表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/151

 バッグはヤクザの人が預かってくれた。

 てっきり奴隷のように扱われるかと思ったが、案外そうでもない。


 私が促されて乗った車の中には、既に男が座っていた。上物のスーツを着ている。彼が組長だろうか。私は緊張しながら彼の様子を伺う。

 目付きが悪く、手が傷だらけ。容姿は百戦錬磨の傭兵のように雄々しく、かなり強面だ。しかしその口元には優しい笑みが湛えられていた。


「サリンちゃん、俺の名前は後藤謙次(けんじ)だ。よろしくな」

「よろしく……お願いします」

「俺は組長にお前さんのお目付け役を仰せつかってる。だから、くれぐれも下手な真似はするなよ? 可愛い女の子をいじめる趣味はないからさ」


 お目付け役、ねえ。

 逃げるつもりは元々なかったが、こんな強そうな人を見張りにされたせいで、余計逃げるつもりも自信もなくなった。

 もし間違いがあって彼から逃げ切れたとしても、関東にいる限り私は蜘蛛の巣に絡めとられたままだ。


「分からないことがあったら何でも聞いて良いからね。……そうだ、組長は絶対に怒らせるなよ? 俺も長生きはしたいからさ〜。とりあえず、組長の機嫌さえ取ってれば大丈夫だから」


 車が動き出す。

 黒川組の組長……一体、どんな恐ろしい人なのだろう。


「ああでも、意外と大丈夫かもしれないな。あの人はサリンちゃんのこと気に入ってるし」

「会ったこともないのに?」

「曰くうちの組長は、目を見るだけでそいつの本性が分かるらしい。映像でも写真でも関係なくな。組長はサリンちゃんの写真を見たんだ。何か感じる部分があったんじゃないか?」


 ヤクザの組長に気に入られるほどの本性って……。



 ***



 車は巨大な豪邸の前に停まった。


 ドラマや映画でしか見たことのないような、西洋式の大きなお屋敷。屋敷の周りには3メートルは優に超える外壁があり、門の横にはヤクザらしき男たちが何人もいた。

 建物自体はあまり年季が入っていない。代々受け継ぐ屋敷、というわけでもなさそうだ。

 ヤクザの組長というと、瓦屋根の古いお屋敷に住んでいるイメージがある。もしかすると、ここに住む以前はそうだったのかもしれない。


 後藤さんに連れられて車の外に出る。

 じろじろとヤクザたちの無遠慮な視線に晒されながら、私は屋敷の中に入った。


 屋敷の外、玄関前までには数え切れないほどのヤクザが並んでいた。

 だが屋敷の中に人の気配はない。


 実際、後藤さんと一緒に組長の書斎に行くまでに、私たち以外の人を一度も見なかった。確かに、家の中をいかつい連中に跋扈されるのは嫌だろう。

 家の説明をする後藤さんの一方後ろを私は粛々と歩いた。あまりに豪華な家具や内装の数々に圧倒されてしまったのだ。


「ここが組長の書斎。中にいるはずだから、ノックして入ってね」


 マホガニー製の立派なドアの前。後藤さんは私に先を譲った。

 心臓が高鳴る。意を決し、私は恐怖を噛み殺した。


 手は震えていない。

 二回ノックすると、「どうぞ」と、澄んだ綺麗な声が聞こえてきた。


「失礼します」


 部屋は驚くほど質素だった。

 書斎というだけあって両脇の本棚にはビッチリ本が詰まっており、デスクとパソコンがあった。

 来客用か向かい合わせの黒革のソファがありーーそこに彼がいた。


「やっと来ましたね。いつかいつかと、楽しみに待っていたんですよ」


 彼は、私の想像するような男ではなかった。


 若く、爽やかな容姿で、見たこともないような良い素材のスーツを着こなしている。

 彼を見れば、女性なら誰しもうっとりしてしまうだろう。今人気の若手俳優と並べても遜色ない、いやそれ以上に整った美しい顔立ちをしている。

 私も思わず目を奪われた。


「あ、あの……初めまして。赤城佐凛といいます」

「ええ、貴女のことならよく知っています。聞きたいことが山ほどあるでしょうから、どうぞ座って」


 恐る恐る向かいのソファに腰かけると、彼は満足げな表情を浮かべる。


「貴女の父親のことは……それはそれは残念に思っています。彼なら何とか返せるのではと思っていたんですが、何しろ5億ですからね」


 嫌味ったらしい、馬鹿にしたような声色。私は一気に彼のことが嫌いになった。


「私の送った偽の請求書も、きちんと払ってくれていましたし……頑張っていたんですがねえ」

「は、偽……?!


