佰参拾玖
宮殿に降り注ぐ夕陽が消えようとしている。
庭園の緑に混じった橙がじんわり薄くなっていき、やがて樹形を四角に整えられた植木の間からライトが灯された。
古代の英雄ボロナーの石像がライトアップされると、会場のあちらこちらから感嘆の声が上がった。
VIPが集まる夕食会ということで、情報保持のため会場の出入り口でスマートフォンなどの受信機器はすべて回収された。
真人に連絡しないいい言い訳ができた。貴重品金庫で私の携帯が鳴り響いているかもしれないが、そんなのはパーティーが終わったあとで気にすればいい。
写真は撮れない。映像にも残せない。
誰もが唯一の記録手段である記憶に今日を留めようとして、社交に前向きになっているようだった。
庭園に広がって社交に勤しむゲストに対し、私と聡は庭園の端で縮こまっていた。
というのも式典後にランスが直々に迎えにきたことで、周囲に彼の親しい友人であることが知られてしまったのだ。
挨拶しにきた人たちは──そもそも来賓なので当たり前だが──国内外の大臣や高級官僚、著名人ばかり。突然の挨拶ラッシュにパニックになり、応対は聡に任せきりだった。
「さっき挨拶した人、アヴェリアの首相だったよね? どうして普通にしていられるの?」
私は宝石のようなジェリースイーツを手の中でもてあそんだ。
甘くないものはひとしきり食べ終わり、今はスイーツを堪能する時間だった。端から端まで品よく楽しみたいが、なかなかそんな余暇もない。
ここに逃げ込むまでひっきりなしに声をかけられ、無理やり社交のステージに引きずりこまれたのだ。ようやく一息つける時間がやってきた。
「小さい頃からパーティーに連れまわされてたから。ただ慣れてるだけだよ」
そう言う聡はあまり嬉しそうではなかった。
自分で聞いておいて何だが、そりゃそうだ。
もともと人嫌いな性分の聡は”社交”という名のつくものが大嫌いだ。社交界、社交パーティー、社交ダンス……うん、あんまり多くはないけど。
性格によるものも大きいだろうが、自分の嫌いな父親が強制したというのも、彼の社交全般への憎しみを増幅させる一因になっている気がする。
とはいえ同じく社交嫌いの真人と違い、必要とあらば愛想よくできるのだから彼は偉い。
しばらく食事を楽しんでいると、礼服を身に纏ったロッソさんが声をかけにやってきた。
枢密院職員には特定の礼服の着用が義務づけられている。アヴェリア人に多い明るい茶髪の人間が多いこともあいまって一見誰が誰だか区別がつかない。
「楽しんでいただけていますか?」
しかし彼の金髪はひときわ存在感があり、私は一目で彼だと分かった。
日本人は黒髪ばかりだから実感しにくいが、髪色はいいアイコンになる。ランスしかり、ロッソさんしかり。
「あー、ええ」
歯切れの悪い聡の返事に、ロッソさんは何を勘違いしたのか、
「もしかしてお邪魔でしたか?」
と神妙な顔をして言った。
私は慌てて、
「いえ! 聡ったら、いろんな人に揉まれてうんざりしているんです」
「大半の来賓が外交官ですから、お二人の楽しめるようなパーティーではないかもしれませんね」
日本の他の来賓もフィーバータイムとばかりに国際交流の輪を広げている。政府にも外交にも関係のない私たちの方が異分子なのだ。
「ランスは今どこに?」
「王室の方々は宮殿内でお食事されています。パーティーの終わりに庭園でご挨拶をする予定ですので、その後でしたらお時間をとれるかと」
ホテルに戻る前にランスとの時間を過ごしたい。
私と真人は二週間ほどかけてヨーロッパ諸国を観光するが、聡は家の用事があって明日には日本に帰る。ランスもカナーナ地方の離宮に移るし、今後も出席しなければならない夏の式典がめじろおしだ。
パーティーの後のほんのわずかな時間が、この夏、私たちが三人で過ごす最後の時間になるだろう。
とはいえ週に一度は電話する仲なのだから感傷的になる必要もないが。
「そういえばサリン様、カプレーゼが補充されていましたよ。お好きですよね?」
「な、何で分かるんですか?」
占い師に悩みを言い当てられたらこんな気分になるんだろうか。図星をつかれると驚きよりも恐怖が勝る。
まさか身元調査の一環で私の好みまで把握されてしまったのだろうか。真人とアヴェリアの諜報機関で私の個人情報バトルをしたらどちらが勝つだろう。
しかしトリックはいたって単純だった。
「何度もおかわりしているのを遠くから見ていました」
げっ、という品のない音が口からこぼれる。枢密院職員は宮殿のいたるところにいるが、一体彼はどこから見ていたんだか。
彼の言葉に、不意に真人の顔が浮かんできた……。
私は空になったグラスを近くのウェイターに渡した。
「甘いものも飽きてきたし、取ってこようかな」
「お前、まだ食べるの……?」
「まだ食べるよ。聡も行く?」
「いや、俺はここでじっとしてるわ」
よっぽど絡まれたくないらしい。
私は聡とロッソさんをおいて、目眩がするような人混みの中に戻っていった。
私たちのいたところから料理の列までは百メートルもないのに、たどり着くまでに三分もかかった。人を合間を縫うのは本当に体力がいる。
私と同じ食欲と胃袋をかかえたゲストが他にもいるらしい。
ほとんどのチェーフィングディッシュは空になっており、余った料理を王室弁当にする余地もない。目当ての美味しいサラダもなくなっていた。
唯一満たされているのはカトラリーだが、食器じゃお腹は膨れない。
私が肩を落としていると、
「サリンちゃん」
静謐な響き。
振り返らずとも分かった。
「ランス!」
ランスは太陽のような微笑みのまま、私を人目のない植木の陰まで連れていった。式典装束のままよく気づかれずにここまで来られたものだ。
宮殿で家族と過ごす中、わざわざこっそり抜け出してきてくれたのだろう。
思わぬ再会に喜びがこみあげてくる。
私はランスの手や肩や髪に触れた。触れておかないといなくなってしまうような気がしたからだ。
「楽しんでいるみたいで良かった。料理はどうだった?」
「最高。もう一周しても足りないくらい」
「食べ尽くされる前に君を捕まえておかなきゃ」
私たちはひそひそ声で話した。
するとランスは周囲を見渡して、誰にも見られていないことを確認すると、
「見せたいものがあるんだ。一緒に来てくれる?」
彼のこの有無を言わせぬ懇願を無視できる人間がいるだろうか。
「もちろん」
私は間髪入れず答えた。
しかし言いながら、目の端に聡を捉えようとした。おそらく聡であろう小さな人影が誰かと話しているのが見える。
「聡もあとで来るよ。先に行こう」
ランスは指を絡ませで私の手をにぎった。誘われる先の生垣は、まるで迷宮のように複雑に入り組んでいる。
誰にも気づかれぬまま、私たちは逃げるようにして庭園を去った。




