伍拾漆
私の心の叫びは届かない。
女子たちは黒川さんに距離を詰めた。
自分たちの魅力を疑いもしない。こうすれば男がたじろぎ、なびくのだと信じている。確かに彼女たちは学園の誰よりも美人だ。同学年の男の子ならそれでも十分なのかもしれない。
しかし相手が悪かった。
「……邪魔」
シンプル、かつ明確な拒絶。
離れた場所にいる私が聞こえたくらいだ。かなりの音量で言ったに違いない。それでも女子たちは揺るがない。
冷たくされることすら嬉しいのか、キャーキャー騒いでいる。
保護者はどこにいるんだと辺りを見回してみると、近くに困っている様子の父兄がいた。ちょっと、あの子たちどうにかして。
鳳翔さん、本当に見る目がないな。
黒川さんから滲み出すやばい空気を感じなかった? 真顔は絶対に何人か殺ってる顔だよ。めっちゃ怖いよ。
……いや、あの金髪マゾ王子を好きになっている時点で、鳳翔さんはただの面食いか。黒川さんの顔面の造形美しか見てないな、彼女。
私が今まで会ってきた中で、間違いなく黒川さんが一番イケメンだ。
そして間違いなく、一番頭がおかしい。
妹の腕に自分の名前を刻むなんて正気の沙汰じゃない。公序良俗に反してなかったら見せたのに。
「よろしければ、一緒にビュッフェを楽しみませんこと? あちらのテラスに行きますと、玲海堂の誇る美しい庭園が見渡せますわよ」
「結構。食事ならもう取った」
お、黒川さんvs鳳翔さんが始まった。
ポップコーン片手に鑑賞したいところだが、そうもいかないな。
黒川さん、女の子相手だからか少し返答が優しい。もし鳳翔さんが男だったらすでにぶっ飛ばしてるでしょ。
「ではスイーツでも。今日のためにフランスからパティシエが来ていますの」
「だから結構」
「まあ。遠慮しなくてよろしいんですよ。お父様にお願いして、今度の鳳翔財閥主催のパーティーにご招待いたしますわ。ね、お父様」
鳳翔さんが視線を向けた先にいる男が慌ててうなずく。チョビ髭で、人の良さそうな顔立ちの男だった。
「黒川様はどういうお家の方なのかしら。私存じ上げないものですから、是非知りたいわ」
「……」
「ああ、安心なさって。私、家柄は気にしませんわ。でも鳳翔家のパーティーに来たいんでしたら、やはり親交を深めておかないと。さあ、私とお食事いたしましょう?」
”お前の家は大した身分じゃないだろ。うちが取り立ててやるから一緒に食事しろ”って副音声が聞こえる……。
鳳翔さん、金髪マゾ王子には奥手だから大人しい女の子だと思っていたけど、実は肉食系だったのか。
ほらあっちを見てご覧。本命の金髪マゾ王子がリゾット片手に見てるぞ。あの顔はちょっと引いてるな。
「ねえお兄様。私がこんなにお願いしているのに、どうしtーー」
「黙れ豚」
我慢の限界だったのか、黒川さんが冷たく言い放った。元々短気な人だ。よく我慢したと思う。
茫然としているのは彼女たちだけじゃない。彼らの様子をハラハラしながら見守っていた観客たちもまた、彼の豹変に面食らっていた。
「サリン。こっちにおいで」
悪魔が私を渦中に誘う。
せっかく遠巻きに見守っていたのに……お願い巻き込まないで……。
人々の視線が私に向けられる。特に鳳翔さんたちの睨みときたら。子供が見たら裸足で逃げ出してしまうような、般若のような形相だった。
「ああ私の可愛いサリン。一体どこで油を売っていたんですか?」
「後藤さんと話をしていました」
「他の男の名前を出すなんて……妬いて欲しいんですか?」
彼は私の髪から首、肩、そして腰をゆっくりといやらしく触りながら、しっかりと抱き寄せた。そして、私がまるで最愛の恋人であるかのように熱っぽく見つめてくる。
「あ、貴女! この方の何なんですの!」
鳳翔さんが強がって詰め寄ってくる。
あーもう。黒川さんが見せつけるから、彼女怒っちゃったじゃない。
黒川という名前だけで、私の親族だとは思わなかったんだろう。
実際に血縁関係がないから一ミリも似てないし、彼の堂々たる姿に私を重ねることなんてできない。それに黒川なんてよくある名字だ。
「俺はサリンの兄だ。だから俺を『お兄様』呼びして良いのはサリンだけだ! ったく、これだから女は嫌いなんだ。顔だけ見てピーピー騒ぐ」
「な、なんて失礼な兄妹なの!」
鳳翔さんは顔が真っ赤になっている。
その”失礼”枠には私も入ってるんですか? こんな不遜な態度を取るのは黒川さんだけです。
彼女の甲高い怒鳴り声のせいか、ホール中がこちらの騒動に気づいているようだ。
誰も近づいてこない。誰も注意しない。けれど確かに、全員がこちらに聞き耳を立てていた。
「黒川さん、騒ぎを起こしたら後で咎められますよ」
小声でそう伝えるも、黒川さんは引かない。
所詮、彼女たちは高校生。親の権力を自分のものだと勘違いしているくらいにはまだ子供だ。そんな子供相手にムキになって怒鳴ったなんて知られれば、黒川さんの評判が落ちてしまうかもしれない。
運の悪いことにこの場所には、ありとあらゆる業界のトップが集まっている。
ここで騒ぎ立てるのは私たちにとっても、もちろん鳳翔さんたちにとっても良いことではない。
お願い、みんなこっち見ないで……。
ああ、こんなことならトイレのソファでゴロゴロしていれば良かった。後藤さんとおしゃべりを続けていれば良かった。
問題は評判だけじゃない。
黒川さんが怒っている。
ジャパニーズプリンスと協力して何とか避けようとしていた事態が、全く関係のない鳳翔さんたちによって引き起こされてしまった。
彼の怒りに触れて、彼女たちがただで済むと思うか?
「貴方、この天下の鳳翔にそんな口をきいて、ただで済むと思ってるの? ね、お父様」
彼女の視線の先にいるおじさんはオロオロしていた。私たちの会話に割り込む度胸はないらしい。彼が黒川さんと上手く話し合ってくれれば良いんだが……あまり期待できない。
仕方ない。私がフォローして黒川さんのご機嫌を取るしかない。
私の精神力を犠牲に彼女たちの命を長引かせないと。
「それに黒川佐凜。私たちをどこまでコケにすれば……!」
「おい、その汚い口でサリンの名前を呼ぶな。反吐が出る。さっきまで良い気分だったのに全部台無しだ」
黒川さんは声を張り上げた。
「良いか、ここにいる全員よく聞け」
彼の声は、マイクもないのによく響く。
「サリンに手を出した奴は、この黒川が全身全霊をもって叩き潰す」
まるで、涎を垂らした未知の化け物を前にしているかのようだった。本能が警鐘を鳴らしてくる。彼の怒りに触れ慣れている私でさえ足がすくんだ。
表面的な彼しか知らない人たちは、一体どう感じるのだろう。
「サリン、帰りましょう」
私の手を引く黒川さんの横顔は、いつもと変わらぬそれだった。
「ビュッフェはまた来年」
彼の言う”黒川”と、彼女の言う”鳳翔”。
名を出す重みと覚悟の違いは、もはや考えるまでもなかった。




