小話5 忠誠
「家が、潰れる……」
「左様でございます。旦那様がサリン様にお伝えしろと」
「……そう」
平民から爵位持ちになった家は、功績がなければ70年で爵位返上。
それは貴族なら誰もが知っている我が国の常識で、私も幼い頃からよく言い聞かせられていた。
我が家、レッドルーク家は平民の出だ。
曽祖父が先の大戦で戦果を挙げ、一兵卒から騎士に、そして男爵にまでなった。
我が家はその地位に何とかしがみついていたが、元々はただの平民。コネも金もない。祖父も父も優秀な人ではあったが、上層部に認められる働きをできなかった。
曽祖父が爵位を得て70年たった今年。
ついに王室から、爵位を返上せよとのお達しがきた。
「悲しまれないのですね」
「悲しいよ。でも、ずっと覚悟していたもの。紹介状を書くから心配しないよう、使用人の皆に伝えて頂戴」
「サリン様……」
私の直属の執事、マコト・ブラックリバーは痛ましげに目を伏せる。
彼は私が物心ついた頃から今まで、ずっと忠実に仕えてくれている執事だ。その容姿や性格は言うまでもなく、仕事も品格も執事の中ではトップクラス。
どうして彼がレッドルーク家にいるのか、私にはさっぱり分からない。
そんな彼ともこれでお別れだ。
爵位と同時に領地も返上する。元々持っていたわずかな私有地だけでは、使用人たちを雇うほどの収入を得られない。
だからといって私たち親子が路頭に迷うことはない。
貯蓄が十分にある。
私と父の2人でひっそりと暮せば、死ぬまで穏やかな生活を送れるだろう。私も誰か良い人と結婚できるかもしれないし、悲観的になる必要はない。
「サリン様。私は一生、貴女様にお仕えいたします」
「ブラックリバー、私も貴方とずっと一緒にいたいけど……もう雇えないの。お給金が出なかったら貴方も困るでしょう?」
「構いません。給金などもらっても、私は使いませんゆえ。これまでの給金も全て貯金しています。サリン様の生活の、多少の足しにはなるかと」
ここまで言ってもらえるなんて、まったく主人冥利に尽きる。
彼は優しい人だ。きっと本気で私を心配して、私と共にあろうとしてくれている。でもそれではいけない。
「ありがとうブラックリバー。父上に相談してみるけど、ダメだと言われたら諦めるのよ」
私が彼の人生の枷になってはいけない。
こんなにも有能な執事なんだ。もっと素晴らしい主人に仕えて、華々しい生活を送ってほしい。
父上に相談して、前からブラックリバーを欲しがっていた貴族に掛け合ってもらおう。
きっとそれが一番良い。彼にとっても、私にとっても。
***
それからすぐに父上の部屋に向かった。
使用人たちの紹介状を書く相談をして、ブラックリバーを拒んでほしいと伝えるのだ。
父上は部屋の片付けをしていた。たくさんあった本は丁寧に箱詰めされ、壁にかかっていた大きな肖像画は床に下ろされていた。
落ち込んでいるかと思いきや、案外けろっとしている。
父上も、ずっと前から覚悟していたのだろう。
「サリン。お前も必要のないものがあったら出しなさい。売りに出す」
「分かった。……父上、使用人の皆に次の職場への紹介状を書こうと思うの」
「それが良いな。俺も手伝おう。なに、爵位返上の儀式までまだ2ヶ月ある。うちは使用人が少ないから、ゆっくり準備すれば良いさ」
両の手で数えられてしまうほど、我が家の使用人は少ない。もし母が生きていたら侍女がもう何人かいただろうが。
「あともう一つ。ブラックリバーが私たちについて来たいと言うの」
「何? ……雇えんぞ」
父上は渋い顔をする。
彼は贅沢こそしないが、かなりケチだ。
「ただ仕え続けたいだけで、お金はいらないんですって」
「……」
「父上、ブラックリバーにはもっと違う道があると思うの。彼を説得してもらえない?」
父上は首を縦に振ってくれた。
ブラックリバーが父上の説得で納得してくれれば良いが。
***
2ヶ月も経つと、屋敷はすっかり寂しくなってしまった。
残っているのは私と父上、そしてブラックリバーだけ。
他の使用人たちは別れを惜しみながらも去っていった。いつかどこかで会える日を信じて、私は彼らの背中を見送った。
対してブラックリバーは父上の説得に応じず、屋敷に居座り続けた。
今日父上は王都に行く。そして国王の前で爵位返上の儀を行い、レッドルーク家は正式に平民となる。
つまり今日は私が貴族でいられる最後の日だ。
生まれ育ったこの屋敷ともお別れ。寂しくなるなぁ。
「ブラックリバー、本当に残るつもりなの?」
「左様でございます」
是非彼をうちに、という貴族はたくさんいたのに、事もあろうにこの男は全て蹴ってしまった。一つくらい保留しておけば良いものを。
彼が私と父上に執着する理由は何だ?
