参拾
「サリンは、私と一緒にいてくれますか?」
ああ、何を今更。
父と別れたあの日から、私は貴方の所有物だ。
私は少しも言い淀むことなく、満面の笑みで答えてみせた。
「ええ。例えどんな答えだろうが、私は貴方と一緒にいます。もし逃げ出そうったって、捕まるのがオチでしょうし」
「正直ですね」
これは本音だった。
父が殺されたとしても、私は彼と共にいる。仇討ちをしたいわけじゃない。
私を壊してくれるのは、きっと黒川さんだけだ。私を傷つけるのは、きっと黒川さんだけなんだ。
傷つくことに快感を覚えているわけじゃない。
彼が父を殺すなら、 自ら手を下すはず。それならばーー私も同じ手で終わらせてほしい。
「赤城翔太でしたね。彼は……」
彼はーー生きていますよ。
「ほ、本当、ですか?」
「ええ。私は嘘をつきませんから」
心が一気に軽くなった。
力が抜け、全身が安堵に包まれる。
涙が溢れてきそうになったが、必死に堪えた。自分以外の理由で涙を流すことを、彼は異常に嫌がる。
ああ、当たり前のはずだ。分かっていたはずだ。でも、彼の口から聞かされた真実が本当に嬉しかった。
誘拐犯たちの言葉が嘘だと分かっただけで、全て救われたかのような気分だ。
そもそも、そもそもーーあいつらの言葉を1ミリでも信じた私が馬鹿だったんだよ!
高鳴る胸は、まだ鼓動を鎮めてくれない。
黒川さんはそんな私を見て笑みをこぼした。何だか含みのある表情だったが……まぁ良いか。
「ハハッ、そんなにあの男が大事ですか? 私以上に?」
それはーー何と答えれば良いのだろう。
「黒川さんが一番ですよ」が間違いなく模範解答だ。
でも少しでも躊躇や違和感を見せれば、彼は即座に嘘だと見抜くだろう。
それに、私にもよく分からない。
父のことを大事に思っている。
でもそれと同じくらい、黒川さんも大切だ。
もし崖っ縁で二人で落ちそうになっていたとしたら、私はどっちを助けるだろう?
私を愛し、育ててくれた父?
実の父親が比べ物にならないほど愛情を注ぎ、新しい道を開いてくれた黒川さん?
どちらにも恩があるし、私を愛している。だけどーーどっちかなんて決められない。
一応現実的な回答をすると、先にお父さんを助けて、それから二人で黒川さんを助ける方が良いかな。先に黒川さんを助けたらあの人、 お父さんの指を踏んでそのまま崖から落としそうだし。
「何でそんなことを聞くんですか?」
「だってすごく嬉しそうですし。……もう何の接点もない男を気にされたら、私は嫉妬で狂いそうな気分になります。憎くて仕方がないです。いまだにサリンの心を占め続けるなんて、許せるわけがないでしょう?」
やばい、下手なこと言えない。
結局、黒川さんが私の質問に答えてくれなかったように、私も彼の質問には答えなかった。何というか、濁しておくのも大事だと思うんだ。
「答えなくても良いですよ。サリンの一番大切な人が私だってことくらい、ちゃんと分かっていますから」
この時、黒川さんがどんな顔をしていたのか、私はあえて見ないようにした。
***
***
***
ー???視点ーー
何? 自分、黒川真人の妹を逃がしたんか?
「申し訳ございません。何分、助けに入った者が”あの”後藤謙次でして」
あー、いや。別に責めとるわけやないんや。
そんなにビビんな。
にしても、あの後藤ねェ……。
何も嬢ちゃんにべったりくっついとるわけやないし、機会があったらまた拐おうや。
「そもそも、どうして彼女を? 黒川真人への牽制ですか? それとも身代金とか?」
当麻に聞けーーと言いたいところやけど、理由はちょっとばかしトップシークレットでな。
建前としては、石井が会いたがりよったからって感じ。
「……ずいぶんと石井に目をかけてらっしゃいますね」
黒川真人にやられっぱなしも可哀想やないか。
にしても、俺様も会いたかったなァ……サリンちゃんやったっけ。可愛いんよなァ。
「ああ、そういえば貴方の女性の好みは黒髪長髪、童顔の可愛らしいティーンエイジャーでしたね。ドストレートじゃないですか」
いやァ、黒川真人の妹に手ェ出そうなんて思わへんわ。後が怖くてかなわん。
でも……今度、変装して接触してみてもええかもな。
「お供しましょうか?」
自分みたいなゴツいのが来たら、すぐこっちの手のモンやってバレるやろ。
うっし、今からルオーネ・ファミリーとの取引について行ってくるわ。どうせ暇やし。
「ハァ、畏まりました。戦嶽組の組長の割には、いつもいつも楽しそうですね。行ってらっしゃいませ、北条様」
ああ。
……さて、黒川真人とその妹と、戦嶽組と。
これからどうなるんやろうなァ。
プロローグ、これにて完結です。