弐拾壱
また傷が増えた。
首の痣の完治だけでも時間がかかりそうだったのに。長袖を着れば見えなくなるから、首よりはマシかもしれない。
しばらく鎮痛剤を飲む日々が続いた。
このよく効く鎮痛剤、もしかしてお医者さんに処方してもらわなきゃいけない奴では……?
……考えれば考えるほど悩みが増える。
私が満足に左腕を動かせるようになったのは、春休み手前のことだった。
例の如く学年末テストには足を運び、一人で高得点だけ取ってまた引きこもった。今回のテスト、私の順位はいかほどだったろう。
斉藤くんは私に勝っただろうか。
学年末テストのときも、クラス対抗のスポーツ大会ーー私は怪我を理由に見学したーーのときも波角くんはいなかった。
死んだという話は聞いていない。担任は「事故に遭って入院している」と言っていた。仕方がない。「クラスメイトの黒川さんのお兄さんに撃たれて全治○ヶ月です」なんて、知ってても言えやしない。
名前が刻まれて2ヶ月たった。
あの事件は私の心のみならず、黒川さんの言動にも変化をもたらした。
いや、変化っていうか……変態具合が悪化してるっていうか……。
「ああ〜、寝っ転がって可愛いですね〜」
「あの、すみません。止めてくだーー」
「は?」
「ごめんなさい。何でもないです」
何でもして良いって思うなよ?
と、私は心の中では常に気高くある。
声に出せれば良かったんだけどね……暴力に屈した。
寝ているかと思いきや、不意打ちで首や耳を舐めてくる。
それに私が起きていると分かっているくせに、身体の至る箇所を触ってくる。
普通に触りゃ良いのにーー決して良いわけではないがーー触れるか触れないかのギリギリを攻めてくるもんだから、くすぐったいったらありゃしない!
前から思ってたんだけど……お前は犬か!
他人の匂いを嗅ぎ分ける嗅覚に次ぎ、行動まで犬みたいだ。その証拠に、私の腕にはマーキングの痕跡がある……。
以前から主張しているが、私は「イケメンなら何でも許せる」系女子じゃありません。別にときめかないんで。ときめかないんで!
***
今日は久しぶりの晴天だった。
学年末の大掃除。くじ運が悪く、一番大変なグラウンド掃除に割り当てられた。くじ引きを外したときは最悪だと思ったが、こんなに良い天気なら悪くない。
「明美聞いた? 水羽くんの噂」
気になる言葉にふと足が止まる。
声の持ち主を探すと、話していたのはクラスメイトの女子たちだった。私は校舎に隠れて盗み聞きをすることにした。
「先生が黒川佐凜のところに行かせたじゃん。噂だと、ヤクザにやられたんだって」
「でも、事故だって聞いたよ」
「そこらへんは分からないけどさー。黒川さんの家に行ったちょうどその日に事故に遭ったんだよ? 本当に偶然かな?」
「ヤクザの怒りを買って殺されそうになったとか? こわーい!」
そう言いつつ、彼女たちは楽しそうだった。
噂なんて所詮こんなもの。いや、まあ、間違ってはいないんだが。
「黒川さんも二学期から休みがちだけど、どうしたのかな?」
「うーん、でも正直、いない方が安心っていうか……」
おーい、すぐ近くにいるぞ。
張本人が聞き耳を立てているとも知らず、彼女たちは呑気にドラマの話を始めた。
もうすっかり3月の頭。
先週3年生が卒業した。春休みが終われば、私も晴れて受験生だ。
*
「黒川さん、荷物を運びたいから手伝ってくれない?」
放課後。
後藤さんから迎えが遅くなるとの連絡を受けた直後、お気に入りの化学の先生に廊下で声をかけられた。
先生は女性だしーー女性は黒川さんの許容範囲だーーどうせ待つ羽目になるだろうからと、私は喜んで了承した。
先生に連れられ、教師用の駐車場まで行った。この学校に通って一年近く経つが、こんな場所があるなんて初めて知った。
彼女は自分の車のトランクを開けた。
「個人的な化学の教材がいっぱい届いてね〜。新学期が始まる前に職員室に持っていこうと思って」
確かに、一人で運ぶにはかなりの量だった。
「私、荷台を持ってくるからまとめておいてもらえる? お願いね〜」
「はい」
とは言ったものの、まとめるってどうやれば良いんだ……? とりあえずサイズごとに分けておこう。
先生を待っている間、教材の仕分けをすることにして、トランクに身を乗り出した瞬間ーー
「うっ」
ビリビリッ。
空気を裂くような鋭い電子音と共に、私の背中に猛烈な痛みが走った。
何かが焦げるような匂いがして、バランスを取れなくなった私は、教材の上に倒れ込んだ。
「ごめんね、黒川さん……」
蚊の鳴くような先生の声を最後に、私の意識は途絶えた。