何が彼を、こんなにも縛り付けているんだろう?
尋ねても彼ははぐらかすばかり。
きっと考えても分からない。
今はただ、父上が無事に帰ってくることを祈ろう。
***
ブラックリバー視点
「そうか。ご苦労だった」
誰もが寝静まった真夜中。
屋敷の裏口で俺は、男の一人に金貨の入った袋を手渡した。
男たちは袋の中身を取り出すと、卑しい手つきで一枚一枚数え始めた。そんなことをせずとも、約束通り金貨20枚がしっかり入っている。
「ブラックリバーの旦那、アンタも悪人だね」
「否定はしない」
男たちはこの近辺で一番腕の立つ盗賊だ。
元々裏稼業との関わりがあったので、屋敷から離れずに彼らと接触を図ることなど造作もなかった。
俺は彼らにあることを依頼した。
「約束通り受け取ったぜ。……そういや、レッドルークの一人娘は今どうしてるんだ?」
「部屋で一人泣いていらっしゃる。一人にしてほしいと言われてしまった」
肩をすくめてそう答える。
無理もない。
旦那様を乗せた馬車が、盗賊に襲われたのだから。
御者も馬もーーもちろん旦那様も、残酷な盗賊に殺された。
しばらくして憲兵団が駆けつけたそうだが、盗賊はすぐに逃げ出し、残ったのは無残な亡骸だけだったそうだ。
すぐに屋敷にいる我々に連絡が入り、それをサリン様に伝えると泣き崩れてしまわれた。涙をこぼすサリン様はーー息を飲むほど美しかった。
「これでお嬢様は旦那のもの、ってか?」
「サリン様は頑固だから、もしかしたら拒まれるかもしれないが。……まぁ、そこはいつも通り優しく慰めてやれば良い」
「良い性格してるねぇ。じゃ、またのご利用をお待ちしてしますよっと。じゃあな旦那」
金さえ払えばどんなことでもする下衆たち。
だが口の堅さだけは折り紙付きだ。俺が依頼したことは誰にも知られることはないだろう。
調度品のなくなった殺風景な廊下を抜け、サリン様の部屋の前まできた。
小さく息を吐くと、扉をノックした。
「サリン様。ブラックリバーです」
返事はない。
扉に耳を当てると、かすかに泣き声が聞こえて来た。
「失礼します」
入ってすぐ、ベッドの上で泣きじゃくるサリン様の姿が目に飛び込んできた。
いつもは慈悲深い女神のような微笑みを湛えているのにーーああ、ゾクゾクする。下腹部に熱が集まるのを感じる。
「ぶ、ブラック……りば……ひっく」
サリン様が、俺の名前を可愛らしく呼んでくる。
口元が緩むのを必死に抑え、私は神妙な顔をして答えた。
「はい、サリン様」
「なんで……なんで父上はじんじゃったの……なんで父上なの……」
何で。
何で、か。俺が盗賊にそう命じたからだ。
あの男は邪魔だった。
例えサリン様に永久にお仕えしたとしても、隣にはあの男がいる。あの男がいる限り、サリン様を独占することができない。
私とサリン様の邪魔になりそうな人間を消した。
ただそれだけだ。
ああ、これを伝えたら彼女はどんな顔をするんだろう。
より一層悲しむのかな。絶望するのかな。怒り狂うのかな。
見てみたい。味わいたい。サリン様の激情の源になりたい。
俺は喉まで出かかった言葉を飲み込み、
「失礼いたします」
そう言って優しく抱きしめた。
泣きじゃくるサリン様も乙だが、早く慰めてやらないと。サリン様の心の傷を癒すのは俺だ。
サリン様は少し驚いた様子だったが、特に抵抗もせず俺を受け入れた。
「サリン様……私が一生、貴女様をお守りいたします」
隣に立つのは俺だけで良い。
笑顔も涙も、見るのは俺だけで良い。
邪魔者は消えた。
これからは私と2人きりーー永遠に2人きりです。
「ずっと貴女にお仕えします」
こういうシチュエーションの長編をいずれ書こうと思っています。




