伍
「何でこうなったかな……」
借金を背負い、父親と別れ、ヤクザの組長の妹になり、人間から抱き枕にジョブチェンジし……さて、今は何をしているでしょうか。
「黒川佐凛さん。お話をお伺いしてもよろしいですか?」
最近、黒川さんは以前ほど過保護でなくなってきた。
新しい街にも慣れてきて、道も覚えた。今まで送り迎えは車だったが、ついに昨日から歩きになった。
これであの過保護野郎の束縛を一つ解放した!
が、弊害はある。
「黒川佐凛さん、少しお話をお伺いしてもよろしいですか?」
そんな何回も言わなくたって聞こえてるってば。
黒川さんや後藤さんが、何度も注意するように言っていた刑事が、今目の前にいる。
日本警察は優秀だ。
多くのヤクザに見張りをつけ、動向を監視している。戸籍上黒川さんの妹である私も、マークされることになるのだろう。
他の人はともかく、私は何もしていないんだが。
「あの、黒川佐凛さん!」
大声で叫ばんでくれ。
貴方の声が聞こえてないんじゃない、無視してるんだよ!
だが刑事は諦めた様子もなくしつこい。
聞いた話、黒川組は警視庁のあらゆる課から追われているらしい。どんだけ悪いことをしているんだ。
何とか黒川さんを良い方向に導けないかと思っていたが、多分無理だ。すっかり諦めた。
「お兄さんについて何かご存知ですか? すみません!」
無視しても無駄なようで、刑事はまだ根気強く迫ってくる。
この人は一生懸命仕事をしているのだろうけど、私にとってみれば、不快以上の何物でもない。
そもそも、私はヤクザじゃないわけで、兄が何をしようが私には関係ないし、何も知らない。
かといってこのまま家までついてこられても面倒なので、今のうちにやれる事はやっておこう。
「任意ですよね? しつこいです、お引き取りください! 」
***
「黒川さぁん……」
「よしよし、良い子ですね」
私は走って刑事を撒いた。
刑事は慌てて追いかけてきたけれど、すぐに見失ってくれた。裏路地の多い町で良かったよ。
お陰で若干迷子にはなったが、無事、家に帰ってくる事ができた。一応報告という形でそのことを話すと、黒川さんに褒められた。
刑事を撒いて褒められるなんて、嬉しさの欠片も転がり落ちてこないのだけど。
それとは関係なく、私が猫なで声を出したのは、決して、 決して甘えているだとかそういうわけではない。ちゃんと原因がある。
「さっきネットサーフィンしてたら、『猫のツボ」なるものを見つけたんです」
「はあ。それで?」
「やってみて良いですか? 刑事を撒いたご褒美です」
い り ま せ ん!!
そう、言いたかったのだけど。近くに銃が置いてあったので抵抗できませんでした。
私はベッドに押し倒された。
「猫のツボ」って……私これでも人間なんですけど。
いや、抱き枕からペットにグレードアップしたと考えれば良いのか?
「此処ですかねぇ...?」
馬乗りにされると、どうにも身動きが取れない。
無闇に逃げようとしても、嫌がる顔を見てドSな黒川さんは喜ぶだけだしな……。
こうなったら、もう身構えて待つしかない。
ニコニコしながらツボを押してくる黒川さん。
なんか、気持ち良いというか……そういう類のものではないが、全身の力が抜け、体が軽くなったような感覚に襲われる。
あれ、普通にツボマッサージじゃないか? これ。
「勿論、サリンは何も言っていませんよね?」
「そりゃあまあ。しつこかったので怒鳴りましたけど、それ以外は何も」
黒川さんがツボを押して一人で楽しんでいる間に、私はあの刑事の名前と特徴を教えた。
しかし、彼は首を傾げる。
「聞いたことのない名前だ。うーん……新人かもしれないですね。ですが、一人でサリンに話しかけるなんて、随分と肝の据わった男のようだ」
聞いたことのある名前があるのか?
「いや、私は黒川さんとは違って、不用意に人を傷つけたりしませんよ?」
「いえいえ、傷つけるのはサリンではなく...」
「俺だよ。」
耳元で突然囁かれた声に、思わず鳥肌が立った。
後藤さん、何でベッド脇にいるんですか……。
「殺ろうかと思ったが、途中で思いとどまったよ。中学生の女の子に、血しぶきを見せる必要はないからな」
うわ……私、子供で良かった。