参拾弐
それから何のトラブルに巻き込まれることもなく、残りの中学生活を送った。
二度も誘拐されたこともあって、やっぱり送迎は後藤さんの車。
教師が誘拐に関わったため、黒川さんは敷地内に何人かボディーガードを置きたがったが、私がそれを固辞した。
最終的に、今まで学校外で待機していた後藤さんを校内に入れることで妥協した。校長先生は本当に胃を痛めたと思う。申し訳ない。
私の誘拐に加担した化学の先生は、いつの間にかいなくなっていた。
異動になると終業式でお別れの挨拶をするものだが、それさえなかった。他の教師たちも、皆一様に知らないという。何かを隠している様子でもなかった。
......きっと、気にしない方が良い。
そういうわけで、三度目の誘拐はなかった。
ところで、世の中の多くの人間が高校入試を体験するだろうが、私も例外ではなかった。
待ちに待った高校受験。
私も気づけば中学三年生だ。
私は類を見ないほど素晴らしい、模範的な生徒だ。トラブルなんて起こさないし、一身上の都合で何ヶ月も休むなんてことはしない。
順風満帆。きっと高校生活はバラ色!
だが……。
「黒川さん、行きたい高校はある?」
「えっと……」
進路指導の先生との二者面談。
私は何も答えられなかった。
そもそも私が住んでいたのは神奈川だ。東京じゃない。
こっちの高校なんてよく分からないし、そもそもあの人、私を高校に行かせるつもりあるの?
ここ一年ご機嫌をとってきたから、頼み込めばいけるかもしれないが、まだ何とも……。
進路指導の先生は、私の偏差値に見合った高校のパンフレットをいくつが見せてくれた。
でも、どれもこれもピンとこない。適当に近い公立高校でも良いかなぁ。
「じゃあ黒川さん、将来つきたい職業はある?」
「えっ……?」
「だってほら、空欄になってる」
先生は進路調査アンケートを指さした。
私は空欄に視線を落とし、少しだけ後悔した。面談で言及されると分かっていたら、無難に公務員と書いていただろう。
「夢なんてないです」
どうせ就職だって、あの人の思うまま。許されるかも分からない。
良くてあの人の経営している会社に就職、悪くて軟禁だろう。
それに、黒川になったから夢がなくなったわけじゃない。元々夢なんてなかった。今までの私は、その日その日を生きるのに必死だった。未来なんて考えたこともなかったから……。
「別に責めてるわけじゃないのよ。ここが空欄の生徒もそれなりにいるもの。まだ時間はたっぷりあるんだから、これから見つけていけば良いわ」
この先生、よく相談事に乗ってくれて好きなんだよな〜。
女友達がいないから、代わりにこの先生に愚痴を聞いてもらってる。流石に黒川さんのことを詳しくは話さないけどーー例えば最近の私の悩み事は、身長が伸びなくなったことだ。
なんと165センチ止まり。せめて170は欲しかった。
別に背の高い女性に憧れているというわけじゃないし、日本人女性としては高い部類だ。でも、ちょっとだけ気にしている。黒川さんは身長が高いから、私も高い方がバランスが良いだろう。
黒川さんは「これくらいの方がすっぽり腕の中に収まって良い」と言っているけど、私は不満だ。すっぽり収まりたくない。
「とりあえず、私はこの、神楽坂第一付属高校をお勧めするわ。偏差値も高いし、かなりの名門よ。保護者の方と相談してね」
***
パンフレットのせいで、鞄がいつもより重い。
人通りの多い場所で私は迎えの車を待った。
この時間帯は部活を引退した3年生と、帰宅部の下級生で溢れている。ここなら誘拐される心配はない。
右肩がうずいた。鞄を地面に下ろし、銃創のあるだろう場所をそっと押さえる。
もう痛まない。だが、もうすっかり治ったはずなのに、今みたいに時々うずく。それが嫌で仕方がない。私に忘れないでいて欲しいのだろうか。
顔しか知らない同級生たちが、楽しそうに校門をくぐって消えていく。
互いの進路について話し、瞳に不安と希望を湛えている。私も、高校であんな友達が欲しい。
私に友達ができないことに、黒川さんは全く関係ない。
元々友達が少ない体質だ。いや、いないと言った方が良いような……。
いじめられていたとか、私があまり積極的ではないとか、理由は色々とあるだろうがーー黒川さんに束縛されている以前に、私は友達付き合いがかなり苦手なのだ。
あ、車来た。
「あれ、黒川さん……?」
迎えの車の座席には、既に黒川さんが座っていた。
防弾ガラスの窓を開け、私にニコニコと笑いかけてくる。
おい止めろ、あんたのせいですごい目立ってる。ほら、あの女子なんて顔を赤くしてるぞ。
いつものことだが、さっきまで群れていた生徒たちがそそくさと立ち去っていった。
私も悪い意味で有名になったものだ。
「今日は早いですね」
「二者面談があったでしょう。進路の話をいち早くしたかったんです。今日は早めに仕事を切り上げました」
黒川さんは助手席から降りると、恭しくお辞儀をしながら私を中へ誘った。
相変わらず、外面は紳士的だ。
だが皆、騙されてはならない。
このイケメンはとんでもない変態だ。頭の中は真っピンクだぞ。
リムジンがいつもと違う道を走る。
不審に思っていると、黒川さんは私の太腿に手を起き、耳元でいやらしく囁いてきた。
「そろそろ潮時だと思いませんか?」
気づけば彼の右手には銃が握られていた。
銃口が私の心臓に向いている。一方で彼の左手はセクハラを止めない。
「し、潮時……」
ああ、そうか。
黒川さんはやっぱり、私を高校に行かせたくないんだ。だからここで殺すのか。他の人間の目に晒される前に、彼はその手で私を殺すのか。
なるほど、進路はあの世ってことね。って、そんな冗談言ってる場合じゃない......!
「組長。冗談でも車内で銃を出すのは止めてください」
「チッ、水を差しやがって……すみません。びっくりしました?」
えっと......びっくりしました。
でも私の反応は、黒川さんのお気に召さなかったようだ。
当たり前だ。今まで何回銃を見てきたことか。何なら人も撃ってますからね。
「新型の銃が手に入ったんで自慢しようと思って。弾は入っていないので安心してください。かなり改造されているんです。ほら、軽いでしょう?」
「うわ……」
ちょっと!
いたいけな中学生に銃を持たせようとしないで!