表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/151

肆拾玖

 

 取り巻きの女子がわざとらしく手を叩いた。


「知ってる? この場所、生徒も教師も滅多に来ないの」


 男子の一人が背後に回り込み、私を羽交い締めにした。

 ゲラゲラと下品な笑い声が体育館裏に響く。


 強い力で地面に押し倒された時、向こうで何かが光った。よく目を凝らしてみれば、それはビデオカメラのレンズだった。


「は〜い、スイッチオン」


 下卑た目線が私に向けられる。

 むせ返るような土と埃の匂い。必死に抵抗したが、無理やり仰向けにされた。


「おいおい、本当にやっちまって良いのかよ」

「良いわよ。どうせビデオに撮るから誰にも言えないだろうし。せいぜい可愛がってあげて」


 あー……最悪。


 これから私がされる行為は想像にたやすかった。

 こういう状況は何も初めてじゃない。

 相手は男子3人。分が悪いが、死ぬ気で抵抗するしかない。


 私は跨がろうとした男子の股間目掛け、足を素早く振り上げた。近距離だったせいか急所に命中する。


「いってぇ! 何しやがるこのクソ女!」


 隙をついて立ち上がろうとしたその瞬間ーー破裂するような音と痛みが顔に響いた。衝撃で再び地面に叩きつけられる。今度は土ではなく鉄の味がした。

 小さな悲鳴が聞こえる。

 取り巻きの子たちも、彼らがまさか殴るとは思わなかったのだろう。私も顔を殴られるとは思わなかった。


 視界がチカチカする。

 鼻は折れてはいないだろうが、鼻血が止まらない。地面にぽつぽつと血だまりができていく。

 赤い液体が唇から顎、それから首を伝ってドロリと流れた。鳥肌が立つような嫌な感覚。でもそれを拭えるだけの力は残っていなかった。


 ああ、もうダメだ。

 これ以上抵抗できない。


「おいおい、やり過ぎじゃね」

「良いじゃん。やりやすくなったんだし」


 吐き気を催すほどの劣情が空気に溶け込んで漂う。

 顔の下部分を殴られたからか、目は無事だった。だがその無事な視界が、より一層恐怖を掻き立てる。


「や、やめ……離して……」


 声なんてもうまともに出せないのに口を塞がれた。

 一人が私に馬乗りになり、二人が私を押さえる。取り巻きの女子たちは暴力に怯えの気配を見せたが、すぐさま得意そうな顔に戻った。



 それは暴かれる恐怖だった。



 黒川さんに対峙する時とは違う。女としての恐怖。


 身体が震える。

 今までにも何度か、知らない男に乱暴されそうになったことがあった。でも相手はいつも一人だったし、私に油断して隙を見せた。

 だから今までは未遂だった。



 今日は違う。

 相手は複数人いて、私は抵抗する術を奪われ、カメラまで向けられている。この状況から脱する方法が何一つとして浮かばない。


 制服が人の手によってはだける。

 下着が露わになった。誰にも見せたことのない、陽の光さえ浴びたことのない肌が晒される。


「本当に滑稽だわ! 生意気言っといて、本当はその程度なのね!」



 もうダメだ……。

 私が諦めて目を閉じた瞬間ーー頭上で、ボコッという鈍い音がした。


 全ての人間の動きが止まり、その音の主に注意が向けられた。私にはどうしてもそれが見えなかった。


 再び鈍い音が響く。

 何か硬いものを強く殴ったような音。


 取り巻きたちはカメラを落とし、悲鳴を上げてその場にへたり込む。

 私に馬乗りをしていた男子が吹っ飛び、体育館の壁にぶつかって頭を強く打った。血が壁に染みを作っていく。女子たちも殴られて倒れ、やがて意識があるのは私だけになった。


 その時、初めて救世主の顔が見えた。



「サリン!!」

「くろ、かわ……さん……?」


 地面から抱き起こされた。

 ああ、20万円の制服が土と血で……クリーニングに出さないと。


 黒川さんは私の胸元を正すと、まるで精緻なガラス細工を扱うかのように、慎重に私を抱きしめた。

 強くて、温かくて、優しくて。

 母親の腕の中のような安心感だった。


「怖かった……」

「遅くなってすみません。……無事で良かった」


 愛おしくてたまらなかった。

 彼の胸に顔を埋めた。いつもと同じはずなのに、いつもと何か違う。

 血だらけのバットなんて見てない。知らない。


「何であんな呼び出し、無視しなかったんですか」

「だ、だって……すみません。逃げたくなくて」


 片岡さんの名前は出すまいと思った。

 彼女はこの件には何の関係もないんだから。



 帰りの車の中。

 彼は一言も発しない私の肩を抱き、ただ無言でいてくれた。これに私がどれほど救われたことか。

 こういう時、慰めの言葉はいらない。隣にいてくれるだけで良い。彼はそれをよく分かっていた。


 彼は私がいじめの相談をしなかったことを責めなかった。

 あくまで「知らなかった」らしい。そんなはずがないが、私も深くは突っ込まなかった。



 ***



 それからの話をしよう。


 あの場にいた女子生徒2人、男子生徒3人は退学になった。


 これはやり過ぎだと理事会で強く問題視され、誰かさんからの圧力もあり、学園側は彼らを切ることを選んだ。彼らの家もそれを望んだだろう。

 黒川に睨まれたとあらば、そのまま平穏に生きていくのは困難だ。学園としても多額の寄付を行い、理事までしている黒川さんの意向を無視できない。


 結局最後は大人の事情で片付いた。

 どうかこれからの彼らの人生に、黒川さんの魔の手が忍び寄りませんように。



 そういえば後藤さんに、


「本当にごめんなサリンちゃん! 俺がもっと早く組長に報告していれば……!!」


 と土下座された。

 大の大人がこんな情けない姿を見せて良いんだろうか。

 シャツを脱がされたくらいだから大丈夫ですよ、と寛大な心で許した。


 大事には至らなかったので大したことないと私は思っているが、黒川さんは違った。

 私の顔を殴ったのがよっぽど許せなかったらしい。


「あいつらの顔を原形が分からなくなるまで殴ってやる」


 と、後藤さんに言っているのを盗み聞いてしまった。聞きたくなかった。


 私の顔の怪我は軽症で、鼻血が出て口が切れたくらいだったので、全治2週間ほどだった。

 顔を殴られたのは生まれて初めてだ。

 神経が多く通っているからか分からないがすごく痛い。でも左腕の傷に比べたらマシだ。



 そうそう、学校が2週間の休みをくれた。怪我が治ったくらいで丁度良い。

 きっと、事態を収拾するのにそれくらいかかるから家で大人しくしていろってことなんだろう。




 私が選んだわけではないが、結果的に人が傷ついた。

 誰も死ななかったのが不幸中の幸いだった。あんなに血が出ていたのに生きているなんてーー人間、案外頑丈なのかもしれない。


 私はどうすれば良かったんだろう。

 私も、片岡さんも、彼らもーー誰も傷つかない道はあったんだろうか。


 それともこれが、最善の終わり方なのだろうか。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