても全く外食しなかった前と比べての話で、月に2度程度だ。
黒川さんがいない日はジャンクフードをデリバリーできるので、私と後藤さんにとっては喜ばしい時間だ。帰ってきた黒川さんを宥める時間を加味しても良い夜になる。
でも今夜は少し違った。
「クソ、あのハゲ信じられん」
悪態づくのはある種の様式美。
しかしいつもと違って、私の腰に抱きついて離れようとしない。
「黒川さん重いー」
「サリン聞いてくださいよ! あのハゲ、どうしても来てほしいって言うから行ってやったのに、自分の娘を連れてきて『妻にどうですか』なんて言ったんですよ。とんだ無駄足だった」
「あらら……」
だから私にひっついて離れないのか。
想像に難くない。
藤原スタイルで黒川さんを取り込もうとしたのね。有力者に娘を嫁がせるなんて時代遅れなようにも思えるが、案外悪い手でもないかも。でも相手が悪かったな……。
「私は! ずっとサリンと一緒にいるので! 結婚しません!」
「えー……」
どうか結婚して私から離れてください。
彼に運命の人が現れる日を、私は無謀にも待ち望んでいる。
「サリンもですよ。他の男と結ばれるなんて絶対に許しませんからね」
「ご心配なく。そんな気は微塵もないんで」
そんなことしたら相手の男共々殺されてしまう。
仮に本当に誰かと心が通じ合ったとしても駆け落ちしか選択肢がない上、彼がありとあらゆる手を尽くして成功させまいとするだろう。
「ああ......分かってはいましたが、やはり改めて言われると嬉しいですね。後藤、録音したな」
「あーはいはい。しましたしました」
後藤さんのあの感じ、絶対録音してないな。後で怒られても知らないぞ。
「サリンが望むなら、すぐにでも戸籍を元に戻して結婚しても良いですよ!」
「……」
無視だ無視。
戯言だから気にするだけ無駄。
半分冗談だが、半分本気だ。下手に返事をすると言いくるめられそうで怖い。
......私は彼のことを、一生”黒川さん”と呼び続けるんだろうか。
私たちの関係は初対面から何一つとして変わっていない。
血の繋がらない、戸籍だけの兄妹。
家族的な愛情は感じるのに、やっぱりどこかおかしい。私にどうなってほしいのか掴めない。ただ妹が欲しいなら、私にそうやって振る舞うよう求めるはずだ。
なのに彼は曖昧な状態を許す。呼び名だってそう。
彼は兄妹であることに執着するのに、私が女であることを望んでいる。
それが重くて苦しい。いっそ、どちらか一方に決めてくれれば良いのに。そうしたら私は悩まないで済むのに。
いつか彼を、”真人”や”真人さん”と呼ぶ日が来るだろうか。
そう呼んでくれと、彼は自分から言うだろうか。




