参拾陸
い、イケメンが……こっちに向かって……走って、くる……。
うっ、動悸が!
間接的な命の危機を感じる……!
来るな金髪!
そして、私の頭の中に一瞬にして大量の選択肢が浮かんだ。
・逃げる ◀︎
・叩く
・そのまま
・叫ぶ
・殴る
・蹴る
・張り倒す etc…
しかしどれ一つとして選択する暇なく、彼は気づけば私のパーソナルゾーン、半径2メートル圏内に踏み込んだ。
「やあ! 可愛らしいお嬢さん。僕はランフォード・フラット。中等部の3年だよ。君は編入試験の受験生だよね? 名前を聞いても良い?」
ああ、やっぱり外国の方でしたか。
じゃあミスター・フラットとおよびしてーーなんて言うわけにもいかんだろ。
私は無言で後ずさるも、彼はそれに合わせて距離を詰めてきた。近い近い近い。
彼は思い切り顔を近づけ、溢れんばかりのイケメンオーラを笑顔に湛えて私に見せつけてくる。どうやったらこんなイノセントな笑みができるんだ。
よし、逃げよう。黒川さんに見つかる前に逃げよう。
私はスタンディングスタートの体勢を取ったが、金髪はそれを察知したのか私の手首を掴んだ。
「待って! 君のことが知りたいんだ。……こんなところで出会うなんて、運命みたいだと思わない?」
お、も、い、ま、せ、ん!!
ヤバい。接触しているところなんて見られたら、黒川さんが殺戮マシーンになりかねない。一年ぶりの暴君出現だけは避けたい。
それにううっ、イケメンへのアレルギー反応が……。
「あの、離してください……」
「おい止めろランス。彼女が嫌がってるだろ」
「えっ。だって聡、女の子は強引な方が良いって言ってたじゃないか」
「人によるだろ!」
ほら、やっぱりイケメンには碌な奴がいない!
こいつら、自分の顔が良いことを分かっているから、何をしても許されるって思ってるんだ!
照れでも何でもなく、本気で手を離してもらいたい。
こんなの黒川さんに見られたら断罪不可避だろうし、貴方の取り巻きの女子の殺気がさっきっからヤバい。
見た目からしてさ、彼女たち、絶対良いとこのお嬢様たちだよね?
今、今ここで睨まれたら、彼女たちを敵に回したら……今後の学園生活が危うくなるのでは? せっかく心機一転して、友達をいっぱい作ろうと思ってたのに……。
「は、早く離さないと、貴方殺されるよ!」
死に物狂いで叫んだ。
私の言葉に彼は怯んだ。
おそらく、殺されることを恐れたのではなく、純粋に「何だこいつ」と思ったのだろう。そりゃあそうだ。
事情を知っていれば真実と分かるだろうが、知らなければ私はただのヤバい奴だ。
トラブルを回避できるなら、そう思われたって構わない。
この状況を見られる方がずっと恐ろしい。あの人が何をしでかすか。
例え相手が一国の王子であったとしても、あの人は確実に殺す。ついでに私もひどい目に遭う。
彼は一年前、また何かやらかしたら嬲りものにすると明言している。
私はもう少し生きたい。
しっかしこいつ、私の言葉が聞こえていないな?
黒川さんと同じで、自分の都合の悪いことは聞こえないタイプか。これだからイケメンは。
仕方ない。
蝶よ花よと温室で育てられた貴方たちとは違って、私は野生生まれ野生育ちなんでね。ちょっとした粗暴くらい許されるでしょ。
「は、な、せ!」
私は彼の腕を逆に引っ張り、腹に膝蹴りを食らわせてやった。
後藤さん直伝の必殺技だ。初めて彼以外に使ったが……意外とこれ、威力があるんだな。
彼はそのまま倒れ伏し酷くむせた。
少しやり過ぎてしまったかもしれない。ごめんね。でも貴方が先に乱暴したんだから、自業自得だよ。
彼が何者かなんて知らない。
もしかしたら理事長の孫かもしれないし、どこかの財閥の御曹司かもしれない。
少なくとも、どこぞのお坊ちゃんに手を出したのだから、私の今後の学園生活が不穏になることは間違いない。
でも、私は彼と私の命を最優先に考えて行動したつもりだ。
こんな綺麗な校舎が銃創まみれになる姿を、私は見たくない。
黒髪の方が駆け寄った。
女子生徒たちは少し怯えた様子で、距離をとりながら私を指差してこう言った。
「貴女! フラット様に何てことするの!」
「つ、強く蹴り過ぎたことは謝ります。本当にすみません。けど、先に手を出したのは貴方ですから」
ここで謝罪しておかないと、私が全面的に悪いってことになりかねない。いや、私も悪いがこいつも悪い。
すると金髪は笑ってみせた。
「だ、大丈夫だよ〜……僕は身体が強い方だしね。それに女の子の蹴りなら大歓迎……ケホッ」
気を遣ってくれているのか、それともそういう趣味なのか。
おめでとう。
君はイケメンからマゾに昇格だ。今度からそう呼ぶことにしよう。
何か文句があるだろうか。外見じゃなくて内面を見られるようになったんだよ。ほら、もっと喜んで。
「大丈夫か? ランスが悪いことをした。気にしないでくれ」
「いえ……では」
さっさと立ち去ろ。
黒髪がマゾに変わって謝罪してくれたので、ここは丸く収めることにする。私は触れられたことではなく、それに付随して起こる様々が嫌だっただけだ。
違う場所へ行こうときびすを返すと、女子生徒の言葉の槍が私を刺した。
「お待ちなさい! 貴女、入学早々、ご両親がお仕事を無くされるかもしれませんわね。お気をつけて」
いかにも、取り巻きの中でもリーダー格のような女。
取り巻きグループの中でも頭ひとつ抜きん出て容姿が良く、非常に品のある立ち振る舞いだ。私のような庶民が頭の中で思い描く、”生粋のお嬢様”そのもの。
言ってることは、お嬢様には似つかわしくないが。
それに、家を潰してくれるのならどうぞお願いします。
そう返事をしようか迷っていると、校門から見慣れたリムジンが入ってくるのが見えた。
黒川さんだ。
「そんなに息を切らして。どうしたんですか?」
「いえ……ちょっと、膝蹴りの練習をしてただけです」