 ーー偽の、請求書?

 まさか私がバイトして稼いだお金は、ほとんど無駄だったってこと? 父に確認せずに払っていたのが仇になったのか。


「フフ、知っていますよ。貴女のお金でしょう? せめて請求書だけでもと健気に働き、わずかなお金で喜ぶ貴女の姿は痛快でしたよ。父親のため、ですか」


 腹の奥底から怒りがこみ上げてくる。叫ばないだけまだ冷静だ。


 そうかこの男は私を、私たちを見て楽しんでいたのか。


「しかしあんな落ちこぼれ、気にすることないのに。貴女は賢いし容姿も良い。逃げ出して施設にでも入れば、幸せになれたかもしれないのに」


 落ちこぼれだって?

 ああきっと、この人には分からないんだ。人生が万事上手くいっているようなこの人は、家族がどれほど大切なものかが分からないんだ。

 どんなに貧しくても、私は父が隣にいればそれで良かった。この人にはそんな相手がいないんだ。


 少しだけ、目の前の男が哀れに思えた。


「おや、すみません。少々口が過ぎました」


 構わない。いくらでも私を辱めれば良い。

 こんなに組長の近くにいられるんだ。必ず犯罪の証拠の一つや二つ出てくる。そうなれば、警察にでも突き出してーー


「もしかして、いつか警察に突き出してやろうなんて考えてます?」


 図星をつかれても、私は表情には出さなかった。

 男は楽しそうに笑うと、懐からあるものを取り出した。

 ーー銃だ。


「おや、初めて見ましたか。そうですね、下っ端には持たせないので」


 ほら、もう犯罪の証拠が出てきた。立派な銃刀法違反だ。

 彼は私の眉間に銃口を突きつけた。今まで平静を保っていた私も、流石に怯んでしまう。見惚れてしまうほど美しいせいか、余計に恐ろしく見えた。


「いくら証拠を掴んだところで無駄です。警察が私を捕まえることはない。もし貴女が無駄な危険を冒そうものなら、私は貴女を殺します」


 撃鉄の音が嫌に響いて聞こえた。

 殺す、殺すーーか。


「私は死んでも構いません。殺すなら、今すぐ殺してください」


 真っ直ぐと彼の瞳を見つめる。

 それからしばらく私たちは見つめあっていた。ほんの数分だか、一時間だか分からない。だが私には永遠の時のように長く感じた。


 ついに彼は銃を下ろし、笑顔へと様変わりした。


「では、こういうのはどうでしょう。四肢を切り落とし、目を抉り、耳を削ぎ落とし、死なない程度にいたぶってーー私がいないと何もできない人間にしてしまう、なんてのは」


 男の瞳は狂気に囚われていた。

 何かに取り憑かれたかのように恍惚としている。


「ああそうだ。貴女の父親を殺しましょう。もちろん、ビデオに撮って貴女にも見せてあげますから! 最初から最後まで!」


 こんな恐ろしいことを大真面目に言える人間がいるのか。

 銃なんて、彼の狂気に比べればおもちゃみたいなものだ。彼はもっとずっと恐ろしい。人間の持つ残酷さの全てが濃縮され、私の目の前に姿を現しているようだ。


「あ、貴方は……一体何がしたいんですか。あー……」

「ああ、自己紹介がまだでしたね。私の名前は黒川真人(まこと)。祖父からこの黒川組を受け継ぎ、現在は組長の地位にいます。これから、末長くよろしく」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