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 黒川真人……ねえ。

 存外、どこにでもいそうな普通の名前だった。それにしてもヤクザの組長が「真人」って……一体どういうつもりでこの名前をつけたのだろう。

 生まれてこの方、良いことなんて何一つしてなさそうな悪い笑顔をしているんですけど。


「で、では、黒川さん。質問しても良いですか」


 どうぞ、と彼は頷く。


「なぜ、借金の代わりに私を? 借金は5億もあるんでしょう。私にそこまでの価値があるとは思えません」

「5億なんて端金です。ああいや、貴女が大したことないと言っているわけではないんです。ただ私からしてみれば、貴女の方がよっぽど価値がある」


 嫌な想像が頭に浮かぶ。


「私を、どうするつもりですか」

「そんなに警戒しないでください。貴女の嫌がるようなことをするつもりはありませんし、危害も加えません」


 嘘つけ! さっきまでゴリゴリ銃突きつけてたじゃん!

 さっきから言動が不一致なんですが。「危害も加えません」だなんて、一体どの口が言ってるんだ。



「ただ貴女には、私の抱き枕(・・・)になってもらおうと思っているんです」



「……は?」


 わ、私の聞き間違いだろうか。

 今彼は”抱き枕”と言ったか? 私の想像する抱き枕は、雑貨屋に売っているようなクマやウサギの形をしたもので……。

 もしかして、何かの隠語なのだろうか。


「最近不眠なんですよね。それに趣味や楽しみもないし。別にやましいことをするつもりはありません。ただ抱きしめるだけです」

「十分やましいのでは?」


 彼に私の言葉は届いていないようだった。


「戸籍も少々いじらせてもらいました。どうなったと思います?」


 そんなの、私の知ったことじゃない。

 抱き枕の段階で頭がパンクしそうなのに、おまけに戸籍をいじっただって? そんなことができるのか?


「フフフ、貴女は私の可愛い()になりました」

「……ええ?」


 さっきから、我が耳を疑ってばかり。

 何なんだこの人は。色々と言いたいことがあるが、口に出して良いものか分からない。


 黙っていると彼は、私との今後の楽しい日々について熱弁し始めた。

 あの、ちょっとあの……。


 はあ、もう突っ込むのは止めよう。




 ***




 初対面の人間の妹になったからといって、私が変わるわけではない。

 ただし戸籍は変わる。


 私の苗字は『赤城』から『黒川』へ。黒川佐凛ーーうんうん、語呂は悪くない。


 東京都内へ越してきたため、私は中学を転校する羽目になった。

 学校に通わせてもらえるだけありがたいと思っている。これから一生陽の光を浴びられないと思っていたから、余計に。


 新しい街、新しい名前、そして新しい人生。

 少しだけわくわくしながら始まった新生活。でもーー


「あの子、ヤクザの組長の妹らしいよ」


「やだこわーい」


「あいつの恨み買ったら殺されるんじゃねえの?」


「うわ、近づかないでおこう」


 うん、友達できないや。

 黒川なんて珍しい苗字でもないのに、なんでバレたんだろう。と、最初は思案していたが、答えは単純明快。


「おう、サリンちゃん。行ってら」


 毎朝後藤さんがリムジンで学校まで送ってくれるからだ。

 リムジンだけならまだ金持ちの家の子だと思われたろうが、スーパー強面ヤクザ後藤さんが来ることによって、私の身元が露呈する。


 私と黒川さんの血は繋がっておらず、彼の家で暮らし始めたのがつい最近のことであったとしても、彼らからしてみれば私は爆弾みたいなものだ。

 悲しいが仕方ない。



 友達はいないが、逆につっかかってくる人もいないし、案外快適に過ごせている。

 だから楽しいっちゃあ楽しい。


 そんな新生活。とっても嫌な時間がある。それはーー



「サリン、おいで」


 そう、就寝の時間だ。

 私と黒川さんの寝室は同室。

 今時の兄妹なら当然と彼は主張していたが絶対に違う。一歩譲って部屋が一緒だとしても、ベッドは違うだろう。


 寝巻きに着替えた私をふかふかのベッドの上で待つ黒川さんを見ると……何とも言えない気分になる。

 ダブルベッドであるが、如何せん距離が近い。


 彼はそれが嬉しいのか、嬉々として抱きしめてくる。変態め。

 それにこの男、人が寝たのを見計ってキスしたり、お腹や胸を触ってきたりするんだよ。ホントにマジで止めてほしい。せめて私が確実に寝ているときにしてくれ。

 普段は紳士らしく振る舞っている癖に、ベッドの中では……いやはや、この言い方は少し意地が悪いな。


 しかし、怒るに怒れない。

 彼は私を”抱き枕”として買った。それならば私は抱き枕然としているべきだ。

 奴隷や性欲処理の道具として扱われないだけマシだ。

 本人は兄妹ごっこがしたいらしいが、私からしてみれば彼はご主人様なのだ。なるべく逆らわない方が良い。


 一度だけ。

 たった一度だけ、彼に文句を言ったことがある。ちょっと小声で。そしたらさあ……。


「ねえ、死にたくありませんよね?」


「それなら、大人しく言いなりになっている方が……身のためですよ」


 そう言われました。

 本当に怖かったです。もう言いません。



 ***



「ああ〜、もう本当、可愛いですねえサリンは」

「そすか」

「もうこの世のものとは思わないくらい可愛いですよ〜」

「そすか」


 こちとら勉強中なんだよ。

 後ろから抱きついてくるな。ああもう、頬擦りしないでください頭を撫でるな。

 ちょっと、邪魔!!


「あの、黒川さん。一つ聞いて良いですか」

「何ですか? もしかしてキスが欲しいんですか? サリンが望むならどこにだってーー」

「……あの、何で私が抱き枕なんですか? 他にも綺麗な女性はたくさんいるでしょうに。貴方なら女性には困らないでしょう?」


 すると、先ほどまでよく口の回っていた黒川さんが、不気味なくらい静かになった。

 何かまずいことでも言っただろうか。

 彼と暮らし始めてしばらく経ったが、それだけがずっと疑問だった。


 少し考えた様子を見せて、彼はこう答えた。


「貴女が、歪んでいるから」




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